(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)

題:(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
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1896年7月6日、京釜鉄道株式会社の設立発起人総会が東京
 で開催された。
  京城(現:ソウル)と釜山を結ぶ京釜鉄道株式会社を
 日本は設立をして、朝鮮半島の国造りに努力した。
  朝鮮半島を縦貫するこの路線は最重要路線で、現在も、
 大韓民国韓国鉄道公社KORAIL京釜線として継承さ
 れ、経済活動に貢献している。
  この様な日本の誠実な努力に、韓国は感謝しなければ
 ならない。
  朝鮮半島に誠実な国造りをした国は日本しかなく・・
 その他の国は韓国・朝鮮半島の利権ばかりをしゃぶって
 いた。
  19世紀の後半と言えば、朝鮮政府は大変に財政上、逼
 迫(ひっぱく、行き詰って余裕のないこと)していた。
  そこで、朝鮮政府は、多くの鉱山採掘権などの利権を
 外国に売り払い、そして、盗られていた。
  アメリカは、京仁鉄道の敷設権を得ていて、工事を開
 始したが途中で投げ出した。
  因みに、1896年3月、日本銀行は、朝鮮政府へ応援をす
 るため300万円の借款(長期間にわたる資金の融資)を与
 えていた。
  朝鮮という地は、建設を成功させにくい地でもある。
  このアメリカの場合は、労働争議や支払い争議で中止
 された。
  この路線も、日本が引き継いで完成させてあげた。
  1900年7月に全面開通した。
  因みに、1900年2月に、日本の衆議院は、朝鮮半島の鉄
 道が完成し、充実する様に法案まで成立させたりしてい
 た「帝国臣民ノ外国ニ於ケル鉄道敷設ニ関スル法律案」・・
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1896年7月8日、東京美術学校に西洋画科・図案科の2科が
 新たに設置された。
  この年、西洋画科が新設され、黒田清輝藤島武二
 横山大観らが指導にあたった。
  東京美術学校は・・
 1884年7月、文部省に図画教育改良を目的とする図画調
  査会が置かれ、調査が行われ、官立美術学校を設置す
  ることに決定されたことに始まる。
 1885年12月、文部省学務一局に図画取調掛が置かれ、そ
  して、アーネスト・フェノロサ、岡倉覚三、狩野芳崖
  狩野友信らが委員となって設立準備が進められた。
 1886年2月、図画取調掛の事務所が小石川植物園内に移さ
  れ、岡倉覚三がその主幹となった。
 1886年9月、文部省と宮内省が協議し、フェノロサと岡倉
  を委員とする欧米の美術及び秘術教育視察が行なわれ
  た。
 1887年10月、二人の報告に基づき、勅令によって、図画
  取調掛及び工部大学校内「工部美術部」を統合・改編
  して東京美術学校が設立された。
  また、校則も定められた。
 1887年12月、東京都台東区上野公園の現在地へ移転する。
 1889年2月、開校される。
  5年制の学校として、普通科(2年)、専修科(3年)、
  特別の課程(1年)を置いて、授業を開始した。
  普通科:絵画・造形、専修科:絵画(日本画)・彫刻
  (木彫)、美術工芸(金工・漆工)に分かれていた。
 1890年、岡倉覚三が就任し、事実上の初代校長となる。
  副校長はフェノロサが務めた。
  開校時の教官は、他に、黒川真頼・橋本雅邦、小島憲
  之であり・・
  後に、川端玉章・巨勢小石・加納夏雄・高村光雲らを
  加えた。
 1892年、鋳金科を設置。
 1893年、第1回卒業式が挙行される。
  横山大観らの卒業生を送り出す。
 1895年、鍛金科を設置。
 1896年、西洋画科と図案科を設置。
  西洋画家の教官には、黒田清輝藤島武二和田英作
  岡田三郎助、
  図案科の教官には、福地復一・横山大観・本多天城ら
  が就任した。
 1898年、美術学校騒動が起きた。
  岡倉覚三の学校運営が問題とされ、岡倉をはじめ、橋
  本、横山、下村観山、菱田春草らの多数の教官が退任
  し、日本美術院を結成した。
 1899年、塑造科を設置。
 1902年、図案科に建築教室を設置。
 1905年、学科を再編成し、日本画、西洋画、図案、彫刻、
  金工、鋳造、漆工の7科とする。
 1907年、図案師範科(3年制)を設置。
 1914年、製版科(3年制)を設置された。
  (図案科が第一部(工芸図按)と第二部(建築装飾)
  に分離の史料もある)
  当時は、年限1年の予科、年限3年~6年の本科(絵画科、
 彫刻科、工芸科、建築科)と師範科、年限2年の研究科か
 らなった。
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1896年7月10日、基隆駅~新竹駅間の鉄道運輸の営業が開始
 された。
  台湾総督府鉄道の営業開始で、台湾の近代化と地域開
 発の原動力となって行った。
  基隆(きいるん)は台湾北部にあり、新竹(しんちく)
 は台湾北西部にある。
  新竹駅の駅舎は、現在でも日本人建築家の松崎万長が
 設計し、そして、建設・完成された立派な状態で使用さ
 れている・・
  台湾での現存の最古の駅舎となっている。
  1994年から、台湾の学者、複数の有志の方々の呼び掛
 けや保存運動の展開によって・・
  1998年6月23日に、台湾の国定古蹟(台湾の国の文化遺
 産)に指定された。
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1896年7月10日、新聲(声)社(現:新潮社)が創業された。
  佐藤義亮(さとうぎりょう)が新声舎を設立し、雑誌
 「新声」を刊行したが破綻した。
  1904年に新潮社を創立し、文芸雑誌「新潮」を創刊し
 た。
  佐藤(1878年~1951年)は、18歳の時に文学を志して
 上京し、1896年のこの年、新声社を設立したのだった。
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1896年7月15日、北陸線敦賀駅福井駅間が開通した。
  北陸線命名されたのもこの年・・
  そして、この日に、北陸線と各連絡社線との相互荷物
 取扱も開始された。
  この区間の建設において・・特に、敦賀駅~今庄駅間
 は険しい山地であったため、その山地を避け、海側の杉
 津駅経由で建設された(今の北陸トンネルの所)・・
  それでも、急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッ
 チバックが連続するという難所だった。
  難工事で命を落とした方も多かっただろう・・
  誠実な国造りの賜物で開通した・・快適な旅行が出来
 る現在、この様な先人の苦労を偲(しの)び、また、感
 謝しなければならない。
  日本の技術を駆使した朝鮮・韓国は感謝さえしない・・
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1896年7月21日、日清通商航海条約が調印された。
  下関条約に基づいて結ばれた日本と清国との通商航海
 条約で、北京において、日本と清朝の間に締結された。
  領事裁判権・協定関税・最恵国待遇を含む欧米諸国と
 同一内容の条約。
  日清両国人の共同経営事業についての規定、日本人の
 登録商標著作権保護の規定などを定め、追加条約も締
 結した。
  今・現在の中国の著作権を含む知的財産権を盗む行為
 の様な事が無い様にと約束した。
  これによって、日本と中国との通商の基礎ができた。
  1896年10月20日、批准書交換が行われた。
  1896年10月28日、発効。
  辛亥革命で成立した中華民国にも継続された。
  日本側全権は林董(はやしただす、伯爵、外交官)
  ちなみに、林董は、榎本武揚の軍に加わって箱館戦争
 に参加している。
  1928年に至り、中国は改訂したいとし、日本は応諾し
 て、条約の改定が行なわれた。
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1896年7月21日、信越地方が数日にわたる降雨のため、軽井
 沢駅~直江津駅間の線路は、各所で破壊された。
  御代田付近では、機関車が30尺(9.1m)下に転落した。
  客車・貨車も、脱線転覆した。
  全線が運転中止となった。
  7月23日に一部区間が開通し・・
  全線開通は、8月22日だった。
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1896年7月22日、新潟市から長岡市大洪水
  信濃川の堤防の各所が決壊した。
  被災面積は18000haに及んだ。
  信濃川の洪水としては有史以来の過去最大規模で・・
  破堤地にちなんで「横田切れ」と呼ばれる。
  破堤してから21日後でも、新潟市新通は、まだ浸水し
 ていた。
  長岡市中之島は、浸水が引かないため堤防上に小屋を
 建てて生活する人も居た。
  この「横田切れ」による被害は、死者43名、浸水家屋
 43684戸、浸水耕地58254ヘクタール。
  新潟市から長岡市のほぼ全域が浸水する大水害だった。
  この後、原田貞介が大河津分水工事改良案を提出し・・
  1909年、原田案をもとに、第二期大河津分水路工事が
 建設された。
  難工事で100名以上の殉職者を出しながら、1922年に、
 通水に成功した・・2年後の1922年、皆が待望し悲願した
 完成に至った。
  この分水によって、この後、信濃川本流が破堤するこ
 とはなくなった。
  (史料)大河津水位14尺4寸(4.32m)となる。
      各地の被害は・・木津に破堤あり、亀田郷は
     皆無作となる・・
      白根郷では赤渋字赤池の安中542の上手が破れ、
     新築早々の五幣氏宅は根こそぎ流される。
      横田でも破堤し、泥海となった(大洪水:横
     田切れ)鷲ノ木の煉瓦水門が損傷し漏水。
  初期の1918年~1941年に、千曲川第一期補修工事が進
 められていたが、洪水が、1年おきぐらいにどこかで起き
 るという状況で、苦労させられていた。
  尚、現在も、補修事業は進められている。
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  (今日の言葉)
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  題:NHKや新聞は、南京へ進軍することを煽った。
    キリスト教に良いことをすれば、あなたにも良いことが起きますよと言われて、
    ローマのコンスタンティヌス帝はキリスト教を国教にしたが、その後、ローマは西ゴート人に侵略された。
    クーベルタンの言葉:「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、オリンピックの品位を落とす」。
    学校放送の資質に欠けるNHK
    中国に、北海道の土地が、もう1割も買われている。
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紀元前202年、ザマの戦いが起きた。
  北アフリカのザマを戦場として、ハンニバルの率いる
 カルタゴ軍は、スキピオの率いるローマ軍と戦い、敗北
 した。
  その16年前の紀元前218年、イベリア半島を出発したカ
 ルタゴ軍は、アルプスを越えてイタリア半島に侵入した。
  知将のハンニバルは、ローマ軍を蹂躙(じゅうりん)
 し、勢いづいた。
  ローマが、この時、恐れたことは、このハンニバル
 にイベリア半島に残っていたカルタゴ軍が合流すること
 だった。
     ・
     ・
410年8月24日、ローマ略奪(りゃくだつ)
  アラリック1世が率いる西ゴート族が、西ローマ帝国
 ローマへ侵攻し、陥落させ、ローマ市内を略奪した。
  「永遠の都」として象徴的な地位にあったローマに対
 して、恥辱に溢れた略奪が行われた。
  外敵に対する無敵を誇ったローマが略奪されて、陥落
 した。
  このことは、ローマ帝国内外に大きな動揺をもたらし
 た。
  キリスト教聖職者で神学者であるヒエロニムスは、皮
 肉を込めて言った・・
  「全世界を収奪し続けたローマが、外敵から収奪され
 ている」・・と・・
  キリスト教は、ローマ帝国キリスト教を国教とした
 ことを非常に讃美した(これは、今・現代もしている)
  これは、当然で、この事によってキリスト教は大いに
 宣教され、延びた。
  キリスト教になればいいことがありますよという「相
 互授受」を説いた・・この言葉が効いたのだった。
  国教にしたコンスタンティヌス帝は、キリスト教が説
 く「相互授受」、つまり、キリスト教にとって利するこ
 とをすれば、ローマ帝国にとっても良いことが、キリス
 ト教の神によってもたらされる、良いことが起きるとい
 う教義・原理で・・コンスタンティヌス帝も、これを当
 てにしていた・・しかし・・??・・
  キリスト教の神による見返りを期待して、国教とした
 のだった・・が・・
  今・現在も、キリスト教の神からの見返りの奇跡を信
 じて祈っているが・・古代は生贄(いけにえ)さえ捧げ
 て、その犠牲の見返りを求めていた。
  しかし、その後、このコンスタンティヌス帝に起きた
 ことと言えば・・決して、キリスト教が語らぬ酷(ひど)
 いことだった。
  410年、キリスト教が嫌う異民族である「西ゴート族
 が・・その王のアラリック1世が・・侵入し・・これに
 よってローマ帝国は椋略(りょうりゃく)されてしまっ
 た。
  最悪の事が起きてしまった。
  キリスト教を国教にしてあげたのに、その結果は、永
 遠の都のローマが、蛮族の餌食となってしまった・・と・・
  この様な結果を怒ったのが「ローマの人たちだった」。
  キリスト教の神に乗り換えて、ローマの神々を追い出
 したから悪いのだと怒った。
  さらに、ローマの人たちは、キリスト教の神への批判
 を始め、そして、その責任を問う声を上げ、その声が満
 ちた・・ローマ中に沸き起こった。
  唯一神キリスト教の神の災厄(さいやく)だ・・と・・
     ・
     ・
11世紀、ヨーロッパで盛んにつくられた世界図にTO図が
 ある。
  Tはドン川、ナイル川、地中海で、Oはオーケアノス。
  (参考)オーケアノス:ギリシア神話に登場する海神。
      ティーターンの一族に属し、特に、外洋の海
     流を神格化したもの。
  ギリシア神話の世界観では、世界は円盤状になってお
 り、大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐ
 るぐると回っているとされた。
  それ故、神話において、オーケアノスの領域という言
 葉は、しばしば「地の果て」という意味で用いられる。
  TO図は、ここまでは古代の考えを引き継いで、世界
 の中心にエルサレムを置いた。
  そして、東の果ては、アダムとエバが住むとして神聖
 な楽園とした。
  (東の東と言えば極東・・だとすれば、日本になる・・)
  そして、ノアの息子たちの子孫の、アジア人はセム
 アフリカ人はハム、ヨーロッパ人はヤペテの子孫と考え
 ていた。
  7世紀から始まるイスラム世界の発展へも影響を与えた。
     ・
     ・
1896年4月6日、アテネオリンピックが開催された(~1896
 年4月15日)
  この開催は、フランスのピエール・ド・クーベルタン
 男爵の活動・提唱によると言うが・・
  このクーベルタンに次のような言葉がある・・
  「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、
 オリンピックの品位を落とす」。
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1937年8月13日、第二次上海事変が始まる。
  アメリカに武器・弾薬を援助されて、大部隊で日本を
 攻めて来た蒋介石の中国軍・・
  この第二次上海事変は、約2ヶ月間戦われた(~1937年
 10月26日)
  寝耳に水の上海の日本租界へ、中華民国軍の大部隊が
 攻めて来た。
  1937年7月29日の通州事件で、日本人が230名も虐殺さ
 れるという悲惨な、そして、卑劣な事件があったが・・
  この様な第二次上海事変という様なことがあるとも知
 らない日本は、その上海には、わずかな兵しかいなかっ
 た・・
  しかし、約2ヶ月の激烈な戦いで、日本は中国軍を撤退
 させた。
  この頃、欧米列強の思惑は・・
  フィリピンを橋頭保として中国の利権を得たいとする
 アメリカと・・そして・・
  アヘン戦争以来、広く中国にガン細胞の如くにはびこ
 り、美味しい汁を吸うシステムを構築していたイギリス
 などが・・
  新興のごとく現れた有色人種のアジア人の日本に対し
 「この美味しい利権を断たれるのではないかと恐れた」
 のは・・利権獲得者が「そう思うのも自然だった」。
  この様な行動を・・ロシア・ドイツ・フランスも中国
 で行なっていた。
  中国という広大な大領域の国には、利権漁りのアメリ
 カやヨーロッパ諸国が群がり「巣食っていた」。
  そして、第二次上海事変・・戦争はおさめたものの、
 この突然に攻めて来た中国軍を「追撃するか」どうかに
 日本は迷った・・
  南京まで進軍するかという時に、NHKや新聞などの
 メディアは、「煽って、進軍を肯定した」。
  突然に攻めて来た中国軍の悪さもあったが、この追撃
 するという方向になって行く・・「このままにする」と
 いう不拡大派を押し切って行く。
  日本国民も、このNHKやメディアに影響されて、正
 しい思考を阻(はば)まれ、熱狂した・・
  そして、国の方向を・・メディアの煽りで・・決めて
 行く・・
  NHKなどのメディアの責任は重大だった。
  今・現在も、NHKなどメディアが、不要な日本政権
 批判や、トランプ政権批判を行なっているが・・日本国
 民を洗脳し、繰っている状態になっているが・・
  この第二次上海事変の当時と同じことをやっている。
  お昼の、洗脳の「ニュース・バラエティ番組」も最悪
 である。
  この時の南京進軍も、NHKなどのマス・メディアの
 責任である。
  1932年の第一次上海事変が、華中に多くの利権を持つ
 アメリカやイギリスの圧力で、停戦協定が結ばれたよう
 に・・
  第二次上海事変も、アメリカやイギリスの干渉によっ
 て停戦にしたいと、中国国民政府の蒋介石は、戦争を仕
 掛けておきながら、停戦を希望し、思っていた。
  この時の日本のメディア(NHKや新聞)は、この様
 な中国を「日本を侮(あなど)っている」「暴挙なのは
 支那だ」と煽った。
  強硬論が強くなった時、天皇陛下は、不拡大の御意思
 を示された・・が・・
  不拡大の意見は孤立して行った。
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1941年、アメリカの黒人の方々は、キリスト教会でさえ、
 白人と隔離され、出入りを禁止にされ、差別をされた。
  キリスト教会の「神の祈祷」すら白人と一緒に出来な
 かった。
  アメリカ中がその様な様相で、大都市であっても、汽
 車、電車、バス、映画館、学校、ホテル、レストラン、
 図書館、海水浴場、便所などなど、あらゆるところで、
 アメリカ白人たちは黒人の方々を差別した。
  黒人男性が、白人女性を乱暴したというような噂(う
 わさ)が広がると、「単なる噂であるのに」・・
  また、有罪無罪に関わらず、犠牲と勝手に選んだ黒人
 の方を野外でリンチして、木の枝に吊るして、絞殺をす
 るという残忍な殺し方をした。
  単に、黒人の方々だけではなく、この白人の優越感か
 ら来る残忍さは、全有色人種に向けておよんでいた。
  特に、1930年代後半から、日本人は許せないという「
 理由のない敵愾心」が、大東亜戦争第二次世界大戦
 の原因となった。
  その底には、日本が、アジアのリーダーになりつつあ
 る姿をアメリカは恐れた。
  しかし、結局、戦争は起き、結果はアジアの諸国が独
 立を勝ち得て、欧米列強の「収奪の植民地状態」から脱
 し得た。
  1941年、アメリカ上院議員クロード・ペッパーは言っ
 た・・
  「もし全能であるキリスト教の神が、ジャップ(日本
 に対する蔑称)に東洋を支配させる思(おぼ)し召しが
 あるのなら、必ず、彼らを白人人種におつくりになった
 であろう(キリスト教の神は、彼らを有色人種に作った
 のは、東洋を支配などさせるなとのことだ)」と議会で
 演説をした。
  アメリカには、人種差別感を持たない方々も居られる
 だろうが、戦争が起きようとしているこの時期、この様
 な有色人種蔑視感を丸出しの上院議員が議会演説をする
 という異常なアメリカだった。
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1950年6月25日、韓国・老斤里(のぐんり)における大虐殺。
  この卑劣な事件は、半世紀を経て明るみに出た。
  アメリカ軍が、避難民を約400人を虐殺した。
  老斤里は、忠清北道の永同郡にあり、ソウルから南へ
 160キロの所にある。
  韓国政府は冷たく扱い、この事をタブーとして語らせ
 なかった。
  1944年4月になって、やっと本にして出版できた・・小
 説として「君、われわれの痛みがわかるか」である。
  それまでアメリカ大統領へも陳情の手紙を送ったが、
 なしのつぶて、無回答だった。
  この事件は、朝鮮戦争が始まった直後の1950年6月25日
 から始まった。
  北朝鮮軍がソウルに侵入すると、非難だとして韓国住
 民が集められ、首都がソウルから大田に移されたが、そ
 の太田も7月20日に陥落すると、米軍は避難命令を出した。
  住民は、さらに、避難行動をした。
  他からの避難民も加わり、林渓里には数百人が集まっ
 た。
  7月25日、朝8時、米軍が突然来て、後方に非難するか
 ら集まれと命令した。
  午後11時頃、600人ぐらいを強制的に出発させた。
  深夜になって、米軍は、川辺の野原に這いつくばらさ
 せて、その周囲を銃をもって監視した。
  この日に、7人が撃ち殺された。
  その翌日、戦闘機2機で機銃掃射された。
  逃げた人々へも、米兵が銃撃した。
  この様な事を続けた。
  北朝鮮軍兵士は、この中には居なかった。
  トンネルに逃げ、そのトンネル内にも銃撃した。
  トンネルの双方からも銃撃した。
  29日まで続いた・・この様な虐殺事件だった。
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1988年3月、南シナ海問題・・中国とベトナム間で武力衝突
 が発生し・・ベトナム兵の77名が死亡した。
  1995年、中国が、ミスチーフ礁に建造物を設置した。
   この地の領有権のあるフィリピンが領有を主張し、
   中国とフィリピンが対立した。
   中国は習近平政権下で、軍事進出をする姿勢を強め
   た。
  2014年以降、中国が、南沙群島で人工島や軍事施設な
   どを建設し始めた。
  2016年、フィリピンが、中国を相手に提訴した国際裁
   判で、常設仲裁裁判所は、中国が領有して来たとす
   る南シナ海のほとんどの全域を含む「九段線」の主
   張は根拠がないとし・・中国の主張する歴史的な権
   利は「ない」との判決を下した。
  この様に、世界的な決定がなされている南シナ海は「
 公海」である・・
  この公海を、公海という本来の形にしておくことは、
 「世界の核心的利益である」。
  この海を、中国の資金で、元の海の姿へ戻させなけれ
 ばならない。
  また、この様な行為をする、本例の様な行為をする中
 国が、普通の脅威・リスクのない国に戻ったら、沖縄の
 辺野古の海も元の海へ戻さなくてはならない。
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2008年10月、アメリカが、北朝鮮の「テロ支援国家」の指
 定を解除した。
  今の北朝鮮を作ったのは、アメリカのブッシュ大統領
 の「テロ支援国家」の指定。
  この脅しをきっかけに、北朝鮮は、核とミサイルの開
 発を始めた。
  そして、中国が支援した。
  しかし、アメリカは、テロ支援国家の指定はしたが、
 対応に「中途半端な態度」を取った・・
  2006年10月、北朝鮮が、第一回の核実験の後、アメリ
 カは、手の平を返す・・
  まったく甘い対応に変えた。
  経済制裁も解除した。
  また、北朝鮮核兵器製造施設を査察の対象から外し
 た。
  また、北朝鮮が、核弾頭用のウラニウム濃縮施設を数
 ヶ所を建設して来た事も問題にしない。
  そして、2008年10月、ブッシュ大統領が「テロ支援国
 家」の指定まで解除してしまった。
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2015年、リャルリー・エブト襲撃事件。
  キリスト教による、イスラムの方々への蔑(さげす)
 み行為が事件となった。
  フランスのパリで起きた事件。
  風刺週刊誌を発行している「リャルリー・エブト」の
 本社が襲撃され、編集者など12名が殺害された。
  この週刊誌は、イスラムの方々を蔑む風刺画を一度な
 らず何度も掲載し・・
  また、これだけではなく、イスラム教のムハンマド
 言者を貶(おとし)める行為を絵などでたびたび掲載な
 どを行なっていた。
  「表現の自由がある」と軽薄に無制限に理解し、イス
 ラムの方々の尊重すべきことに全く配慮してなかった。
  イスラムの方々を、ただただ傷つける無配慮な行為を
 続けて来ていた。
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2017年8月30日、残念なことだが、北朝鮮は、ミサイルの大
 気圏再突入時の問題はクリアーした。
  技術的な問題を解決した。
  帯広のNHKの監視カメラの映像が、北朝鮮のミサイ
 ルが明るい光を放ちながら落下していく様子を撮影して
 いた。
  これは、北朝鮮のミサイルが、大気圏再突入をする時
 に、バラバラにならずに、正常に機能し、正常な形で落
 下して行った姿だった。
  また、近い将来、日本のミサイル防衛システムは、ま
 ったく役に立たなくなることが予測されている。
  日本のMDシステム(弾道ミサイルv防衛システム)
 では、北朝鮮の核攻撃を防ぐことが出来ないということ。
  また、北朝鮮は、近い将来、「巡航ミサイル技術を習
 得すると予測されている」。
  北朝鮮と一緒に、ミサイルを開発してきたイランとパ
 キスタンは、すでに巡航ミサイル技術を持っている。
  巡行核ミサイルは、小型の漁船や貨物船からも発射で
 きる小回りのきく核ミサイル。
  また、自由に航路を変えながら低空を飛行するため、
 日本のMDシステムでは、ほとんど北朝鮮の核攻撃を捕
 捉(ほそく)が不可能なので、防ぐことはできない。
  アメリカに命令されて、高価な金を払って買ったシス
 テムも役に立たない。
  中国の勢力圏拡張政策と、それと共生する北朝鮮
  日本は、抜本的な防衛システムの構築をはかれ。
  また、中国・北朝鮮は、「大勢の工作員を、日本に、
 潜り込ませているが、そして、自国に都合の良い方向に、
 日本の内政と外交と世論を誘導しているが・・
  これにも対処せよ」。
  中国・北朝鮮のやりたい放題の活動の場と日本はなっ
 ている・・日本の世論誘導もやっている。
  日本の優秀なビジネスマン、銀行員、学者、ジャーナ
 リストが狙われている、繰られている。
  大量の金も、ばらまかれている。
  こういう静かな戦争が行われている。
  NHKは、日本国民を操作する番組ばかりを放送して
 いる、
  例えば、反日思想の沖縄の彫刻家の番組(この様に偏
 った企画の番組ばかりを放送するNHK)・・反日作家
 を特にクローズアップするNHK・・反日放送局となっ
 ている・・2017年8月30日のメモから・・
.
2017年10月13日、日本とインドの同盟関係
  本当に「同盟」になり始めた日本とインドの関係(日
 経ビジネスを参考にして・・)
  安倍晋三首相は10月8日、インターネットテレビに出演
 して「日本とインドは同盟国といえるぐらいの関係にな
 っている」と明言した。
  その理由として、日印米3か国の海洋共同演習マラバー
 ルを挙げた。
  話の流れでそれ以上の説明はなかったのだが、この発
 言は日印の最新の動向をよく示している。
  日印間には、日米同盟のような深い関係はない。
  それでも過去数年、とくにここ数か月、日印間の防衛
 協力が明らかに進展している。
  最近の動向は、以下に挙げる3つの点で、日本とインド
 が「同盟」状態になりつつあることを示している。
  「同盟」の要諦は危機に臨んだ時の協力
  「同盟」関係にあるか、そうでないかを分ける指標は
 何だろうか。
  最も重要な指標は、条約が結ばれているかどうか、で
 はない・・戦争や危機の時に味方であるかどうかである。
  実際、条約を結んでいても味方とならない場合があり
 得る。
  例えば、イタリアは、第1次世界大戦の時、ドイツやオ
 ーストリアと同盟を約束する条約を結んでいたにもかか
 わらず、オーストリアに宣戦を布告した。
  イタリアは第2次世界大戦でも、途中まではドイツと一
 緒に戦ったが、戦争の最末期、政権が交代すると、連合
 国に加わった(連合国が勝つと分かっている時である)
  戦争や危機に臨んだときの態度は、同盟の最も重要な
 側面である。
  この観点から見た時に、日印「同盟」関係をはっきり
 と示したのが、6月16日から8月28日まで続いた、インド
 と中国の危機に際しての、日本政府の態度だ。
  危機が起きた地域はドグラム高地といい、中国とブー
 タンの双方が領有権を主張している。
  インドにとっては、インド「本土」とインド北東部を
 つなぐ細い鶴の首のような部分に、クサビのように突き
 刺さる地域で、防衛上の要地である。
  そのため、この地域は長年、安全保障上の問題になっ
 てきた。
  そのような敏感な地域で、中国軍は戦車の重量に耐え
 る道路の建設を開始した。
  当初、中国軍による建設を阻止すべくブータン軍が(
 たった8人で)割って入ったが、中国軍に追い返された。
  そこで、ブータンの安全保障を担うインドが軍を派遣
 して道路建設阻止に着手した。
  そこから73日間に及ぶ、にらみ合いの状態に入った。
  インド軍が数百人規模だったのに対し、中国は1万2000
 人、戦車150両、さらに、火砲もそろえた大陣容を派遣し
 た。
  さらに、中国空軍も新型戦闘機による飛行を大幅に増
 やしたほか、周辺のチベット地域では大量の物資を運び
 こんで大規模な軍事演習も実施した。
  中国軍の広報官は1962年に中国がインドを負かしたこ
 とを思い出すよう言及、明確に戦争を示唆した。
  これに対抗してインドも、ドグラム高地周辺の3個軍団
 4万5000人が陣地を構築した。
  さらに、4000㎞に及ぶ印中国境(含:実効支配線)全
 体でも警戒態勢に入ったため、印中が武力衝突する可能
 性が高まった。
  日本は、この対立で存在感を示した。
  戦後の日本の対応としては驚くべきことかもしれない。
  7月に、ヘリ空母「いずも」をインド洋に派遣した。
  インド空母、米空母とともに大規模な海洋共同演習「
 マラバール2017」を実施して、日印米の協力関係の強さ
 を示した。
  この派遣は、印中の危機が起きる前から決まっていた。
  しかし、中国のメディアは、「インドは日米に期待す
 るな」と報じた。
  これは、ヘリ空母「いずも」の存在も気にしている証
 といえる。
  さらに8月18日、日本の平松賢司駐印大使が、「力によ
 る現状変更を非難する」と発言した。
  これは一般論をいったにすぎない。
  しかし、インド政府は、当時、「力による現状変更を
 迫っている」と中国を非難しており、日本大使の発言は、
 その論理を受けたものだった。
  しかも、この発言は絶妙のタイミングで行われた。
  4000㎞の国境でにらみ合いを続ける印中両軍が8月15日、
 カシミールで小競り合いを起こした。
  取っ組み合いを始め、石を投げ合い、負傷者が出た。
  緊張が高まり、インドが不安を高めた瞬間に、日本大
 使が発言したのだ。
  しかも、このドグラム高地の印中対立について、米英
 豪などは中立的な発言しかしていなかった。
  だからインドは、日本が主要国で唯一、インドを無条
 件に支持したものと受け止めた。
  日本の存在感は、ここで終わらなかった。
  緊張が緩和し、印中両軍がにらみ合いの場所から150m
 ずつ後退した8月28日にも、日本の存在感が際立った。
  当時は、中国でBRICS会議が行われる直前で・・
  BRICS会議にインドのナレンドラ・モディ首相が
 出席するかどうか、中国は気にしていた。
  しかし、それだけではない。
  中国が気にしていたことがもう一つあった。
  9月にインドの国防相が訪日し、同月、安倍首相が訪印
 することだった。
  もし対立を続けていたら、日本とインドの対中防衛協
 力が大幅に進展してしまう。
  中国は、その前に危機を終わらせたかったと予想され
 た。
  この様に、実際の危機が起きたときに、日本とインド
 の協力関係が目に見える形で発揮された。
  訪日したインドの国防相も、安倍首相を迎えたモディ
 首相も、日本に感謝を表明した。
  インドの一部では、尖閣諸島で危機が起きたとき、イ
 ンドは日本を支持すべきか、議論が起き始めている。
  実際に条約を結んではいなくても、戦争や危機の時に
 作動する事実上の「同盟」関係は成立しつつある。
  機密情報を共有する仕組みはあるか
  戦争や危機に臨んだ時の関係以外にも、日印の「同盟」
 関係を示す指標がある。
  防衛上の機密情報を交換できる体制ができているか、
 防衛協力する際に使う物品を融通できる体制ができてい
 るか、
  防衛技術協力は進んでいるか・・だ。
  同盟国は共同で軍事作戦を行う。
  その時、何が必要だろうか
  軍事作戦にかかわる秘密情報を交換したり、燃料や弾
 薬といった物品を交換したりする体制が必要だ。
  また、同盟国は、機密性の高い高度な兵器を共同で開
 発をする。
  この点について、日本とインドの体制はどうか・・
  機密情報の交換について、日印は「防衛装備品・技術
 移転協定」「秘密軍事情報保護協定」の二つに2015年12
 月に署名した。
  安倍首相が、9月に訪印した時にモディ首相と発した共
 同声明は、「マラバール」共同演習について「対潜戦(
 対潜水艦戦)」を念頭に置いて協力すると明記している。
  対潜水艦戦は、もっとも機密度の高い情報を扱う分野
 の一つだ。
  次に補給品の融通に関して・・「マラバール2017」に
 おいて、海上自衛隊護衛艦が初めて、インドの補給艦
 から給油を受けた。
  これはインドから燃料を買ったことを意味する。
  こうした協力について、海上安全保障保護協定のよう
 な正式な協定を結ぶべく、両国の間で、交渉が行われて
 いる。
  そして、防衛技術協力・・9月に、インドの国防相が訪
 日したときの共同声明と、同月に安倍首相が訪印したと
 きの共同声明をみると、その両方に防衛技術協力の記述
 がある。
  例えば、安倍首相訪印時の共同声明には「マラバール
 その他の共同訓練、警戒監視及び無人システム技術、防
 衛産業協力等の防衛装備品・技術協力を含む、防衛・安
 全保障協力及び対話を発展させること」と明記している。
  陸上無人車両(UGV)、ロボティクス分野、US2 救難飛
 行艇、デュアルユース技術(軍用にも使える民生用技術
 のこと)など具体的な名前を挙げて協力を進める方針1。
  (参考)外務省「日印共同声明:自由で、開かれ、繁
     栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
      インドが求める対パキスタンの協力、さらに、
     日印の「同盟」関係を示すものがあるとすれば、
     外交政策における協力である。
      2つの特徴的な動きがある。
      1つは、インドが日本の対北朝鮮政策に協力す
     ると同時に、日本がインドの対パキスタン政策
     に協力するようになっている。
  モディ首相が、2016年11月に、訪日した際の日印共同
 声明で初めて、「北朝鮮」と「パキスタン」の文言が同
 時に明記された。
  安倍首相が、2017年9月に、訪印した際の共同声明にも
 入っている。
  実は、これは、インド側の認識と関係している。
  インドは、北朝鮮の核開発問題をパキスタンの核開発
 の問題と同種に考える傾向がある。
  真の黒幕は中国で、北朝鮮パキスタンは中国の支援
 を受けて核を開発しているとみる専門家がいる。
  したがって、日本が、対北朝鮮政策でインドとの協力
 を考える場合、インドは対パキスタン政策で協力するよ
 う要求してくる傾向がある。
  特に、インドが現在懸念しているのは、パキスタン
 内にテロリストの拠点があることだ。
  故に、日本が、対北朝鮮政策でインドに協力を求める
 と、インドはパキスタンのテロリストについて日本の協
 力を求める。
  そこで昨年、この点について協議が行われた模様・・
  これまで日印共同声明に「北朝鮮」「パキスタン」の
 記述はなかった。
  しかし、昨年の共同声明には、北朝鮮を非難する声明
 が入った・・そして、「両首脳はまた、パキスタンに対
 し、2008年11月のムンバイにおけるテロ攻撃及び2016年
 のパタンコートにおけるテロ攻撃を含めたテロ攻撃の犯
 人を裁判にかけることを要求した」と明記した。
  パキスタンは、昨年、この共同声明を受け、すぐに懸
 念を表明した。
  しかし、今年の共同声明にも「パキスタン」の国名を
 記述しただけでなく、さらに具体的なテロ組織に言及し
 た記述がある。
  日印関係の変化をよく示している(ちなみに、パキス
 タンに対してより強いテロ対策を求める文言は、インド
 と会談した米国や英国などの声明にも盛り込まれており、
 インドを支持する方向へ態度が変化している)。
  (参考)外務省「日印共同声明」2016年12月12日、お
     よび、外務省「日印共同声明:自由で開かれ、
     繁栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
  インフラ開発で協力・・さらに、インフラ建設におけ
 る日印協力が、安全保障の色を帯びている。
  特に、今年9月の日印共同声明に盛り込まれたインド北
 東部におけるインフラ開発は対中政策として重要な影響
 を持つ。
  インド北東部の開発は、インドと東南アジアとの貿易
 を進展させるため、東南アジアにおける中国の影響力を
 押し下げる効果が期待されている。
  また、インド北東部は、印中両軍がにらみ合いをした
 ドグラム高地につながる。
  インド軍は、インド北東部のインフラを利用して、国
 境地域に軍をよりすばやく展開することが可能になる。
  そして興味深いことは、インド北東部は、外国では日
 本だけにインフラ開発の許可が下りている地域・・
  また、日印が進める「アジア・アフリカ成長回廊」構
 想も注目・・
  これまで日本とインドが別々に行ってきたアフリカに
 対する援助を、共同で進める構想・・
  日印はすでに5回もアフリカ政策を協議しており、調整
 が進んでいる。
  日印、日米、米印もアフリカ政策を調整しており、イ
 ンドは米国と一緒にアフリカの軍隊の訓練などにも着手
 している。
  よって、日印の協力は、日印米3か国協力の一環でもあ
 る。
  前述の共同声明でもアフリカについて繰り返し言及した。
  日印にとって、アフリカは、少なくとも3つの視点から
 重要・・中国がアフリカのインド洋沿岸地域に軍事拠点
 を作りつつある。
  第2に、資源が豊富で、これも中国と獲得競争となって
 いる。
  第3に、日印が国連常任理事国入りを目指すに当たって、
 アフリカは50以上の票を持つ。
  日印は、スリランカのトリンコマリー港や、イランの
 チャーバハール港、インドのアンダマン・ニコバル諸島
 などの開発でも協力しており、インド洋における中国の
 影響力拡大を抑える効果が期待されている。
  依然として世界で一定の力を持つ日本と、どんどん世
 界で発言力を高めるインドの「同盟」は、中国の台頭と
 ならんで、世界情勢を変える大きな要因となる。
  しかし、過去に、インド外務省・高官に次の様な言葉
 があったことを思い出す・・、
  「我々は、アメリカと、軍事同盟関係に入りたくない。
  アメリカという国は、他の諸国と本当に平等な同盟関
 係を結ぶことが出来ない国だ。
  アメリカと同盟関係に入った国は皆、独立した外交・
 軍事政策を運営する能力を奪われている。
  インドは、アメリカとの同盟関係に入ることによって、
 日本の様な惨(みじ)めな立場に置かれたくない」。
  一人立ち出来ない日本の防衛が、インドの叡智ある方々
 にはっきり見えていた。
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教
 嫌う仏教の「輪廻を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送もその類いとなっている。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」で現認。
.
2019年、北海道の土地はもう1割が中国に買われている。
  日本の主権を崩そうという種々の活動が行われている。
  チェチェ思想の中に旧民革命論がある。
  沖縄で、北朝鮮や韓国・中国からの旅行者が政治活動
 をしている・・これは法律違反行為であるが行なわれて
 いる。
.
2019年7月17日、MMT(現代貨幣理論)の提唱者が来日し
 た。
  そのインタビュー記事が読売新聞に報じられた・・
  以下はその抜粋・・
  「現代金融理論」(MMT)を提唱する米ニューヨー
 ク州立大のステファニー・ケルトン教授が16日、講演会
 出席のため来日したのを機に、読売新聞のインタビュー
 に応じた。
  日本は、積極的な財政出動で所得や個人消費の拡大を
 目指すべきだと強調した。
  MMT(Modern Monetary Theory)は、独自の通貨を
 持つ国は、通貨を発行すれば借金の返済に充てられるた
 め、物価が急上昇しない限り、赤字が増えても財政は破
 綻しないとする経済理論だ。
  2020年の米大統領選に向けて、米議会野党・民主党
 支持が広がっている。
  インタビューで、ケルトン氏は、「政府予算と家計を
 同じように考えることは大きな間違いだ。
  (急激な)インフレにならない限り、財政赤字は過剰
 支出の証拠でなく、景気を下支えする。
  物価が4%上昇しても、この世の終わりでは無い」と話
 した。
  物価の上昇圧力が高まった場合に、増税や歳出削減を
 行なうべきだとした。
  日本の債務残高は、国内総生産(GDP)の約2.4倍で、
 主要国でも最も大きいが、物価の上昇は鈍い。
  ケルトン氏は、今後も、日本で急激に物価が上がる可
 能性は「限りなくゼロに近い」と述べ・・、
  保育や介護を担う人材の処遇改善などで個人消費を刺
 戟すべきだとした。
  10月に予定される消費税率の10%への引き上げについ
 ては、「国民の消費が過熱して物価が上昇している局面
 で消費増税を行なうことは理解できるが、日本が直面し
 ているのは正反対の問題だ」と指摘し、実施に否定的な
 認識を示した。
  ケルトン氏が出席して都内で行われた講演会には、積
 極財政を支持する元内閣官房参与藤井聡・京大教授ら
 が参加した。
  ケルトン氏は、「政府の赤字は悪でも脅威でもない」
 と強調した。
  MMTに対し、主流派の経済学者などからは批判が相
 次いでいる。
  米連邦準備制度理事会FRB)のパウエル議長は2月、
 MMTを「自国の通貨で借金するのは問題ないという考
 え方は間違っている」と語り・・
  米政府は支出を減らすか、収入を増やすべきだと主張
 した。
  ローレンス・サマーズ元米財務長官も、「極端な物価
 上昇を引き起こす。
  為替レートの崩壊を招くだろう」と指摘する。(以下略)
.
2019年、「隠れキリシタン」は、ウィキペディアでも下記
 のように説明されるが・・これ等は作られた虚構の状況
 である。
  従来からキリスト教徒の研究者によって、多くの研究
 がなされて来て・・
  その結果、キリスト教を美化するように、また、殉教
 とかの讃美などがなされて来て・・真実が曲げられ、公
 表がなされて来た。
  しかし、公平な立場で研究した事例を見ると・・その
 実態はまったく違う結果となる・・
  その例の一つが、中園茂生氏の研究・・
  中園氏は、平戸市生月町博物館の学芸員で・・その研
 究結果であるが・・
  その研究成果を発表した本「かくれキリシタンの起源」
 を見ると・・
  研究成果として従来語られた「迫害を逃れて辺鄙(へ
 んぴ)な離島や半島に住み着き、外部との接触を避け、
 貧しさの中で信仰を守った」というのは事実ではないと、
 作り上げられているとした。
  それを、各地域の生業・経済状況を歴史的にその経過
 をたどり、明らかにした・・と・・
  そして、キリシタン遺物についても、作り上げられて
 いて虚構だと・・検証している。
  また、次のような記述も見られる・・
  現在のキリスト教カトリックとの繋がりを思わせる「
 洗礼」や「オラショ」の祈りを唱える面がみられるが、
 まったく関係を感じさせない要素が多く・・
  また、地域の違いがあったりして、カトリックなら一
 定であるはずが、形態の異なる状況にある。
  また、仏教や神道に明確に帰依した信仰状態にある。
  キリスト教カトリックとは、根本的に違いが現れてい
 る・・と・・
  また、本「異端の歴史」には、ルターやイギリスの国
 教会も異端であって、キリスト教ではないとされている。
  因みに、ウィキペディアには、以下のように説明され
 ている・・
  『日本では、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日
 して以降、キリスト教の布教がおこなわれて次第に改宗
 する者(キリシタン)が増えていった。
  しかし、江戸時代には、1614年に徳川家康による禁教
 令によってキリスト教信仰は禁止され、さらに1637年に
 起きた島原の乱の前後からは幕府による徹底したキリス
 ト教禁止、キリシタン取り締まりが行われた。
  当時のカトリック信徒(キリシタン)やその子孫は、
 表向きは仏教徒として振る舞うことを余儀なくされ、ま
 た、1644年以降は国内にカトリックの司祭が一人もいな
 い状況ながらも、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々
 伝えていった(潜伏キリシタン)。
  「潜伏キリシタン」は、ごく小さな集落単位で秘密組
 織を作ってひそかに祈祷文「オラショ」を唱えて祈りを
 続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、そ
 れらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画
 やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘
 蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時
 にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けるなどして
 信仰を守りつづけた(これらの信仰の形式は地方によっ
 て異なる。
.
2019年、映像分野は、三権分立が確立していない。
  権力が、一か所に集まることを防いだり、行き過ぎを
 止められなくなることを防いだりというシステムが確立
 していない。
  膨大な権力がNHKに集中している・・あたかも専制
 君主の如くになっている。
  NHK内部にあるチェック・システムは「お飾りにな
 っている」・・
  国民・視聴者が、NHKとは別の機関で審査ができる
 システムを作るべきである・・
  現状は、NHKは、好き勝手に、巨大な影響力を持っ
 ている放送媒体となっている・・
  専制君主的に任されているということの自覚も責任感
 もない。
  だから、自由に、NHKにとって都合の良いことが「
 ひたすらに行われている」・・
  それが見える形になっているという一つが、NHK職
 員の給料だ・・一般人の給料の「何と! 4倍となってい
 る」・・お手盛りでこんなことまでやっている。
  NHKに都合の悪いものは、勝手にNHKは廃棄処分
 をしている・・この様な権利まで持っている・・
  また、国会の委員会などの映像を、すべてをNHKは
 撮影して・・NHKの単独判断で、それを中国へ渡して
 いる・・これは、スパイ行為である・・
  また、NHKは、公開放送や講演会などの撮影は、放
 送開始前から、入口から入場する一般人の観覧者・参加
 者の映像を無断で撮影している・・
  個人情報の無視をしている・・
  これを、中国へ無断で提供していないのかが心配にな
 る・・
  この様な無断撮影行為は、NHKセンターの入口の入
 場者の撮影でも行っている・・日本人の顔映像を収集し
 ているのでは?と思える様な状況である・・
  これも、中国へ渡すの?とNHKへ問いたい・・
  NHKへ来た「NHKへのクレーム」は、1年で廃棄処
 分にしている・・置き場がないというのがその理由・・
 都合の悪いのは早く処分したいのだろう・・処分の権利
 がNHKにあるのだと言う・・
  NHKの権力は分散せよ・・
  NHKの放送映像は、国立国会図書館が印刷物媒体を
 保管する様に、NHKの別機関がその映像媒体のすべて
 を保管せよ・・そして、NHKを提訴する時の証拠映像
 も発行し、出せるようにしなさい!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)

題:(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
.
1896年6月20日、鉄道会議規則を改正した(勅令第257号、同
 会議議員増員)
  鉄道会議は、日本において1892年6月21日から1949年6
 月1日まで、鉄道敷設法16条に定められた「鉄道会議規則」
 (明治25年勅令第51号)に基づいて、鉄道担当官庁(内
 務省→逓信省鉄道省運輸通信省運輸省)に設置さ
 れた諮問会議。
  鉄道敷設法で定められた鉄道建設の順序や鉄道公債の
 発行などについて主管大臣に諮問した。
  ただし、実際には、鉄道政策全体について諮問してい
 る。
  定数は議長1名・議員20名(ただし、臨時議員として複
 数名の追加が認められた)・幹事1名で構成されていた。
  初回会議は、1892年12月13日から20日まで開かれた。
  初代議長には、川上操六陸軍参謀次長が就任した。
.
1896年6月22日、李範晋(イ・ボムジン)が、駐米特命全権
 公使になった。
  李範晋は、1895年10月8日の閔妃暗殺事件(乙未事変
 をロシアと組んで実行していた(高宗王の妃である閔妃
 は殺害された)
  そしてまた、李範晋は、その約1ヶ月半の後、1895年11
 月28日の春生門事件の首謀者だった。
  (総理大臣の金弘集を暗殺しようと企てた事件・・未
 遂に終わった・・失敗の後、ロシア公使館へ逃げ込む・・
 そしてのち、ロシアの指示で忠清道で暴動を起こした)
  閔妃が殺害された後、金弘集内閣は近代化への改革を
 推し進めていた。
  (これは、日本の指導で改革が進められ、小学校の設
 立、郵便網の整備、種痘法の施行、太陽暦の採用、断髪
 令、軍制改革などが行われた)
  この改革に反発した抵抗が起きていた・・
  その様な中、1896年2月11日、高宗王は、虚言で煽られ
 てロシア公使館へ移り、軟禁状態となった(露館播遷)、
 金弘集は殺害され、乙未改革(いつびかいかく)は終わ
 った。
  この日の前日の1896年2月10日に、ロシアは、ソウルに
 水兵107名と大砲を入れるという武力誇示の強行策を行な
 っていた。
  この時も、親露派の李範晋は策動していた・・「ロシ
 ア公使館への逃げ込み(露館播遷)を成功させた中心人物」
 と美化表現がされている・・実際は、嘘と脅(おど)し
 の誘い出しの策謀行為だった・・
  これで、ロシア公使館内の傀儡政権が成立し、ロシア
 はこの後、多くの朝鮮利権を獲得する・・そして、親日
 派の改革派を排除し、粛清し、近代化と逆行をする事を
 始めた(旧守派の行為)・・
  しかし、ソウル以外の地域では、このソウルの政策は
 まったく受け入れられず・・暴徒が蜂起したりしている・・
  ソウルの政令が地方に伝わらない状態(無政府状態
 となっている。
  この様な展開の中、アメリカにも清国の権益の分け前
 を均等に得る権利があると主張するアメリカへ、李範晋
 は駐米特命全権公使となった。
  因みに、李範晋は、露館播遷の時に、法務大臣に就任
 していた。
  李範晋(1853年~1911年)は、大韓帝国の最初で最後
 の常駐ロシア公使(1899年)でもあった。
  日本とロシアが戦争状態になると、ロシア公使の李範
 晋への本国からの送金は途絶え・・生活に困窮した李範
 晋はロシアへ救済を求めた。
  李範晋の最後は、1911年1月13日に自殺をしている。
.
1896年6月25日、函樽鉄道会社の発起人が、東京府知事を通
 じて拓殖務大臣・逓信大臣へ会社創立認可の出願をした。
  1897年4月29日、拓殖務大臣から仮免状が下付された。
  北海道函館区平田文右衛門ほか200人は、函館鉄道を発
 起し、小樽・余市長万部・森・函館間の鉄道建設を請
 願した。
  北海道の開拓は着々と行われた。
  小樽~函館間の鉄道として、1895年発起された北海道
 鉄道は、渋沢栄一らが発起人に加わって、1896年、函樽
 鉄道と改称され、再請願された。
  1900年、認可されて、北海道鉄道と再改称し、設立さ
 れた。
  また、渋沢栄一は、1897年設立の函館馬車鉄道の株主
 にもなっている。
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1896年7月1日、渋沢栄一、浅野總一郎らにより東洋汽船が
 創立された。
  東洋汽船創立発起人総会は、渋沢栄一が56歳の時、1896
 年4月25日に行われていた。
  栄一、浅野総一郎外三十二名ト共ニ、我邦ト独・米・
 露間ノ三大海外定期航路ヲ開設スルノ目的ヲ以テ、東洋
 汽船株式会社創立ヲ発起シ、是日発起人総会ニ於テ創立
 委員ニ選バレ、後、創立委員長トナル。
  マタ大東汽船ノ合併ニモ与ル。
  この頃、渋沢栄一は、日本郵船の重役でもあり、競合
 企業の設立を支援したことで、栄一を非難する声もあっ
 た・・それに対しての渋沢栄一の言葉・・
  ・・余ノ事業ノ為メニ奔走スルハ一念国家ノ利益ヲ計
 ルニアリ、故ニ成立ノ見込アル事業ナレハ、幾箇ニテモ
 成立セシムルコトニ尽力シ、国家経済ノ発達ヲ助ケント
 ス、銀行業ナリ、紡績業ナリ、其他幾多ノ商工業ニシテ、
 余ノ関係セルモノ皆尽ク然ラサルナシ、但成立ノ見込ナ
 クシテ、徒ニ競争ノミヲ事トスルモノニ至テハ、余ノ取
 ラサル所ナリ [後略]
  関連年表・・
  1908年4月22日、三菱造船所で、わが国初のタービン船
   の天洋丸(東洋汽船)が完成した。
   全長168米、全幅19米、1万3454瓲、平均速力約20.6
   節、船価約4千万円
   建造費は工賃のみを三菱が請け負い、材料は東洋汽
   船が英国から支給・・燃料に初めて重油を使用。
   初めて短波無線送受信装置を採用した。
   客室設備は特別室をはじめ、ロンジ・喫煙室・読書
   室・食堂など豪華を極めた。
   桑港(サンフランシスコ)航路に就航した。
.
1896年7月2日、川上音二郎が、東京神田に川上座を開場し
 た。
  川上音二郎1864年2月8日~1911年11月11日)は、筑
 前黒田藩(福岡藩)出身。
  「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、
 新派劇の創始者
  この新派劇は書生芝居、壮士芝居と言われ、やがて新
 派となり、旧劇(歌舞伎)と人気を競った。
  1895年に、歌舞伎座の舞台で「威海衛陥落」を上演し
 た。
  歌舞伎の殿堂に素人あがりの役者が出るのは異例のこ
 とだった。
  劇通の人々を驚かせ、市川團十郎は、川上が歌舞伎座
 の桧舞台を踏んだことに激怒し、舞台を削り直させたと
 いう。
  1895年末に、泉鏡花の小説を舞台化した「滝の白糸」
 を浅草座で上演した。
  この作品は、新派劇の代表的な演目となった。
  そして、1896年に、東京市神田区に川上座を開場する。
.
1896年7月3日、台湾総督府鉄道局告示第2号で「鉄道規則」
 を制定し、一般運輸営業に適用した。
  運用は台湾鉄道輸送規則。
  台湾鉄道会社を、1896年5月に発起し、南北縦貫鉄道建
 設を請願し、政府もこれを許可した。
  しかし、株式の募集は進展しなかった。
  総督府後藤新平民政長官は、重要事業の鉄道建設は、
 民間会社では不可能と判断した。
  そこで、解決策として公債を募集したりして、積極的
 に政策を進めた。
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1896年7月5日、東海道線向日町駅吹田駅間が複線で開
 通した・・ますます発展する東海道線だった・・
  この頃の東海道線の動き・・
  1895年10月、神戸駅から西へ伸びる山陽鉄道(現在の
   山陽本線)との直通運転が始まった。
  1896年、新橋駅~神戸駅間の急行列車の運行が開始さ
   れた。
  1900年、寝台車の連結が開始された。
  1901年、食堂車の連結が開始された。
  1906年、最急行が登場した。
  1909年、新橋駅~神戸駅間が12時間50分にまで短縮。
  1912年、最急行が特別急行(特急)に変更され、新橋
   駅~山陽本線下関駅間で運行された。
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1896年7月5日、日本初の電力会社・東京電灯が営業を開始
 した。
  1896年、東京電灯の浅草発電所で、国産初の発電機を
 使用。
  電気事業取締規則が公布された(逓信省令第5号)
  電気事業の創業当初は、電気工作物に対する保安取締
 りが主たる行政だった。
  電気事業者の監督行政が全国統一化される。
  経緯・・
  1887年、東京電灯が第二電灯局を建設し、日本初の火
   力発電所を誕生させ(出力25kW)、家庭配電(210V
   直流)を開始した。
  1890年、東京電灯に、警視庁が電柱広告を許可し、電
   柱広告が始まる。
  1892年、東京電灯が、電灯1万灯祝典を挙行した。
   (開設当時の電灯数130余灯が5年あまりで1万灯を越
   えた)
  1895年、東京電灯・浅草発電所の操業が開始した。
   このとき使用したドイツ、AEG製の発電機が50ヘ
   ルツであった・・これで東日本標準が50ヘルツとな
   った。
  1896年、東京電灯・浅草発電所で国産初の発電機を使
   用し、電気事業取締規則が制定され、電気事業者の
   監督行政が全国統一化した。
   この頃の電気事業者は、火力発電23カ所、水力発電
   7ヶ所、水・火力併用3ヶ所、電灯数12万余。
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  (今日の言葉)
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  題:海洋圧迫戦略・・
    アメリカは、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略遂行の
   初動である第1列島線への短期高烈度の戦いを跳ね除け、
   中国軍に勝つことを決心した・・
    そして、その対中国戦略と作戦を完結させた。
    また、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
   アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払っても
   日本を守るとしている。
.
1815年、イギリスが、英仏戦争のとき、軍票を初めて発行
 した。
  軍票・・どこの国でもやったことに軍票というものが
 ある・・外国の戦地で、その軍票を刷って必要なものを
 調達した。
  今・現代でも、ダムが欲しいなら自国通貨を刷って造
 るという方法がある・・また、道路が欲しなら自国通貨
 を刷ればよいのだ・・自国の企業に、その仕事を発注す
 ればよい。
  わざわざ、裏付けのない中国・人民元を、一帯一路の
 中国に頭を下げて借りに行くことはない・・その様な行
 為は止めた方が良い
  自国の港が、担保で盗られるリスクがある。
  (参考)軍票:ぐんぴょう、軍用手票、戦争時におい
     て、占領地もしくは勢力下にて、軍隊が現地か
     らの物資調達、及び、その他の支払いのために
     発行する紙幣で、政府紙幣の一種と解された(
     こともある)。
      最終的に、その軍隊が所属する政府によって
     軍票所持者に対し債務支払いを行なう必要があ
     る。
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1905年、クナップは、この年、通貨とは「法による創造物」
 であり、商品によるものではないと論じた・・MMT理
 論の始まり・・
  (参考)クナップ:ゲオルク・フリードリヒ・クナッ
     プ
  クナップは、国家は単なる紙としての通貨を創造する
 ことができ・・「その国家の納税においてこの通貨が受
 け入れられる限り」・・これを法定通貨として商品と交
 換可能な通貨にすることができる・・と論じた・・
  そして、従来の考え方を金属主義と名付けた。
  このクナップらの考え方から、MMT(現代貨幣理論)
 がまとめ上げられた。
  MMT(現代貨幣理論)、あるいは、新表券主義とは、
 現代経済の貨幣が借用書により成立していることを捉え
 て・・
  政府は、税収に制約される必要はなく、任意の自国通
 貨建て国債発行により財政支出量を調整することで、望
 ましいインフレレベルを目指す経済政策を行うことを理
 論の中心とした。
  これまで、一般的に行われて来た理論、また、多くの
 経済理論では、政府の財政赤字が拡大すれば、同時に、
 金利上昇と景気悪化を招くとしていた・・
  それ故に、政府の国債発行の拡大は望ましくないとし
 て来た・・その主眼を財政均衡主義に置いて主張されて
 きた。
  しかし、その一方で、MMTでは、財政赤字拡大で景
 気悪化を招くことはないとしていて・・
  ただ、マネーサプライの増加によるインフレ圧力がか
 かるのみだとした。
  この対立は、多くの議論を呼んで来ていた。
  また、政府は、将来の支払いに対して無制限的な支払
 い能力を有していることから、政府の債務超過による破
 綻は起こりえない・・
  赤字国債発行の限度はインフレ率によって示される・・
 としている。
.
2007年、麻生太郎氏(現:副首相、当時:外務大臣)が、
 「自由と繁栄の弧」という素晴らしい構想を説いた。
  これは、日本から始まって、カンボジアラオス、ベ
 トナムといった東南アジアの国々を通り、
  さらには、中央アジア諸国やグルジア、アゼルバイジ
 ャンといったコーカサス地方の国々を経由して、
  トルコ、中欧、東欧からバルト三国までぐるっと延び
 る月(ムーン)のような形をした一帯を指している。
  これらの国々は、皆、経済がうまく行って、それなり
 に反映している。
  この各国と共通価値観を共有する。
  この共通の価値観で、一緒にやろうと話しかけた。
  麻生大臣は、大成功を収めた。
  この時、『中国やロシアは、この動きに大変脅威に思
 った』。
  軍拡を進める国を、平和の鎖が取り囲んだ形になった
 からだった。
  この様な価値観は、まったく持っていなかったので、
 対抗する価値観を築こうともしなかった。
  これは、ものすごい思想攻勢だった。
  日本の外交の王道は、ここにあった。
  今・現在、中国は、この価値に気付き、この凄さに気
 付き、この素晴らしさに気付き、『「一帯一路」構想を
 ぶち上げた』。
  中国の習近平総書記は、2013年9月7日になって、カザ
 フスタンのナザルバエフ大学で一帯一路構想を初めて演
 説した。
  そして、続けて、その約1ヶ月後、インドネシア国会で、
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)を演説した。
  麻生太郎氏が構想を説いてから、5年の後のことだった。
.
2018年、アメリカのトランプ政権は、レパトリ減税を行な
 った。
  これは、『海外の利益や余剰金をアメリカに引き上げ
 る目的』があり・・従来の35パーセントを15.5パーセン
 トに引き下げた。
  中国の経済成長を促してきた「アメリカ資本の対中投
 資を中国から引き揚げさせる」ためでもある。
  通年の数倍の資金がアメリカへ戻った。
  また、今まで海外で発生した利益や余剰金は、翌年に
 繰り越すと課税されなかったが、トランプ政権は、この
 制度を廃止した。
  しかし、日本は、財務省が「プライマリーバランス
 字化目標」という『狂った目標』に固執し、日本はデフ
 レ脱却に『必須の政府支出拡大に踏み出せない』でいる・・
 そして、亡国の道を歩んでいる・・
  そして、減税どころか、消費税増税をしようさえして
 いる。
.
2019年、MMT(現代貨幣理論)という経済理論が脚光を
 浴びている・・
  https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E
  注目される理由は・・
  MMTは、「自国通貨建てで財政赤字を拡大させれば
 政府は簡単に経済の長期停滞から脱出できる」としてい
 る・・
  経済学者の重鎮たちは批判をしている・・
  その批判は、財政支出の拡大によって金利が急騰し、
 民間投資が阻害される(クラウディングアウト)という
 もの・・
  また、財政支出を無限に拡大させるとハイパー・イン
 フレになると言っている・・
  これに対し、MMTを主張する人たちは・・
  クラウディングアウト懸念に対して、「中央銀行
 固定(ゼロ)金利政策を採用し、財政赤字をそのままフ
 ァイナンスすれば、財政赤字の増加分、そのまま資金供
 給が増加するので、民間投資が押し出されることはない
 (また、中央銀行が、ゼロ金利政策を長期間維持するこ
 とが予想できれば、将来の政策金利の予想で決まる長期
 金利も低位安定するはずである)と・・
  むしろ、政府が、自らの負債である国債や通貨の発行
 量を増やしてこなかったことが、世の中の金回りを悪く
 して・・
  その結果として、長期的な景気低迷が続いていると・・
  MMT推進派の言い分は・・
  財政再建一辺倒で、消費税などの税金を上げて、消費
 を縮小させ、経済を停滞させるより・・
  政府の負債拡大によって、通貨の流通速度を上げ、民
 間部門にも新たな需要を『積極的に生み出す』ことが良
 いのだ・・と・・
  また、インフレ発生現象は、ある特定の部門の資金需
 要のバランスが崩れることに起こることに限られている
 と・・
  東洋経済ONLINEには以下の記述がある・・
  マネーストックが物価に影響するという考えに基づい
 て、日本だけでなく主要国では政府が国債を発行する際
 に、中央銀行が直接引き受けを行うことは原則として禁
 止されており、市中で消化している。
  これは、政府が国債を発行することでマネーストック
 が増加することを回避するためだ。
  新規に発行される国債を民間金融機関が引き受けると、
 国債発行額分だけ金融機関の日銀当座預金が減少するの
 で、多くの場合、日銀はこれを相殺するような操作を行
 い、金利マネーストックが大きく変動しないようにし
 ている。
  しかし、マネーストックの変化がインフレを引き起こ
 すわけではないと考えているMMTでは、政府が発行す
 る国債中央銀行が直接引き受けてマネーストックが増
 加しても、インフレの原因にはならないと考える。
  ミッチェル教授は、政府の財政赤字を通貨発行で賄う
 (明示的財政ファイナンス)ことが国債発行で賄うより
 もインフレ的だということはない、と述べている。
  インフレが起きるかどうかは支出の規模のみに依存し
 ており、総需要の成長速度が生産力の伸びを超えない限
 りハイパー・インフレーションの危険はないと主張して
 いる。
  日本では、1990年以降に、マネーストックが大幅に増
 加しているにも関わらず、名目GDPはわずかしか増加
 していない。
  古典派のような単純な貨幣数量説が成立していないの
 は明らかだ。
  日本は、ハイパーインフレどころか、前年比2%の消費
 者物価上昇すら視野に入ってこない状況なので、当面は
 財政赤字の継続による政府債務残高の増加が高インフレ
 をもたらすという心配は不要に見える。
  しかし、財政赤字が続くと民間部門、特に、家計の純
 金融資産が増加していくので、いずれ状況は大きく変わ
 るだろう。
  金融資産とは誰かの債務であり、MMTが強調する部
 門別のフローとストックの会計的な関係で分かるように、
 政府が財政赤字を続けると民間部門の金融資産は増加し
 ていく。
  1980年度末から2018年度末までの間に、日本の家計は
 純金融資産の名目GDP比を95.6%から279.5%にまで高
 めてきた。
  家計が金融資産を増やそうとしているときに、誰も債
 務を増やそうとしなければ家計は目的を達することがで
 きないので、さらに消費支出を切り詰めて金融資産を増
 やそうとする。
  このため経済は需要不足となって低迷する。
  だが、政府が減税するなり支出を増やすなりして債務
 を増やせば、GDPが高い水準に戻り均衡する。
  政府が提供する金融資産は通常は国債だが、MMTで
 は政府と中央銀行を一体と考えるので通貨(実際には民
 間銀行が日銀に保有する当座預金)だという違いがある。
  だが、狙っている経済効果には大差がない。
  金融緩和で株価を上昇させて家計金融資産を増やすと
 いうのも、家計の貯蓄意欲を満たすための政策と考えら
 れるだろう。
  こうした政策でしばらくの間は経済はフローの均衡を
 実現することができるが、時間が経てばストックにひず
 みがたまり、どこかで家計や企業の行動が大きく変化す
 る恐れが大きい。
  米国のITバブルや、サブプライムローンによる住宅
 バブルも、金融緩和で株価や住宅価格を上昇させて家計
 資産を増やすことにより、消費の拡大を維持しようとす
 る政策の結果起きたことだ。
  景気はしばらく好調だったが、資産価格の上昇を維持
 できなくなっていずれもバブルが崩壊し、経済が大混乱
 に陥った。
  資産価格を上昇させるのに比べれば、財政赤字を続け
 る方法は家計金融資産の増加が緩やかな分、持続性が高
 いだろう。
  しかし、家計貯蓄が黒字のまま維持されるとは限らな
 い。
  貯蓄を増やすためには消費支出を可処分所得以下に維
 持し続けなくてはならないが、現在積み上げられている
 貯蓄の多くは、将来の老後生活に使うなどの目的で蓄え
 られているものだ。
  団塊世代が完全に引退して、もっと高齢になって医療
 や介護で貯蓄を取り崩すようになると、日本の家計部門
 全体でも、毎年の所得に比べて金融資産が積み上がる状
 態が止まり、取り崩しが進んでいくと考えられる。
  日本の場合には人口の高齢化と減少が進むので、子孫
 のために残す資産は減少し、運用機会を求めて円建て資
 産から外貨建て資産へのシフトが今よりも活発になるだ
 ろう。
  円高のトレンドが弱まり円安に動き出せば、海外への
 資本逃避が加速するおそれもある。
  急速な円安が起こって輸入物価の上昇から消費者物価
 上昇率が大幅に高まっても、政府が増税や歳出削減を行
 うには国会の審議を経なくてはならず、対応が後手に回
 る恐れが大きい。
  単純化すると、MMTでは上図の青い線のようにGD
 Pギャップがプラスであれば物価が上昇し、マイナスで
 あれば物価が下落するという関係を想定していることに
 なる。
  インフレが行きすぎないようにするには、物価上昇率
 が高まったら、政府支出を削減したり増税したりしてG
 DPギャップを縮小すれば、物価上昇率は低下すればよ
 いことになっている。
  しかし、物価の動きはそれほど単純ではない。
  物価上昇率の低下が続いたデフレの状況ではGDPギ
 ャップと物価上昇率との関係は、赤い線のようにGDP
 ギャップがかなり大きなプラス(需要超過)にならない
 と物価上昇率がプラスにならない。
  逆に、過去に物価上昇が続いていたインフレの場合に
 は、黄緑色の線のようにGDPギャップがマイナス(供
 給超過)になっても物価上昇がしばらく続くというよう
 に、過去の物価状況の履歴が残ると考えられている(履
 歴効果)。
  このため、現在の日本のようにデフレ心理が定着して
 いる状況では、GDPギャップをかなり大きなプラスに
 しないと物価上昇率をプラスにできない。
  だが、物価が上昇するようになり、上昇率が高くなり
 すぎた場合、これを適切な水準に引き戻すためには、黄
 緑色のカーブが示すように厳しい財政引き締めが必要に
 なり、低所得層を中心に生活に悪影響が出るだろう。
  世界経済は1970年代から1980年代にかけて、失業率が
 高いにも関わらず物価上昇率が高いというスタグフレー
 ションに悩まされた。
  スタグフレーションでは、GDPギャップがプラスに
 なって実際の需要が経済の供給力を超えるよりも前に、
 物価上昇率が高まってしまう。
  ミッチェルらのマクロ経済学の教科書にもスタグフレ
 ーションの歴史の記述はあるが、どのような政策を行え
 ばよいと考えているのか明確な記述は見当たらなかった。
  状況認知の遅れ、判断の誤り、合意形成の遅れなど、
 最適な政策が最適なタイミングで実施できない可能性は
 歴史を見れば高い。
  経済の動きは、政府が自在に微調整できるというもの
 ではない。
  スタグフレーションへの対処法などわかっていないこ
 とも多いことを考えれば、政府がインフレをうまくコン
 トロールできるというのは、信用しすぎというものでは
 ないか。
  (参考)安倍総理は、国会での質問に答えて、MMT
     (現代金融理論)の提唱する政策を行っている
     わけではない、と述べたと報道されている。
.
2019年、アメリカの通貨発行が怪しいと言う意見・・
  現在の金融危機の根本は、アメリ中央銀行であるF
 RBの強い独立性にある。
  強い独立性というよりも実際はこれは政府機関ではな
 く、民間資本によって運営されている銀行である。
  収支報告もなく、実態は闇の中だ。
  いま中国経済の不安が喧伝されているが、中国金融が
 アメリカと違うところは、中国の中央銀行である中国人
 民銀行は、ちゃんとした中国政府の管理下にあるという
 ことだ。
  歴史的にも、通貨発行権は本来国家のもとにある。
  国家管理を離れ、民間銀行によって恣意的に通貨を発
 行しているのが、アメリカの中央銀行であるFRBであ
 る。
  中国経済を不安視するマスコミは多いが、アメリカ経
 済の金融不安、特に、通貨発行権を疑問視するマスコミ
 は少ない。
  https://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/fbb31a794dd34556ffe301c0147f463b
  (参考意見)米国では政府が直接、通貨を発行するこ
     とのメリットを評価する声はいまなお、根強い。
      政治権力者にとっては、政府が直接、通貨発
     行権を掌握できれば、ウォール街から自由にな
     れる。
      発券銀行である中国人民銀行は、軍と行政府
     同様、党の支配下に置かれている。
      人民銀行から資金供給を受ける国有商業銀行
     も党支配下にある。
      つまり、人民銀行を中心とする金融システム
     全体が党によってコントロールされる。
      通貨の発行と配分権は、党指導者が保有して
     いるのだから、人民元はその本質において、政
     府紙幣である。
      見かけは日米欧のような中央銀行制度をとっ
     ているのだから、人民元はグリーンバックのよ
     うに国際金融資本から憎まれることもない。
      世界の大手金融機関は、人民元業務を新たな
     収益源にしようと躍起になっている。
  (参考情報)中国も国際経済上の要請によって金融改
     革すなわち金融門戸開放を行い、外国銀行が人
     民元口座を扱えるようになった。
      銀行は、銀行であるかぎり顧客の預金を元手
     に『信用創造を行うことができる』。
      外国銀行が人民元を預かるということは、外
     国銀行が人民元信用創造を行うことができる、
     つまり、『人民元という中国の通貨を発行する
     ことができる』ことを意味する。
      一人の中国人がチェース・マンハッタン銀行
     の北京支店に人民元口座を開設し、1万元預け
     たとする。
      チェース・マンハッタン銀行はそれを準備金
     として、中国の企業が人民元を貸してほしいと
     言えば、約100万元まで融資することができる。
      その手続きはいたって簡単。
      その企業の銀行通帳に「1000000RNB」と印
     刷するだけである(信用創造
      「外国の銀行も人民元を発行できる」こと・・
     その額が大きくなれば「通貨主権」そして「金
     融主権」への影響力も大きくなる。
      宋鴻兵氏は、米国ワシントンのアメリカン大
     学で修士号を取得。
      様々な職を経て、2002年から2007年まではフ
     ァニーメイとフレディマックコンサルタント
     を務めた経歴を持つ。
      両者はサブプライム・ローン問題のまさに当
     事者であり、宋氏はそうした米国の金融証券業
     界に潜入し、その悪辣な詐欺的手法をつぶさに
     観察、分析した。
      その後、中国に戻り2008年より環球財経研究
     院院長である。
  http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=241276
  (参考意見)仮想通貨は、各国が通貨発行権によって
     コントロールできないお金である。
      すなわち、皆がビットコインで取引をすれば
     通貨の供給をコントロールする事によって景気
     をコントロールする事ができなくなる。
      両替も不要。
      投機的資金流入で乱高下。
      新たなお金になるか、単なる投機商品に留ま
     るか・・
      税金の支払いには利用できない。
      地方自治体がこの仕組みで資金調達が可能か?
  (参考)産経新聞・・抜粋・・
      2010年、中国は、国内総生産(GDP)規模
     で日本を抜き去った。
      人民元資金供給こそは中国の軍拡の原動力。
      リーマンショック後、人民銀行による人民元
     資金供給量がドル換算で1兆ドル増えるごとに、
     軍事費は約500億ドル増えた。
      中国は、米国の量的緩和政策に伴うドル資金
     増加量に見合う分、通貨を膨張させてきた。
      それに合わせて軍事にカネをつぎ込んだ。
      毛沢東は「銃口から権力が生まれる」と言っ
     たが、カネから銃口が生まれた。 
.
2019年7月17日、文政権(韓国)の日本批判は筋違いだ。
  この日の読売新聞が、標記の社説を報じた・・
  以下、その抜粋・概要・・
  「論点をすり替えて、日本非難に終始する韓国政府の
 姿勢は受け入れられない。
  韓国が、自国の輸出管理体制を検証し、見直すことが
 先決だ。
  日本政府が、軍事転用の恐れのある3品目の韓国向け輸
 出を厳格化した(ホワイト国指定を止めた・・優遇する
 ことを止め普通の国並みにした)ことに、韓国が反発し
 ている。
  (参考)ホワイト国とは・・大量破壊兵器等に関する
     条約に加盟し、輸出管理レジームに全て参加し、
     キャッチオール制度を導入している国について
     は、これらの国から大量破壊兵器の拡散が行わ
     れるおそれがないことが明白であり、俗称でホ
     ワイト国と呼んでいる。
  (参考)キャッチオール規制:輸出に当たり、製品、
     材料、技術(設計図、ノウハウなど)が相手国に
     よって大量破壊兵器(WMD)やミサイルの開発、
     生産に利用される可能性がある場合に、貿易管
     理を担当する政府機関(日本は経済産業省)に輸
     出許可の申請を行う制度。
  日本は、手続き簡略化の優遇を受けられる「ホワイト
 国」からも韓国を除外する方針。
  日本が問題にしているのは、韓国の輸出管理の緩さで
 ある。(中略)
  通常兵器にも使われる物資の輸出を制限する「キャッ
 チオール規制」が整っていない。
  日韓当局者の幹部協議は、2017年に文在寅政権が発足
 してから開かれていない。
  不正輸出の懸念が(韓国)にある以上、日本が手続き
 を厳しくするのはやむを得ない。
  文大統領は、日本側に一方的に非があると主張し、「
 日本経済に、より大きな被害が生じることを警告してお
 く」と批判している。
  日本の措置を政治的、経済的な動機と決めつけ、自ら
 事態改善に動こうとしない。
  世界の主要国は、民生品であっても兵器開発に利用さ
 れる可能性がある戦略物資の輸出には目を光らせてきた。
  日本も、2015年以降、経済産業省行政処分を下した
 違法輸出を9件公表している。
  この中には、兵庫県の企業が3500キログラム超の炭素
 繊維を、韓国を経由して中国に無許可で輸出していた案
 件も含まれている。
  また、韓国政府は、2015年~2019年3月に戦略物資の違
 法輸出を156件も摘発したという(多すぎる)。
  北朝鮮の友好国であるイランやシリアに化学物質など
 が輸出されていた。
  韓国政府は、この様な実態なのに輸出管理が適正に行
 われていると言う・・違法輸出も増えている。
  EU(欧州連合)も韓国をホワイト国に指定していな
 い・・韓国向け輸出を、他のアジア諸国向けと同様な扱
 いで・・厳しい審査としている。
  (韓国の実態の緩さから)日本がEUと同じような措
 置をすることが適正だとした・・それを不当だと一方的
 に言うのは理解に苦しむ。(中略)
  日本政府は今回輸出手続きを厳しくした3品目で(韓国
 の)不適切な事案を確認したと発表している。
.
2019年、北朝鮮寄りとなった韓国の現政権であるが・・
  ・・というより、北朝鮮との一体化を目指す韓国の様
 相・・
  事大主義の韓国は、中国の顔色ばかり見ている・・
  その中国に対する・・アメリカの対中国の新戦略は・・
 『日本・アメリカ・台湾の防衛を一体化させる』という
 方針に変わった。
  アメリカは、従来のエアシーバトルに加え、海洋圧迫
 戦略の合体により『アメリカは中国に勝つことを決定し
 た』。
  (参考)統合エア・シー・バトル構想・・
      米国防総省は、2010年2月に議会に提出した
     QDR2010において、現在行われているテロと
     の戦いを最優先課題に位置付ける一方で、「将
     来において最も蓋然性が高く、死活的に重要な
     脅威に備える」ことを戦略目標として明示した。
      統合エア・シー・バトル構想は、その戦略目
     標を達成するための一手段として開発される。
      米国防総省が認識する「将来の脅威」とは・・
      それは、「戦力投射能力及び侵攻に対する抑
     止、並びに同盟国等の救援のための行動に対す
     る潜在的脅威」である。
      これらは、中国やイランなどが身に付けつつ
     ある「アクセス阻止」及び「領域拒否」の能力
     (戦略)によってもたらされる。
     「アクセス阻止」とは、前方展開基地などの固
     定地域や軍事目標への接近(戦域への戦力の展
     開、利用)を阻止することであり、「領域拒否」
     は、特定の地域における行動の自由を制限する
     ことを狙いとし、それらの対象領域は、海、空、
     陸、宇宙及びサイバー空間の全次元にわたる。
      なかでも、米国防総省が脅威の主たる対象と
     みているのは、中国のアクセス阻止/領域拒否
     の能力である。
      米国は、中国を脅威であるとは公言していな
     いが、QDR等の戦略文書や「中国の軍事力」
     報告書等を分析すれば、国防総省が脅威の主対
     象としているのは中国であることが見て取れる。
  (参考)海洋圧迫戦略・・
      米国は、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)
     戦略遂行の初動である第1列島線への短期高烈
     度の戦いを跳ね除け、中国軍に勝つことを決心
     し、その対中戦略・作戦をほぼ完結させた。
      米国の戦略予算評価局(CSBA)が、2019年5月
     に海洋圧迫戦略(MPS)を発表した。
      MPSは、エアシーバトル(ASB)では曖昧であ
     った部分を補強し、対中国戦略を事実上完結さ
     せたもの・・
      ASBをはじめとするCSBA の考え方は国防省
     戦略そのものになっていることから、間違いな
     く米国の戦略の主要部分となり、これで米国が
     2010年から検討を進めていたASBが10年がかりで、
     ついに完成したことになる。
      従来のASBの海空軍を主体とした「動的戦力」
     と今回のMPS の陸軍・海兵隊を主体とした地上
     発射かつ機動型の、いわゆる「静的戦力」を組
     み合わせ、その上でそれぞれの領域を大胆に跨
     ぎながら、統合作戦で戦うというものである。
      これは、防勢的ではあるものの、自衛隊が2009
     年以来、具体化してきた南西諸島防衛の作戦・
     戦略そのものである。
      わが国では、米国が当初に打ち出したASBに目
     を奪われるあまり、いくら第1列島線に地上発
     射型ミサイルを配置する意義を陸自関係者が説
     いても、軽んじられてきたが、米国からの逆輸
     入によってその重要性が認識され、日本のマル
     チドメイン(領域横断)の戦いが完成するなら、
     望ましい方向への戦略転換として歓迎しなけれ
     ばならない。
      海洋圧迫戦略(説明ー2)
      この戦略の目的は、西太平洋における中国の
     奇襲的侵攻による既成事実化を排除し、軍事侵
     攻の試みは失敗すると中国の指導者に思わせる
     こと(INF条約廃棄に対応)
      この戦略は拒否的抑止力で、第1列島線に沿
     って精密打撃ネットワークを構築するというも
     ので、①海空軍・電子戦などを後ろ盾に、②第
     1列島線沿いに米国、同盟国の対艦・対空・電
     子戦の部隊を配置するとともに、③東シナ海
     どの内部で作戦する潜水艦・無人艇・無人ステ
     ルス爆撃機で構成するInside-Out Defense(イン
     サイドアップ・ディフェンス)作戦構想である。
      中国のA2/AD戦略を逆手に取るもので、
     主として海上目標に対して、地対艦ミサイルを
     発射する陸軍・海兵隊が中心(同盟国・友好国
     と一体化)
      米軍戦略として初めて南・東シナ海と共に台
     湾を明記した。
.
2019年、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
 アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払って
 も日本を守るとしている。
  また、日本の生命線の石油を、ホルムズ海峡を通って
 得ているが・・このホルムズ海峡を守っているのもアメ
 リカであり、日本はアメリカに頼り切っている。
  この様な日本の存立にかかわる時、日本は、当然、ア
 メリカの支援に駆け付けるべきだ。
.
2019年、米国国防権限法2019(NDAA2019)
  日本は、中国のわずかな発注の新幹線の仕事をした時、
 この重要な日本の技術は、中国に盗まれた。
  それ以後、中国は、この日本の重要な技術を使って、
 世界の新幹線の仕事を受注している。
  インドネシア新幹線が、日本の受注がほとんど決まっ
 ている時、中国の妨害工事費で受注が出来なかったこと
 などが代表例である。
  また、中国国内に新幹線網を構築して、軍事上の重要
 な措置を構築している。
  今、米国国防権限法2019(NDAA2019)は、これま
 での軍事技術に加え、『重要なインフラや先端技術』も、
 安全保障上の重要な問題だとした。
  また、この次の案であるNDDA2020では、中国軍と
 のかかわりが疑われる人物や企業・団体などと支援を受
 けている人物や企業・団体などリストの作成を指示して
 いる。
  同盟国(日本など)に対しても同調を求めている。
.
2025年、中国は、世界のテクノロジーの最先端国になると
 している。
  「中国聖像2025年」を掲げ、世界経済を支配したい
 としている。
.
2029年、AIが、人間の能力を超越する。
  (参考)AI:人間が持っている、認識や推論などの
     能力をコンピューターでも可能にするための技
     術の総称・・人工知能とも呼ぶ。
      AIを応用したシステムには、専門家の知識
     をデータベース化して問題解決に利用するエキ
     スパートシステムなどの例がある。
      また、人間の知能にできるだけ近い機械を作
     ろうとする研究の他に、人間が知能を使ってす
     ることを機械にさせようという研究の、大きく
     分けて2系統のトレンドが存在する。
      生物の遺伝原理を用いる遺伝アルゴリズム
     専門家の知見を蓄積するエキスパートシステム
     音声認識、画像認識、感性処理、ゲーム、自然
     言語処理、推論、探索、知識表現、データマイ
     ニング、ニューラルネット、そして、ロボット
     など、多彩な研究テーマの総体として疑似知能
     が模索されている。
  アメリカのAI研究者のレイ・カーツワイルは、人工
 知能の飛躍的な発展によって、AIと人間が一体化し「
 ポスト・ヒューマン」が誕生すると言う。
  彼は、2029年には、「AIが、人間の能力を超越する」
 と言い・・
  2045年には、「技術的特異点に至り、ポスト・ヒュー
 マンが誕生する」と言っている。
  しかし、人工知能には、「自分を振り返ることが出来
 ないという欠落点がある」と反論を言う人も居る。
  『人工知能は、自己認識をすることが出来ない』と指
 摘する。
  それは、あくまでも機械に過ぎない・・と言う。
.
2049年、中国の習近平主席は「中国の軍事と経済の世界一」
 達成を、この年を目標に掲げている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・

(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)

題:(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年6月4日、ヘンリー・フォードが初の四輪自動車の試
 作に成功し、この日に試運転をした。
  紀元前4000年、人類が「ころ」から車輪を発明した。
  1250年、哲学者のR.ベーコンが、「いつの日か、馬な
   どに引かせている車が、自身の力で走る車が可能と
   なろう」と言った。
  15世紀~16世紀、レオナルド・ダ・ビンチの新発明の
   意想図の中に、木をしなわせて力を蓄え、それを歯
   車で取り出し、車輪を回して走る自走車がある。
  1569年、オランダのシモン・ステビンが、2本のマス
   トの帆を動力源とした自走車を作った・・28人を乗
   せて海岸の砂上を時速24キロメートルで走った。
  1648年、ドイツのハンス・ハウチュが、ぜんまいで自
   走する1人乗りの車を作り、時速1.5キロメートルで
   走った。
  1680年、イギリスのニュートンが、ボイラーで作った
   高圧蒸気を、後方の細い管から噴射し、この推力で
   走る車の模型実験に成功した。
   また、この年、オランダのホイヘンスが、火薬を用
   いた内燃機関を提唱した。
  18世紀、蒸気機関を動力源とした自動車が試みられた。
   これが、最初の自動車の製作と言われている。
  1796年、フランスのN.J.キュニョー(ベルギー人?)
   が砲車牽引用の三輪の「蒸気を動力とする自動車」
   を作り、4人を乗せて時速9.5キロメートルで走った・・
   因みに、キュニョーはルイ15世の砲兵大尉だった。
   そして、この三輪車は長さ7.2メートル、幅2.3メー
   トルという巨大な車だった・・しかし、操縦不能
   城壁に激突してしまった。
   以後、蒸気自動車は、アメリカ・イギリスなどで研
   究がなされて行き、実績を上げる。
  1801年、イギリスのトレビシックが、実用的な蒸気自
   動車を完成させた・・時速14キロメートルで走る・・
   運転手の不注意で爆発した。
  1803年、トレビシックが、改良型の蒸気自動車を作る・・
   直径3.2メートルの駆動輪兼用の後輪を持つ四輪車だ
   った。
   交通遮断したロンドン市中を走り、「馬車より速い」
   と言われ、成功した。
   また、この頃、マカダムが発明したタールを用いた
   簡易舗装の道路網が、イギリス全国に建設された。
  19世紀初、蒸気自動車が実用化され、バスやトラック
   などとして使われた。
  1831年、イギリスで、スチーム・コーチ(蒸気馬車、
   20人乗り六輪車)が定期旅客輸送が行われ始めた。
   4か月で3000人を運んだという記録がある(成功)
   同様に、この年、ハンコックが、ロンドン市中と近
   郊を結ぶ路線の定期運行を始めた。
  1840年代、スチーム・コーチの平均時速が25キロメー
   トルに性能向上している。
   ハンコックのオートマトンは32キロメートルを出し
   た。
  1850年代、スチーム・コーチが急速に姿を消す・・効
   率の良い鉄道が発達したため・・
   また、道路を傷めるという理由で、スチーム・コー
   チの道路通行料が12倍も高く設定された。
   また、ロード・ロコモティブは危険ということで、
   車の前を昼間は赤旗、夜間は赤ランプを持って走れ
   という規制や、町中では時速3.2キロメートル以下で
   走れなどの規制が厳しくなった。
   しかし、イギリスでは、蒸気自動車の改良がなされ
   て、使われ続ける(1930年代まで蒸気自動車は作ら
   れた)・・それに対する・・ガソリン自動車のアメ
   リカでの発達を待たねばならない状況だった・・
  19世紀半ば、電気自動車が発明された・・一時、普及
   した・・しかし、ネックは蓄電池の容量の問題だっ
   た。
   しかし、アメリカでは1920年代まで生産された。
  1858年、イタリアのバルサンティとマッテウッチが、
   石炭ガスを燃料とする内燃機関を製作した。
  1860年、フランスのルノアールが、点火装置を持った
   ガスエンジンを作った。
  1862年、フランスのボー・ド・ロシャが、4サイクル・
   エンジンの原理を発見した。
  1863年、フランスのルノアールが、ガソリンで回るエ
   ンジンを木製の四輪車に積み、走った。
  1864年オーストリアマルクスが、ガソリンエンジ
   ンの開発を進め、この年、それによって走る車を試
   作した・・1875年にも試作し、これは、時速8キロメ
   ートルで走ることが、後日、確認された。
  1865年、イタリアのベルナルディが、ガソリンエンジ
   ンを作った。
  1876年、ドイツのN.A.オットーが、実用的な4サイ
   クル・ガスエンジンを製品化し、それをダイムラー
   が改良して高速のガソリンエンジンを作った・・
   1885年には、このエンジンを付けた二輪ガソリン自
   動車を製作した・・
   また、この年、C.F.ベンツも2サイクルエンジン
   付きの三輪自動車を作った・・これらが、現代の自
   動車の原型となった。
   これらの技術が、、広大な土地のアメリカで発展し
   て行く。
  1884年、フランスのドラマール・ドブットビルが、ガ
   ソリン自動車の試作に成功した(この100年後、フラ
   ンスは盛大にこの発明を祝う)
  1886年ダイムラーが、四輪馬車にハンドルを付け、
   また、460㏄のエンジンを付けて四輪自動車を作る。
   また、この年、ベンツが、独力でガソリンエンジン
   を製作し、実用的な三輪自動車を完成させ、後に、
   製造販売を企業化させた。
  1893年アメリカでデュリエ兄弟が、四輪馬車を改造
   したアメリカ初のガソリン自動車を試作し・・後に、
   商業生産に入った・・多くのメーカーがこれに続い
   た。
  1894年、初のモータースポーツ・イベントが、フラン
   スの新聞社の主催で開かれた・・
   パリ~ルーアン間126キロメートで行われた・・1着
   は蒸気自動車で、6時間、平均時速21キロメートル
   (運転手と汽缶士による走行だった)・・
   因みに2位と3位はガソリン車だった・・ガソリン車
   の優位性が脚光を浴びた。
  1896年6月4日、ヘンリー・フォードが、初の四輪自動
   車の試作に成功し、この日に試運転をした。
  1899年、日本初の自動車であるアメリカ製の電気自動
   車が入った。
  1900年、フォードの大量生産方式によって大衆化した
   自動車・・日本への輸入はこの年・・
  1904年、日本で初の自動車製作が行われた(蒸気自動
   車)
  1907年、日本で初のガソリン自動車が製作された(東
   京自動車製作所)・・産業化には至らず。
  1908年、H.フォードが、T型車で単一車種の大量生産
   を始めた・・自動車普及の上で画期的なことだった。
   この年の10月1日に発表された「T型フォード」は、
   ハンドルが左にあり、エンジンとトランスミッショ
   ンの全体がボンネットで覆われ・・エンジンは4気筒、
   サスペンションは2つの半楕円形バネを使い・・運転
   が単純で、修理も容易、そして、安価だった。
  1910年頃、アメリカで、急速に自動車が普及し、個人
   単位の人と物流の速度が飛躍的に高まり、移動距離
   が大幅に伸びた。
.
1896年6月6日、フランス留学から帰国した黒田清輝(せい
 き)らが、洋画・彫刻の美術団体の白馬会を結成した。
  白馬会は、この年、明治美術会を脱会した黒田清輝
 久米桂一郎、山本芳翠らによって設立され、和田英作
 藤島武二、岡田三郎助、小代(しようだい)為重、小林
 万吾、長原孝太郎、彫刻の菊地鋳太郎、佐野昭(あきら)、
 版画の合田清らも参加した・・また、評論家の吉岡芳陵、
 岩村透(とおる)らも参加した。
  会名は、会の同志たちがしばしば白馬(しろうま)(ど
 ぶろく)を飲みつつ談論したことに由来した。
  明治美術会の脱会は、芸術家の自由を標榜し、感覚の
 解放を求めた(フランスの明るい画風の)外光派の人た
 ちにとって、明治美術会の古い体質は耐えがたかった。
  旧派ないし脂派 (やには) と呼ばれた明治美術会の暗
 い作風を不満とし、官僚的組織に対して自由主義を主張
 した。
  外光派的な明るい画風で新派また紫派と呼ばれ、しだ
 いに明治洋風美術の主流となった。
  フランス印象派の手法を伝え、研究所を設けて、和田
 英作・藤島武二などの後進の養成もした。
  1896年10月、岡倉天心の率いる日本絵画協会と合同で
 第1回展を開催し・・1910年の解散まで13回を数えた。
  1910年まで展覧会を続け、洋画の発展に多くの功績を
 残したが、1911年に解散し、中堅作家が光風会を組織し
 た。
.
1896年6月9日、日本とロシア間で、山縣=ロバノフ協定を
 締結した。
  山県有朋、ロシア外相ロバノフと朝鮮に関する議定書
 に調印する。
  李氏朝鮮の宮廷内の親日派と親露派の権力闘争による
 不安定な政治情勢は、日本とロシアの双方に対しても危
 険な状況にさらしていた。
  協定は、サンクトペテルブルク(モスクワ?)におい
 て、山縣有朋全権大使と、ロシア帝国外務大臣A.B.
 ロバノフの間で交わされた。
  公開4条項と秘密2条項からなり、両国政府は必要な場
 合、合意をもって朝鮮に経済援助を与えること、朝鮮の
 独立を保証すること、朝鮮の財政改革を促進すること、
 近代的警察及び軍隊を組織すること、電信線を維持する
 こと、両国が合意をもって軍隊を派遣するときは用兵地
 域を確定すること、両国の駐屯兵因数などが協定された。
  背景は、ロシアの干渉などで、李氏朝鮮の不安定な政
 治情勢が、日露間に種々の軋轢となって存在していた。
  そこで、日露間で協定を結び、互いに朝鮮の独立を確
 認し合い・・
  そして、朝鮮の立場を保証することを約した。
   また、朝鮮財政の悪い状態の改革を促進することを約
  し・・その他・警察・軍事・電信線維持などを約した。
  ロシアのロバノフは、この協定とほぼ同時に、中国・
 清の李鴻章、朝鮮の朴泳煥と、それぞれ密約を結んでい
 た→露清同盟密約。
.
1896年6月12日 ロシア、月尾島西南地段(44,316m2 年銀貨
 361元)租借契約を取得。
  朝鮮の高宗がロシア公使館に軟禁され、ここで政務を
 取り行なった結果、ロシアは種々の利権を獲得した。
  また、欧米列強も同じような朝鮮利権を獲得するに至
 った。
  この様な状況は正規な状況ではなく、自主性は放棄さ
 せられていた。
  この様な状況は、この後の、日露戦争の結果、朝鮮は
 中立が宣言で来る。
  また、1895年11月28日には、ロシア、アメリカ、親露
 派の朝鮮の大臣・李範晋が、総理大臣の金弘集の暗殺を
 を企てた(春生門事件)
  この様に揺れ動く朝鮮内の事で日露は議定書の締結を、
 二度、続けた。
  しかし、この日、ロシアは、月尾島と361元の銀貨の租
 借契約を取得した。
  (参考)月尾島:ウォルミド、仁川広域市中区に属し
     ている島・・しかし、現在は、島と陸地の間が
     埋め立てられている。
      島の形状が半月の尾ひれの様な形から名付け
     られた。
.
1896年6月15日、明治三陸地震で大津波が起き、死者2万名
 を越えた・・
  午後7時32分30秒、震源は釜石町の東方200キロメート
 ルの三陸沖。
  三陸地方に大津波が押し寄せ、死者27,000人、家屋の
 流失・破壊1万戸に達した。
  村落の移転などの対策は進まなかった。
  地震規模はマグニチュード8.2~8.5で巨大地震・・
  観測史上最高の遡上高で、海抜38.2mを記録する津波
 発生・・
  (参考)津波の遡上高:陸を駆け上って到達した高さ。
  各地の震度は2~3程度であり、緩やかな長く続く震動
 であった・・
  誰も気にかけない程度の地震であった・・
  最大は秋田県仙北郡の震度4・・
  地震動による直接的な被害はほとんどなかったが、大
 津波が発生し、甚大な被害が発生した・・
  海溝型地震と推定され・・三陸地震の一つと考えら
 れている・・
  固有地震であるが、震源域は特定されていない・・
  (別史料)
  三陸地方に弱い地震・・およそ40分後に大津波が襲来・・
  9879軒が流出、倒壊1844軒、船6930艘に被害、死者
 26,360人、負傷者4,398人・・
  村落集団移転を行った集落は、1933年の津波で被害は
 軽微だったが、移転しなかった集落は、再度、甚大な被
 害を受けた。
  (注意)この地震は、震度分布に基づいて長らくマグ
     ニチュード7.6とされてきた・・
      しかし、津波の大きさを考慮して数値が改め
     られている「理科年表 平成18年」
  大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時7
 分に記録され・・
  遡上高は、気仙郡吉浜村(旧:気仙郡三陸町吉浜、現:
 大船渡市三陸町吉浜)で22.4m・・
  同郡綾里村(旧:気仙郡三陸町綾里、現・大船渡市三
 陸町綾里)で21.9m・・
  綾里湾の奥では、入り組んだ谷状の部分を遡上して、
 日本の本州で観測された津波では、当時、最も高い遡上
 高である海抜38.2mを記録した。
  この時、ハワイへも2.4m~9.14m、カリフォルニアに
 2.90mの津波が到達している。
  ハワイでは、波止場が破壊され、住宅の複数棟が流失
 した(カリフォルニアの被害記録はなし)
.
1896年6月16日、軌制取調委員が、軌間、および、軌条重量
 の調査を終了した。
  1896年に、逓信省に軌制取調委員会が発足し、改軌に
 要する費用と、その利点・欠点などの調査を行った。
  この時まで・・1892年に、鉄道建設ブームが巻き起こ
 り、私設鉄道の規模が官営鉄道をまたたく間に上回る・・
 第2次鉄道建設ブーム・・
  日本各地には規模の小さな鉄道会社が設立された・・
  不安定な経営・・
  鉄道国営化による鉄道整備・輸送力増強促進、運賃の
 低廉化が求められる・・
  この様な中で起きた「改軌論争」・・1910年まで繰り
 広げられた大論争だった・・
  日本は、鉄道導入にあたって「狭軌」を選択した・・
  これは、イギリス(御雇い外国人?)が推薦したとい
 う説と、山岳河川の多い日本で、狭軌の方が有利という
 説・・鉄道整備を早く進められるから判断した説・・
  この「狭軌」を「標準軌」に改良し、輸送力を増強し
 ようとする動きが起きた・・この「改軌論」が日本の鉄
 道界で一大論争となった・・
  結論として・・
  1910年の鉄道会議で東海道本線山陽本線などの主要
 14路線を1911年度からの13ヵ年で標準軌(当時はこれを
 「広軌」と呼んだ)に改築する案が可決された。
  これにより、東京の市街線や東海道山陽本線で新た
 に建造される建造物は、標準軌規格で設計する通達も出
 された。
  この頃建設されていた磐越西線では、実際に平瀬トン
 ネルが一部標準軌の規格で建設されている。
  これに対し、原敬率いる立憲政友会が横槍を入れた。
  政友会の基本方針は、低規格でもいいから全国に路線
 を張り巡らせようとする「建主改従」となっており、後
 藤の提案した「改主建従」と真っ向から対立していた。
  帝国議会で両者がぶつかり合った結果、「改軌」に対
 する予算は出さないことになった。
  1911年4月、より低予算での改軌と、改軌線区の拡大を
 目指すため「広軌鉄道改築準備委員会」が政府内に発足
 し、審議が行われた・・しかし・・
  1911年8月、原敬が、内閣鉄道院総裁(内務大臣兼務)
 に就任したため、広軌計画は中止となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国、ウイグル抑圧拡大・・
    中国の弾圧強化を憂慮する。
    香港デモ、イギリスが中国批判
    ロシア(旧ソ連)よ!
    千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
.
紀元前10~紀元前8世紀、ギリシャ都市国家(ポリス)が
 形成され始めた。
  ギリシャのこの小規模都市国家のポリスは、大小200ほ
 どが存在した・・
  強大な帝国という形ではなかった。
  このポリスの中心部には、アクロポリスという外敵を
 見張ることのできる丘があった。
  その周辺部に人々は集住した。
  ギリシャのこのポリス時代の前は「王国」だった。
  「シキュオン」や「アルゴス」などの王国があった。
  そこでは、スパルタを除いて、王は居らず、貴族政が
 行われた。
  (参考)ポリス:古代ギリシア都市国家・・
      村落集住 (シュノイキスモス) によって、君
     主政に対立する国家形態として生じ・・
      その起源は紀元前10~紀元前8世紀にまでさか
     のぼる。
      自然風土や社会的・宗教的要因によって数多
     くのポリスが分立した。
      その規模は、ほとんどはごく小さく、植民市
      (アポイキア ) として成立したものも多い。
      ポリスは、中心市と農耕周域部から成り、大
     多数は城壁を備え、市内には原ポリスである城
     塞(アクロ・ポリス) 、市場 (アゴラ) が存在し、
     周域部には、市民の所有地、共有地があったが、
     その領域は通常狭い範囲に限られていた。
      ポリスは、自由と自治を理想とし、市民は氏
     族および宗教共同体の一員であるばかりでなく、
     国家共同体の一員としてもっぱら政務、軍務に
     たずさわった。
      完成されたポリスにおいては、そうした市民
     団の枠は在留外人 (メトイコス ) や奴隷などと
     身分的に厳格に区別された。
      このような体制を基盤として市民全体の政治
     参与を実現した民会 (エクレシア ) の存在は古
     典古代の特色的なこと。
      ポリスにはさまざまの型があった。
      最も典型的なのはアテネで、その民主政組織
     はほかのポリスに大きな影響を与えた。
      ポリスは、相互の絶えざる分立抗争と内部の
     党派争いなどによって紀元前4世紀には凋落しは
     じめた。
      続くヘレニズム時代の知的文化的基盤はポリ
     スの伝統に根ざしている。
      また、ポリスにおいては文明の発達とともに、
     さまざまな政治現象が生じ、多くの思想家たち
     は、これに刺激されて政治理論を生み出し、ポ
     リスは政治学の母胎だった。
  (参考)シキュオン:ペロポネソス半島の北部、コリ
     ントの北西に位置する古代ギリシアの都市。
      アルゴスの植民市 (アポイキア) として政治
     的、宗教的に従属していたが、紀元前660年頃、
     オルタゴラスによって僭主政が樹立され、その
     孫のクレイステネスのときに国力は最大となり、
     彼は、第1次神聖戦争でロクリスを破壊した。
      僭主政は、約100年続いたがスパルタによって
     倒され、以後スパルタの同盟市となり、紀元前
     3世紀にはアカイア同盟に参加。
      その後、衰退し、紀元前2世紀には廃虚となっ
     た。
      シキュオンは、アルカイック時代から美術の
     中心地として知られ、紀元前4世紀には、彫刻家
     リュシッポスを生んだ。
  (参考)アルゴスギリシアペロポネソス半島北東
     部のアルゴリス地方の中心都市。
      中期青銅器時代から人が住み、ミケーネ期に
     隆盛をみた。
      紀元前1100~紀元前1000年、ドーリス人が、
     ここを基地に半島へ侵入したと推定されている。
      紀元前8世紀頃からスパルタと抗争・・
      紀元前669年、これを破って半島の度量衡を統
     一したが、スパルタの力が伸びるにつれて、ア
     テネ、コリント、テーベと次々に結んで対抗し
     た。
      テーベが衰えると、マケドニアのフィリッポ
     ス2世の支援を求め、紀元前229年には、アカイ
     ア連盟に加盟した。
      紀元前146年のローマのコリント破壊で相対的
     に重要性を増し、アカイア連盟の中核となった。
      3世紀後半頃、一時ゴート人に占拠されたが、
     ビザンチン時代には繁栄。
      1204年、フランク人のアカイア王国建設でア
     ルゴスは衰退した。
      14~15世紀にトルコ人に侵入され、住民はア
     ルバニア人と入れ替わった。
      19世紀のギリシア独立戦争で最初の自由議会
     がアルゴスに招集された。
  (参考)貴族政:代表的なポリスであるアテネでは、
     ドーリア人の攻撃をはねのけながらポリスを形
     成させる過程で、紀元前8世紀ごろまでに貴族が
     政権を独占するようになった。
      紀元前683年には、貴族の中から選ばれた9人
     のアルコン(執政官)(任期1年)が政務を担
     当する・・貴族共和政の形態となった。
      アルコンの任期を終えた貴族が終身議員とな
     るアレオパゴス会議(元老院)が国政や裁判に
     あたった。
  貴族政は、アテネの場合、僭主政を経て、紀元前5世紀
 初め、民主政に移行し・・
  その民主政が堕落して、アテネソクラテスが処刑さ
 れるような衆愚政の時代となる。
  その後、ギリシャは、マケドニア王のアレクサンドロ
 スの支配下に入る。
  (参考)僭主:せんしゅ、古代ギリシアのポリスで、
     非合法に独裁政を樹立した支配者。
      本来、この語には「暴君」の意は含まれず、
     悪い意味が付加されるようになったのは民主政
     期、特に、紀元前4世紀のプラトン以降・・
      王政と違い、その支配が正統ではないため、
     僭主の地位維持には困難もあり、多くは1代か2
     代で終っている。
      紀元前7世紀~紀元前6世紀の前期僭主と、紀
     元前4世紀~紀元3世紀の後期僭主とに分けられ、
      前者には、コリントのキュプセロス、ペリア
     ンドロス、アテネペイシストラトス、シキュ
     オンのクレイステネスらがおり、多くは貴族の
     出身で、貴族政の動揺期に貴族と平民の対立を
     利用して独裁政を打立て、民主政への過渡期の
     ポリスにおいて、巧みな政策によって民衆の指
     導者の役割を果し、ポリスの発展に貢献した場
     合も多かった。
      後期僭主には、テッサリアのフェライのイア
     ソン、シラクサのアガトクレス、ヒエロン2世ら
     がおり、前期僭主以上に軍事力を背景に独裁権
     を握り、民主政の形式は守ったが、それも市民
     共同体のためであるよりも、自己の支配権保持
     のためであった。
  (参考)僭主政:せんしゅせい、古代ギリシアのポリ
     スにおける僭主支配の政治体制。
      僭主政は、紀元前7世紀半ば頃~紀元前1世紀
     にまでわたるが、僭主の現れなかった紀元前460
     年~紀元前406年を境にして、前期僭主政と後期
     僭主政とに分ける。
      前者は、貴族政の動揺期、まだ独力で貴族を
     倒すだけの力が平民にない段階において、野心
     家の貴族が、重要な官職や祖国防衛戦での功績
     などを利用して平民の人気を集め、彼らの協力
     と、外国の権力者の援助などを得てクーデター
     を起こし、貴族政を打倒して樹立した独裁政で、
     コリントのキプセロスとその子のペリアンドロ
     ス、シキオンのクレイステネスアテネのペイ
     シストラトス、サモスのポリクラテスなどが代
     表的な僭主であった。
      僭主は、市民から武器を取り上げ、自身は親
     衛隊や傭兵部隊を擁し、貴族に対しては処刑、
     追放、財産没収などで弾圧した。
      市民一般に対しても、陰謀を企てる機会を与
     えないために、中心市に出て怠惰に時を過ごす
     ことを禁じたり、財源確保のために租税を取り
     立てたりしたが、平民の支持を保つために小農
     民の保護や商工業の奨励に努め、また主要な官
     職は一族で抑えつつも、従来の官職組織や制度
     習慣はできるだけ維持した。
      さらに、詩人や芸術家を保護して独裁政の飾
     りとし、建築事業や土木工事を起こして、中心
     市を美化し、市民の生活に便宜を供し、有力な
     外国勢力や宗教の中心と友好関係を結んで支持
     者を拡大した。
      最悪の政治体制という古代の多くの政治思想
     家の批判にもかかわらず、かならずしも過酷な
     支配ではなかったが、暴君政に堕したものもあ
     り、また、平民の成長につれて独裁政への反発
     が強まったため、多くは2代で打倒され、もっと
     も長く続いた場合も100年であった。
      その崩壊には、平民より貴族のほうが貢献し、
     外国の武力干渉によった場合もあったので、崩
     壊後ただちに民主政になることは少なかったが、
     前期僭主政は、独裁政の維持を追求しながら平
     民の成長を助け、結局、民主政の成立を促進し
     た。
      後期僭主政は、前期僭主政との共通点も少な
     くなかったが、ポリスと民主政の衰退期に現れ
     たという事情から、平民よりも傭兵に頼る軍事
     独裁者の性格が強く、平民の利益を図る姿勢も
     弱かった。
      シラクサのディオニシオス1世、2世やアガト
     クレス、テッサリアのフェライのイアソンなど
     が主要な僭主であった。
     ・
     ・
1391年、スペインで、ユダヤ人の方々に対する大虐殺が起
 きた。
  スペイン南部、アンダルシア州のセビリヤでユダヤ
 の方々へ対する大虐殺(ポグロム)が起きる。
  これは、その後、各都市に飛び火して行って、悲惨な
 連鎖反応でユダヤの方々は虐殺され、また、キリスト教
 への改宗を強いられた。
  キリスト教による異端審問は、この当時、ヨーロッパ
 の国々で行われ、ローマ教皇庁によって任命された異端
 審問官が巡回して異端審問が行われて、大規模にこの様
 な惨事が起きていた。
  レコンキスタが1492年に完了すると、スペインに統一
 王権が確立した・・そして、同時に権力も手に入れた。
  そこで、この様な惨事が、ローマ教皇庁と一緒になっ
 て発生して行く。
  ユダヤの方々は、人権を奪われ、金融業をやらざるを
 得なかったが(職業の選択の自由を奪われていた)、こ
 のユダヤの方々への多額の債務(借金)を無くそうとい
 う悪計・魂胆もあった。
  また、スペインの王権所持者は、ローマ教皇との親交
 を深める事も考えていた。
  キリスト教の異端審問は、すべてローマ教皇(法王)
 の管轄下で行われていた。
  ローマ教皇側もこの異端審問の権力をスペイン王へは
 渡そうとしなかった。
  (スペイン王は渡してくれと言ったが拒否された・・
 卑劣な権力の取り合いが演じられた)
  異端審問はセビリアから始められていた。
  (参考)ローマ教皇のインノケント三世は、第4回ラ
     テラノ公会議を招集し(1215年)、ユダヤ人を
     キリスト教社会から区別することを決めた。
      そして、排除するため、ユダヤ人であること
     を示す黄色の標識を付けさせると決めた。
      ペストで多くの人々が死ぬと、病原菌で病気
     が起きるという知識のないキリスト教徒たちは、
     ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れたと、ユダヤ
     の方々を弾圧した。
      キリスト教聖職者も、教会の説教壇の上から
     「ユダヤ人はすべてのスペインを奴隷化する」
     と洗脳し、煽った。
      煽られた暴徒はユダヤ人の方々を襲った。
.
1492年、総べてのユダヤ人の「スペインからの追放」・・
  この頃、どこのヨーロッパでも、ユダヤ人を虐(しい
 た)げていた。
  ユダヤ人たちは、特別な服を着せられ、また、特定の
 道や地区(ゲットー)に住まわされた。
  14世紀から、ユダヤ人の方たちは、ローマ・カトリッ
 ク教会から憎悪されていて、敵意に晒(さら)された。
  1878年反ユダヤ主義運動。
  1881年~1914年には、ロシアの組織的大虐殺が起きる。
  これを逃れて200万人のユダヤ人が、アメリカへ渡った。
     ・
     ・
1945年8月18日、占守島(しゅむしゅとう)の戦い
  戦争が終わっているこの時、ソ連(現ロシア)が日本
 領・千島列島の最北端の占守島に奇襲攻撃をして来た。
  完全にポツダム宣言受託によって停戦となっている後
 の「不法なソ連(現ロシア)の攻撃だった」。
  日本軍はポツダム宣言受託に伴って、武装解除中であ
 った・・
  その様な時に攻めて来たのだった。
  日本軍の守備隊と戦闘となり、日本軍は優勢に戦い、
 勝っていた。
  しかし、ポツダム宣言受諾の停戦という軍命によって、
 日本軍は、8月21日に、戦闘行為を止め・・
  日本とソ連は合意の上で「8月21日、ソ連艦の艦上で降
 伏文書を調印している・・
  『日本とソ連は公式に停戦している』のだ・・
  1045年8月23日には、また、日本とソ連は、合意の上で
 武器を置き、武装解除がなされた。
  故に、当然に、この後の日本の領土の千島列島と北方
 四島を略奪行為はやってはいけないのに、その許せない
 行為をソ連は行った。
  この様な不法なソ連(現ロシア)の攻撃と領土掠奪で
 あった・・
  そして、さらに、日本兵と一般人は拉致され、ロシア
 (旧ソ連)へ連れて行かれた。
  因みに、占守島には、日魯漁業の缶詰工場があって、
 多数の日本人の工員(女子工員を含む)が居た・・民間
 人総数2000人。
  そして、この拉致行為のシベリア抑留で、日本の民間
 人も含めて多くの方々が亡くなった・・これから、この
 補償も求めなければならない。
  また、この様な不法行為についての謝罪を求めなけれ
 ばならない・・
  そして、今後このような事が起きないよう、教科書に
 記載し、正しい事実を伝えることを要求しなければなら
 ない。
  そして、さらに卑劣な事は、この様な合意の上での日
 本軍の武器が置かれて、武装解除なされた後に、完全な
 る停戦の後に、ソ連(現ロシア)は、日本領の千島列島
 と北方四島を不法に占拠し続けている。
  そして、恥の上塗り的に、それを「戦いで取ったのだ」
 と嘯(うそぶ)いている。
  (参考)嘯く:ほらを吹く、平然として言う、大きな
     ことを言う・・
  占守島は、日本が負けたのではない。
  日本は勝っていたが、終戦となって、君たち(ソ連
 と合意して、日本は武器を置いたのだ。
  日本との合意の武器を置く式も行なったではないか・・
  ソ連(現ロシア)は、勝って終わったのではない・・
  武器を置いた後の日本領・千島列島と北方四島を君た
 ちは盗ったのだ。
  合意して武器を置いた後に盗ったのだ。
  千島列島を、早く日本へ返還しなさい。
  また、日本の固有の領土の北方領土は論外だ。
  この事を、君たちの子供たちへ教科書に書いて教えな
 さい。
  君たちは、日露戦争もそうだが、占守島(しゅむしゅ
 とう)の戦いでも負けたのだ。
  占守島の戦いの史料・・
  日本:堤不夾貴中将 、戦力:8480名、損害:死者256
    名、負傷者762名、
  ソ連:アレクセイ・グネチコ少将、戦力:8824名、死
    者:516名、行方不明(負傷)など1051名
  (参考)1945年8月15日に、トルーマンアメリカ大統
     領は、ソ連スターリン首相へ通知していて、
     その通知の中には、日本の降伏の受け入れ分担
     が通知されていて、千島列島をソ連の分担地域
     とはしていなかった・・そして、ソ連は、停戦
     がなされたことを知っていたのだ・・
      ソ連樺太の南(北緯50度線以南)のみとさ
     れた・・
      ソ連は、分担域について異議を申し立てる。
      停戦状態になったことについて、異議申し立
     てはしていない・・この点からも停戦は成立し
     ている。
.
1945年8月~9月、ソ連が、日本領の千島列島と北方四島
 不法占拠したが・・北海道新聞が以下を報じた。
  ソ連が、日本の領土の北方四島を占領するとき、アメ
 リカが援助していた。
  極秘に艦船貸与したり、訓練もしたりしていた。
  北海道新聞が探り当てた(2017年12月30日付報道)
  「プロジェクト・フラ」作戦、北海道の根室振興局
 調査
  【根室】1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による北方
 四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、
 根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果など
 を突き合わせ、明らかにした。
  米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけ
 でなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事
 援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。
  振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列
 島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった
 1945年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソ
 は「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦を
 スタートさせた。
  米国は1945年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、
 護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月
 にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基
 地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。
  コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、
 ソ連兵の指導に当たったという。
  訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島
 の作戦に投入された。
  8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦
 には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各
 島で日本兵武装解除を行い、四島の占領は9月5日まで
 に完了した。
  こうした歴史的史実が判明したのは、根室振興局が2015
 年度から取り組む北方領土遺産発掘・継承事業がきっかけ。
  各国の資料を集める中で、ソ連樺太南部と千島列島
 での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリ・サマ
 リン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の
 論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参
 加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(2011年3月)
 を入手した。
.
2019年6月5日、中国の弾圧強化を憂慮する。
  天安門事件30年・・
  この日の読売新聞の社説が報じた・・以下、その抜粋・・
  人権や言論の自由を巡る状況は、著しく後退した。
  強権的な監視国家へと変貌しつつある中国の現状を深
 く憂慮する。
  中国の共産党政権が、民主化を求めた学生らを鎮圧し、
 多数の死傷者を出した天安門事件から、4日で30年となっ
 た。
  共産党民主化運動を「反革命暴乱」と断じ、武力に
 よる弾圧を正当化した。
  党はその後、一党支配体制の強化による安定と経済成
 長を最優先し、民主化に背を向けてきた。
  事件に関する情報は隠滅され、事件自体を知らない若
 者も少なくない。
  真相が解明されぬまま、風化が進んでいるのは遺憾で
 ある。
  看過できないのは、習近平政権が反体制派や少数民族
 への締め付けを加速していることだ。
  人権派弁護士や活動家が大量に拘束され、不当な長期
 拘留が続く。
  事件の再評価を昨年求めた大学教授は停職処分となっ
 た。
  中国西武・新疆ウイグル自治区では、イスラム教を信
 仰する少数民族ウイグル族らが「治安維持」などの名
 目で、収容施設に拘束されている。
  米国務省は、3月の報告書で、200万人以上が収容され
 ている可能性を指摘した。
  中国では、ネット空間が政府の情報管理に利用され、
 強権統治を支えている。
  党や政府に批判的な言動が、人工知能(AI)や監視
 カメラで即時に把握され、封じ込められる。
  「国家の安全」を理由に正当化できる措置ではない。
  習氏は「一つのモデルですべての国の問題を解決する
 ことはできない」と述べ、米欧が求める民主化を受け入
 れない意思を示す。
  中国が豊かになれば政治改革に踏み出す、という日本
 や欧米の見通しは甘かったと言わざるを得ない。
  ポンペオ米国務長官は「中国が国際システムに融合さ
 れ、開かれた寛容な社会に変わるという期待は打ち砕か
 れた」と述べた。
  人権や自由などの基本的価値観すら共有できない中国
 が、「平和発展」を唱えても国際的な信頼は得られまい。
  通商や安全保障、ハイテク技術をめぐる米中対立の根
 源には、異質な大国への不信があることを習政権は認識
 すべきだ。
  共産党は、国民の生活水準を向上させ、一党支配への
 不満を抑え込んできた。
  だが、これまでのような高度成長は望めない。
  貧富の格差が広がり、環境汚染などの社会問題も深刻
 化している。
  習政権は、強権的な手法をどこまで拡大し続けるのか。
  国際社会は問題点を粘り強く指摘し、改革を促さねば
 ならない。
.
2019年6月18日、国連のテロ担当がウイグルを視察・・
  「迫害の正当化」の懸念が・・
  この日の読売新聞が伝えた・・以下、抜粋・・
  [北京=中川孝之]国連のテロ対策担当のトップが、中
 国当局によるイスラム教徒への迫害が指摘される新疆ウ
 イグル自治区を視察したことが波紋を呼んでいる。
  中国はテロ対策と称し、少数民族ウイグル族などを
 収容施設に隔離しており、米政府は、この措置を追認す
 る事につながりかねないと懸念している。
  視察したのは、ロシアの外交官出身のポロンコフ国連
 事務次長で、2017年に創設された国連テロ対策局の初代
 局長に任命された人物だ。
  中国外務省によると、中国側の招待で13日~15日に北
 京と新疆ウイグル自治区を訪問した。
  楽王成(ルォーユーチョン)外務次官はポロンコフ氏
 との会談で、「国境をまたいだテロ作戦の脅威」につい
 て意見交換し、「広範な共通認識」に達したという。
  米国務省のサリバン副長官は14日、国連のグテレス事
 務総長との電話会談で「中国は、ウイグル族などへの抑
 圧をテロ対策として正当化し続けている」と指摘し、ポ
 ロンコフ氏の訪中に強い懸念を伝えた。
.
2019年6月29日、中国人権問題、解決訴え・・ウイグル人
  この日の読売新聞が伝えた・・以下、抜粋・・
  中国政府の抑圧的な政策に抗議する少数民族の団体な
 どでつくる組織が28日、主要20カ国・地域(G20)首脳
 会議に合わせ、大阪市内で記者会見し、人権問題の解決
 を訴えた。
  中国・新疆ウイグル自治区出身の亡命ウイグル自治区
 出身の亡命ウイグル人らで作る「自由インド太平洋連盟
 (事務局・日本)のラビア・カーディル会長(72)は「
 ウイグルの様に弾圧、虐殺があった場所は他にどこにも
 ない。
  300万人が強制収容所に入っていると言われている」と
 指摘した。
  その上で、G20首脳会議で議題となることに期待感を
 示した。
  記者会見には、中国からの香港独立を主張する活動家
 の陳浩天氏(28)も出席し、中国本土への犯罪容疑者の
 移送を可能にする逃亡犯条例の改正案について、「香港
 の名声と利益を損ない、中国にしかメリットをもたらさ
 ない」と批判した。
.
2019年7月5日、香港デモ、イギリスが中国批判
  良好関係が一転、非難合戦に
  標記の表題で、この日の読売新聞は伝える・・抜粋
  香港から中国への犯罪容疑者引き渡しが可能にする逃
 亡犯条例改正案の撤回を求める香港の抗議運動を巡り、
 香港の旧宗主国である英国が繰り返し懸念を表明し、中
 国側との非難合戦に発展している。
  経済的な結びつきを優先し良好な英中の関係に、影を
 落としかねない状況。
  英国のハント外相は2日、英BBCで、1984年調印の英
 中共同宣言について触れ、「香港の人々に対する基本的
 な自由を規定した者だ。
  我々は香港の人々を支持している。
  国際的な法的合意が守られなければ深刻な結末を招く」
 と中国側をけん制した。
  また、保守党の党首を争うジョンソン前外相も「香港
 住民を完全に支持する」と中国との対決姿勢を示してい
 る。
  メイ首相も3日、「香港の高度な自治と自由は尊重され
 るべきだ」と述べた。(中略)
  こうした英国要人の発言に対し、中国外務省の副報道
 局長は3日の定例記者会見で、「今だに往年の植民地主義
 者の幻影にひたり、他国の問題に上からの目線で口出し
 する悪習に執着して入るようだ」と猛反発した。
  ロンドンでも、中国・駐英国大使が3日に記者会見し
 「英国政府は暴力的な法律違反者の味方をしている。
  半年が自由について語るのは大間違いだ。
  植民地下の香港には自由も民主主義も全く無かった」
 と批判した。
  英外務省は3日、駐英国の中国大使を呼び出し、「不正
 確で容認できない」と抗議した。
.
2019年7月5日、中国、ウイグル抑圧拡大
  この日の日付で読売新聞が報じた・・抜粋・・
  中国新疆ウイグル自治区で、少数民族ウイグル族と漢
 族が衝突した大規模抗議行動から5日で10年となる。
  中国当局は大規模抗議行動後、ウイグル族の管理を強
 化し、テロ対策を名目に施設に収容するなど強権的な姿
 勢を強めている。
  その対象は、同じくイスラム教を信じる近隣諸国から
 の来訪者にまで広がっている。
  (写真説明)バザールを警戒ずる武装した警官。
      バザール内には至り所に中華風の飾りつけが
      施されていた。
  ウルムチ市内のバザールには4日、銃を持って巡回する
 武装警察の姿があった。
  モスクの入り口には顔認証用ゲートが新設され、入場
 者を制限している様子がうかがえた。
  ウイグル族女性は「ちょっとしたことでも(当局に)
 疑われるような気がして怖い」と小声で不満を漏らした。
.
2019年、今、中国でウイグルの人たちが中国政府によって
 拘束されている。
  その数は、300万人という膨大な人数・・
  そして、中国政府は、「テロ対策だ」と言っている。
  日本人も、昔、戦争後、中国共産党政権によって拘束
 された。
  その全員が、日本へ帰って来たわけではない。
  帰れない人たちが大勢いた。
  多くの人たちが、そのままの状態になった。
  多くの日本人の人々が亡くなった。
  帰って来た人たちが語ったことは、まったく怖ろしい
 「中国共産党政権による洗脳教育だった」。
  帰りたいから、必死に中国共産党政権の言いなりにな
 った。
  身体に自ら染み込ませた。
  生きるか死ぬかの環境の中で、自由になりたいと願い、
 自らの体に言い聞かせ、発狂する者も居た。
  食糧も豊かではない中、中国共産党政権も、中国工作
 員にまで洗脳できそうではない者から排除し、処理する
 ことも行なわれた。
  性格まですっかり変わり、中国の思い通りになった者
 から解放された。
  ・・というより、中国の宣伝分子となって日本へ返さ
 れた(というより、日本へ、中国工作員と変わった者た
 ちから送り込まれた)。
  今、中国共産党政権によって拘束されている300万人の
 ウイグルの方々にも、昔、日本が経験したことと同じこ
 とが、行なわれている。
  結局、中国共産党政権にとって都合のよい者が、中国
 共産党政権の良否判断によって、人が人によって査定さ
 れて、処理されている。
  廃棄処分もそこにはある。
  そこには、ウイグルの方々の人権は「まったく二の次」
 とされている・・無視されている。
  世界は、それを、傍観している・・のか・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  ロシア(旧ソ連)よ!
  千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
  終戦後の1945年8月18日に、占守島に奇襲攻撃して来た
 行為を反省しなさい。
  占守島の戦いで日本は戦いに勝っていたのに、終戦
 であったので、ソ連(現ロシア)と合意の上で日本は武
 器を置いた・・日露間の戦争はここに終わった。
  しかし、日露の合意の終戦の後、日本兵の居ない日本
 領の千島列島と北方四島ソ連(現ロシア)は不法に占
 拠し始めた。
  千島列島の最北端の占守島の戦いで、日本が武器を置
 く式を日露合意で行ったことを遵守せよ!
  だから、君たちには、日本の領土を勝手に盗る行為を
 行なう正義の論理は無い。

(増補版)649E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年6月)

題:(増補版)649E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月、鉄道局が、イギリスに60ポンド軌条を発注した。
  1890年代から1900年代にかけて、日本の鉄道はめざま
 しい発展をとげた。
  営業キロが約2.5倍となり、貨物輸送力は9.5倍となっ
 た。
  紡績部門を中心として、日本に産業革命が進行した。
  そして、それが、製鉄、製鋼部門を基軸として重工業
 への転換がなされて行った。
  これに伴い資本主義経済体制も急速に発展し、それが
 さらなる鉄道の発達を促した・・そして、それが、資本
 主義のさらなる発展へ好結果をもたらした・・経済体制
 の発展と鉄道の発展は相関関係のある展開だった。
  鉄道は、日本の陸上交通の最重要の座を占めるに至っ
 た。
  法的整備もなされ、外国の技術も取り入れる一方、独
 自技術での自立も図られ、規格化もなされて行き、私設
 鉄道の17社も国有化されて行く。
  山岳地帯が多い日本に、長大トンネルへの果敢な挑戦
 もなされた。
  そして、蒸気機関車の完全な国産化への挑戦・・
  その中で、日本での量産体制の確立を前提とした試作
 品としての輸入があった。
.
1896年5月、伊万里鉄道会社に免許状が下付された。
  伊万里駅有田駅を結ぶ計画だった。
  建設目的は、有田で造られる陶磁器(有田焼)の伊万
 里港への輸送と、九州鉄道と伊万里との連絡、そして、
 伊万里の炭田で産出する石炭の輸送だった。
.
1896年5月、筑豊鉄道の若松駅折尾駅間の複線が開通した。
  日本経済の発展と近代化に重要で大きな影響を与えた
 北部九州の筑豊炭田・・
  1887年以降、石炭生産量を増大させた・・
  それと共に、従来から「川ひらた」と称する小舟に頼
 っていた運送・・遠賀川の水運による運搬・・石炭輸送
 が隈界に達した。
  1889年、陸運の必要性が高まるにつれ、筑豊興業鉄道
 が創立された。
  筑豊鉄道の役割は、筑豊炭田の石炭の若松港への陸送
 だった。
  これによって、筑豊石炭の輸送力は大幅に強化された。
  そして、この筑豊の石炭は、全国出炭量の半数を占め
 るに至る・・「月が出た出た」との讃歌もできる・・
.
1896年6月3日、露清密約
  李鴻章・ロバノフ協定ともいうモスクワで締結された
 秘密条約(ロシアは、外務大臣のロバノフと財務大臣
 ヴィッテ)
  ロシアと清のいずれかが、日本との戦いになった場合、
 互いに共同して戦うための「清とロシアの共同参戦条約」・・
  参戦の義務を負うという条約・・
  そして、東清鉄道敷設などについて・・
  秘密交渉による条約の締結となっている。
  この条約での不平等な点は、ロシアが、東清鉄道敷設
 権を、清国から大幅に奪うという不平等性だった。
  これによって、領土欲の強いロシアは、南満洲へ勢力
 拡大をはかった。
  清国の李鴻章(りこうしょう)とロシアのロバノフ外相
 は、軍事的共同参戦の相互条約を結んだ。
  韓国を含む露清両国が攻撃されたとき、両国軍の相互
 参戦と単独不講和を約した。
  清国は、ロシアに屈して、ロシアに東清(とうしん)鉄
 道の敷設権と、それによる軍隊輸送権を与えた。
  日本は、当然、この密約の存在を知らなかった。
  日本は、日露協商を結ぼうという政策を進めた。
  しかし、この密約によって、この経済的発展を期した
 日露の条約締結もならなかった。
  この条約締結の失敗もあって、日本は。日英同盟を選
 択した。
  露清密約は、日露戦争の遠因の一つになっている。
  日露戦争の時、中国は、この条約によって、日露戦争
 に参戦していた。
  日本は知らなかったが・・日露戦争の形は、『日・露
 中戦争』となっていた。
  つまり、この戦争の戦勝国・日本は、ロシアだけでは
 なく『中国に対しても戦勝国となっていた』。
  中国は、秘密条約であった為、敗戦国としての立場か
 らの「日本に負うべき事々から免れていた」。
  当然、この露清密約(1896年6月3日)は、この後の日
 露戦争ではなく、『日・露中戦争』の状態となっていて・・
 日露戦争(日・露中戦争)の原因の一つとなっていて・・
  ロシアは、この秘密条約の締結によって、大幅な満州
  地域権益を中国・清に認めさせ、得ていたが・・不平等
 な条約だった・・
  ロシアが、清に、この不平等を認めさせた屁理屈が・・
 ロシアが三国干渉で日本から遼東半島を取り返してあげ
 たではないか、というものだった・・だから、見返りを
 得たいという要求の仕方だった・・子の屁理屈で実現し
 たものだった。
  この東清鉄道は、シベリア鉄道のチタ(ザバイカリエ
 地方の首都)から分岐し、満州の西北の満洲里(まんし
 ゅうり)から東南の綏芬河(すいふんが)の間を横断し、
 ウラジオストックに至るという本線と・・
  中間のハルビンから遼東半島の旅順・大連を結ぶ南満
 州支線とからなっている・・
  ロシア軍が、広域な軍事作戦行動ができるという軍事
 計画に基づいてなされた・・
  これによって、ロシアの強烈な支配権が強行に実施し
 得るというように計画された。
  この年に、ロシアは本線の施設権を得て・・支線を、
 この後の1898年に得た・・
  このロシアだけではなく、イギリス・フランス・ドイ
 ツの欧州列強4が、中国分割をした。
  1898年には、ドイツが、宣教師殺害事件で中国へ言い
 掛かりをつけ、山東半島の膠州湾を租借した。
  ロシアは、遼東半島の旅順・大連を取り・・内蒙古
 沿海州奉天長春、ハルピン・・そして、朝鮮・・
  イギリスは、威海衛・九龍半島を取り・・安徽省(あ
 んきしょう)、上海、蘇州、湖北省、漢口、四川省、重
 慶、香港・・
  フランスは、広州湾を取った・・広東省、広州、広西
 省、雲南省・・
  そして、1899年、乗り遅れたアメリカも、美味しいも
 のが欲しいと清の門戸開放宣言をした。
  一番取っていたのが、ロシア・イギリス・フランスだ
 った・・
  ドイツは、山東省で露英仏の5分の1だった。
  日本は「無し」・・あるとすれば福建省あたり・・そ
 して、日露戦争に勝利して、ロシアから旅順(侵略では
 ない)・・清も参戦していた・・
  台湾は、日清戦争の勝利で清国より得ている・・
  しかし、世界はプロパガンダして、日本は侵略したと
 過大に嘘宣伝(漫画などで)されている。
  アメリカは、フィリピンなどを広大に取っている。
  ポルトガルマカオ(1887年)
  ロシア・イギリス・フランス・ドイツの清を貪(むさ
 ぼ)る歴史は書かないがこちらの方が侵略である・・
  その1例・・ホーチミン国家主席の怒りの言葉・・
  「・・彼ら(フランス)は学校より多くの監獄を建
 て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさ
 せた・・」(1945年の独立宣言に込められた怒り)
  アメリカも、フィリピンの非戦闘員の女性や子供を
 を含めて600人全員を皆殺しに逆する事例などがあり・・
  オランダも、インドネシアにおける事例があり・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領殿・・
    中国の一帯一路のお金を借りに行って、頭を下げて、
    「お金を貸してください」と言う必要はありません。
    貴国の貨幣であるフィリピン・ペソをどんどん刷って、
    貴国の国内の社会資本へ投資をすれば済むのです。
    下手に中国の「名目上の金」を借りると、フィリピン
   ペソでの返済は嫌だと言われて、担保にした貴国のどこ
   かの貴重な社会資本を担保に取られたりするというリス
   クが生じます。
.
紀元前8世紀、ギリシャの植民地が、イタリア半島の南部に
 作られた。
  ここは、「マグナ・グラエキア」と呼ばれた。
  ローマ人は、軍事力は強いが文化的には遅れていた。
  このイタリアのギリシャ植民地で、イタリア人たちは、
 ギリシャ文化の多くのものをギリシャ人たちから教えて
 もらった。
  ローマ字(ラテン文字)も、ギリシャ人たちから教え
 てもらったアルファベットから出来上がった。
.
紀元前304年、ギリシャなどの地域を領有したセレウコス
 1世が、インドのマウリヤ朝の王・チャンドラグプタの
 優位を認めて4州の支配権を譲って講和を結んだ。
  メガステネスは、このマウリヤ朝の首都・パータリプ
 トラへ赴いた。
  古代のギリシャ・・そのギリシャの宗教や神々は、エ
 ジプトから受け継いだ。
  そして、この古代ギリシャには、アジアから連れてき
 た奴隷たちが居た。
  この古代のギリシャ人の頭の中には、アジア人への蔑
 視観があった。
  アリストテレスも、「アジアの異民族に対しては動植
 物のように(扱ってよい)・・」と言っているくらいだ
 った。
  古代ギリシャ人の奴隷観は、「四本足」の羊や牛と同
 様、「人の足」を持った家畜だった。
  アリストテレスは、アジア人を「先天的に劣った人間」
 と考えていた。
  そして、この古代ギリシャ人の世界観は、「世界の周
 辺には様々な怪物たちが居る」と考えていた。
  紀元前4世紀~紀元前3世紀に、メガステネスは、イン
 ド王の宮廷へ大使として派遣された。
  (参考)メガステネス:ギリシャを含む大きな領域を
     治めたセレウコス朝に仕えたギリシャ人。
      このセレウコス朝とインドのマウリヤ朝の間
     で協定が結ばれた後、インドを赴いた。
      そして、「インド誌」を表わした。
      その中に、今まで以上に怪物を著わした。
  この様なギリシャ人の考え方が、ローマ人にそのまま
 引き継がれて行った。
  この様な非人間的な者への恐怖を形ばかりのもの、形
 骸化して、その恐怖を回避したい、安心を得たいとした。
  キリスト教聖書には奴隷の記述があるが、そして、キ
 リスト教は奴隷の所有を認めているが・・
  このローマ時代のキリスト教徒も、また同様に、奴隷
 と怪物の世界観を持っていた。
  キリスト教で教父と言われるアウグスティヌスも、「
 神の国」の中で怪物を論じている。
  ローマ時代の世界観は、ヨーロッパ(ローマ世界)は
 自由な市民=真の人間の住む地域とし・・、
  アジア(アフリカも)は一段と劣った人間たちの住む
 地とした。
  そして、アジアを「隷属」を特徴とする地域だとした。
  さらに、その外に、怪物たちの住む地域があるという
 世界観を信じていた。
  この時代のキリスト教徒たちの世界観だった。
     ・
     ・
1793年、アメリカ人のホイットニーによって、効率的な綿
 繰り機が作られた・・
  これによって、奴隷の必要性がさらに増した。
  アメリカの奴隷制は、さらに進展した。
  アメリカという国は、結局のところ、「北部政権」が
 牛耳っている。
  2017年の騒ぎ・・南部の象徴であるリー将軍銅像
 取り壊せという北部の圧力・・
  それに抗する南部の方々・・
  南北戦争アメリカ南部の英雄「リー将軍」の銅像
 壊せ、いや壊させない・・という圧力に抵抗する騒ぎで
 あった。
  アメリカ政権を牛耳るアメリカ北部政権にとって、「
 リー将軍銅像」は、目の上のたん瘤の様に見えるのだ。
  この南北戦争前の19世紀の1800年代・・、
  イギリスは、産業革命が飛躍的に進展し、アメリカの
 綿花の必要性・需要が急激に増大した。
  アメリカとイギリスの戦争=独立戦争の頃は・・アメ
 リカのイギリスからの綿布輸入は途絶した。
  ここで、アメリカの自給自足への道は開かれた。
  綿花栽培が奨励され、ニューイングランド地方には、
 木綿工業が発展して行った・・
  イギリスに比べればわずかではあったが・・
  この時、画期的な事が起きた・・
  短繊維の陸地綿(アップランド・コットン)が導入さ
 れた。
  この綿花は、効率的に機械処理が出来た。
  1793年、アメリカの発明家イーライ・ホイットニーに
 よって、現代の機械的な綿繰り機が作られた。
  ホイットニーの綿繰り機は、ワイヤスクリーンと小さ
 なワイヤフックを組み合わせたものを使って綿を引き抜
 き、ブラシが綿くずを連続的に取り除いて詰まりを防い
 だ。
  これは、アメリカの綿花産業に革命をもたらした・・
  しかし、綿花労働者(黒人奴隷の方々)の需要が急速
 に増加したことで、アメリカに奴隷制の成長がさらに進
 展した・・アメリカに鞭の音が鳴り響いた・・。
.
19世紀前半、この頃・・アメリカは、カトリック陰謀論
 取りつかれた。
  アメリカは、キリスト教プロテスタントの国であるが・・
  この清らかなプロテスタント国であるアメリカが、キ
 リスト教カトリックの陰謀で乗っ取られてしまうという
 妄想に取りつかれた。
  新聞もこの事を掻き立てた。
  スペインやポルトガルカトリック国や、カトリック
 のバチカンは、「陰険な悪の一味だ」と言った。
  卑劣な事に・・これが高じて、19世紀末に、米西戦争
 が起きた。
  スペインが、カトリック国だということで、敵意が抱
 かれた(1940年代は日本だったが・・)
  アメリカには、カトリックの圧政から人民を救出する
 のだという「大義名分」が掲(かか)げられた。
  怖ろしいことに・・キューバプエルトリコ、フィリ
 ピンというスペインの植民地が、次々と攻撃された。
  そして、駆逐されて、陥落した。
  アメリカ国内のキリスト教カトリック修道院さえも
 焼き討ちにあった。
  アメリカ国内のキリスト教プロテスタント教会が、こ
 の様な卑劣な運動に加担した。
  パラノイア、いわゆる「偏執病」の傾向が、アメリ
 という国にはある。
  この様な性癖が、妄想思考が、アメリカ政治に染みつ
 いている。
  アメリカには、キリスト教の「選民思想」がある。
  アメリカは、キリスト教の神の特別な恵みによって建
 国された「例外的な国である」・・と考える。
  アメリカの独立宣言と憲法は、奇跡に等しいキリスト
 教の神の導きによって我々に与えられたものだ・・と考
 える。
  だから、アメリカ人は、何をおいてもそれを守らなく
 てはならない・・と考える。
  キリスト教を信じてない人々を敵視した・・
  また、その様なものと協調すると余計な負担を背負い
 込むと考えた。
  アメリカが享受する自由と繁栄を他国へ渡してはなら
 ない・・と考えた。
.
1924年9月1日、伊沢多喜男が台湾総督になった(~1926年
 7月16日)
  この「伊沢多喜男」を著書に書いた大西比呂志フェリ
 ス女学院大学教授は・・その著書に書く・・
  「伊沢多喜男は、台湾総督時代、台湾の人々に寄り添
 った統治を行ない、後々まで台湾の人々から慕われた」
 と。
  そしてまた、「伊沢多喜男は、決して理想通りには行
 かない政治の世界に、畏(おそ)れも持ちながら情熱を
 傾け、国家と国民に奉仕しようという意思が旺盛だった」
 と・・「真の政治家だった」と・・
.
1932年5月15日、犬養毅が没した(76歳)、五・一五事件
  犬養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4
 月20日)~1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治
 家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は
 木堂、子遠。
  「犬養毅」を書いたノンフィクション作家の堀川恵子
 氏(書名:狼の義)は言う・・
  「政治とは、様々な代償や犠牲を払いながらも、その
 時代に求められている理想や、あるべき姿を見せて行く
 こと」と・・
  そして、この書で、犬養毅の偉大さを掘り起こした。
  「犬養毅は、政党政治を守るために、死ぬ覚悟で首相
 になった人」と・・
  一部にある「軍部に遠慮した」という声を否定した。
  「犬養毅は、軍部に激しく批判を与え、また、極左
 極右の双方を危険視し、時勢に抗(あらが)っていた」
 と・・
  そして、「弱者の人々に、とことん優しかった」と・・
  そして、「政治の世界はきれいごとばかりではないが、
 犬養毅たちが命懸けで築いて来た政党政治が、どんな苦
 闘の道を歩んで来たかを(皆様に)考えてほしい」・・
 と、堀川氏は言う。
  ラジオなどのあらゆる記録音源、あらゆる書物にアク
 セスして、堀川氏は犬養毅を掘り起こした。
  (参考)犬養毅の最後の日・・1932年(昭和7年)5月
     15日はよく晴れた日曜日だった。
      犬養は、総理公邸でくつろいだ休日を過ごし
     ていた。
      夫人も、また、秘書官や護衛らも外出してい
     た。
      犬養は、往診に来た医者に鼻の治療を受けて
     いた。
      体にはなんの異常もなく、犬養は医者に「体
     中調べてどこも異常なしだ」。
      「あと100年はいきられそうじゃわい」と言っ
     ていた。
      17時30分ごろ、警備も手薄の中、海軍の青年
     将校と陸軍の士官候補生の一団が、ピストルを
     ふりかざして乱入して来た。
      襲撃犯の一人である三上卓は、犬養を発見す
     ると即座にピストルの引き金を引いた。
      しかし、偶然にも弾が入っておらず不発に終
     わり、その様子を見た犬養は両手を上げて、有
     名な言葉「話せば分かる」を口にした。
      そして、将校たちを応接室に案内した。
      応接間に着くと「靴ぐらい脱いだらどうだ」
     と述べた。
      彼らに煙草を勧めたが、三上は「何か言い残
     すことはないか」と返した。
      その言葉を聞いた犬養は何かを言おうとした
     が、興奮状態にあった山岸宏が「問答無用、撃
     て」と叫び、別働隊であった黒岩勇が応接間に
     突入し・・犬養毅を銃撃した。
      同時に、三上も発砲した。
      三上の弾丸は犬養の頭部に命中した。
      襲撃者たちは犬養に重傷を負わせるとすぐに
     去って行った。
      女中たちが駆けつけると、犬養は顔面に被弾
     し、鼻から血を流しながらも、意識ははっきり
     していた。
      縋(すが)りつく女中を制して「いま撃った
     男を連れてこい」・・
      「よく話して聞かすから」・・と述べた。
      22時ごろに大量の吐血をしたが、驚く周囲に
     「胃にたまった血が出たのだよ。心配するな」
     と、逆に励ますほど元気だった。
      そして、見舞いに来た家人に「9発撃って3発
     しか当たらぬとは、軍はどういう訓練をしてい
     るのか」と嘆いたという。
      しかし、その後は次第に衰弱した・・23時26
     分に至り、絶命した
.
1940年5月10日、ドイツのヒトラーが、欧州戦線の西部戦線
 の大攻撃を始めた。
  ナチス・ドイツ軍は、戦車2500両、飛行機3000機とい
 う従来では考えられない大規模で、従来の戦闘スケール
 をはるかに超える攻撃態勢の機動部隊で侵攻を始めた・・
  ロンメル将軍の率いる戦車部隊は、要塞「マジノ線
 を迂回した・・
  そして、アルデンヌの森を突破し、なだれ込んだ。
  鮮やかな電撃戦で、英仏軍を壊滅させた。
  2週間でダンケルクの港まで追い込んだ。
  オランダやベルギーは、相次いで降伏した。
  作戦の開始からわずか4週間の1940年6月14日、フラン
 スのパリが・・無血で占領された。
  ドイツは165師団を動員していた。
.
1949年、小国のルクセンブルクが、第二次世界大戦後の1949
 年に、NATOに加盟し、徴兵制度を採用し、1968年に
 志願制に移行した。
  これによって、永世中立、および、非武装政策を放棄
 した。
  日本の必要以上の「戦争忌避教育」・・そして、「自
 虐教育」によって、軍事力に対する正確な、理性的な判
 断が出来ない人間が増えている。
  卑劣なのは公共放送のNHKでさえ不公正な自虐放送
 を行なっていて・・この傾向を作っている。
  また、外務省という「大切な部署にいる官僚」である
 のに、その軍事力に関する考え方が空虚となっていて、
 まったく空白になっている状況・・
  日本の大きな損失が起きている・・
  軍事力の抑止力など「考え及ばない外務省担当者」と
 なっている。
  避けるだけでなく、「理屈なく嫌悪」し、否定する。
  これでは十分な国の仕事は出来ない。
  空論の非武装論の上にいる。
  「北朝鮮の核弾道ミサイルが着弾するまでは生きてい
 られるのだ」という論理・・
  何もないなら何もされないという言い方・・
  そんな論理が通るなら、「人類、苦労はしてない」。
  「何もない者たちこそが虐殺された人類の歴史」を見
 ていない。
  抵抗しない者、抵抗力がない弱い者こそが餌食となっ
 て、駆逐されて、絶滅されてきた。
  この地球上に「一切の軍事力を保有していない国家」
 や「常備軍保有していないが、制限された軍事力は保
 有している国家」は・・『まったく、無い』・・
  もう一度言う・・まったく、無し・・
  ただ、太平洋上の小さな島々、大西洋上の小さな島々、
 インド洋上の小さな島々・・それしかそのような状態し
 かないというのが現状・・
  地球上には、「どこもかしこも軍隊を持った国々」と
 なっている。
  キリスト教精神の大本のバチカンでさえ「軍の組織を
 持っている」・・
  そして、その軍は、ローマ法王教皇)の直属となっ
 ている。
  バチカンは、第二次世界大戦中、必死に非武装中立
 立場を取ったが、そんなことは何の役にも立たず、空襲
 や占領による攻撃を受け、被害を受けた。
.
1970年代後半、朝鮮戦争の始まった原因について、この頃
 の日本人の多くは、メディアなどの洗脳工作によって、
 「北朝鮮や中国の側に立った考え方」をしていた。
  アメリカや韓国が攻め込んだ・・と・・
  今(2019年)は、「朝鮮戦争は、1950年6月25日に、北
 朝鮮軍が、突然、38度線を越えて韓国に攻め込んで来た」
 と誰でも知っているが・・
  1970年代の後半の当時は、「韓国とアメリカが、北朝
 鮮に攻め込んだから朝鮮戦争は起きた」・・と、まった
 く逆のことを固く信じていた。
  日本中の左派系メディアだけでなく、権威ある学者や
 知識人、新聞、雑誌が、こぞってその様に書いていた。
  それほど、中国や北朝鮮の「日本への世論操作の手」
 は伸びていた。
  1970年代と言えば、北朝鮮による日本人拉致も繰り返
 し「盛んに」行われていた。
  日本政府は、見て見ぬふりをしていた。
  しかし、中国や北朝鮮の工作は、止むことなく今・現
 在(2019年)も行なわれている。
  韓国は、その功がそうして「赤化してしまった」。
.
2015年2月19日、朝日新聞慰安婦報道を外部から検証して
 きた「朝日新聞慰安婦報道』に対する独立検証委員会」
 が報告書を発表し・・
  1991年から1992年にかけての朝日新聞慰安婦報道に
 ついて「強制連行プロパガンダ(宣伝)」と断定した・・
  この朝日新聞プロパガンダによって、国際社会に誤
 った事実が拡散し、日本の名誉を傷つけていると結論づ
 けた。
  (参考)独立検証委員会:朝日新聞は2014年8月5日、
     6日付で、自社の慰安婦報道を検証する特集(
     以下、検証特集)を行った。
      遅きに失するものではあるが、過ちを認めて
     訂正をするのであれば悪いことではない。
      しかし、その検証は、自社の慰安婦報道に対
     するこの間の批判に反論、言い訳する目的でな
     されたものだった。
      その上、謝罪の言葉がなかったことや福島原
     発事故をめぐる誤報と相まって、かつてないほ
     ど朝日への批判が高まった。
      そこで社長があらためて謝罪会見を開き、「
     第三者委員会」なる組織に検証を依頼すること
     になった。
      7人の委員からなる「第三者委員会」は、同
     年12月22日付で報告書を公表した。
      その報告書は朝日の検証の問題点をある程度、
     指摘している点は評価できる。
      しかし、朝日の慰安婦報道がおかしくなった
     背景への分析がなく、その上、国際社会に与え
     た影響を分析する部分では、委員会としての見
     解をまとめられず、各委員の異なる見方が併記
     されるなど、不十分なものといわざるを得なか
     った。
      そこで私たちは昨年12月に以下のメンバーで、
     朝日新聞慰安婦報道」に対する独立検証委員
     会(以下、独立検証委員会)を発足させた。
  朝日新聞にはこの慰安婦問題以外にも数々の片手落ち
 の主張がある。
  その意味で、朝日新聞という新聞は、偏頗(へんぱ、
 片寄っていて不公平なこと)な新聞であるが、その論の
 浅薄さの論理のサンプルの一つが、「防衛よりも対話で
 日本の平和を守ろう」という主張がある。
  朝日新聞は、この論理が好きで、度々、この主張の論
 理展開をしている。
  この論理は、小学生でもわかる「当たり前の論理なの
 である」。
  こんな論理を振りかざして、事がなせるなら、誰も苦
 労はしない。
  「対話」で「そうですね」「そうしましょう」で済め
 ば苦労はいらない。
  その先が重要で肝心なのである。
  朝日新聞は、その手前で論理展開をしないで、肝心の
 所は逃げているのである。
  卑怯な論理に逃げ込んでいる。
  国連で長く色々な討議をして、際限なく討議されて、
 事を荒立てなく治めようと努力がなされているが、これ
 で戦争が無くならないから、国連は苦労をしているので
 ある。
  国連で話を尽くしても戦争は無くなったか?
  朝日新聞よ 無くなったか??・・否である。
  朝日新聞は、この事実に対し、目をつぶっていて逃げ
 ている・・卑怯な状態となっている・・
  どのように答えるのだ・・
  朝日新聞の言うことは、手前の論理で浅すぎる・・
  それで済ませる不完全な理想論なのであり、理想過ぎ
 るのである。
  子供に諭(さと)すような浅い論理で誤魔化している・・
 未完成の理想論で誤魔化す朝日新聞となっている・・
  それで済んだら歴史から戦争は無くなっているし、苦
 労はいらない。
  現実は、朝日新聞の様な空理空論のようには行かない・・
  朝日新聞は、良く中国や韓国に利する発言をするが、
 慰安婦問題の時も、ありもしない嘘を言って、「韓国の
 言い分」の言い方をし過ぎて来たが・・?
  結局、朝日新聞の捏造(ねつぞう)で、嘘記事だった・・
 そして、朝日新聞は謝罪したが・・
  この「防衛しないで」という空理空論も、「日本に防
 衛させたくない中国」の利する肩を持っているのではな
 いか?
  かつて、あちこちで日本を裏切った朝日新聞・・
  数々の日本裏切り行為の過去がある新聞、この論理も
 それではないのか?
.
2016年以降に、アメリカの財政状況はどんどん悪化した。
  アメリカの民主党を繰る金融業者たち・・
  アメリカ知識人たちは、この輩たちを毛嫌いしている。
  バラク・オバマ元大統領(民主党)は、この金融業者
 のゴールドマン・サックスの会長を務めたルービンにべ
 ったりだった。
  そして、アメリカの知識人は、アメリカの最大の脅威
 は、アルカイダよりアメリカの財政事情だと言った・・
  アメリカの連邦議会の予算局とホワイトハウス予算局
 は、「2016年以降、アメリカ政府の財政状況はどんどん
 悪化していく」と言っている・・
  医療費や年金は、絶対に切れないので、まず最初に削
 られるのは「国防予算」だと言っている・・
  そこまでアメリカは借金大国になっていて、国が潰れ
 る形になっている・・と・・
  アメリカに頼る日本の安全保障体制は、破綻する恐れ
 がある・・
  アメリカの財政事情が、どんどん悪化する状況で、こ
 れが避け得ないと予測されている状況にある・・
  日本は、早めに自力で立つ手段を講じなければならな
 い。
  気休めを言う輩の言葉に惑わされている「時間は無い」。
.
2017年8月、何故か?・・この頃(2017年8月)、船の衝突
 の話が多く耳に入った。
  マラッカ海峡で、アメリカ海軍のイージス艦が衝突し
 た・・、
  船腹に大きな穴が開いた。
  自力航行は出来るものの、沈没は免れたものの、任務
 の遂行が出来なくなった。
  このイージス艦は、中国が自国海域だと主張した南シ
 ナ海の「自由航行作戦」をしたばかりだった。
  また、ベトナム船が、この南シナ海で、中国船に、故
 意に体当たりをされて・・沈没している。
  この海域は、「自国の海域だ」と主張する中国の行動
 となっている。
  この衝突は、「黙って見てばかりではないよ」「おと
 なしくしてばかりしていないよ」と主張している中国の
 行動の様・・
  皆が、核を持ち・・
  核を使った戦争をしたら・・
  勝利する国は無い・・という、絶大な破壊力を持った
 兵器を持ち合って・・
  結局、戦争の出来ない世界において・・
  相手は何もやって来ないという状況の中において・・
  自分の主張を・・
  自国の主張を・・
  ある程度、強硬に主張した方が得だ・・という、考え
 方が・・働いているのだ・・
  だんだん・・ことは、大きくなる方向へ行くのだろう。
.
2019年、「日本は侵略した」と回答しないと、「正解にさ
 れない」という大学入試となっている。
  だから、大学予備校でも、「侵略した」と教えられて
 いる。
  フィリピンとインドネシアに日本は侵略したとプロパ
 ガンダ(嘘宣伝)されているが、これは間違いで、嘘。
  フィリピンもインドネシアも戦後に独立で出来た国・・
  そして・・第二次世界大戦のとき、日本は、フィリピ
 ンを植民地支配していたアメリカと戦った。
  そして、戦後、独立して、解放されたフィリピンとな
 った。
  インドネシアも同様で、インドネシアという国は無か
 った・・戦後に独立してインドネシアとなった。
  日本が戦ったのは、植民地支配していたオランダだっ
 た・・
  『日本は、アジアの方々と戦ったのではない』。
  真実を捻じ曲げて、アジアの方々が統治する国を日本
 は侵略したと教え・・それが、アジアの国々を植民地と
 してうまい汁を吸っていたアメリカやオランダに都合が
 良い形だった・・
  このプロパガンダに日本の人々はまんまと乗せられて
 来た・・そしてまた、「自虐史観」に陥(おちい)らせ
 られて来た・・
  「日本は、アジアの人々の国を侵略したのではない」・・
  日本は解放軍であった・・
  戦った相手は、アメリカやオランダやイギリスなどの
 アジアの方々を植民地としてうまい汁を吸っていた国が
 『敵だった』。
  しかし、このプロパガンダは、大学の入試でも「日本
 は侵略した」と回答しないと正解にならないという様に
 仕組まれていて、根が深い問題となっている。
.
2019年、日本に原子爆弾を持たせると、キリスト教国のア
 メリカは、キリスト教の教義の「目には目を」に洗脳さ
 れ、頭にこびりついているから、日本に仕返しの原爆投
 下をされると思っている。
  それが怖くて、日本に原子爆弾を持たせることが出来
 ない。
  アメリカの最大の同盟国に軍隊を持たせない事をして
 いるし、原子爆弾も持たせない。
  アメリカという国の一国だけで用が足りればいいが・・
  今まではそれでよかったが・・
  アメリカだけで事が処せればそれでよいが、昔からア
 メリカと対抗して来た中国は、豊かになりたいと、アメ
 リカへの対抗意識は隠して、爪を隠して、ここのところ、
 やって来たのだが・・、
  豊かになった今、豊かになって、目的を達して来ると、
 隠していた爪を出して来た。
  南シナ海に軍事基地をしっかり作り、「太平洋を半分
 くれ」と言い出す始末・・
  北朝鮮を属国化して、ソ連と手を結び、そのソ連・北
 朝鮮と組んだ中国には、アメリカ一国で対抗できない状
 況となっている。
  事大主義の韓国は、機を見るのに敏感だから、今やア
 メリカ陣営から離れて行った。
  ますます、アメリカは孤立化して来ている。
  中国には、アメリカの背後から狙う核兵器があるとい
 う。
  北極海を挟んで飛んで来ると思っていたミサイルが、
 反対側の方から飛んで来るという・・
  アメリカの想定したミサイル防衛網をまったく無力化
 しているという。
.
2019年5月24日、中国の銀行が破綻(はたん)した・・国家
 管理となる。
  中国経済は破綻している。
  今、中国に本物の「金融危機」が迫っている。
  その前兆である「包商銀行」が国家管理となるという
 事態が『このたび起きた』。
  (参考)中国、内蒙古の地銀を実質国有化:日本経済
     新聞、2019年5月24日
      中国人民銀行中央銀行)と中国銀行保険監
     督管理委員会は24日、内モンゴル自治区の地方
     銀行、包商銀行の経営を接収したと発表した。
      「重大な信用リスクが起きたため、預金者と
     その他の顧客の合法的な権益を守るため」と(
     表面的には)理由を説明している。
  内部情報に詳しいものが行なうインサイダー取引のA
 TM(現金自動預け払い機)の役割をする行為の様だっ
 た。
  そのおかしい経営を立て直すために、中国建設銀行
 委託され再編が試みられている。
  おかしくなった中国の金融機関の統合と再編が進む方
 向にある。
  中国の国としての破綻要因として言われていることは・・
  造り過ぎたマンションがあちこちに群れとなって存在
 する。
  実質的には空き部屋ばかりの空のマンション群・・そ
 の数:1億2000万軒という・・話にならない多さ・・
  そのローン残高は、6500兆円という苦笑いがでるべら
 ぼうな巨額・・
  その住宅ローンが爆発するという恐怖が「中国に存在
 する」・・
  中国の中間層の人々の反乱は時間の問題・・いつ起き
 てもおかしくないという。
  それより大きな問題が・・国家管理がなされていない
 と言っていい状態の「中国債務」・・
  いったい中国の債務はいくらあるのか?・・という問
 題・・
  BIS(国際決済銀行)は、3,750兆円の債務が中国に
 あると言っている。
  (参考)国際決済銀行:各国の中央銀行の相互の決済
     をする、1930年に設立された国際的な組織。
  GS(ゴールドマン・サックス)のエコノミストは、
 9900兆円だと指摘した。
  社債発行が、2018年の1年間だけで1兆ドル(108兆円)
 も発行していて、自転車操業となっている。
  短期の借り換え、借り換えという状況・・
  また、中国の地方政府の債務はどうなって居るのか?
  また、中国の国有企業の債務はどうなって居るのか?
  海外資産の売却の迅速化が要請されている。
  緊縮予算にもならなくて、相変わらず「軍拡」は続行
 している。
  中国新幹線も、赤字なんて何のその、赤字も構わず続
 行されるという「シッチャカメッチャカ状態」・・87兆
 円の赤字も無視されている・・
  国際通貨の米ドルの調達が・・「綱渡り状態」・・
  中国は、そのため、個人の両替を大幅に制限している。
  また、海外への米ドル持ち出しも年間で5万ドルまでと
 している。
  そして、海外への送金も3000ドルを上限とした。
  子供が海外留学していたら、この3000ドル(32万円)
 では生活できない・・
  中国庶民は困って、金塊を使う手やビットコインを使
 う手などで中国資金を持ち出している状況・・
  ラスベガスのチップまでが資金持ち出しの操作に使わ
 れているという「庶民の悲鳴がある」・・マカオでチッ
 プを仕入れて、ラスベガスでアメリカドルに換えている。
  中国経済は長持ちしない・・
  https://www.youtube.com/watch?v=D28OjJRnmI8
.
2019年6月9日、香港で100万人規模のデモがあった。
  デモ隊への攻撃がなされる。
  香港警察は「暴動」と表現した。
  香港から資本が逃げ出している・・
  香港の資本流出は、この1年、進んできたが・・この様
 な事態を迎え、今後はさらに加速する・・
  個人レベルでも香港脱出が盛んに行われている・・
  香港に残る人々は、その様な金のかかること、金が必
 要なことが「出来ない人たち」・・切羽詰まった方たち・・
  止む無く命がけの抵抗行動となっている・・
  香港で生きるしかないという切羽詰まった中でのデモ
 となっている・・
  このデモに参加した人たちはICカードを使わなかっ
 た・・
  デモに参加した痕跡を残す事を恐れたからだった・・
  だから、地下鉄の切符も行列を作って、皆は、切符を
 買った・・後からの弾圧を恐れた・・
  中国が繰っていること・・何が起きるかに恐怖した・・
  記録が永久に残ることを恐れている・・
  今の認証技術は、後ろ姿でさえ個人を特定できるとい
 う・・
  https://www.youtube.com/watch?v=D28OjJRnmI8
  産経新聞(2019.6.26)によると・・、
  香港の民主派団体メンバーらは26日、日本、米国、英
 国などの在香港総領事館を訪れ、28日から大阪で始まる
 20カ国・地域(G20)首脳会議で香港問題を取り上
 げるよう求める請願書を手渡すなどした。
  26日夜には、香港中心部で集会を開催。
  中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条
 例」改正案の完全撤回を要求するなど、香港政府への圧
 力を強めている。
  参加した民主派メンバーは香港メディアに対し、「各
 国首脳が香港の一国二制度を守るため、中国の習近平
 家主席に圧力をかけることを希望している」と述べた。
  中国外務省の耿爽報道官は26日の北京での記者会見で、
 「G20は国際的な経済協力を話し合う場であり、主に
 経済、貿易、金融分野の問題を討論する」と指摘。
  「G20は香港問題を討論しないし、中国も香港問題
 を話し合うことに絶対に同意しない」。
  「完全に中国の内政に属することだ」と述べ、G20
 の場で香港問題を取り上げることについて改めて拒否し
 た。
  因みに、G20で、韓国のためにプログラムを割くの
 は無駄との状態となっている・・誠実で正直な行動をと
 らない韓国は、この様な状況に国際的になっている。
.
2019年6月15日、中国経済・韓国経済がおかしい・・その様
 な中、日本も「とばっちりを受けるリスクが大きい」・・
  韓国は、対中輸出がGDPの10%ある(日本はその3分
 の1以下、3%弱)
  中国に頼り切る韓国・・
  韓国の経常収支が赤字に転落した。
  韓国通貨のウォンがだんだん下がって来ている。
  在韓国の外資が、資金を韓国外へ逃がすという状況に
 なっている。
  韓国の実体経済、及び、金融の面で、首がだんだん締
 まって来ている。
  中国経済の影響を大きく受けている状況にある。
  韓国の基幹産業の半導体が、中国のファーウェイと大
 きくかかわっているのがその要因の一つ・・これから、
 さらに本格化する・・
  韓国が、対中依存し過ぎたことのしっぺ返しとなって
 いる・・
  金融危機に、また韓国がなるという心配が、大きくな
 っている・・
  中国は外貨不足になっているが・・
  チャイナプレミアムが「なされる恐れがあり」・・こ
 うなったら、中国の息の根は止まる可能性が大きい・・
  中国の弱味・・チャイナ・プレミアム・・
  「ファーウェイは潰す」ということになっている可能
 性が存在する・・そうなったら中国共産党も生き残れる
 か?
  この様に揺れる経済状況の中にあって・・日本も安穏
 な政策を行なっていられないという今がある・・
  この様な中国と韓国の中で、日本の危機が、受け身で
 生じて来るという状態の中にある・・政府に「その自覚
 はあるのか?」・・
  対中国の、日本のかかわりが3%だからと安心していら
 れない・・経済には乗数効果がある・・
  リーマンショックの対米比率が、その頃の日本は2.8%
 だった・・この時以上の負の効果が起きる・・
  (参考)乗数効果:投資などの独立的な支出の増加が、
     その有効需要が所得増加の過程を経て一連の波
     及効果を出尽くしたとき、最初の独立的支出の
     数倍の所得の増加をもたらす効果のことをいう。
  しかし、韓国大統領・文在寅ムン・ジェイン)は、
 どこに根拠があるのか、「韓国経済は大丈夫だ」と言う。
  逆に、「韓国経済は良い方向にある」と言う始末。
  国民が苦労していることが、心配していることが、分
 かっているのか?
  韓国経済を支える韓国財閥は崩壊の途にあるのに?
  そして、ファーウェイについては、「使わない」とは
 言わない・・「民間に任せる」と「きれいごと」にして
 いる。
  (参考)中国GDPの伸び:2018年、6.6%
        貨物輸送量 :2018年、7.1%
        消費の伸長 :2018年、8.4%
    固定資産投資の成長率:2018年、5.9%
        輸入額成長率:2018年.16.4%
        輸出額成長率:2018年.14.1%
.
2019年、中国は、沖縄に工作員と資金を送り込んでいる。
  政党や新聞社、テレビ局などに潜り込んだ「平和ボケ
 教」の信者たち・・
  ケント・ギルバート氏と長谷川幸洋氏の対談本「ケン
 ト&幸洋の大放言」・・
  副題が、「中・韓・沖縄にはびこるペテン師たちの正
 体」。
  そして今、沖縄の常識のある知識人が言う言葉・・
  「沖縄を本当に愛してくれるのらば、潤沢な豊富な資
 金を県民へ渡さないでください」・・餌の如くの資金を
 与えないでください・・である。
  莫大な特別予算、補助金、特殊利権に群がる・・
  右も左も金の亡者ばかり・・
  中国系の人間が今の沖縄を動かしている・・
  反基地運動をやっているのは、主に、本土の極左、在
 日、韓国居住者という現状・・
.
2019年、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領殿・・
  中国の一帯一路のお金を借りに行って、頭を下げて、
 「お金を貸してください」と言う必要はありません。
  貴国の貨幣であるフィリピン・ペソをどんどん刷って、
 貴国の国内の社会資本へ投資をすれば済むのです。
  下手に中国の「名目上の金」を借りると、フィリピン
 ペソでの返済は嫌だと言われて、担保にした貴国のどこ
 かの貴重な社会資本を担保に取られたりするというリス
 クが生じます。
  中国なんかに関わりを持たず、帰国のフィリピンペソ
 をどんどん刷って、帰国の必要な社会資本への投資にそ
 の金を使用すればいいのです。
  何も難しい話ではありません。
  逆に、中国と関わって、話を難しくすることは止めて
 下さい。
  他の国々の方々も同じですので、よくご検討ください。
  経済的裏付けのない中国の金を借りるリスクもありま
 すのでご注意ください。
  ドゥテルテ大統領殿・・ユメユメ、貴国の自国通貨の
 借金で、貴国が破綻するなど絶対ありませんので、これ
 を気になさらないようにしてください。
  誠実に必要な金であれば、いくら刷っても世間は何も
 言えませんから、建設的な金なら「中国などから借りず
 に」どんどん自国通貨を刷って使ってください。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸-1)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました(モンゴルの樺太侵攻、1264年の樺太アイヌへの攻
 撃など)
  2019年4月16日に衆議院参議院で成立した「アイヌ
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります・・また、日本人がアイヌの人々を虐げてもいな
 いのに、さも、虐げ行為をしている様な法案名となって
 いる・・日本人を虐げている法案名となっている。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人
 歯の遺伝子分析から科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。
  (追伸ー2)
  また、予備校が、キリスト教団体から金を渡され、予
 備校がしきりに、なんだかんだとキリスト教系の大学を
 宣伝している・・宗教的に不公正状態となっている。
  また、今・現在、予備校は、日本が侵略したと教え、
 日本を貶めている・・新たな歴史的史料に基づく教育も
 していない。
  「日本は侵略した」と回答しないと正解にされないと
 いう大学入試となっている。
  だから、大学予備校でも「侵略した」と教えなければ
 ならないと言う。
  フィリピンやインドネシアは、日本が侵略したとプロ
 パガンダ(嘘宣伝)されているが、これは嘘である。
  フィリピンもインドネシアも戦後に独立で出来た国で、
  第二次世界大戦のとき、日本は、フィリピンを植民地
 として支配していたアメリカと戦った。
  そして、戦後、独立してフィリピンとなった。
  インドネシアも同様で、インドネシアという国は無か
 った・・戦後に独立してインドネシアになった。
  日本が戦ったのは、植民地支配をしていたオランダで
 あり、日本はアジアの方々と戦ったのではない。

(増補版)648E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)

題:(増補版)648E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月22日、流刑10年に処せられた閔泳駿(後に閔泳徽
 と改名)、赦免となる。
  朝鮮半島には李氏朝鮮が政権を握っていた。
  対外的に門戸を閉じ、閉鎖的な朝鮮の状況の中で、日
 本は、1876年の日朝修好条規によって、朝鮮を開国に踏
 み切らせてあげた。
  その様な朝鮮末期には保守的な党の事大党があった。
  事大党は、1882年の壬午事変から朝鮮政界を支配した。
  この事大党は、1882年の壬午事変で大院君(李氏朝鮮
 末期の王族、高宗の実父)を排除した閔氏一族を中心に
 形成された・・
  閔氏は朝鮮の一族に過ぎなかった。
  この保守的な事大党は、長く朝鮮に君臨して来た宗主
 国(中国の清)に従属することを主張して政権の維持を
 図った。
  何かと清の指図(さしず)を仰(あお)ぎ、清の軍人・
 袁世凱に特使を送って「その意見のお伺いを立てていた」。
  閔泳駿は、この袁世凱に推薦されて事大党に属してい
 た。
  1884年の甲申政変の後はさらに宗主国・清に接近して、
 優勢で羽振りも良かった・・日本との修好条規の規定も
 空洞化されたりもしていた。
  実権を握る閔氏一族の頂点には閔妃が居た。
  高宗も閔氏の専横に、朝鮮の将来に不安を抱いていた。
  しかし、その時代も日清戦争の後は一転していた。
.
1896年5月23日、野球の日本最初の国際試合が行なわれた。
  第一高等学校(後の東京大学教養学部など)野球部が、
 横浜の外国人野球チームと試合を行なった。
  結果は、29対4で、第一高等学校が大勝利した。
  この旧制一高ベースボール部と横浜在留アメリカ人の
 試合は、横浜公園でなされた。
  この時の、日本の旧制一高は、捕手以外は、皆、素手
 でやった。
  また、この頃の野球は、雨が降ると蓑笠(みのかさ)
 を付け、頭には「白はちまき」を巻き、腰に越中フンド
 シをし、ワラジばきといういで立ちだった。
  面白いエピソードとして・・ある遊撃手が袴(はかま)
 を着て出場したところ、「礼節を知る選手」として相手
 チームから絶賛された・・しかし、本当のところは、実
 際はゴロを後逸しないためだった。
  また、当時のストライク・ゾーンは三つあり・・
  目から胸までを「ハイボール」、腰までが「フェアボ
 ール」、膝までを「ローボール」と言っていた。
  そして、打者は、審判に向かって「余はハイボール
 欲す」と予告した。
  そこに球が来なければ「ボール」となった。
  現在の様に「相手の弱点を狙わず」・・欲するものを
 与えて勝負する・・それが「正々堂々の試合」とされた
 という・・
  尚、この時、大負けしたアメリカチームは、再試合を
 申し込んで来た。
  その時のアメリカチームは、アメリカ東洋艦隊の選り
 すぐりのオールスターチームを結成して、再戦した。
  結果は、日本チームが、32対9の大勝で返り討ちにし、
 連勝した。
  この時、正岡子規は、第一高等中学の野球選手で・・
 1890年に卒業し、帝国大学文科に入学した。
  記録に(1896年分の外国試合のみが記載されていて)・・、
  1896年5月23日、在留米国人と横浜で試合し、29対4で
   日本の勝利。
  1896年6月5日、在留米国人と横浜で試合し、32対9で
   日本の勝利。
  1896年6月27日、米軍艦デトロイト号乗組員チームと
   向ヶ丘で試合をし、22対6で日本の勝利。
  1896年7月4日、在留米国人と米軍艦オリンピア号の連
   合チームと、横浜で試合をし、12対14で日本の負け。
   この試合には、アメリカチームにプロ野球選手のチ
   ャーチが入っていた・・
   野球発祥国・アメリカは、連敗続きで、あちこちか
   らの選りすぐりチームを編成して、是非、勝ちたか
   ったのだった。
.
1896年5月23日、播但鉄道の生野駅和田山駅間の線路延長
 免許を受けて着工された。
  播但線(ばんたんせん)は、現在、兵庫県姫路市の姫
 路駅から兵庫県朝来市和田山駅に至る西日本旅客鉄道
 (JR西日本)の鉄道路線地方交通線)で・・、
  兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本
 線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線。
  この路線は多くの鉄道ファンを引き付ける路線だった・・
 関西で代表的な非電化路線であり、1972年に蒸気機関車
 が廃止される時と、1992年3月14日の客車列車が全廃され
 る時には、多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた。
.
1896年5月23日、伊万里鉄道の建設免許状の下付がなされた
  (伊万里駅~九州鉄道有田停車場間)
  開業は、1898年8月7日、有田駅伊万里駅間。
  この路線の建設の目的は、有田町で造られる陶磁器(
 有田焼)の伊万里港への輸送が主だった。
  九州鉄道と伊万里との連絡や、伊万里地区の炭田で産
 出する石炭の輸送もあった。
  しかし、物価騰貴の影響を受け、経営がうまく行かず、
 開業から1年たらずで九州鉄道に合併された(1898年12月
 28日、九州鉄道に合併)
.
1896年5月25日、「駅務従事員並ニ機関事務従事員へ徹夜食
 料支給方ノ件」制定(鉄運乙第721号、明治29年度から支
 給)
.
1896年5月26日、ダウ・ジョーンズ社(チャールズ・ダウ)
 がダウ平均株価を初めて発表した。
  12銘柄による平均株価としてスタートして、1928年以
 降は30銘柄で構成されている。
  チャールズ・ダウは、アメリカのコネチカット州スタ
 ーリング生まれ・・ハイスクールを中退後、新聞記者と
 なる。
  主に、ニューヨーク証券取引所での相場に関する記事
 を書いた・・
  この取材経験から「株価はすべての事象を織り込む」
 というダウ理論を提唱した。
  1882年に、エドワード・ジョーンズやチャールズ・バ
 ーグストレッサーと共に、ダウ・ジョーンズを設立した。
  当初は、手書きの経済ニュースレターをウォール街
 経済関係者に配布を始めた。
  このニューズレターが、やがて発展して、1889年7月に
 『ウォールストリート・ジャーナル』となった。
  1896年のこの年、ニューヨーク証券取引所の株価動向
 を示す指標として、同紙に、ダウ・ジョーンズ工業平均
 株価を掲載した。
.
1896年5月28日、敦賀鉄道局出張所を福井に移し、福井鉄道
 局出張所と改称した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:NHKの自己チェック・システムは機能していない。
    NHKの学校放送などにも、教科書並みの検定制度を行なえ! 
    検定制度に「NHKの学校放送を組み入れよ!」
.
1793年、アメリカの黒人の方々への奴隷労働の強要
  綿花を効率的に処理できる綿繰機(コットン・ジン)
 が発明された・・そして、また、この機械は・・
  盛んに、黒人の方々を、アメリカ白人によって、機械
 の様に、人家畜として、非人道的な奴隷として、強制労
 働が行なわれていた。
     ・
     ・
1940年~1941年頃、アメリカは、日本へ奇襲をしていた。
  中国で、アメリカは、れっきとした正規のアメリカ軍
 兵士によって、日本へ奇襲をさせていた。
  日本のハワイの真珠湾攻撃を、アメリカは、盛んに「
 奇襲だ、奇襲だ」と言いつのっているが・・
  これは、アメリカが、、自分たちが中国で、日本を奇
 襲していることを隠し、薄めるためだった。
  アメリカは、日本の行動のすべてを知っていた。
  日本大使館の連絡行為を、すべて盗み取っていた。
  郵便物は、勝手に開封した・・開けていた。
  日本大使館の通信も盗聴し、暗号解読をして、日本の
 動きのすべてを知っていた(郵便物開封など卑劣な方法
 で暗号を知るという行為をしていた)
  ハワイへ向かう日本艦隊のその総べてさえ知っていた。
  アメリカは、それらのことを知らない振りをした・・
  日本艦隊がアメリカへ進む海を、アメリカは「真空の
 海」と称していた。
  戦後になって、中国での奇襲が知られると、アメリ
 は、しらばっくれた・・
  それでも追及されると、「ボランティアだ」と卑劣な
 嘘を言った。
  しかし、アメリカ大統領が、正規の命令書を書いてい
 ることが明らかになった。
  その命令書が、アメリカ公文書館で発見され、その存
 在が確認された。
.
1941年8月、この頃、アメリカ大統領のルーズベルトの頭の
 中は・・「日本と戦争をする」で・・いっぱいだった・・
  そして、「戦争に勝って、日本から永久に軍備を取り
 上げる」だった。
  まだ、戦争が起きるか? 否か?の時にあってである。
  戦争を回避しようなどという考え・・避ける気などま
 ったく無かった・・
  日本とアメリカの戦争が始まる3か月も前に、すでに、
 アメリカ大統領のルースベルトは、日本と戦争をすると
 いう意思を『明確に』持っていた。
  日本が一生懸命「戦争回避の努力」をしても、この様
 なアメリカで、まったく無駄だった
  ルーズベルトは、イギリスのチャーチルへ、この事を
 語っている。
  このことが、『確かな事実』となっている。
  ニューファンドランド湾の沖合に停泊したイギリス艦
 の船上で会談した時だった。
  アメリカが、「日本が奇襲した」とか何とか言ってい
 るのは、作り上げられたプロパガンダである・・アメリ
 カの筋書き通りに進んでいるだけだった・・
  「すべて、アメリカが仕掛けを作って」始まった日本
 との戦争だった。
  「アメリカの陰謀」で戦争は始まった・・
  その翌年の1942年春でも、この事が証明された。
  この戦争を作り出したアメリカ大統領のルーズベルト
 の所へ、ソ連モロトフ外相がやって来て、その会談の
 中でも、この時も、ルーズベルト大統領は、「日本は永
 久に軍備を持てない国にする」とその筋書きを言った。
  アメリカの軍事史家のマイク・シェリーも・・、
  「アメリカ政府は、1942年から、戦後の日本を独立し
 た外交政策が実行できない国にする」・・「日本から永
 久に自主防衛能力を奪うと決めていた」と言った。
  今・現代、北朝鮮の核ミサイルの攻撃の脅威にさらさ
 れている日本の姿は、この時、すでに決まっていた。
.
2000年~2009年、アメリカ白人の急速な高齢化
  アメリカの白人の45歳以下の人口は、840万人も減って
 いる。
  それに対し、白人の45歳以上の人口は、1260万人も増
 加している。
  アメリカの白人は、急速に高齢化している。
  これに対し、ヒスパニックの人たちは、若年多産状態
 にある。
  2009年、白人の老人が一人死ぬたびに、白人の赤ん坊
 は一人弱、生まれている。
  ヒスパニックの場合、老人が一人死ぬたびに、ヒスパ
 ニックの赤ん坊は9人生まれている(白人の場合の9倍以
 上)。
  2020年代には、アメリカの青少年の過半数は「非白人
 になる」。
  さらに、20年後(2042年頃)には、アメリカの白人は、
 半数以下となる・・アメリカの白人は、過半数を割る人
 種となる。
.
2001年1月20日ジョージ・ブッシュアメリカ大統領とな
 った(ブッシュ・子)
  アメリカ財政が、おかしくなった・・
  そのデーター事例・・
  ブッシュ大統領(子)の政権の時、アメリカのヘッジ・
 ファンド業者のトップ25人の総年収が、何と!アメリ
 大企業の会長500人の会長・経営者の総収入より多いとい
 う事態となった。
  しかし、こんなに稼いでいる者たちの納税額は、「極
 端に少なかった」。
  こんな状態だから、アメリカは、財政破たん状態に陥
 (おちい)って来る。
  ヘッジ・ファンド業者に対する増税を「行なわせまい」
 と暗躍して、必死に阻止したのが「民主党の議員たち」
 だった。
  この連中の中に「ヒラリー・クリントン」も居た。
  何しろ、ヘッジ・ファンド業界の巨額な政治資金の7割
 が民主党へ貢(みつ)がれていた。
  因みに、トランプ大統領共和党
.
2006年4月、犯罪の巣窟であるNHKの報道局スポーツ報道
 センターのチーフプロデューサーが、カラ出張で総額約
 1762万円を横領し逮捕された。
.
2006年6月、犯罪集団と化しているNHKの横浜放送局職員
 が、知人の名前を使って保険証を偽造した。
.
2006年7月、NHKの山口放送局長が、カラ主張などで約51
 万円を着服した。
.
2006年8月、NHKのスポーツ報道センターの職員2人が、
 8万~10万円を着服し、減給と譴責処分となった。
.
2006年8月、NHKのスポーツ報道センターの職員が、経費
 精算の際に私的な会食の領収書を添付して約15万円を着
 服した。
.
2006年8月、民放のテレビを契約対象外として50年以上も受
 信料を未徴収であったことが判明した。
.
2006年9月、NHKサービスセンター職員が、入場売上を過
 少申告して約370万円を着服し懲戒免職となった。
.
2006年10月、NHKの富山放送局長が、万引きで逮捕され、
 停職3ケ月となった。
.
2006年10月、NHKエデュケーショナル社員が、児童買春
 をし、翌年の2007年に発覚し、逮捕された。
.
2006年12月、NHK職員が、電車内で男子大学生の下半身
 に触れ、現行犯逮捕された。
.
2006年12月、NHK政策局ディレクターが、大麻取締法
 反(所持)の現行犯で逮捕された。
.
2007年1月、NHKの熊本放送局長が、女性スタッフにセク
 ハラで懲戒処分となった。
.
2007年3月、NHK職員が、川崎市市道で男性をはね、死
 亡させ、業務上過失致傷容疑で逮捕された。
.
2007年3月、NHK報道局経済部男性記者が、深夜に住居侵
 入容疑で現行犯逮捕された。
.
2007年4月、NHKの松江放送局記者が、おにぎり1個を万
 引きし、窃盗罪で20万円の罰金刑を受けた。
.
2007年4月、NHKアナウンサーが、渋谷区内で強制わいせ
 つで現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHK政策局青少年こども番組部ディレクター
 が、強制わいせつ容疑で現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHKの番組制作局ディレクターが、電車内で
 女子高生の下着の中に手を入れて、尻を触り、強制わい
 せつで現行犯逮捕された。
.
2007年6月、NHK集金人(47歳)が、元妻を殺害し、殺人罪
 と死体遺棄罪で逮捕された。
.
2007年9月、NHK大津放送局記者が、平成7年に起こした
 連続放火事件で懲役7年の判決を受けた。
.
2008年1月、3人のNHK職員が、インサイダー取引を行い
 全員懲戒解雇され、当時の橋本会長も引責辞任した。
.
2008年1月、NHK経営委員が経営する企業が、7年間で約
 1億5千万円の所得を隠し、摘発された。
.
2008年1月、NHKの水戸放送局記者が、無免許運転で追突
 事故を起こし逮捕された・・免許停止の最中だった。

2008年2月、NHK職員が、イベント会場で、私物のノート
 パソコンを使って、わいせつ映像を流した。
  NHKは、わいせつがらみの犯罪が多い状況。
  金を誤魔化す事も多いが・・
.
2008年5月、NHKの10人以上の職員が、NHKの局内の職
 場で株取引をしていたことが発覚した。
.
2008年5月、NHKが、消費税13億3千万円の申告漏れを東
 京国税局から指摘されたと発表した。
.
2008年5月、NHKが、札幌の写真家の写真をニュースで無
 断使用した。
  告訴をされて、40万円の支払いを命じられた。
.
2008年7月、さいたま放送局のNHK集金人が、覚せい剤
 締法違反と無免許運転で逮捕された。
.
2008年8月、不正で懲戒処分され、退職した富山・山口・熊
 本の各元放送局長たちを、NHK関連団体で再雇用して
 いた事実が判明した。
.
2008年9月、NHKの船橋営業センターの委託契約職員が、
 コンビニから現金約50万円を盗んだとして窃盗容疑で
 逮捕された。
.
2008年12月、NHKの「プロジェクトX」担当エクゼクテ
 ィブ・プロデューサーが衣料品を万引きして逮捕された。
.
2008年12月、NHKの京都放送局職員カメラマンが、宿泊
 費約60万円を着服し、懲戒免職。
.
2009年3月、NHKの「クローズアップ現代」の取材中に外
 部プロダクションのカメラマンらが、列車の運行を妨害
 した。
.
2009年4月、「NHKスペシャル、日本海軍400時間」の撮
 影スタッフが、中国共産党の宴会で泥酔して死亡した。
.
2009年7月、NHKが、退職者の企業年金の一部を、受信料
 から補てんしていた。
  2007年に約100億円・・2008年に約123億円。
.
2009年7月、漫画家の唐沢なおき氏が、NHKの「やらせ」
 に激怒し、取材拒否し話題となる・・、NHKが謝罪。
.
2009年7月、NHKの高知放送局技術部職員が、女性のスカ
 ート内を盗撮し、書類送検された。
.
2009年9月、NHKの秋田放送局放送部の女性スタッフが、
 仕事中に職場で飲酒・・また、後に飲酒運転で検挙され
 た。
.
2009年10月、特許製品の開発者に、NHK記者が、取材協
 力を強要するような脅迫的なメールを出した・・抗議さ
 れる。
.
2009年11月、NHKの技術制作局のカメラマンが、電車内
 で女性の下半身に触れた・・現行犯逮捕された。
.
2009年12月、NHKエデュケーショナルの不正受領が発覚
 した・・農水省から補助金4400万円。
.
2010年1月、NHKの営業局職員が、品川区の公園で女性に
 下半身を露出し、公然わいせつで逮捕された。
.
2010年4月、NHKサービスセンター福岡支局職員が、朝の
 電車内でOLに痴漢し、現行犯逮捕された。
.
2010年5月、平成19年放送の「NHK海外ネットワーク」イ
 ンド経済特集で、ヤラセが発覚した・・NHKが謝罪し
 た。
.
2010年5月、NHKの横浜放送局職員が、酔って商店街のシ
 ャッターを蹴り、注意した警察官に掴みかかり現行犯逮
 捕された。
.
2010年7月、NHKサービスセンターの偽装派遣が発覚した。
  東京労働局の指導を受けていた。
.
2010年10月、NHKの報道局スポーツ部記者が、日本相撲
 協会関係者に警察による家宅捜査の情報を漏洩した・・
 捜査を妨害。
.
2011年1月、NHKの首都圏放送センターのディレクターが、
 車上荒らしをしようとして窃盗未遂で現行犯逮捕された。
.
2011年1月、NHKの松江放送局ディレクターが、男子更衣
 室に潜入し、男性の裸体を盗撮しようとして現行犯逮捕
 された。
.
2011年2月、NHKの札幌放送局職員が、速度違反等で免許
 取消中に無免許運転で逮捕された。
.
2011年2月、NHKの名古屋放送局職員が、オシロスコープ
 などの放送機材を盗んだ・・ネットで販売し、窃盗容疑
 で逮捕された。
.
2011年2月、NHKの金沢放送局の委託カメラマンが、主婦
 を殺害した・・無期懲役
.
2011年3月、NHKプラネット中部支社契約スタッフが、引
 越し荷物を置き引きし、窃盗で逮捕された。
.
2011年3月、NHKアート社員が、酒に酔ってタクシー内で
 嘔吐し口論となった・・運転手を殴り逮捕された。
.
2011年8月、NHK本部のチーフプロデューサーが、女性の
 スカート内を携帯カメラで盗撮し、逮捕された。
.
2011年9月、NHKの千葉放送局職員が、靴に仕込んだ小
 型カメラで女性店員のスカート内を盗撮して逮捕された。
.
2012年2月、NHK、松山放送局が、原稿閲覧システムの操
 作を権限のないアルバイトに任せていた。
.
2012年2月、NHK、編成部のディレクターが、麻薬所持で
 逮捕された。
.
2012年3月、NHK、ディレクターが、出演者にヘッドレス
 トを外して走行させて撮影し、道路運送車両法違反で逮
 捕された。
.
2012年5月、NHKの鹿児島放送局のNHK集金人が、放送
 受信契約書を偽造した。
.
2012年7月、NHK集金人が、千葉市内で業務中に下着泥棒
 で現行犯逮捕された。
.
2012年7月、NHK職員2人が、脱法ハーブを使用し、警察
 に事情聴取される。
.
2012年10月、NHKディレクターが、タクシーを数回蹴っ
 てドアをへこませ、現行犯逮捕された。
.
2012年12月、NHK、ニュース番組「おはよう日本」の人
 気アナウンサーが、電車内で強制わいせつで現行犯逮捕
 された。
.
2012年12月10日、プレイバック芸能スキャンダル誌 元NH
 Kアナ松平定知が、タクシー運転手を暴行した“殿”の
 ご乱心”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊現代 (2012年12月
 10日). 2017年8月11日閲覧。
.
2013年2月、NHKの静岡放送局の記者が、飲酒運転で追突
 事故を起こし現行犯逮捕された。
.
2013年5月、NHKの富山放送局スタッフが、窃盗自転車に
 二人乗りしていた所を職務質問されて、覚せい剤使用が
 発覚して逮捕された。
.
2013年6月、NHKが、危険なため1秒3回までの光点滅基準
 を上回る光点滅映像を45回も放送し・・謝罪する。
.
2013年10月16日、NHKの放送技術研究所の主任研究員が、
 架空発注で約280万円を詐欺し、懲戒免職となった・・詐
 欺で告訴へ 産経ニュース
.
2013年10月、NHK集金人が、広島で一人暮らしの18歳の
 少女宅を訪問し、受信料を支払えないなら体で払えと迫
 り強姦未遂で逮捕された。
.
2014年3月、NHKビジネスクリエイト営業部長が、約1億
 4千万円の売上水増しと隠蔽工作で懲戒解雇された。
.
2014年3月、NHK出版の学芸図書編集部の編集長が、約
 1350万円を不正流用し、懲戒免職となる。
.
2014年3月、NHKの横浜放送局かながわ東営業センター副
 部長が、同僚の財布から現金を繰り返し盗み・懲戒免職
 となる。
.
2014年4月、NHKの関連会社に出向中のNHK職員が、ス
 ナックの女性従業員を殴り、怪我をさせて現行犯逮捕さ
 れた。
.
2014年6月、NHKの高松放送局のスタッフが、取材先の民
 家で財布を盗んで逮捕された。
.
2014年6月、NHKの釧路放送局職員が、出張旅費を水増し
 請求し、約155万円を着服し、懲戒処分となる。
.
2014年11月、NHKの報道局の女性記者が、バッグを盗ま
 れたと警察に虚偽の通報した。
  社用の携帯紛失を隠すためだった。
  軽犯罪法違反で書類送検された。
.
2014年11月、NHKの放送文化研究所職員で、元NHKア
 ナウンサーが、飲酒運転でバイクに衝突し、「ビール数
 本飲んだ」と供述し、現行犯逮捕された。
.
2014年12月、NHKの旭川放送局職員が、17歳少女の財布
 から現金33000円を盗み、ラブホテルから逃走した・・窃
 盗罪で逮捕された。
.
2014年12月、NHK放送文化研究所の上級研究員が、飲酒
 運転で40万円の罰金、論旨免職となる。
.
2015年1月、NHK松山の契約スタッフが、知人宅の窓ガラ
 スを叩き割り逮捕された。
.
2015年3月、NHK、「クローズアップ現代」の取材に協力
 した男性が、NHKの記者に依頼されて架空の人物を演
 じたと週刊文春で告白した。
.
2015年6月、NHKの小会社の部長が、十数回もカラ出張を
 申請し、百数十万円をだまし取った・・論旨免職となる。
  上司数人も懲戒処分となる。
.
2015年7月、NHKインターナショナルのエグゼクティブ
 プロデューサーが、危険ドラッグを輸入して逮捕された。
.
2015年12月、NHKの小会社の職員2人が、6年で300件の架
 空工事をでっち上げ、2億円を横領した。
.
2016年1月、NHK・・危険ドラッグ所持で塚本堅一アナウ
 ンサーが逮捕された。
  アナウンサー室が家宅捜査された。
.
2016年1月、NHKさいたま放送局の記者によるタクシー券
 百万円以上の私的利用が発覚した。
  神戸放送局や大阪放送局でも、私的利用が発覚し、不
 正は全国規模におよぶ模様。
  この事態にNHKは全国調査をすると発表した。
.
2016年6月、NHKアナウンサー2人が、不倫カーセックス
 で降板した。
  番組終了1時間後、市街地から車で15分ほど離れた片側
 1車線の狭い道路で性行為をしていた。
.
2016年7月、NHK室蘭放送局の現役女子アナが、援助交際
 希望の女性を男性会員に紹介するという行為をした。
  「高級愛人クラブ」に登録していたことを本人が認め
 た。
.
2016年9月、NHKの30代男性職員が、休日出勤したと嘘の
 報告をし、勤務手当26万円をだまし取ったとして3か月の
 停職処分となった。
.
2016年12月、NHKの子会社「アイ・テック」元社員2人が、
 懲戒解雇となった。
  ダミー会社「ケイネット」に架空の発注を重ねていた。
  約2億円を不正に受領した疑い。
.
2017年1月、NHK大津放送局技術部職員が、弁護士事務所
 へ「殺す」と電話をし、恐喝容疑で逮捕される。
.
2017年1月、NHKがひた隠す・・受信料ネコババ職員(横
 浜放送局営業部)の自殺。
.
2017年1月、NHK福島放送局の20代の男性記者が、業務用
 のタクシーチケット十数万円分を不正に使用したほか、
 時間外手当を不正受給していた。
  不正額は計約20万円。
.
2017年2月、NHK山形放送局阪田報道室記者(28歳)、強
 姦致傷と住居侵入の疑いで逮捕された。
  NHKは、1万200人の職員だが、10年で70人以上が逮
 捕されている。
  他の民間放送局は、NHKの半分の職員で10年間で1人
 か2人なので、如何にNHKが犯罪の巣窟かが分かる。
  NHK職員の平均年収は1780万円・・膨大な給料とな
 っている。
  受信料(売上げ6千数百億円)で、ぼろもうけとなっ
 ているNHK。
  総資産が1兆円を超える金持ちのNHK。
  巨額な受信料で潤(うるお)うNHK・・それにぶら
 下がる企業が多い。
  また、NHKは、中国と甘い関係にあるNHKとなっ
 ている。
  その関係もあって、中国共産党の特別な待遇を受ける
 NHKで、中国紀行も制作したが、その見返りなのか、
 NHKは、国会のすべての委員会のすべてのビデオを中
 国に渡しているという・・
  中国へ情報を渡すスパイ行為をしているNHKとなっ
 ている。
  NHK建物内のNHK本部に、中国共産党の宣伝謀略
 機関が同居しているという。
  参考:https://www.youtube.com/watch?v=4TvBE1oyUAU
.
2017年3月30日、警視庁調布署は、強制わいせつ容疑で、
 NHKが業務委託する会社の社員を逮捕した。
  2016年11月14日、受信料の契約のために訪れた調布市
 内のアパートで、強制わいせつ。
.
2017年、アメリカは、巨額の医療支出となり、その負担に
 耐えられない状態にある。
  アメリカは、恒常的な財政危機状態に陥(おちい)る。
  アメリカの繁栄の姿は・・砂上の楼閣である。
  GDPの20パーセント以上も使わねばならない状況と
 なる。
  トランプ大統領おろしなんか「やっている暇はない」。
  アメリカの医療費負担の足かせは、非常に重い。
  また、アメリカの危惧する事は、外国などに金を借り
 続けてきたこと。
  アメリカの借金が超巨額になり、半端ない状態となっ
 ている。
  豊かに見えるアメリカ人・・だが、実際は、巨額な対
 外債務の負担に耐え切れない所に来ている。
  ウォーレン・バフェット氏も言う・・
  「2010年代後半、アメリカは、深刻な財政危機と通貨
 危機を引き起こすだろう」と・・
  そして、「アメリカの国内政治は、動乱状態になるか
 もしれない」と・・
  今、トランプ大統領を、チクチクやっているのは、そ
 の始まりなのか?
  アメリカの分配が、極端に不公正になったことが、そ
 もそもの問題の始まりだった。
  グローバル化だなんて言って、富める者がより富んで・・
  超富裕層が出る割に、貧困層がますます増え・・、
  そして、行きつくところは、税金を納めていた中間所
 得層まで居なくなるという偏した経済事情が、総てを、
 崩壊させた。
  その超富裕層の金が、アメリカを繰り、世界を繰り、
 日本を繰っている。
  1945年から1975年のアメリカ経済の所得配分システム
 は、公正(フェア〉だった。
  この状態に戻さなければならない。
  働いた人たち・皆に、働いた報酬がしっかり配分され
 ていた。
  自分の生産性上昇率に見合う所得増加も得ていた。
  アメリカは、それが駄目になってしまった。
  2019年の日本も・・?
.
2018年12月8日、中国・・痛い目に会わなければ分からない
 のか??
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序 [桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
 ・釧路の広大な土地が中国に買われている。
 ・10万人が人質になっている・・自由に中国から出国で
  きなくなっている。
 ・資金も中国から引き上げられなくなっている。
 ・これからは多極化する・・防衛も多面的になる。
 ・ロシアは、シベリアなどの広大な地を守り切れていな
  い・・ここへ浸透している中国・・
 ・パンダ債・・日本が一帯一路を応援しているのか?
  中国内では、「日本が一帯一路を応援している」と言
  われている。
 ・アジア諸国で、日本の本心が疑われている。
 ・「日米同盟強化」と言われているが、言葉だけで、
  実態はそうなっていない・・南西諸島などをどう守る
  のか?
 ・日米安保を改定して双務性(そうむせい)を強化する
  などしなければならない・・
  日本の対中の力は落ちている・・双務性は絵に描いた
  餅になる方向にある。
 ・アメリカの共和党は、「日本の核武装を進めるべき」
  と言っている・・アメリカは米本土に退くという方向
  なので、日本は核武装して守れの論理。
 ・相互防衛条約に安保を持って行くべき。
 ・X‐35を100機買う。
 ・財務省は、金があるのに防衛できるのに嘘で抑えてい
  る。
 ・アメリカの核の日本国内展開をさせるのが「急ぐべき
  日本の現状の対応策」。
 ・中国共産党は、日本へのコントロールに成功している・・
  日本の政治家は中国寄りになっていて、自由な発言が
  出来なくなっている。
 ・中国が明らかに脅威であるのに、「仮想敵国だ」と言
  えない日本・・
  だから、対応策が取れない日本となっている・・やり
  たい放題にされる日本となっている・・
 ・統一朝鮮がその後の脅威となり、仮想敵国となる・・
 ・超音速の滑空体に中国は成功している・・
  これに核が搭載される・・世界で唯一成功している状
  態・・
 ・大国は、都合のよい時は国際法を守る、都合が悪くな
  ると兵を送る・・この様な国が、今、日本の周りを取
  り囲んでいる・・
 ・痛い目に会わなければわからないのか??・・中国も
  そうだが・・日本も・・
.
2019年6月2日、中国が、台湾問題で「戦いを辞さず」と言
 った・・中国の国防相の発言
  また、南シナ海の人工島の戦略拠点化は自衛だと言っ
 た。
  以下、読売新聞による概要・・
  中国の魏鳳和(ウェイフォンフォー)国務委員兼国防
 相は2日、シンガポールでの「アジア安全保障会議」で
 演説した。
  台湾問題で武力行使を辞さない姿勢を強調するなど、
 米国を意識した攻撃的な発言が目立った。
  「台湾を分裂させようとするなら、中国軍はいかなる
 代償を支払ってでも、戦うことをためらわない」
  演説では魏氏は、米国を念頭に声を張り上げた。
  独立志向の強い台湾の政権与党・民進党を名指しして、
 「中国軍の意思を見くびれば極めて危険だ」と警告した。
  南シナ海問題については、米国による「航行の自由作
 戦」が「南シナ海を不安定化する最大の原因だ」と語り、
 人工島の軍事拠点化は自衛目的だとの従来の主張を繰り
 返した。
  中国軍の役割に関する説明では、「祖国の神聖な領土
 を一寸たちとも失うわけにはいかない」と述べた。
  中国がこの会議に国防相を派遣するのは8年ぶりで、米
 国に妥協しない姿勢を示すのがおもな狙い。
  米海軍艦艇が今年に入り台湾海峡を5回通過するなど、
 中国が絶対に譲歩できない「核心的利益」と位置付ける
 台湾問題での(米国の)圧力は増している。
  強硬発言の一方で、魏氏は米国に向けて「衝突して戦
 争になれば、両国ばかりか全世界の災いとなる。
  衝突せず、互いに尊重する正しい軌道に向かうべきだ」
 と訴えた。
  (ならば、南シナ海の基地化を停止せよ!)
  ただ、会議に合わせて行った米国のシャナハン国防長
 官代行との会談などで、協調を打ち出せたテーマは、北
 朝鮮の非核化の推進にほぼ限られるなど、米中の歩み寄
 りは難しい状況。
  アジア安保会議は3日間の日程を終え、2日に閉幕した。
  (そもそも、南シナ海の中国の行為は、国際司法裁判
 所が「違法行為だ」としている・・中国は、この判決を
 受け入れよ!)
.
2019年6月2日、中国が、対米交渉で「譲歩せず」と言った。
  米中の貿易摩擦で「アメリカが、中国に理不尽な注文
 を付けている」と、中国の白書で発表した。
  読売新聞によると・・抜粋・・
  中国政府は2日、米中貿易摩擦に関する新たな白書を発
 表した。
  圧力をかけて譲歩を迫る米国の手法を強く批判し、「
 中国は核心的利益にかかわる原則問題では絶対に譲歩し
 ない」などと対決姿勢を鮮明にした。
  白書は「中米貿易協議に関する中国の立場」と題する
 もので、1日に対米報復関税を発動した中国の主張を国内
 外に宣伝する内容となっている。
  白書では、貿易摩擦は米中両国や世界経済に悪影響を
 与えたと指摘した。
  貿易協議が暗礁に乗り上げた原因について、「米政府
 が理不尽な注文をつけ、追加関税の撤回を拒否し、中国
 の主権にかかわる要求を協定文に書き込むことに固執
 たため」と、米国側の対応に非があったと強調した。
.
2019年6月11日、反日的なNHKの学校放送
  日本の高校生などの若者が、NHKによって反日に洗
 脳されている・・
  NHKの学校放送などにも、教科書並みの検定制度を
 行なえ! 
  検定制度に「NHKの学校放送を組み入れよ!」
  NHK・・中国の「反日民族主義」を支援し、中国の
 代弁者の様に中国に偏する放送をしている・・
  日本の公共放送という立場を失っているNHKとなっ
 ている。
  NHKは反日放送をし続けている。
  その1例の学校放送・・
  NHKの重点は、日本の青少年向けに、中国の反日
 族主義の言う反日放送・・
  その一つ、高校講座の日本史・・
  以下のように偏していて、プロパガンダ内容・・
  若い高校生の頭を、反日的に誤認混同させる説明・・
  中国寄りの偏った説明・・中国に都合よいことばかり
 を言っている。
  公正な、平等な、説明史料で説明していない。
  1例・・2019年6月11日、午後14時15分現認、NHKE
 テレビ、番組名:「高校講座、日本史」。
  北海道と沖縄を特に取り上げて・・
  北海道の場合、アイヌシャクシャインの戦いのみを
 特に取り上げ・・
  その説明も表面的で、まったく偏った断定的な言い方・・
  「アイヌ松前藩と戦い、従うようになった」と結論
 だけを教える形で、それを大きな字幕で見せ、印象付け
 る洗脳的な教え方・・
  まったく掘り下げもなく、広がりもなく、その前後の
 説明もなく・・表面的にその一部しか教えず、それも、
 その結果、松前藩が武力で従えた様に放送し、印象付け
 るという形となっている・・
  これでは、「間違いだ」と言える状況であった。
  この例の事実・史実を言えば・・
  この戦いの起きる前には、アイヌ同士のテリトリーの
 戦いなどがあったりして、アイヌ同士の不満は高まって
 いて、アイヌ社会は不安定であった。
  この前段階の説明がまったく無い・・
  アイヌ同士のその不穏な繰り返される戦いが、松前藩
 へ向かう戦いへと拡大して行った・・
  その様なと経過が、まったく説明されていない・・
  そのため、突然、アイヌに戦いを挑んだ松前藩が武力
 で抑え込んだという様な印象の説明になっている。
  『アイヌ松前藩へ攻撃を仕掛けた』というのが事実・・
  その他の万事が、この様なNHKの教え方で、偏った
 印象を与える教え方の状況となっている。
  この様に、NHKは反日的に印象付け、誤解を与える
 説明の放送の仕方をし続けている。
  北海道は、日本書紀にも記されていて、日本とは古い
 時代からのかかわりがあった・・
  この様なことなども一言も説明しないというNHKと
 なっている。
  また、NHKは、北海道に縄文遺跡があることも説明
 していない・・
  また、その北海道の縄文遺跡の縄文人の歯のDNAか
 ら日本人の祖先だと分かったことも説明しなかった。
  日本人の痕跡を消そうとするNHKの学校放送の説明
 で・・反日的となっている。
  北海道は選挙権の実施が遅いから日本という意識は無
 かったとか・・捏造的な、こんな反日的な説明ばかりだ
 った。
  こんな印象付けばかりやる教え方だった。
  NHKは自己検閲をしていると言うが、この体制が「
 十分な効果を発揮していない」・・
  NHKの学校放送も『教科書並みの検閲をせよ!』
  この番組の沖縄に関しても、中国に不利な史実はまっ
 たく触れずに放送した・・まったく偏った状況にあった。
  北海道と同様に、反日的にばかり教えている。
  中国・清が、台湾を「化外の地」と言って、清とはま
 ったく関係ないと言ったことなどまったく説明せず・・
  その先の地の沖縄も、中国・清とはまったく関係ない
 地だという態度だった
  この様な中国・清の状況をまったく説明しないNHK
 だった。
  中国に都合のよい話ばかりを連ねるNHKの学校放送
 だった。
  NHKの自己チェック・システムは機能していない。
  NHKの学校放送は、教科書検定と同じレベルで行う
 ようにすべきである。
  この様なNHKに、ネット配信を許可したが、この様
 に自己チェックシステムが機能してないのならば、NH
 Kの高校講座の日本史などのネット配信の公開の場では
 反論を受けるページを作れ。
  また、この公開の場で、NHKは正しい歴史的反論を
 行なえ!・・
  現状は無チェックで、NHKの言いたい放題的となっ
 ている・・NHKからの一方通行の押し付けとなってい
 る・・
  NHKの自己チェックシステムの改善を行なえ!
  この様な偏する放送を制作している制作責任者を公表
 せよ!
  陰で反日活動をする行為は止めよ!
  その他の放送番組についても、この様に公開の批判を
 受けるページを作りなさい!・・
  その対応を公開で行え!
  その後の世界史のNHK高校講座も、ソ連誕生をまっ
 たく美しく放送している・・
  労働者の建国という美化の視点で説明した・・
  こんなことを年がら年中行っている・・
.
2019年6月12日、北朝鮮が、潜水艦の新たな造船を継続して
 いる。
  アメリカの研究機関の分析では、SLBMの搭載が可
 能としている。
  (参考)SLBM:潜水艦発射弾道ミサイル、現用兵
     器は、すべて核弾頭を装備する戦略兵器で、爆
     撃機や大陸間弾道ミサイルと並ぶ主要な核兵器
     運搬手段。
  以下、読売新聞によると・・
  米国の北朝鮮問題研究グループ「38ノース」は12日、
 北朝鮮が東部・新浦(しんぽ)の造船所で、潜水艦発射
 弾道ミサイル〈SLMB)を搭載できる潜水艦の新造を
 継続しているとの分析結果を公表した。
  4月~6月に撮影された衛星写真を分析したところ、部
 品は機材を移動していることが確認できたと言い、38ノ
 ースは「新たな潜水艦の建造が続いていることを示すも
 のだ」と分析した。
  係留施設では新たなクレーンの設置などの動きを確認
 したが、作業自体は限定的とみられるという。以上
  (関連情報)韓国も潜水艦を建造していて、北朝鮮
      統一できたら、北朝鮮の核ミサイルを搭載し
      たい(搭載予定)としているという。
.
2019年6月14日、モンゴルが、中国の陣営に入るのか?
  この日の読売新聞によると(抜粋)・・
  上海機構、揺れるモンゴル・・中露が正式加盟迫る。
  中国とロシアが、欧米主導の国際秩序に対抗する地域
 協力機構「上海協力機構(SCO)」の拡大を目指し、
 オブザーバー国のモンゴルに正式加盟の働きかけを強め
 ている。
  モンゴルは、欧米と中露の間でバランス外交を続けて
 きたが、中露への経済依存が強まるなか対応に揺れてい
 る・・中略・・
  (参考)上海協力機構:SCO、2001年、中国とロシ
     ア、中央アジアの4か国(カザフスタン、ウズベ
     キスタン、キルギスタジキスタン)の計6か国
     が上海で設立した。
      2017年にインドとパキスタンが加わり、正式
     加盟は8か国。 
      イランなどはオブザーバーに名を連ねる。
      加盟国同士による合同軍事演習も実施し、欧
     米への対抗組織として存在感を高めている。
  SCOは、加盟国同士のインフラ(社会基盤)の連結
 などを目指しており、中露は、モンゴル国内の鉱山資源
 の輸送などへの経済協力の見返りに、自陣営に引き入れ
 たい思惑があるとみられる。
  モンゴルと中露両国は、すでに貿易など経済面では密
 接な関係にある。
  中国はモンゴルへの直接投資企業数でも圧倒しており、
 インフラ整備の支援もしている。
  ウランバートル市内には、中国の援助で建設された橋
 や児童福祉施設などがある。
  こうした背景もあり、モンゴルのバトトルガ大統領や
 一部閣僚はSCOへの正式加盟に傾いている。
  バトトルガ氏は昨年、「地政学に一致した政策を実施
 しないと大規模投資は入ってこない。
  もっと積極的に協力すべきだ」と述べた。
  ただ、モンゴル政界では「中露の政治的な影響力が強
 まりかねない」など反対意見が強く、結論は出ていない。
  モンゴルは、1911年の辛亥革命清朝の版図から分離
 した際、ソ連の支援を受けて人民共和国を建国した。
  しかし、徐々にソ連イデオロギーが浸透した抑圧的
 な社会主義体制になった。
  1990年にようやく民主化を勝ち取ったモンゴル国民に
 とり、大国の干渉に対する不信は根強い。
  民主化以降、日本や米国など「第3の隣国」との関係強
 化にも力を入れている。・・以下略・・
  (参考情報)SCOの首脳会議が13日、中央アジア
     キルギスの首都ビシケクで開幕する。
      14日には全体会合を開く。
      今回の会議では、保護主義を強める米トラン
     プ政権を念頭に、加盟国間での経済協力の強化
     が議論されるとみられる。
      会議にはオブザーバーとして、イランのロハ
     ニ大統領も出席する。
.
2019年6月14日、中国の一帯一路へ諸国がなびいている・・
 世界は二分されるか?
  この日の読売新聞によると・・抜粋・・
  中国の習近平国家主席が巨大経済圏・一帯一路構想を
 提唱してから5年あまりがたつ。
  数々のプロジェクトが実施段階に入り、参加国は拡大
 を続けるが、中国と貿易摩擦を抱える米国や参加国を多
 く抱える欧州は、警戒感を募らせている。
  中国が4月25日~27日に北京で開いた第2回「一帯一路
 国際協力フォーラム」。
  中国の李克強首相と25日に会見したマレーシアのマハ
 ティール首相は、中国重視の姿勢を鮮明にした。
  「マレーシアは中国の発展から利益を得ており、各分
 野で対中関係を強化したい」「一帯一路を支持し、中国
 企業の投資を歓迎する」と。
  マハティール氏は、フォーラムの2週間前まで、「反・
 一帯一路」の急先鋒と目されていた。
  首相に返り咲いた直後の2018年7月、一帯一路に関連す
 る「東海岸鉄道計画」の中断を命じたからだ。
  中国と契約した大型事業で国家財政が圧迫されるとの
 懸念から、計画再考を迫り、「新たな植民地主義は望ま
 ない」などと発言をしていた。
  ところが今年4月12日、マレーシア政府は一転して鉄道
 計画の継続で中国側と合意したと発表した。
  中国が建設費用の大幅削減を受け入れることで合意に
 こぎつけた。(中略)
  一帯一路では、中国が資金を支援して鉄道や道路、工
 業団地などの建設プロジェクトが進められる。
  公式発表によると、中国企業が2013年~2018年、一帯
 一路沿線国に投資した金額は計9.7兆円に達する。
  ラオス昆明ベトナム鉄道(62億ドル)、バングラ
 デシュのパドマ鉄道(31億ドル)などは建設が始まって
 いる。
  2013年~2018年の中国と一帯一路沿線国の貿易額は約
 648兆円に達した。
  当初は「沿線国」を64ヶ国としていたが、最近では「
 131ヶ国と覚書を交わした」などと拡大を誇示する表現が
 目立つ。
  先進7か国(G7)で初めて、一帯一路の協力に関する
 覚書に署名したのが・・イタリア。
  2019年3月、ジェノバ港の整備やトリエステ港周辺の鉄
 道整備に、中国企業が今日浴することなどで合意した。
 (中略)
  一帯一路に関連するプロジェクトについて、中国は投
 融資の詳細な情報を公開していない。
  環日本海経済研究所の河合正弘・代表理事は、「中国
 には、投融資相手国が債務を返せなくなった場合の処理
 ルールがない。
  国別、プロジェクト別のデータを公開し、透明性を高
 めるのが第一歩だ」と指摘する。
  米国国防省が6月1日に公表した「インド太平洋戦略」
 に関する報告書では、「中国は、軍の近代化や略奪的経
 済的手法を通じ、自国の利益に沿うように地域秩序を変
 革しようとしている」と痛烈に非難し、一帯一路をけん
 制した。
  欧州連合(EU)も3月に発表した対中国戦略で、中国
 を「経済的な競争相手」「体制上のライバル」と位置づ
 け、全てのEU加盟国が結束して対応するよう呼びかけ
 た。
  加盟28カ国のうち、一帯一路に参加しているのは17カ
 国と過半数を占める。
  中国の動きを放置すればEUが空中分解しかねないと
 の危機感がにじむ。(中略)
  中国は、当初の構想に加えて北極圏や南米などにも触
 手を伸ばしている。
  一帯一路は中国共産党の規約に組み入れられ、長期的
 な戦略という位置づけけだ。
  中国を排除しようとする陣営と、一帯一路の勢力圏が
 対立する状況が長期化すれば、世界を二分する事態を招
 きかねない。(後略)
.
2020年代アメリカの財政赤字は悲劇的となる・・
  トランプ大統領の発言を、とやかく言っているが、そ
 の発言だけ捉えて批判するだけでは、アメリカの本質を
 見落とす。
  今、アメリカは、大きな数々の問題を抱えている。
  その問題が、抜き差しならない所まで来ている。
  その問題解決を期待されて大統領に選出されたトラン
 プ大統領には、その面がある。
  今までの路線を変えなければというアメリカ国民世論
 が、トランプ大統領を選出したのだ。
  アメリカの大きな問題の一つが「財政赤字」の問題で
 ある。
  元ハーバード大学経済学教授のローレンス・リンゼー
 教授は、アメリカがどんなに良い経過を辿(たど)った
 としても「恒常的にGDP7%を超える財政赤字となる」
 と言っている。
  しかも、「2020年代財政赤字はさらに悪化する」と
 言っている。
  毎年、毎年、10%の財政赤字を抱え込む状態となる。
  企業だったら赤字決算で、毎年、毎年、その赤字は積
 み重ねられて、回復不可能と予測されている。
  当然、この様な企業が、存続してよい訳はない。
  この企業は破産で「社会から消える」。
  ならば、超一流国のアメリカを、その様に処して済む
 のか?
  存続させるのは、「現在の経済システムの否定である」。
  今、破綻国家アメリカが世界に存在して、それを存在
 させている、容認している世界なのである。
  隣の家が借金証書(米ドル札)を書いて、生活してい
 て、隣近所や商店街や地方自治体も「それでいいよ」と
 言っているようなもの。
  アメリカだから許されている「異常さ」なのである。
  しかも、貯金しないアメリカで、それでも貯金してい
 た層(白人層)が、日本の団塊の世代の様に、今、アメ
 リカでは戦後生まれのベビーブーム世代が隠退して、8割
 が白人で、その少ない貯蓄を食いつぶしている。
  アメリカ政府から年金支給を受け、老人医療予算を使
 い出している。
  資本不足のアメリカは、より資本不足状態になり、赤
 字財政解消は、箸にも棒にもかからない「笑い話状態に
 なっている」。
  「アメリカ以上なのが中国だ」という意見がある。
  中国の赤字は「3800兆円」だという。
  秘密主義の中国は、まったく世界のシステムを無視し
 ている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました。
  2019年4月16日に衆議院参議院で成立した「アイヌ
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人
 歯の遺伝子分析をして科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。

(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)

題:(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年5月8日、臨時北海道鉄道敷設部官制が公布された(勅
 令第186号)
  臨時北海道鉄道敷設部は、北海道庁に置かれ北海道に
 おける官設鉄道の建設業務を掌理、拓殖務大臣の監督に
 属し、北海道庁長官が管理する。
  (参考)北海道官設鉄道:明治時代の北海道庁鉄道部
     が建設し、運営した鉄道のこと。
      北海道の鉄道は、1880年に開業した官営幌内
     鉄道に始まる。
      1886年に、北海道開拓使が廃止され、北海道
     庁が置かれると鉄道払い下げの方針が出されて、
     北海道炭礦鉄道が設立され、1889年に、幌内鉄
     道へ譲渡され、民営化した。
      北海道庁にとって、開拓の推進ため、鉄道の
     建設が不可欠であった。
      しかし、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可
     能と判断されて、北海道庁自らが鉄道建設・運
     営を行う方針が出された。
      国も、北海道における鉄道網建設計画を策定
     していた。
      そして、1896年、北海道鉄道敷設法が公布・
     施行され、北海道庁が建設にあたることになっ
     た。
      1898年、滝川駅~空知太駅間の開業を皮切り
     として、現在の函館本線、宗谷本線、根室本線
     (富良野線)等の開業をして行った。
  (参考)掌理:しょうり、ある仕事を担当してとりま
     とめること。
.
1896年5月10日、南和鉄道の高田駅~葛駅(現:吉野口駅)間
 が開通した。
  南和鉄道(なんわてつどう)は奈良県にある私設鉄道
 だった・・現在、西日本旅客鉄道JR西日本和歌山線
  奈良県吉野川流域は、大阪鉄道の広大な計画の中で
 路線が建設されると期待されていた。
  しかし、その実現は困難であるとなった。
  そのため、地元資本で路線を敷設することになり、大
 阪鉄道の高田から分岐し、五条に至る鉄道の敷設が申請
 された。
  1891年に仮免許となり、1893年、免許、
  1896年、開業した。
  吉野川沿いの木材資源のために建設された。
  全車が箱型(いわゆる「マッチ箱」)車体の二軸車で、
 一二等合造車3両、二等車3両、三等車14両、三等郵便荷
 物車1両、三等荷物車4両、郵便荷物車3両の計28両で運行
 された。
  現在、高田駅から和歌山駅まで運行されている。
.
1896年5月14日、朝鮮駐在公使の小村寿太郎が、ロシア公使
 の K.I.ウェーバーと朝鮮問題ニ關スル覚書を調印した。
  ソウルにおける、日露間での朝鮮問題に関しての討議
 結果の覚書。
  ロシア公使館に、幽閉的に居る朝鮮国王の還宮(げん
 ぐう、宮を元にもどす)の実現について・・
  また、両国軍隊の駐屯定員などの取決め・・
  訳文(抜粋)・・
  一、朝鮮國王陛下ノ王宮へ還御ノコトハ陛下御一己ノ
   裁斷ニ一任スヘキモ日露兩國代表者ハ陛下ガ王宮ニ
   還御アラセラルヽモ其ノ安全ニ付キ疑惧ヲ抱クニ及
   バザル時ニ至ラバ還御アランコトヲ忠吿スヘシ又日
   本國代表者ハ茲ニ日本壯士ノ取締ニ付キ嚴密ナル措
   置ヲ執ルベキ保證ヲ與フ
  三、露國代表者ハ左ノ點ニ付キ全ク日本國代表者ト意
   見ヲ同フス卽チ朝鮮國ノ現況ニテハ釜山京城間ノ日
   本電信線保護ノ爲メ或場處ニ日本國衞兵ヲ置クノ必
   要アルベキコト及現ニ三中隊ノ兵丁ヲ以テ組成スル
   所ノ該衞兵ハ可成速ニ撤囘シテ之ニ代フルニ憲兵
   以テシ左ノ如ク之ヲ配置スベキコト卽チ大邱ニ五十
   人可興ニ五十人釜山京城間ニ在ル十箇所ノ派出所ニ
   各十人トス尤右ノ配置ハ變更スルコトヲ得ベキモ憲
   兵隊ノ總數ハ決シテ二百人ヲ超過スベカラズ而シテ
   此等憲兵モ將來朝鮮政府ニ於テ安寧秩序ヲ囘復シタ
   ル各地ヨリ漸次撤囘スベキコト
.
1896年5月14日、北海道鉄道敷設法が公布された(法律第93
 号)
  この頃、北海道開拓が一生懸命なされていた。
  その一環として、北海道鉄道敷設法が公布された。
 ・石狩国旭川ヨリ十勝国十勝太及釧路国厚岸ヲ経テ北見
  国網走ニ至ル鉄道
   富良野線根室本線の大部分(北海道官設鉄道)・
  釧網本線
   釧網本線は、実際には厚岸ではなく東釧路駅で分岐
  となった。
   その後も標茶~厚岸間は菱川線構想として敷設運動
  が続いた。
 ・十勝国利別(現:池田町域)ヨリ北見国相ノ内(現:
  北見市域)ニ釧路国厚岸ヨリ根室国根室ニ至ル鉄道
   池北線・根室本線の一部。
   池北線は池田駅で分岐、利別駅は途中駅となる。
   また、北見駅で分岐し、相ノ内駅(初代)は経由せ
  ず。
 ・石狩国旭川ヨリ北見国宗谷ニ至ル鉄道
   宗谷本線(北海道官設鉄道・一部)・天北線
 ・石狩国雨竜原野ヨリ天塩国増毛ニ至ル鉄道
   留萌本線
 ・天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道
   名寄本線・湧網線
 ・後志国小樽ヨリ渡島国函館ニ至ル鉄道
   函館本線の一部(北海道鉄道)・・など
  (注意)今、日本で、この様な北海道での真摯(しん
     し、まじめで熱心なこと)な開拓の歴史が消さ
     れようとしている。
      北海道の歴史博物館は、アイヌの人々を特に
     展示するという偏りの展示となっている。
      この様な行動の背後に外国からの工作・圧力
     がかかっているという。
      北海道の歴史には、縄文時代の遺跡もあり、
     その遺跡からは、日本人のDNAを持った縄文
     人も発掘され、日本人の祖先だと確認されてい
     る・・この様な事実・史実が消されようとして
     いる。
      古くからの、日本の歴史に刻まれている事が、
     無視されている。
  日本の地である北海道の予定線6路線が制定された。
  「北海道官設鉄道」を整備するなかで、十勝線・天塩
 線・釧路線・富良野線根室本線・宗谷本線などが次々
 と開通させた明治の先人の努力・・
  産業の発展、人口の拡大とともに鉄道は、北海道全域
 へと広がって行った。
.
1896年5月18日、アメリカ合衆国の汚点:プレッシー対ファ
 ーガソン裁判(黒人の方々の既得の権利の無効化)
  人種差別になっている州法を『合法だ』と認めるとい
 うアメリカだった。
  「人種差別の分離はする・・しかし、その行為は平等
 だ」という屁理屈な判決だった。
  有色人種への蔑視のキリスト教の屁理屈的教理から来
 ている判決だった・・、
  公共施設などで、あらゆるところで(鉄道やバスの交
 通機関などや、ホテル・病院・キリスト教教会・映画館・
 レストラン・喫茶店・トイレ・公園のベンチなどなど)
 での黒人の方々への分離行為が「人種差別に当たらない
 のだ」とした。
  そして、この行為を『合憲だ』としたアメリカ合衆国
 の最高裁判所の判決だった。
  7対1の賛成多数によってこの判決は下された。
  軽蔑すべきなのは、長い年月、この判決がアメリカで
 支持された。
  1954年の「ブラウン」対「教育委員会」の裁判で、最
 終的に否定されるまで、アメリカの標準的な主義だとし
 て、またこれが正義だとされて、社会の法だと残った。
  故に、この判決が生きている第二次世界大戦において
 も、この判決の精神で、黒人の方々は差別的に扱われ、
 「より多くの危険な目に会った」・・
  「真っ先に危険な所へ赴く命令」が黒人の方々へ出さ
 れた・・
  また、危険性の大きい「爆弾運び」などをさせられた・・
  実際、これで事故が起きて、多くの黒人の方々が亡く
 なった・・
  この事件は、有名な事件となって記憶されている。
  アメリカは、さらに卑劣なのは、これらのことごとを
 アメリカ南部の方々の「せいにする」傾向がある。
  北部政権ではないのだと逃げている・・
  まったく破廉恥な軽蔑すべき主張で・・、
  この判決も、施設などが平等であれば、黒人を白人か
 ら隔離しても、その行為は、アメリ憲法の違反にはな
 らないという連邦最高裁判所の判決だから始末が悪かっ
 た・・、
  アメリカの下級裁判所ではなく、最高裁判所が出した
 という驚きの卑劣な重圧で苦しめる判決だった。
  この様な明確な人種差別行為を、アメリカ特有の屁理
 屈で「人種差別ではない」として人種差別行為を行なっ
 た。
  さらに悲劇的なのは・・この判決が、アメリカの「基
 本的な考え方だ」となって、あらゆるところで適用され
 るところだった。
  どこででも、アメリカ中で、堂々と、黒人の方々が差
 別されるという行為が行われた。
  アメリカという国の怖い所は、この宗教的な、また屁
 理屈的な考え方・偏見で、明らかに筋が通っていない事
 ででも、アメリカ特有の屁理屈で、「不正義」を「正義」
 としてしまうところだった。
  これは、黒人の方々のみならず「非白人」の「有色人
 種全般」にまで適用された。
  この判決は、アメリカという国の「人種関係全般を支
 える法的原理」となった。
  これから「バス」で、「学校」で、「教会」で、あら
 ゆるところで人種差別が堂々とアメリカ中で行われた。
.
1896年、イギリス人の首相となったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなる家計のため、更なる従軍経験と
 新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  そしてまた、ジェームソン侵入事件が発生した南アフ
 リカなどに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することと
 なった。
  インドを虐(しいた)げていたイギリス・・インド駐
 留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように暮らした。
  日常生活のすべてをインド人召使にさせた。
  チャーチルも、そのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯(ちゅうたい、血縁・地縁・
     利害関係など、社会を形作る結び付き)を維持
     しており、パシュトゥーンワーリと呼ばれる慣
     習法を持ち、男子は誇りを重んじている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本も、これにどう対応するのか?となっている。
    日本は、アメリカを当てに出来なくなっている。
.
1864年9月11日、勝海舟西郷隆盛が会談をした。
  この時、第一次長州征伐が行なわれていた。
  西郷隆盛は、薩摩藩に所属していて、この頃、「大島
 吉之助」と名乗っていた。
  西郷は、大阪に赴き、幕臣勝海舟に面会を求めた。
  勝海舟は、西郷隆盛らを旅館に迎えた。
  ここで、勝海舟は、長州藩を征伐する考えを持ってい
 た西郷隆盛へ、薩摩藩長州藩を含めた有力諸藩による
 共和政治を実現するように説得した。
  西郷隆盛は、この様な勝海舟に感銘を受けた。
  そして、長州藩と協力して共和政治を目指す事を決意
 した。
  大久保一蔵(後の大久保利通)宛ての手紙で、西郷隆
 盛は、勝海舟について「実に驚き入り候う人物」「ひど
 く惚れ申し候」などと絶賛した。
.
1872年、マニフェスト・デスティニー・・アメリカ侵略の
 正当化論理。
  この言葉は、元々は、アメリカの西部開拓を正当化す
 る標語であった・・が・・
  その後、この言葉は独り歩きをし、アメリカを侵略行
 為へ向かわせた・・太平洋諸国をも蹂躙し・・ハワイな
 ど、フィリピン、中国、日本へと来る。
  「明白なる使命」とか「明白なる運命」「明白なる大
 命」などと訳出し、美しく、キリスト教の神の召命だと
 した。
  1872年に描かれた「アメリカの進歩」という絵画には、
 女神の右手には書物と電信線が抱えられ、アメリカ合衆
 国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする
 様子が描かれている・・背後には、1869年に開通した大
 陸横断鉄道も栄光的に描かれている。
  (参考)召命:しょうめい、キリスト教性悪説の罪の
     世界に生きていた者が、神に召され呼出されて
     救いを与えられるという意味で使われ・・旧約
     聖書ではイスラエルの民の選抜や、預言者の召
     命などがこの例。
      16世紀の宗教改革者たち、ルターをはじめカ
     ルバンも、この語を、すべてのキリスト者につ
     いてのものと理解し、そして、強調するように
     した。
  この言葉に洗脳されたアメリカは、「世界を清め、救
 うために、他国家をアメリカ化すべきだ」として、「文
 明の西漸説」に酔った・・
  西への侵略行為をし続けた。
  また、キリスト教的な感覚で、有色人種をアメリカ白
 人の支配下に置き、自国に有利なルールを勝手に作り、
 都合の悪いことは禁止する・・というやり方をとった。
  この「マニフェスト・デスティニー」の言葉は・・、
  アングロサクソン人種の人種的優越感と、道徳的貴族
 としての特権と思い込み、「信仰的状態で進められた」・・
  故に、非アングロサクソン・非白人(有色人種)に対
 する軽蔑と侮蔑を表わした・・
  アングロサクソンは、「自分たちだけが、キリスト教
 の神から選ばれた優越な民族であって・・、有色人種の
 日本人や支那人や黒人などの劣等民族を下層に置き、ま
 た、置かねばならないのだ」とした。
  日米戦争などの有色人種との戦争を誘因し生む「原因
 となった」。
.
1904年2月8日、日露戦争が始まった(~1905年9月5日)
  ロシアの朝鮮半島においての蛮行によって、そのまま
 では、沖縄は割譲され、佐世保や呉は租借されるという
 危機感が生じた。
  日露戦争は、その様な瀬戸際の戦争だった。
  日露戦争は、その様になる可能性に抗した戦争だった。
  ロシアは、昔から領土欲の強い国だった。
  不凍港も欲しかった・・
  アメリカのルーズベルトは、ここを利用して日本への
 参戦をそそのかした。
  「日本の領土を取ってしまったら」と、ソ連(ロシア)
 のスターリンをそそのかし、言った。
  また、占守島(しゅむしゅとう)の戦いに勝った日本
 は、終戦となってため武器を置いた。
  日本とソ連(ロシア)は、その双方が了解してその様
 な行動がとられた。
  それ故に、これ以降、日本軍は、この時点で占守島
 北の千島列島から居なくなった。
  その様な戦う日本軍の居ない占守島より以南の「日本
 領の千島列島」を、ソ連(ロシア)は奪うという不法行
 為を行った。
  この様にして日本領を奪ったロシアは、今・現代、『
 戦って奪い取ったのだ』と嘘を言っている。
  占守島では、戦争が終わって、ソ連(ロシア)と日本
 は了解して武器を置いた。
  その様な占守島の戦いの以後、ソ連(ロシア)は、不
 法な行為で、日本領の千島列島を不法占拠をして行った。
  戦いなどまったく行われていない。
  ロシアは、「戦って取った」と嘘を言わないこと!
.
1928年9月26日、マザーテレサさんは、18歳のこのとき、
  インドの話を聞いて、インドを中心に旅行をしたいと
 思った、
  また、旅行だけではなく現地密着の海外活動をしたい
 と思い立った。
  若い女性らしい思い立ちだった・・、
  今、キリスト教の広告塔にされているマザーテレサ
 んは、あらゆる美化がなされているが・・
  初め・・この時・・
  マザーテレサさんのこの行動は、この様な広告塔の大
 きな話になるという訳では、まったく、なかった。
  18歳のマザーテレサさんは・・、
  インドで・・、
  ヒンズー教徒の方々が・・行っている・・、
  『弱者救済の運動とその行動』の中に入って行って・・、
  ヒンズー教徒の方々と共に弱者救済活動を行なった。
  その行為が、そのことが・・、素晴らしい業績となっ
 ていますが・・、
  (注):
  世間には・・キリスト教プロパガンダ・嘘宣伝だけ
 が・・あまりにも声高に・・叫ばれているため・・、
  真実が・・隠されています。
  初めて、上記の文を・・読まれた方は・・驚かれたと
 思いますが・・「真実は・・上記なのです」。
  キリスト教は・・、
  マザーテレサさんが、アメリカの映画に取り上げられ・・、
  脚光を浴びた頃、その事を知り・・、マザーテレサ
 んに着目し・・キリスト教の・・「広告塔」にしました。
  そして、ヒンズー教の方たちを隠しました。
  ヒンズー教徒の方々は・・まったくと言ってよいほど、
 陰に隠れた状態に・・なってしまいました。
  それでも、インド政府は、マザーテレサさんを・・、
 国葬にして・・マザーテレサさんを讃えました。
  そして・・、
  マザーテレサさんには、「別の業績」がありました・・、
  それは・・、
  「キリスト教の神は居ない」・・と、表明されたこと
 でした。
  マザーテレサさんは・・、キリスト教の「神の存在」
 に悩んでいました。
  キリスト教の神は居ない・・と・・、
  本国の色々な司祭などに・・長い期間、悩みを打ち明
 け続け・・、
  そして、相談をし続けていました。
  その事実は・・隠されていました・・が、
  また、彼女のこの悩みである「キリスト教の神の不存
 在」は、「彼女の死に至るまで」・・続きました。
  彼女は、死ぬまで、キリスト教の神は居ないと悩んで
 いました。
  このキリスト教の神が居ないという事実を、公表する
 事が・・彼女の希望であったのでしょう、このキリスト
 教に『不利な事実』・「真実」が公表されました、キリ
 スト教の神は居ない・・と・・、
  このキリスト教の神は居ない・・神の死は・・
  今、アメリカに・・、
  「神の死の神学」という人々が居ます。
  この方たちは・・キリスト教の『神の不存在を主張』
 し・・、
  成熟した現代社会・世界の人々は・・、それで十分や
 って行けるのだと言っています。
  『古代に発生したキリスト教』・・、
  その様な時代の、古代人とは・・現代人は違う・・と、
 主張する・・方たちです。
  そして、マザーテレサさんは思っていたと思います・・、
  「神が居ない」と言い続けて、公表に至ったことは・・、
  その行為が・・「人類に貢献しうること」・・と、
  そう考えられて居られたから公表がなされました。
  また、『キリスト教の神の実在性を主張するそのもの
 が・・人類にとってよくないこと・・よくないもの』と、
  マザーテレサさんが、そう考えられているから・・、
 この様な、行動が取られたのだと言えます。
  (参考)
  神の死の神学:
  ニーチェの言葉である・・「神は死んだ」は・・、
  1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリ
 の神学者たちも使うようになった。
  アメリカの神学者たちは・・、
  現代社会において神は・・、人間に・・、
  『リアルな存在ではない』・・・
 ・・という意味で、
  「神は死んでしまった」という意味で用いる。
  1957年に、
  アメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアンは・・、
  『神は死んだ』と題した著書を著した。
  ヴァハニアンは・・その中で・・、
  無神論を・・『アメリカの大衆の生き方である』・・
 と、述べている。
  アメリカ人の神学者・トマス・アルタイザーは・・、
  エモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を
 出版する。
  また、アメリカの神学者ウィリアム・ハミルトンが、
 異なった立場から・・、
  1961年に、著書『キリスト教の新しい本質』で・・、
 異なった視点の・・『神の死の神学』を展開した。
  そして、神が居ないと自覚する事で・・、
  人間の主体性が、そして、自律性が・・とりもどされ、
  前の時代の・・神に拘束された非人間性から・・脱却
 でき・・そして、人間らしさが取り戻せる・・と・・
.
1940年10月7日、マッカラム覚書
  第二次世界大戦を引き起こす切っ掛けとなったアメリ
 カのマッカラム覚書。
  1940年10月7日付けのマッカラム覚書には・・
  『日本に最初に手出しをさせよ』・・その日本に先に
 一撃を撃たさせる方策のための引っ掛けの8項目の提案が
 提出された。
  そして、アメリカは、卑劣な経済制裁を日本に行なっ
 た。
  これは、もう、アメリカが始めた戦争だった・・戦争
 の状態だった・・
  『経済制裁は戦争行為』であり、『侵略を始めたのは
 アメリカ』の方だった。
  マッカラムは、この時代の日本と日本人の行動や感情
 や心理を、できる限り引き出して・・日本に、戦争の行
 為へ至らせようとした。
  そして、アメリカの海軍情報部極東部長のマッカラム
 は、「その思惑を、結果的に、成功させた」。
  マッカラムは、ルーズベルト大統領のお気に入りの軍
 人だった。
  そして、ロバート・B.スティネットは・・、
  2万件以上の「反論不能なほどの、また、出所の明確
 なアメリカ政府内資料とインタビュー」で、アメリカの
 日本への引っ掛け工作を明らかにした。
  (参考)ロバート・B.スティネット:1924年、米国
     カリフォルニア州オークランドに生まれ・・
      真珠湾攻撃の時は高校在学中。
      1942年の卒業と同時に海軍に志願入隊した。
      1946年まで、海軍大尉だったジョージ・ブッ
     シュ元大統領のもとで太平洋、および、大西洋
     の戦場に従軍する。
      この軍功により青銅従軍星章10個、及び、大
     統領感状の授与を受けた。
      戦後は、オークランド・トリビューン紙の写
     真部員兼記者を勤め・・1986年退社。
      BBC、NHK、テレビ朝日の太平洋戦争関
     係顧問も務めた。
      その著書に、「Day of Deceit(真珠湾の真実)」
     がある。
  (参考)アメリカは、日本の暗号を完全に解読してい
     た。
      日本は、暗号を変え続けたがアメリカに解読
     された。
      そのアメリカの暗号の解読も、アメリカは卑
     劣な方法を取った。
      日本の外務省の急使の手荷物を盗んで、暗号
     書の入っている箱を開け、暗号書の内容を急い
     で写真に撮っていた。
  そして、日本に勝算の無い戦争を始めさせた直接の原
 因の一つとなったのが『ABCD包囲網』の卑劣な村八
 分攻撃だった・・
  これによって、日本を『挑発』し、あからさまな戦争
 行動を先に起こさせるため・・この計画の一環として提
 示された。
  (参考)ABCD包囲網:A(アメリカ)、B(イギ
     リス)、C(中国、現在の共産圏の中華人民共
     和国ではない)、D(オランダ)による日本に
     戦争を起こさせるための包囲網
  これらのことを傍証するアメリカ政府・軍関係者の証
 言は、多数、存在し・・
  それによって、アメリカが戦争を始めたいという意図
 は・・『明らかに存在していた』・・
  もちろん、日本が、「侵略の意図から始めた」という
 論理は、どの様に見ても成立しない。
  また、ルーズベルトは、すでに、1919年に立案された
 対日戦争計画「オレンジ」に則って行動を起こしていた。
  ルーズベルトは、「宣戦布告せず交戦する技術」や「
 宣戦布告せず経済制裁する技術」を行使していた。
  ルーズベルトは、すでに、1937年10月5日、ルーズベル
 トによる「隔離演説」を行なっている・・
  また着々と、その手順を進めた・・
  1939年7月、日米通商航海条約破棄を通告・・1939年12
 月 モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止)として航空
 機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停
 止するよう通知・・1940年1月、日米通商航海条約失効・・
 1940年6月、特殊工作機械等の対日輸出の許可制・・1940
 年7月、国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)・・
 1940年7月26日、鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立・・
 1940年8月、石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃
 料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出
 許可制・・1940年8月航空機用燃料の西半球以外への全面
 禁輸・・1940年9月、屑鉄の全面禁輸・・1940年12月、航
 空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制・・1941年
 6月、石油の輸出許可制・・1941年7月、日本の在米資産
 凍結令・・1941年8月石油の対日全面禁輸・・
  マッカーサーの議会証言でも分かる通り、これ等のア
 メリカの卑劣な行動で、事実上、戦争が始まっていた・・
 日本の失業者は「日本に満ち溢れた」。
  1951年5月3日、米国上院軍事外交共同委員会における
 マッカーサー証言:
  「明治維新以来、欧米列強に対抗する為の『富国強兵』
 策の地盤固めとして欠かせなかった重工業の継続的発展
 が、これら一連の禁輸措置によって『停滞』するどころ
 か、『日本に1000万人から1200万人の失業者を生じさせ
 た』。
  『日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障
 (Security)によるものだった』と・・また・・
  1928年12月7日、アメリカ議会上院の不戦条約批准の
 是非を巡る討議に於いて、米国国務長官ケロッグは、
 『経済封鎖は戦争行為そのもの』と断言した。
  因みに、不戦条約では、「その戦争が自衛かどうかを
 決定するのは各国の判断に委ねる」としている・・
  つまり、アメリカには、以下の日本の主張に対して反
 論できない・・「アメリカが行なった経済的に死命を制
 する事実上の戦争行為に対して、日本が自衛のために戦
 争を行なった」・・
  日本が「大東亜戦争自衛戦争であった」、あるいは
 「大東亜全域の欧米列強の侵略・植民地化に対する集団
 的自衛権の行使だった」と事実を述べることに対して・・
 反論する権利はない・・侵略的行為は、アメリカからな
 された・・
.
1952年4月28日、この日のサンフランシスコ平和条約発効直
 後の5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の
 解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はす
 べて『公務死』として、戦犯逮捕者は『抑留又は逮捕さ
 れた者』として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々
 のために数度にわたる国会決議もなされた。
  ゆえに、「国内法」という意味であれば、我が国には
 A級戦犯は存在しません。
 1952年6月9日、「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、
 1952年12月9日、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する
  決議」・・そして・・
 1953年8月3日、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回
  復させる「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
  が社会党を含めて圧倒的多数で可決された。
   この議決は、前年(1952年)に、戦犯とされた者を
  即時に釈放すべしという国民運動が発生し、4千万人の
  日本国民の署名が集まった事に起因する。
   そして、「恩給改正法」では、受刑者本人の恩給支
  給期間に拘禁期間を通算すると規定され、
 1955年には、「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
  がされた。
  そうしてサンフランシスコ講和条約第11条の手続きに
 もとづき関係11か国の同意を得たうえで減刑による出所
 が順次、行われることになる。
  なお、日本政府はこの法について、刑の執行からの解
 放を意味すると解し、いわゆるA級戦争犯罪人として極
 東国際軍事裁判所において有罪判決を受けた者のうち「
 赦免」された者はいないが、減刑された者は10名(いず
 れも終身禁錮の判決を受けた者である)であり、いずれ
 も昭和33年4月7日付けで、同日までにそれぞれ服役した
 期間を刑期とする刑に減刑されたものとし、この法律に
 基づく「赦免」及び「刑の軽減」が判決の効力に及ぼす
 影響について定めた法令等は存在しないという見解を示
 している。
  ・・以上、「公式見解」・・
  ただし
  外務省:
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html
  この裁判について、様々な議論があることは承知して
 いますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条
 により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国
 と国との関係において、この裁判について異議を述べる
 立場にはないと考えています。
  ゆえに「国際法」上は「極東国際軍事裁判所の裁判を
 受諾」しているため、「国と国との関係において、この
 裁判について異議」を唱える事ができないわけです。
  例えば、「日本国憲法」第9条により、我が国は陸海
 空軍その他の戦力を保持しないにもかかわらず、仮に自
 衛隊は「戦力ではない」と仮定しても、明らかに「戦力」
 である「在日米軍」が存在しているのは、国際条約(日米
 安保条約など)によります。
  つまり、我が国において現実には「条約」が「国内法」
 より優位にたっており、ゆえに「A級戦犯」の問題が存
 在するわけです。
  一応言っておくと、憲法学上の「通説」は、「憲法
 位説」であり、アメリカも「日米安保条約」を自国の憲
 法より優先させる事はないはずです。
  「A級戦犯」についての評価はおくとしても、現在の
 状態は、我が国が「独立主権国家」であるかどうか?
  という疑問を投げかけているようにも見えます。
.
2005年7月、NHKの編成局経理担当職員がNHK保有のソ
 ルトレークオリンピックの入場券を転売し飲食代約50万
 円を着服した。
.
2005年11月、NHKの大津放送局記者が連続放火で逮捕さ
 れ、懲役7年となった。
.
2018年10月31日、中国が南沙諸島の運用を開始した。
  この時から遡ること3年2ヶ月前の2015年8月20日、アメ
 リカ国防総省は、「アジア太平洋での海洋安全保障戦略
 と題した報告書を公表し・・
  中国が、2013年12月に、南沙諸島での埋め立てを開始
 して、2015年6月までに、2,900エーカー(約12km2)を埋
 め立て、その面積が、周辺諸国による埋め立てを含めた
 全体の約95パーセントに当たることを明らかにした。
  また、埋め立てから滑走路や港湾施設の建設によるイ
 ンフラ整備に重点が移行していることも指摘した。
  中国が、この様にして実効支配して、軍事拠点化して
 いるこの場所を、地球上でやり取りされている原油や液
 化天然ガス(LNG)の約半分が通過している。
  そして、2016年1月、アメリカのCSIS(戦略国際問
 題研究所)は、報告書において、中国の空母打撃群保有
 の可能性と併せて、「2030年までに、南シナ海が事実上
 中国の湖となる」と警鐘を鳴らした。
  2016年7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、
 中国が、南シナ海のほぼ全域で領有権を主張する独自に
 設定した境界線「九段線」には、国際法上「歴史的権利
 を主張する法的根拠はない」と認定する裁定を下した。
  また、中国が、南沙諸島などで人工島の造成などをし
 ている岩礁はすべて「島」ではなく、「岩」または高潮
 時に水没する「低潮高地」であると認定する裁定も下し
 た。
  2018年10月31日、ファイアリー・クロス礁、ミスチー
 フ礁、スビ礁を運用開始したと、中国が公表した。
.
2018年12月8日、中国はもう正せなくなっているのか?
  叩けなくなっているのか?
  一番、のんべんだらりとしているのが日本。
  中国もロシアも、日本接近してきているのは、日本の
 国防力が伸びないで、昔のままになっていて、組みし易
 いから。
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  パネリスト:
   鍛治俊樹(軍事ジャーナリスト)
   河添恵子(ノンフィクション作家)
   石平(評論家)
   福島香織(ジャーナリスト)
   矢野一樹(元海上自衛隊潜水艦隊司令海将
   矢野義昭(元陸上自衛隊小平学校副校長 陸将補)
   湯浅博(国家基本問題研究所主任研究員)
  司会:水島総
  10年前のCIAS
  核抑止は万全か?
 1、米中の戦略核バランス
   中国が先制攻撃すれば、アメリカは4千万~5千万人
  の損害、中国は2600万人の損害。
   アメリカが先制攻撃すれば、中国は最大1億人の損害、
  アメリカも数千万人の損害か?
   アメリカおよび中国は、核戦争にエスカレートする
  恐れのある軍事挑発はできない。
 2、米中の通常戦力バランス
   アメリカの海・空の技術的優位は明らか。
   特に、戦闘機と潜水艦、空母が優位。
   中国大陸での本格的地上戦はアメリカでも不可能。
 3、問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
   ロシアの核戦力も4分の1程度は極東に向いている。
   そして、中露接近は当面続いて行く。
   北朝鮮弾道ミサイル脅威も数的には中国並み。
  (参考)中国の戦略核は400から600ある。
      北朝鮮も、中国並みになって来ている(400か
     ら600)
      アメリカ1国だけで、中・露・北朝鮮に対抗で
     きない
      中国は、原子力推進の超超長距離を飛べる巡
     航ミサイルを保持したと言ったが、こうなると
     アメリカの防衛が北極海を向いているので、防
     御が大変な事になる。
      アメリカが、それに対抗するためには、韓国
     からも、また、日本からも、アメリカの軍事力
     を引き上げてアメリカ本土を固めなければなら
     ない。
      軍事バランス的に、10年間は、中国が台湾を
     取りに行っても、アメリカはそれに対応できる
     状況にはない。
      日本も、これにどう対応するのか?となって
     いる。
      日本は、アメリカを当てに出来なくなってい
     る。
      アメリカは、本土を守るのに手いっぱい。
      20兆ドルを超える赤字のアメリカ、財政的に
     も非常に厳しい。
      米中の貿易摩擦は、だから、貿易問題ではな
     く、『アメリカの存亡の安全保障上の問題』。
      中国は、技術的にも急速にアメリカに追いつ
     いて来ている。
      中国の技術的追い上げが厳しい。
      中国は、軍事基地を地下化をして耐力が上が
     っている。
  米国の対応
 1、トランプ政権は、核戦力の増強、近代化推進方針を
  明示した。
 2、核戦力の整備に最優先で予算配分する、配分は可能
  と保証
 3、核戦力の3本柱(ICBM、SLBM、戦略爆撃機
  を更新。
 4、核弾頭の新型開発(戦力化は約10年後)、その間、
  寿命延長
 5、ロシアに対抗し低出力核を増強
 6、核インフラの整備
 7、核関連の人材養成、施設の整備更新
 8、アメリカの核抑止力強化と同盟国への核の傘の信頼
  確保。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました。
  2019年4月16日に衆議院参議院で成立した「アイヌ
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。

(増補版)646E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年4月~1896年5月)

題:(増補版)646E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年4月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年4月、逓信省に軌制取調委員会を置き、軌間をめぐる
 問題について調査した。
  改軌論争(かいきろんそう)・・日本の軌道幅は、発
 祥時に1067mm軌間狭軌)を採用した。
  この軌道幅を、1435mmの標準軌軌間を変更しようと
 した。
  軌間は、車両限界や軌道の強度と異なり、小さい側で
 も大きい側の路線を通行することができないため、日本
 だけではなく1840年代のイギリスでも、早々に、別々に
 広がった4フィート8インチ半(1435mm)軌間と7フィート
 1/4インチ(2140mm)軌間で相互通行ができず、どちらか
 が全面改軌すべきだという結論になって軌間戦争(Gauge
 war)が発生した。
  最終的に広軌側が敗れることになった。
  この様な事は、各国でも似たようなトラブルが起きて
 いる。
  1887年頃、鉄道の輸送量が増加すると、軍事的にも、
 より軌道幅の広い標準軌への改軌を良いとする「鉄道改
 正権議案」が提出された。
  これに対し、鉄道局長で鉄道国有論者の井上勝は、東
 海道本線さえ開業していない現状では、路線拡大を優先
 すべきだとして、当初通りの計画とした。
  井上は、狭軌ブームの頃のイギリスに留学していた。
  また、鉄道建設の現場で長年働いた経験もあり、「地
 形の複雑な日本には標準軌より狭軌のほうが向いている」
 という考えがあったと言われている。
  1894年に起きた日清戦争で、鉄道の輸送量はさらに増
 加し・・1896年に、逓信省で軌制取調委員会が発足し、
 改軌に要する費用とその利点・欠点などの調査が行われ
 た。
  しかし、鉄道局内には改軌論者がほとんどいなかった。
  そして、鉄道を国有化して行くことが重要と方針を改
 められ、改軌の実施には至らず・・
  1899年、軌制取調委員会は解散si
た。
.
1896年4月、登録税が創設された。
.
1896年5月1日、郡是製糸株式会社が設立された(1896年8月
 10日説あり)
  現在のグンゼ株式会社。
  「郡の是」とは、国の方針である国是、会社の方針で
 ある社是のように、創業地の何鹿郡(現:京都府綾部市
 の地場産業である蚕糸業を、郡(地域)を挙げて振興・
 推進していこうという、元農政官僚で殖産興業の父と呼
 ばれた前田正名の趣旨に基づく。
  現在、東証1部上場企業。
  本社所在地:大阪府大阪市北区梅田。
  本店所在地:京都府綾部市青野町膳所1番地。
  特色は、紳士肌着で首位。素材、機能性繊維、電子機
 能材料、メディカルも成長。不動産事業も手がけている。
  2018年には、京都府地域活性化包括連携協定を締結
 している。
  創業は、創業者の波多野鶴吉が、前田正名の講演を聞
 き感銘を受け、1896年8月10日に、創業地の産業である蚕
 糸業の振興を目的に、郡是製絲株式會社として設立した。
  蚕糸・紡績業が国家的事業として力が注がれていた明
 治期にあって、早くから海外に生糸を輸出し、高い評価
 を得た。
  海外の拠点開設も早い段階から行い、急速に業績を拡
 大した。
  また、製糸工場は、女性の労働者が中心であり、地域
 の養蚕農家の子女を集めて操業し・・
  女工哀史があるが、劣悪な労働環境の工場の多い時代、
 同社は、工場内に女学校を設立し、人間教育に務め、低
 賃金労働ではない。
.
1896年5月2日、ハンガリーブダペスト地下鉄が開通した。
  この年に開業した1号線は、世界でロンドン、イスタン
 ブールに次いで3番目。
  電気運転の地下鉄としては世界初の地下鉄。
  地下鉄として唯一世界遺産に登録される。
  路面上での建設が反対されたため、1870年に、国民議
 会が地下鉄建設計画とし、受け入れられた。
  1894年、ドイツのシーメンス・ウント・ハルスケ社に
 よって建設が開始され、最新の機械と2000人の労働者に
 より、2年足らずで完成した。
  ハンガリー人「カルパチア盆地征服定住千年祭」に合
 わせて1896年5月2日に完成した。
  因みに、イスタンブールで1875年に開業したテュネル
 は地下ケーブルカーという特殊な方式をとっている。
.
1896年5月4日、イギリスのタブロイド紙「デイリー・メー
 ル」が創刊した。
  「忙しい人の日刊紙」の触れ込みでの朝刊全国紙。
  アソシエーテッド・グループ系主力紙。
  ノースクリフ卿、ロザミアの兄弟によって創刊され、
 半ペニーの廉価な新聞として、中小商店主、事務員、職
 人などの中流層や労働者、女性に読者層を持った。
  アメリカの大衆紙「ペニー・ペーパー」をまねて編集
 し、記事は簡潔、女性向けの我が意が豊富で、海外ニュ
 ースの報道にも力を入れ読者を獲得した。
  現代大衆紙の原型といわれている。
  1896年、創刊時の反響は上々で、約40万部が売れ、当
   時としては驚異的な数であった。
  1898年、50万部、
  1900年、100万部に達する発行・・大衆紙として支持を
   確固なものとして政党の補助金を排し、言論の自由
   を確立した。
  1920年代は、イギリス新聞界の最大の発行部数を誇る。
  1929年、200万部発行と休息の伸びを示す。
  1960年『ニューズ・クロニクル』 (1930創刊) を合併、
  1960年代後半は200万部を超え、以後、減少傾向へ、
  1971年『デーリー・スケッチ』 (1909創刊) を事実上
   統合した。
  1990年代前半から発行部数が上向きに転じた。
  1996年、大幅に前年を上回って再び200万部を超えた。
  1997年、朝刊204万9100部を発行。
  1998年、約239万部の発行。
  2003年、251万部とピークに達するが、以後、低下傾向、
  2011年、213万部の発行。
  ロンドン、マンチェスターエディンバラで発行し、
 傾向は保守的。
  ウェブ版「メール・オンライン」は1日平均のアクセス
 数がイギリスのトップ。
.
1896年5月4日、徳島鉄道の徳島駅川田駅間の建設仮免許
 状が下付された。
  吉野川に沿って徳島県の東西を結んでいる。
  全線にわたってほぼ吉野川の南岸を経由する。
  明治期には、当線開業の後に、小松島港小松島軽便
 鉄道(後の小松島線、および、牟岐線徳島駅中田駅
 間)が相次いで整備され、当線と小松島軽便鉄道、そし
 て、小松島駅~大阪航路(大阪商船と阿波国共同汽船な
 ど)を経由しての貨客輸送が行われた。
  約100年後の1988年に、JR四国は、線路名称を改正し、
 徳島本線を徳島線に改称した。
  また、「よしの川ブルーライン」の愛称が付けられた。
.
1896年5月5日、台湾鉄道株式会社が創立した。
  1896年10月27日許可を受け・・
  1897年の翌年に、台湾を南北に縦貫する夢の縦貫鉄道
   を造ろうと測量に着手した・・が、2年後・・
  1899年10月に解散し実際には鉄道建設は行なわれずに
   終わってしまった・・しかし・・
   総督府後藤新平民政長官は、鉄道建設は民間会社
   で行なうのは不可能と判断した。
   そして、後藤民政長官は、1899年3月、「台湾事業公
   債法」(法律第75号)を発布して、鉄道敷設のため
   の公債を募集するとともに・・国有鉄道の・・
   10か年2,880万円の鉄道国有計画として確定した。
   それとともに、在来線の基隆駅~新竹駅間の改良や、
   新竹駅~高雄駅間の建設に着手した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:国家が崩れて行くのは、外部の敵対勢力によって
   ではなく、国家の衰退、国家の滅亡は、内部から起る・・
.
紀元前500万年、人の祖先が、チンパンジーとの共通祖先か
 ら分岐した。
  因みに、現時点で、人とチンパンジーとはDNAで、
 98.5%が一致している。
  また、この時以降、東アフリカの大地溝帯で、十数種
 類のヒト科の化石人類が次々と出現した。
  「キリスト教の神が、その都度、創造した」という「
 キリスト教の神の食い違い話」は言っても始まらないレ
 ベル。
  (参考)化石人類:化石として発見される古い人類。
      具体的には、約400万年前~1万年前までの更
     新世以前の人類のこと。
      次のように4つの進化段階に分けられている。
     (1) 猿人:パラントロプスを含んだアウストラ
      ロピテクス類のこと。
       およそ400万年前~100万年前、不完全なが
      ら二足歩行をして、礫石器を使用していた。
      (参考)礫石器:れきせっき、礫の周囲を簡
         単に打ち欠いた石器。
     (2) 原人:ピテカントロプス北京原人などホ
      モ・エレクトスをさす。
       およそ、150万年前~20万年前、完全に直立
      二足歩行し、握斧を作った。
       火を使用したと思われる。
     (3) 旧人ネアンデルタール人などのことで、
      およそ、20万年前~5万年前、おもに剥片石器
      を使用した。
      (参考)剥片石器:はくへんせっき、石材の
         外面を次々に打剥した剥片をそのまま、
         あるいは整形加工を加え、鋭利な側縁
         を刃器として用いた石器。
     (4) 新人:現生人類と同類である。
       石刃を多目的に加工して使用した。
       (参考)石刃:せきじん、円錐状石刃核の
          打面を周縁に沿って打撃し、側面か
          ら次々に打剥された剥片石器。
       約3万5000年前、更新世の最終寒冷期(いわ
      ゆるビュルム氷期)以降に生存したとみられ
      るため、化石現生人類とも称せられる。
       上記の人類は、いずれも現生人類の先祖で
      あるとの可能性が考えられている。
       今後、残存DNAなどにより、系統が明ら
      かになる可能性がある。
       尚、上記の二つの段階の中間に位置する化
      石も存在する。
       また、人類に近縁な化石類人猿として古く
      からドリオピテクス類があげられているが、
      今日では、ヒトとは、若干、道を異にしたゴ
      リラやチンパンジーなど、現生類人猿の祖先
      とみられている。
  また、因みに、現代人の祖先であるホモ・サピエンス
 は、その前に発生したネアンデルタール人と交雑してい
 ることが、最近、科学的に立証された。
  ネアンデルタール人のDNAの2%を、現代人の我々ホ
 モ・サピエンスは持っている。
  両者の遺伝子差異は、他の動物種ならば、当然、別種
 と認定されるレベルで、ネアンデルタール人とホモ・サ
 ピエンスは混血できなかったとする考え方が有力だった。
  しかし、ここ約10年の化石人類の発見ラッシュと遺伝
 学的研究の発展によって、この定説は大きく書き換えら
 れた。
  2010年、ネアンデルタール人のゲノムが解読された。
  そして、あらゆる地域の染色体6万個とネアンデルタ
 ール人のハプロタイプを比較したところ、サハラ以南ア
 フリカの地域以外の世界中の人々の遺伝子に、ネアンデ
 ルタール人のDNA配列が存在することが分かった。
  アフリカ人を除く全ての現生人類は、ネアンデルター
 ル人の遺伝子を平均で2%持っていた。
  ネアンデルタール人は、2万数千年前に絶滅したヒト属
 の一種。
  体格はがっしりしており、脳容量も現生人類より大き
 く、男性の平均が1600cm3あった。
  (現代人男性の平均は1450cm3)。
  ヨーロッパに分布し、肌は白く、髪は金髪もしくは赤
 かったとされる。
.
紀元前260万年、世界最古の石器
  ヒト属(ホモ属)によるものは、エチオピアのアファ
 ール盆地のゴナにある化石人類遺跡で発見されたオルド
 ワン型礫石器群。
  約260万~約250万年前(新生代第三紀鮮新世後期)、
 ホモ・ハビリスによるものと推定されている。
  (参考)オルドワン石器:堅いハンマーで打撃を加え
     て製作された剥片やチョッピング・ツールを特
     徴とする石器文化。
      製作は、250万年前に始まり、アフリカやアジ
     アの各地で2万年前まで続く。
      アフリカの大地溝帯(オルドヴァイ峡谷など)
     で遺跡とともに最古の石器が発見される。
      これらの石器は、礫を打ち欠いて制作した簡
     単な礫器や剥片からなり、解体された動物骨と
     ともに見つかる。
      ホモ属(ホモ・ハビリスホモ・エレクトス
     など)はもとより、アウストラロピテクス猿人
     などにより製作された可能性がある。
  また、これ以前には、加工しない自然石の使用もあっ
 たと予想される・・この場合、無石器時代と呼ぶ時代も
 予想される。
  因みに、我々ホモ・サピエンスの出現は、紀元前20万
 年である。
     ・
     ・
     ・
紀元前4004年、キリスト教の神の「天地創造
  キリスト教は、キリスト教の神による天地創造を、わ
 ずか紀元前4004年だと説いた。
  キリスト教の神が天地創造する前に、数多くの種類の
 人類が、すでに存在していたことになる。
  また、「ノアの大洪水」で、全人類が絶滅する時を、
 その天地創造後、1656年だと説いた。
  故に、ノアの大洪水は、紀元前2348年に起きたことに
 なる。
.
紀元前2348ねん、キリスト教の「ノアの大洪水」
.
紀元前600年頃、キリスト教の世界観につながって行く「バ
 ビロニアの世界観」
  この世界観は、平らな円盤状で、天空は七つの島が支
 えていると考えられていた。
  そして、その世界は、「苦(にが)い河(鹹河・かん
 が、塩辛い河)」で囲まれていた。
  この様に非常に狭い世界観の中に居た。
  その世界観の範囲は、まだ、メソポタミア地方のみ範
 囲で、チグリス河とユーフラテス河の両大河と、世界の
 中央にバビロン、周辺にいくつかの都市というものがあ
 った・・
  この様なものが刻み込まれた粘土板があり、「バビロ
 ニアの世界図」と言われている。
  キリスト教の『聖書』と言ったってこの様な狭い世界
 観の人たちによって書かれた。
.
紀元前550年、ギリシャ人で、最初に世界地図を書いたとい
 うヘカタイオス(紀元前550年~紀元前475年)
  彼は、アジア大陸とヨーロッパ大陸を初めて区別して
 書いた。
  そして、「アジアの一部にリビア」という地名を書き
 込んだ。
  リビアが、アフリカという大陸に存在するとは認識し
 ていなかった。
.
紀元前6世紀まで、ギリシャ人は、盛んに黒海や地中海沿岸
 を植民し、ポリスを建設し、盛んに広く商業活動を展開
 した。
  ギリシャ人は、バビロニア人の世界観を承継していた。
  ギリシャ人のホメーロス(紀元前8世紀)の「オデュッ
 セイア」に、次の記述がある・・
  トロイからの帰り、嵐で流され、世界を取り囲んでい
 る「オーケアノス」の海を漂い巡って、世界の東端にあ
 る黒海の入口を探しあて、そこから入り地中海へ戻った・・
 という。
  ギリシャ人は、「バビロニア人の知恵」と言ってバビ
 ロニア人の文化に深い尊敬の念を持っていた。
  このホメーロスは、バビロニア人の世界観を承継して
 いた。
  紀元前6世紀まで、ギリシャ人は、盛んに黒海や地中海
 沿岸を植民し、ポリスを建設し、盛んに広く商業活動を
 展開していた。
.
紀元0年、今・現在、世界は、「イエス紀元」の年号を使用
 しているが・・
  これは何も、キリスト教年代記が正しいとか、信頼
 できるとかの話ではない。
  実際は、その逆で、キリスト教年代記は信頼できない
 不確かなものとなっている。
  「もはや、キリスト教普遍史的・キリスト教年代記
 は、信頼できない不確かなもの」となっている。
  そして、普遍史的・キリスト教的意味は失われている。
  ただ、中性的な数学的意味から紀元の年代として使用
 しているだけ・・
  だから、イエス前(紀元前)9000年という年号は、キ
 リスト教にはあり得ない年号だが・・平気で使われてい
 る。
  これは、キリスト教の神の「天地創造以前の時」とな
 ってしまう。
  キリスト教は、神の「天地創造以前は、時間がないと
 している」。
  「時間」そのものを存在しないとしている。
  現代科学は、ビックバンを紀元前138億年としている。
  但し、種々の科学的な説はある。
  また、京都大学理学部による物理実験の結果に注目が
 集まっている、それは、「ビッグバン」理論に関わる有
 力仮説をひるがえす「否定する論文」を作成し、アメリ
 カの物理学会誌に掲載された。
  実験を指導したのが京都大学理学研究科の川畑貴裕准
 教授。
  ビックバン理論の骨子は・・
  ・ビックバン直後の宇宙はエネルギーが満ちているだ
   けで物質は存在しなかった(キリスト教の神は、物
   質を創ったのではなかった)
  ・エネルギーからクォークや電子などの素粒子が作り
   出され、100万分の1秒後ごろ、陽子と中性子が作ら
   れた。
  ・その後、核反応が起らない温度に宇宙が冷却される
   までの約20分間に、ヘリウムなどの軽い元素が作ら
   れた。
  この水素・ヘリウム・リチウムの作られた量が「理論
 上の数値と実際に観測できた数値との矛盾が生じた」。
  リチウムの量が少なくなっている。
  ベリリウムもできている・・しかし、不安定な原子核
 で・・。
  ビックバン直後に、このベリリウムが水素・ヘリウム・
 リチウムに変化している。
     ・
     ・
759年、並木道の始まり。
  この年に東大寺の僧侶・普照が、道に果樹を植えるこ
 とを奏上し、並木が植えられるようになった。
  江戸時代になっても、幕府も並木の効用を良く知って
 いて、街道を並木道にするように命じた。
  暑い夏には、旅人に涼しい緑陰を提供し・・また、寒
 い冬には、吹き付ける風や雪から旅人を守った。
  また、道そのものへも、並木は、風雨や日差しから守
 った。
.
1601年1月、東海道の街道の成立。
  東海道は、古代からあったが、また、中世にも東西交
 通の重要な幹線道路であった。
  江戸時代、街道の重要性を認識した江戸幕府は、その
 交通体系を本格的に整備した。
  東海道は、その重要な五街道の一つの道で、重点整備
 がなされた。
  そして、1601年1月、幕府は、東海道の各宿に対して、
 徳川家康の伝馬朱印状と、伊奈忠次彦坂元正、大久保
 長安連署による「御伝馬之定」を公布した。
  この年のこの二つの文書の公布によって、東海道に宿
 駅伝馬制度が敷かれて東海道が成立した。
.
1778年、フランスのビュフォンが「自然の諸時期」という
 本を書き、出版された。
  「キリスト教の呪縛」に長い間もがいていた科学者た
 ちは、その呪縛から解き放たれた。
  彼は、初め法律を学んだが、その後、医学、植物学、
 数学を学んだ。
  そして、確率論の研究が認められ、26歳で、科学アカ
 デミー副会員となった。
  そして、1739年(32歳)に、パリの王立植物園の園長
 に任命された。
  I・ニュートンの書物を翻訳したり、実験科学の方法
 論を体系的に展開したりして、「自然科学における経験
 的基礎の重要性」を説いた。
  そして、長い間、キリスト教の呪縛下にあって、6000
 年くらいとされていた地球の年齢を、8万年以上と唱えた。
  この勇気ある発表は話題となった。
  キリスト教に影響された天変地異説を否定した。
  そして、自然は、動植物の種を含めて徐々に変化をと
 げるものだと言い、後の「進化論形成に影響を与えた」。
  標記の本「自然の諸時期」には、地球誕生時の白熱状
 態を第一期として、その後、冷却する過程で海や大陸が
 形成され、また、海生生物と陸生の動植物が発生したと
 『キリスト教聖書とまったく違うことを記した』。
  そして、現在の状態に至るまでを七つの時期に分けた。
  最後の第七期始まる、現在から6000年前~8000年前に、
 「人間は最後に創造された」と書いた。
  そして、「人間が最初に定住した場所は、陸生動物の
 場合と同じに、アジアの高地だったと思われる」と書い
 た。
  そして、火山の噴火や地震の恐怖、そして、野獣の餌
 食になる恐怖にとりつかれ、この様な状態から一刻も早
 く脱出するため、人間は技術を発展させたと書いた。
  そして、社会が形成されたと書いた。
.
1786年、カントやルソーは、さすが、「『アダムとイブ』
 からという歴史の始まり方」をしなかった・・キリスト
 教社会の真っただ中にいたのだが・・
  この年、カントは、「人間歴史の憶測的起源」を書い
 た。
  この二人・カントとルソーは、人間の起源について、
 キリスト教の「アダムとイブから歴史を始めなかった」。
  彼らは、さすがに、社会がキリスト教に洗脳されてい
 る真っただ中にいると言うのに、キリスト教の人間の起
 源は「おかしいと感じていた」。
  1786年に、カントは、「人間歴史の憶測的起源」を記
 述し、キリスト教の「アダムとイブの創造の奇蹟にはま
 ったく触れなかった」。
  カントは、アダムとイブから歴史を始めないで、全体
 を『憶測』として記述した・・キリスト教的歴史の時代
 は、「寓話・伝説的な世界だ」とした。
  キリスト教の話の展開は、19世紀で「その命運は尽き
 ていた」。
  真実の歴史の記述に目覚めた一人であった「ビュフォ
 ン」も、次の様に記述した・・
  「彼ら(古代人)は、まず、翡翠(ひすい)などの硬
 い石を斧(おの)の形に尖らせることから始めた」と・・
  そして、「雷石と呼ばれるその種の石は、雷によって
 形成されて、空から落ちて来たと信じられもしたが、実
 際にはまったく自然の状態にあった人間が、技術を駆使
 して作り出した最初の遺物(石器)に他ならない」と。
  (解説)雷が鳴り響く大雨の時、土砂崩れが起き、そ
     の土砂崩れの土の中から、古代人が作った石器
     が、雨に洗われた土砂の中から出て来た・・こ
     れを「雷石」と人々は呼んでいたが、ビュフォ
     ンは、古代人が造った石器だと見抜いていた・・
     そして、キリスト教の「アダムとイブの創造の
     話」が崩されて行く時代へと入って行く・・
.
1808年、アメリカが奴隷貿易をやっと止めた。
  アメリカやヨーロッパ諸国は、この頃の江戸時代の末
 期まで卑劣にも奴隷貿易をしていた。
  まったく非人道的な卑劣な事である。
  アメリカが、奴隷貿易を禁止したのが1808年・・イギ
 リスも1808年・・デンマーク1802年・・フランスは1819
 年である。
  しかし、この後も、白人・キリスト教徒たちは、黒人
 の方々を奴隷的な扱い方をして『搾取をし続けた』。
  アメリカ大統領のジェファーソン(アメリカ北部の人
 間)は黒人の方々を奴隷にしていた。
  アメリカ世論に、「黒人奴隷制度は、積極的な善」と
 いう奴隷哲学があった。
  (「アメリカの奴隷制は南部だけだ」と言うのはアメ
 リカ北部のプロパガンダ・嘘宣伝・・南部の方々へ卑劣
 な奴隷行為の罪をなすりり付けている)
  そして、「人権のある黒人の方々の奴隷」を動産とし
 て扱った。
  あくまでも黒人の方々を、奴隷として搾取するのを「
 心地よいと感じる輩たちだった」。
  (参考)ジェファーソン:アメリカ独立宣言の起草者。
     第3代大統領。約150人の奴隷を所有した。
     若くして独立運動の指導者となった・・また、
     独立戦争の指導者ともなった。
.
19世紀、アメリカは親日国だった。
  ・・が、しかし、イギリスは残虐で、略奪に満ちた植
 民地支配をした。
  それに比べアメリカは、非常におおらかで明るかった。。
  日本からの咸臨丸や岩倉使節団などが赴(おもむ)く
 と、アメリカは手厚く歓迎した。
  幕末から明治政府が出来るまでのアメリカは、親日
 だった。
  日本は、アメリカと戦争をするなどとは、夢にも、ま
 ったく思ってもいなかった。
  そして、2019年の今からでは想像が出来ないが、当時、
 アメリカは、まだ、国力は小さく、イギリスが超大国で、
 第一次世界大戦までは、アメリカと日本は、相並ぶ新興
 の国で、日本とアメリカは拮抗(きっこう)していた。
  (参考)拮抗:勢力がほぼ同等のもの同士が、互いに
     張り合って優劣の無いこと。
.
1856年、ネアンデルタール人が、この年、発見された。
  ネアンデルタール人の発見は、ダーウィンの『種の起
 原』が公刊される3年前の1856年だった。
  この頃、キリスト教的世界観の支配する時代だった。
  その為、ヨーロッパでは、この発見が大論議を呼んだ。
  珍説や奇説が数多く生み出された・・
  そして、そのあげく、病気の人の骨格、病理的な骨格
 だとして処理されて、見捨てられてしまった。
  これが、日の目をみるのは、約半世紀後の1901年だっ
 た。
.
1939年、アメリカは、悪意を持って「日米通商航海条約」
 を破棄した。
  日本は、この時まで、アメリカを信頼していた。
  この時に、日本は、驚き、目を覚ました。
  この時が、転機だった。
  突如として目の前に「日本を敵視する・・日本の敵の
 アメリカが飛び出して来た」という感じだった。
  日本は、アメリカが日本の生糸を必需品として必要と
 していると思っていたし・・また・・
  対日輸出で利益を享受しているアメリカは、日本との
 経済関係を切り捨てないと思っていた。
  しかし、アメリカは、日本の生糸に匹敵するナイロン
 を発明した。
  アメリカの「日本と戦争をして、日本を叩くの方針」
 は、以前から不変だった。
  日本の望まぬ方向へ、時は進んで行った。
  アメリカは、小国から大国へと転換する中で「するべ
 きこと」「しなければならないこと」としていたことは・・
 「拮抗する日本」を叩くことがあった。
  「世界の覇権を握りたい」・・これが、アメリカが目
 指すことだった。
  今、2019年、中国が、これと同じ様な「世界に覇権を
 得る」という国家目標を掲げて、(一帯一路という形に
 なってはいるが)、世界のあちこちで軋轢を起こしてい
 る。
  どこかで回避策がなされないならば、この日本とアメ
 リカの時の様な歴史が「繰り返されることになる」であ
 ろう・・
  日本とアメリカがぶつかった様になるであろう。
.
1981年3月30日、レーガン大統領の暗殺未遂事件が起きる。
  この日の午後2時30分、アメリカのワシントンD.C.
 で、ロナルド・レーガン大統領が狙撃された。
  犯人は、回転式拳銃の6発のすべてを発射した。
  銃弾は、大統領専用車の車体に当って跳ね返り、レー
 ガン大統領の左胸部に命中した。
  そのほか、ジェイムズ・ブレイディ大統領報道官、ワ
 シントンD.C.首都警察のトマス・バラハンティ巡査、
 シークレットサービスのティモシー・マッカシーに命中
 した。
  犯人は、ジョン・ヒンクリーという学生で、シークレ
 ットサービスや警官にすぐに取り押さえられた。
  犯人は、逃亡しようともせず、その場で身柄が拘束さ
 れた。
  レーガン大統領は、緊急手術を受けた・・弾丸は、心
 臓をかすめ肺の奥深くで止まっていた・・
  そして、かなりの内出血を起こしていた・・
  かなりの重傷であったが、意識ははっきりしていて、
 弾丸は取り除かれた。
  他の人については、ブレイディ大統領報道官が頭部に
 弾丸を受けたため、一命をとりとめたが障害を残した・・
  そして、この後、2014年、この傷が原因で死亡した。
  他の二人は軽傷で済んだ。
  この時、冷戦下でもあったため、「国家の安全上の理
 由」から報道が控えられた・・
  実際、事件直後、ソ連の潜水艦が、アメリカの大西洋
 沿岸に集結するという事態が見られた。
  そして、この事件で言われていることは・・
  レーガン大統領は、大統領選の時から「FRB(連邦
 準備制度理事会)と民間法人機関である各連邦準備銀行
 の問題点に疑問を持っていた」。
  FRBの問題点を理解をしていた。
  レーガンは、大統領に当選すると、FRB議長のボル
 ガ―と面会をしようとした。
  しかし、ボルガ―は、相手がアメリカ大統領だと言う
 のに・・この大統領の意向に応じようとしなかった。
  しかし、色々あって、結局、ボルガ―は、大統領の意
 向に応じて面会は行われた・・が・・
  面会の開口一番、レーガンは言った、「FRBは、何
 故、必要なのか?、この質問をよく受けるのだが・・」
 ・・と・・
  この質問が発せられると、「ボルガ―は、その言葉に
 慌てた」・・
  ・・と、グリーンスパン回顧録に書いてある。
  グリーンスパンは、FRB議長を務めた事のある人物
 であるが、このグリンスパンの本の端々には、「政治家
 は、FRBにタッチすべきではない」というニュアンス
 が何度も書いてある。
  アメリカのドル札が発行されると、アメリカ国民の税
 金から国際銀行家へ、利子が支払われるというシステム
 になっている。
  イギリスの新聞の「タイムス」が、社説で・・、
  「アメリカが利子なしで通貨を発行できるようになっ
 たら、アメリカは、文明国の中で史上類のない繁栄を謳
 歌するだろう」と書いた・・その利子である。
  そして、イギリスのロンドン・シティの国際銀行家た
 ちが、このシステムの頂点に居る。
.
1991年3月、この頃、バブルが崩壊し始める・・
  そして、このバブルの崩壊後に、デフレがやって来て・・
 デフレ不況の中で、『お金を回さなければならない時に』・・
 必死に、ひたすら、日本は借金を返済した。
  そしてまた、日本はリストラという名の首切りに励み・・
  せっせ、せっせと、経済を縮小させた・・
  さらに、不要な内部留保を積み上げたるという日本の
 民間企業だった。
  これでは、日本経済は、一層、縮み続けるのが当たり
 前だった。
  景気が回復する訳は・・『無かった』。
  この流れの中に、『今・現在もある』。
  安倍政権が、一生懸命、経済の活性化策をとっている
 から、今、経済は持ち直して来ているけれど・・
  トランプ~中国の雲もあるが・・
.
2017年、この2017年の頃、思っていたこと・・
  今(2017年時点)許せないことは、アメリカが、日本
 を守ってあげているからと、アメリカが日本に押し付け
 てくる間違った政策と価値判断。
  そして、日本も日本で、守ってくれているからと、そ
 のアメリカの要求を、そのまま受け入れてしまうという
 行為をしていた・・
  まったく従属国状態になっている。
  アメリカは、傲慢に要求し、日本の政府高官や政治家
 たちは、OKマンとなって、こんな事をしていた(2019
 年もそうか?)
  トインビーやギボン(「ローマ帝国衰亡史」の著者)
 は・・、
  「国家が崩れて行くのは、外部の敵対勢力によって
 ではなく、国家の衰退、国家の滅亡は、内部から起る」
 と指摘している。
  この様な、アメリカと日本の関係の様な衰退から起き
 る。
  歴史で、色々な帝国が、「外部からの攻撃で崩れたよ
 うに見える時でも、その国家の崩れは、実は内部からす
 でに崩れていた」・・と歴史家は結論している。
  戦争に敗けて、この様な見えざる形で『徹底的に屈服』
 させられて、従属国的な心になり、「信念まで失った」
 ように、アメリカに追従している。
.
2019年。怪しい・・アメリ財務省中央銀行総裁会議
  この会議に集まる人たちは、「公的な立場の人たちで
 はない」。
  まったく公的な人たちの集まりの様に見えるから質(
 たち)が悪い。
  今・現在、アメリカは、自国の通貨を発行するのに、
 アメリカ国民の方々の税金から利子という形で金が支出
 し、支払われている。
  公的機関であるべきアメリカの通貨発行機関が民間機
 関とされて、その利子を支払う立場に立たされているか
 らである。
  この美味しい旨い金を受け取っているのが「国際銀行
 家たちの一部」である。
  この様な儲かるシステムを・・、
  国際銀行家たちの一部は、二匹目のドジョウ的に、世
 界中でやりたいと考えている。
  「グローバル化だ」と言ってまやかし的に、このシス
 テムをアメリカ以外にも定着させたいとしている。
  その会議が、毎年、開かれる『財務省中央銀行総裁会
 議』で、その圧力が仕掛けられている。
  日本もターゲットになっている。
  本当は・・民間人の集まりの財務省中央銀行総裁会議
 が、それを決めようとしている。
  このメンバーが、国際銀行家とよく知る、また、気脈
 の通じる者たちということになっている。
  また、世界の中央銀行が株主となっている国際決済銀
 行(BIS)も、公的なものと言えない。
  民間人たちによって支配される機関である。
  よって、この機関から出る「BIS規制」などは国際
 的な取り決めだと思ってはいけない。
  この様な怪しい手段によってコントロールしようとい
 う動きがある。
  (参考)国際決済銀行:1930年、スイスのバーゼルで、
     第一回シオニスト会議が開かれてから33年後の
     この年に・・、
      ロスチャイルド家の最初の「世界銀行」であ
     る「国際決済銀行(BIS:Bank for International
     Settlements)」が、同じスイスのバーゼルに設
     立された。
      BISは、銀行家たちから「中央銀行の中央
     銀行」と呼ばれていた。
      BISの特権の一例:中国やメキシコをはじ
     め世界各国でBISが管理運営する建物や事務
     所に対する、大使館に準ずる外交特権・・
      いかなる政府機関にも業務を監督されず、報
     告の義務もなく、監査も行われない・・
      司法権からの独立と、独自の警察組織さえ有
     する・・など・・
      ロスチャイルド工作員が、1925年~1929年
     までカルビン・クーリッジ大統領のもとで副大
     統領を務めた。
      オーウェン・D・ヤング(1874年~1962年、
     ロスチャイルド工作員で、RCAの設立者。
     1922年~1939年までGM(ゼネラル・エレクト
     リック社)の会長を務めた。
  ジョージタウン大学の歴史学者でもあるキャロル・キ
 グリー教授は、その著「悲劇と希望」の1975年版に・・
  「金融資本の影響力は実に広く、それがめざすところ
 は、民間による世界的な金融支配のシステムを創出し・・、
  あらゆる国の政治制度や、世界経済全体の支配を可能
 にすることに他ならない。
  このシステムは、協調して動く世界の中央銀行が、頻
 繁に会合や会議を開いては密約を結ぶという「封建的な
 方法」で運営されることとなった。
  このシステムのトップは、スイスのバーゼルにある国
 際決済銀行のはずだったが・・
  この民間銀行を所有し、支配していたのは、世界各国
 の中央銀行だった。
  そして、これらの中央銀行自体もまた民間企業だった。
  中央銀行は、それぞれに自国の政府を支配することを
 望み、そのために財政融資や為替の操作を行って、国家
 の経済活動の水準に影響を及ぼした。
  また、実業界での経済的な見返りを約束することで、
 協力的な政治家に影響力を与えた」・・と記している。
.
2019年5月22日、日本の国会議員がアイヌ新法という「ア
 イヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施
 策の推進に関する法律」を4月に成立させたが・・、
  この法律は完全に間違った認識の下に成立させている。
  この為、本日、首相官邸やその他に下記の文を送信し
 た。
  この法律は、早急に改正し修正されねばならない。
  (送信文)
 題:アイヌの人々は、ロシアの先住民ではありますが、
   日本の先住民ではありません。
  拝 啓
  御公務、ありがとうございます。
  標記の題目について下記に書かせて戴きました。
  是非、御一読を賜りますようお願い申し上げます。
  ーー 記 ーー
  一昨日(おととい)の2019年5月19日の日曜日に、ある
 無人島にA民族が上陸した。
  その次の日の2029年5月20日の昨日(きのう)の月曜日
 に、また、その島にB民族が上陸した。
  そして、その次の日の2019年5月21日の今日(きょう)
 の火曜日に、その島に後から上陸したB民族は「A民族
 が先住民だ」と宣言した。
  以上の様な例の事が、この度のロシアの「アイヌがロ
 シアの先住民だ」という宣言について起きている。
  わずか200年前にアジアに来たロシア白人が、そこに居
 たアイヌの人たちを『ロシア』の先住民だと言った。
  そうしたら、日本の政治家も、それを受けて「アイヌ
 が『日本』の先住民だ」と法律に書いて、その法律を成
 立させてしまった。
  しかし、真実は、その日本に、そのアイヌの人たちは、
 13世紀~14世紀のわずか700年前~800年前に日本に来た
 人たちだった。
  そして、「アイヌが、『日本』の先住民だ」とした法
 律を作った日本人は、読売新聞が報じる様に、3800年前
 の遠い昔に、すでに、北海道に住んでいたというその縄
 文人は、DNA鑑定で日本人の血を持つ『日本人の祖先
 だ』と証明されていた。
  この度の法律には、「真実ではない記述がなされてい
 る」。
  真実に沿う様に「法律を修正し、改正されなくてはな
 らない」。
  その齟齬があって、修正し改正されねばならない法律
 の名称は、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実
 現するための施策の推進に関する法律」です。
  そして、今・現在、ロシアに占領されている樺太(サ
 ハリン)が、アイヌの人たちの故郷である。
  この地にこそ「アイヌ記念館を建設すべきである」。
  この件の詳細について、下記のブログを、是非、ご覧
 ください。
  URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009/以上
.
2019年6月1日、中国、米に「見くびるな」・・台湾巡り、
 国防トップ会談で・・
  この日の読売新聞によると・・
  米国のシャナハン国防長官代行は5月31日、シンガポー
 ルで中国の魏鳳和(ウェイフォンフォー)国務委員兼国
 防相と会談した。
  中国国防相の報道官によると、魏氏は台湾問題に関し
 て「中国軍の決心と能力を見くびるべきではない」と米
 側へ伝えた。
  (参考)見くびる: 軽く見る、侮(あなど)る、実力
     などを過小評価する・・などの意味の表現。
  (参考)侮る:相手を見下げて軽んずるのこと。
  米軍艦艇が台湾海峡の航行を増やすなど、動きを活発
 化させていることに対する抗議とみられる。
  米国防総省の当局者は、海上などでの偶発的な衝突防
 止の方策について話し合ったと説明した。
  シャナハン氏は会談に先立ち、中国による南シナ海
 軍事拠点化は「度を越している」と批判しており、会談
 で強い懸念を伝えた模様だ。
  両氏は31日開幕の「アジア安全保障会議」(通称・シ
 ャングリラ対話)に出席している。
  日本からは岩屋防衛相が参加する。
  岩屋氏とシャナハン氏は6月1日、それぞれ北朝鮮問題
 とインド太平洋戦略を主要テーマに演説する。
  魏氏は2日に演説予定だ。
  中国国防相の出席は8年ぶりとなる。
.
2019年6月2日、アメリカが、中国へ「主権を侵害する行為
 を止めよ」と正義の発言をした。
  この日付に読売新聞によると(抜粋)・・
  表題:米「中国は主権侵害停止を」・・インド太平洋・・
 関与強化表明・・アジア安保会議・・
  米国のシャナハン国防長官代行は1日、シンガポール
 で開催中の「アジア安全保障会議」で演説し、「中国は
 他国の主権を侵害し、不信を生むような行動は止めるべ
 きだ」と要求した。
  インド太平洋で中国が不当に台頭することを抑えるた
 め、米国が地域への関与を強化する姿勢も鮮明にした。
  米国防総省は演説に合わせ、「インド太平洋戦略」に
 関する報告書を公表し、対中包囲網の形成を念頭に、日
 本などと多国間協力を進める考えを打ち出した。
  米国防長官代行の演説骨子
 1、中国に対し、他国と協調的な関係を構築するよう要
  請。
 2、自由で開かれたインド太平洋地域への関与として、
  経済力が小~中規模の国のインフラ整備支援拡大に意
  欲。
 3、台湾の自衛能力支援を続けると強調。
 4、日本、オーストラリアなどの同盟国、地域の友好国
  と連携強化を進める。
  (考察)国境を無くす狙いを持つグローバリズム・・
     主権を無視するとも言える・・中国は他国の主
     権を無視する・・南シナ海の蛮行を行なって、
     強力な基地化が達成されつつある・・韓国は、
     生き残るため、中国寄りとなって赤化した・・
     今や、対馬海峡が38度線。
.
2019年6月2日、中国「南シナ海」攻勢・・人工島に3000メ
 ートル滑走路・・進む拠点化・・
  この日の読売新聞によると・・
  中国は南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島やパラセ
 ル(西沙)諸島で複数の人工島を建設し、軍事拠点化を
 加速させている。
  海上や上空での軍事的な優勢を確保し、米軍をこの地
 域から排除する狙いがある。
  (参考)接近阻止・領域拒否(A2AD):有事に米
     軍の接近を防ぐ中国の軍事戦略。
  「主要な軍事施設を完成させた」。
  米国防総省は5月の年次報告書で、中国が埋め立て工事
 を進めて来たスプラトリー諸島の七つの人工島(計12.9
 平方キロメートル)のうち、三つについての現状分析を
 示した。
  規模の大きさから「ビッグスリー」と呼ばれるファイ
 アリー・クロス、スービ、ミスチーフの3礁で、滑走路
 や航空機の格納庫、レーダー施設などを備える。
  昨年は対艦巡行ミサイルや地対空ミサイルを一時展開
 し、南シナ海で「航行の自由作戦」を続ける米軍を威嚇
 した。
  3礁のうち、3000メートル級の滑走路を備えるファイ
 アリー・クロス礁を拠点に軍事作戦を行った場合、南シ
 ナ海で領有権を争うフィリピンやベトナム、マレーシア
 の大半を作戦の範囲内におくことができる。
  日本の防衛省は4月公表の資料で、米軍の介入への接近
 阻止・領域拒否(A2AD)能力の向上につながると警
 告した。
  中国本土よりのパラセル諸島では軍事拠点化がさらに
 進んでいる。
  最も規模の大きいウッディ島では、2013年からの工事
 で既存の滑走路を延長し、昨年5月に主力戦略爆撃機「H
 (轟)6K」を南シナ海で初めて離着陸させた。
  戦闘機の使用も常態化している。
  中国の着超主義により、南シナ海という重要なシーレ
 ーン(海上交通路)で、航行の自由が脅かされるとの懸
 念も強まる。
  中国海軍の艦艇や、各国漁船の監視に当たる中国海警
 局の公船は、スプラトリー諸島パラセル諸島の人工島
 に建設した大型港湾を補給地点として使用し、南シナ海
 の全域に展開している。
  海中には、対米核抑止力の切り札として、戦略ミサイ
 ル原潜が海南島の基地を拠点としている。
  人工島には昨年、妨害電波で敵の通信やレーダーをか
 く乱する電子戦兵器が設置された。
  中国が電子戦兵器を使用すれば商船の通信設備に障害
 が起こり、航行不能状態に陥る危険がある。
.
2019年6月7日、安倍晋三総理大臣殿
       菅義偉(すがよしひで)内閣官房長官殿
  「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するた
 めの施策の推進に関する法律」は、間違った法律です。
  拝 啓
  御公務、ありがとうございます。
  最近成立した法律「アイヌの人々の誇りが尊重される
 社会を実現するための施策の推進に関する法律」は、間
 違った法律です。
  本法律は、改正し、修正されなくてはなりません。
  下記のブログ「(増補版)645E2/3:2/3:3/3:気に
 なった事柄を集めた年表(1896年4月~1896年4月)」を
 御覧ください。
  URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
  この法律は、歴史的な事実を無視して居ります。
  歴史学上、完全に間違って居ります。
  また、「真の先住民である日本人」を「先住民では無
 い」として差別して居ります。
  「アイヌの人々が先住民だ」と間違った記述をして居
 り・・この行為によって、日本人の誇りをも奪って居り
 ます。
  大切な「日本人の存立の基盤」への尊重をも欠いて居
 ります。
  正しくない科学的な認識に基づいて、この様な立法行
 為が行われてしまいました。
  そしてまた、今、現実には、日本においてアイヌの方々
 の誇りを無くすような行為はなされていないのに、法律名
 は、さも、現時点の日本人が、アイヌの方々を差別をして、
 誇りを尊重せず、そして、差別しているように思わせると
 いう日本人へ無実の罪を着せる法律名となって居ります。
  是非、正しい法律に改正し、修正してください。
                  敬 具
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました。
  2019年4月16日に衆議院参議院で成立した「アイヌ
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律」には科学的に、また、歴史的に間違っ
 た記述があります。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げよう。