(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)

題:(増補版)647E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年5月~1896年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
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1896年5月8日、臨時北海道鉄道敷設部官制が公布された(勅
 令第186号)
  臨時北海道鉄道敷設部は、北海道庁に置かれ北海道に
 おける官設鉄道の建設業務を掌理、拓殖務大臣の監督に
 属し、北海道庁長官が管理する。
  (参考)北海道官設鉄道:明治時代の北海道庁鉄道部
     が建設し、運営した鉄道のこと。
      北海道の鉄道は、1880年に開業した官営幌内
     鉄道に始まる。
      1886年に、北海道開拓使が廃止され、北海道
     庁が置かれると鉄道払い下げの方針が出されて、
     北海道炭礦鉄道が設立され、1889年に、幌内鉄
     道へ譲渡され、民営化した。
      北海道庁にとって、開拓の推進ため、鉄道の
     建設が不可欠であった。
      しかし、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可
     能と判断されて、北海道庁自らが鉄道建設・運
     営を行う方針が出された。
      国も、北海道における鉄道網建設計画を策定
     していた。
      そして、1896年、北海道鉄道敷設法が公布・
     施行され、北海道庁が建設にあたることになっ
     た。
      1898年、滝川駅~空知太駅間の開業を皮切り
     として、現在の函館本線、宗谷本線、根室本線
     (富良野線)等の開業をして行った。
  (参考)掌理:しょうり、ある仕事を担当してとりま
     とめること。
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1896年5月10日、南和鉄道の高田駅~葛駅(現:吉野口駅)間
 が開通した。
  南和鉄道(なんわてつどう)は奈良県にある私設鉄道
 だった・・現在、西日本旅客鉄道JR西日本和歌山線
  奈良県吉野川流域は、大阪鉄道の広大な計画の中で
 路線が建設されると期待されていた。
  しかし、その実現は困難であるとなった。
  そのため、地元資本で路線を敷設することになり、大
 阪鉄道の高田から分岐し、五条に至る鉄道の敷設が申請
 された。
  1891年に仮免許となり、1893年、免許、
  1896年、開業した。
  吉野川沿いの木材資源のために建設された。
  全車が箱型(いわゆる「マッチ箱」)車体の二軸車で、
 一二等合造車3両、二等車3両、三等車14両、三等郵便荷
 物車1両、三等荷物車4両、郵便荷物車3両の計28両で運行
 された。
  現在、高田駅から和歌山駅まで運行されている。
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1896年5月14日、朝鮮駐在公使の小村寿太郎が、ロシア公使
 の K.I.ウェーバーと朝鮮問題ニ關スル覚書を調印した。
  ソウルにおける、日露間での朝鮮問題に関しての討議
 結果の覚書。
  ロシア公使館に、幽閉的に居る朝鮮国王の還宮(げん
 ぐう、宮を元にもどす)の実現について・・
  また、両国軍隊の駐屯定員などの取決め・・
  訳文(抜粋)・・
  一、朝鮮國王陛下ノ王宮へ還御ノコトハ陛下御一己ノ
   裁斷ニ一任スヘキモ日露兩國代表者ハ陛下ガ王宮ニ
   還御アラセラルヽモ其ノ安全ニ付キ疑惧ヲ抱クニ及
   バザル時ニ至ラバ還御アランコトヲ忠吿スヘシ又日
   本國代表者ハ茲ニ日本壯士ノ取締ニ付キ嚴密ナル措
   置ヲ執ルベキ保證ヲ與フ
  三、露國代表者ハ左ノ點ニ付キ全ク日本國代表者ト意
   見ヲ同フス卽チ朝鮮國ノ現況ニテハ釜山京城間ノ日
   本電信線保護ノ爲メ或場處ニ日本國衞兵ヲ置クノ必
   要アルベキコト及現ニ三中隊ノ兵丁ヲ以テ組成スル
   所ノ該衞兵ハ可成速ニ撤囘シテ之ニ代フルニ憲兵
   以テシ左ノ如ク之ヲ配置スベキコト卽チ大邱ニ五十
   人可興ニ五十人釜山京城間ニ在ル十箇所ノ派出所ニ
   各十人トス尤右ノ配置ハ變更スルコトヲ得ベキモ憲
   兵隊ノ總數ハ決シテ二百人ヲ超過スベカラズ而シテ
   此等憲兵モ將來朝鮮政府ニ於テ安寧秩序ヲ囘復シタ
   ル各地ヨリ漸次撤囘スベキコト
.
1896年5月14日、北海道鉄道敷設法が公布された(法律第93
 号)
  この頃、北海道開拓が一生懸命なされていた。
  その一環として、北海道鉄道敷設法が公布された。
 ・石狩国旭川ヨリ十勝国十勝太及釧路国厚岸ヲ経テ北見
  国網走ニ至ル鉄道
   富良野線根室本線の大部分(北海道官設鉄道)・
  釧網本線
   釧網本線は、実際には厚岸ではなく東釧路駅で分岐
  となった。
   その後も標茶~厚岸間は菱川線構想として敷設運動
  が続いた。
 ・十勝国利別(現:池田町域)ヨリ北見国相ノ内(現:
  北見市域)ニ釧路国厚岸ヨリ根室国根室ニ至ル鉄道
   池北線・根室本線の一部。
   池北線は池田駅で分岐、利別駅は途中駅となる。
   また、北見駅で分岐し、相ノ内駅(初代)は経由せ
  ず。
 ・石狩国旭川ヨリ北見国宗谷ニ至ル鉄道
   宗谷本線(北海道官設鉄道・一部)・天北線
 ・石狩国雨竜原野ヨリ天塩国増毛ニ至ル鉄道
   留萌本線
 ・天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道
   名寄本線・湧網線
 ・後志国小樽ヨリ渡島国函館ニ至ル鉄道
   函館本線の一部(北海道鉄道)・・など
  (注意)今、日本で、この様な北海道での真摯(しん
     し、まじめで熱心なこと)な開拓の歴史が消さ
     れようとしている。
      北海道の歴史博物館は、アイヌの人々を特に
     展示するという偏りの展示となっている。
      この様な行動の背後に外国からの工作・圧力
     がかかっているという。
      北海道の歴史には、縄文時代の遺跡もあり、
     その遺跡からは、日本人のDNAを持った縄文
     人も発掘され、日本人の祖先だと確認されてい
     る・・この様な事実・史実が消されようとして
     いる。
      古くからの、日本の歴史に刻まれている事が、
     無視されている。
  日本の地である北海道の予定線6路線が制定された。
  「北海道官設鉄道」を整備するなかで、十勝線・天塩
 線・釧路線・富良野線根室本線・宗谷本線などが次々
 と開通させた明治の先人の努力・・
  産業の発展、人口の拡大とともに鉄道は、北海道全域
 へと広がって行った。
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1896年5月18日、アメリカ合衆国の汚点:プレッシー対ファ
 ーガソン裁判(黒人の方々の既得の権利の無効化)
  人種差別になっている州法を『合法だ』と認めるとい
 うアメリカだった。
  「人種差別の分離はする・・しかし、その行為は平等
 だ」という屁理屈な判決だった。
  有色人種への蔑視のキリスト教の屁理屈的教理から来
 ている判決だった・・、
  公共施設などで、あらゆるところで(鉄道やバスの交
 通機関などや、ホテル・病院・キリスト教教会・映画館・
 レストラン・喫茶店・トイレ・公園のベンチなどなど)
 での黒人の方々への分離行為が「人種差別に当たらない
 のだ」とした。
  そして、この行為を『合憲だ』としたアメリカ合衆国
 の最高裁判所の判決だった。
  7対1の賛成多数によってこの判決は下された。
  軽蔑すべきなのは、長い年月、この判決がアメリカで
 支持された。
  1954年の「ブラウン」対「教育委員会」の裁判で、最
 終的に否定されるまで、アメリカの標準的な主義だとし
 て、またこれが正義だとされて、社会の法だと残った。
  故に、この判決が生きている第二次世界大戦において
 も、この判決の精神で、黒人の方々は差別的に扱われ、
 「より多くの危険な目に会った」・・
  「真っ先に危険な所へ赴く命令」が黒人の方々へ出さ
 れた・・
  また、危険性の大きい「爆弾運び」などをさせられた・・
  実際、これで事故が起きて、多くの黒人の方々が亡く
 なった・・
  この事件は、有名な事件となって記憶されている。
  アメリカは、さらに卑劣なのは、これらのことごとを
 アメリカ南部の方々の「せいにする」傾向がある。
  北部政権ではないのだと逃げている・・
  まったく破廉恥な軽蔑すべき主張で・・、
  この判決も、施設などが平等であれば、黒人を白人か
 ら隔離しても、その行為は、アメリ憲法の違反にはな
 らないという連邦最高裁判所の判決だから始末が悪かっ
 た・・、
  アメリカの下級裁判所ではなく、最高裁判所が出した
 という驚きの卑劣な重圧で苦しめる判決だった。
  この様な明確な人種差別行為を、アメリカ特有の屁理
 屈で「人種差別ではない」として人種差別行為を行なっ
 た。
  さらに悲劇的なのは・・この判決が、アメリカの「基
 本的な考え方だ」となって、あらゆるところで適用され
 るところだった。
  どこででも、アメリカ中で、堂々と、黒人の方々が差
 別されるという行為が行われた。
  アメリカという国の怖い所は、この宗教的な、また屁
 理屈的な考え方・偏見で、明らかに筋が通っていない事
 ででも、アメリカ特有の屁理屈で、「不正義」を「正義」
 としてしまうところだった。
  これは、黒人の方々のみならず「非白人」の「有色人
 種全般」にまで適用された。
  この判決は、アメリカという国の「人種関係全般を支
 える法的原理」となった。
  これから「バス」で、「学校」で、「教会」で、あら
 ゆるところで人種差別が堂々とアメリカ中で行われた。
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1896年、イギリス人の首相となったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなる家計のため、更なる従軍経験と
 新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  そしてまた、ジェームソン侵入事件が発生した南アフ
 リカなどに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することと
 なった。
  インドを虐(しいた)げていたイギリス・・インド駐
 留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように暮らした。
  日常生活のすべてをインド人召使にさせた。
  チャーチルも、そのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯(ちゅうたい、血縁・地縁・
     利害関係など、社会を形作る結び付き)を維持
     しており、パシュトゥーンワーリと呼ばれる慣
     習法を持ち、男子は誇りを重んじている。
.
  (今日の言葉)
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  題:日本も、これにどう対応するのか?となっている。
    日本は、アメリカを当てに出来なくなっている。
.
1864年9月11日、勝海舟西郷隆盛が会談をした。
  この時、第一次長州征伐が行なわれていた。
  西郷隆盛は、薩摩藩に所属していて、この頃、「大島
 吉之助」と名乗っていた。
  西郷は、大阪に赴き、幕臣勝海舟に面会を求めた。
  勝海舟は、西郷隆盛らを旅館に迎えた。
  ここで、勝海舟は、長州藩を征伐する考えを持ってい
 た西郷隆盛へ、薩摩藩長州藩を含めた有力諸藩による
 共和政治を実現するように説得した。
  西郷隆盛は、この様な勝海舟に感銘を受けた。
  そして、長州藩と協力して共和政治を目指す事を決意
 した。
  大久保一蔵(後の大久保利通)宛ての手紙で、西郷隆
 盛は、勝海舟について「実に驚き入り候う人物」「ひど
 く惚れ申し候」などと絶賛した。
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1872年、マニフェスト・デスティニー・・アメリカ侵略の
 正当化論理。
  この言葉は、元々は、アメリカの西部開拓を正当化す
 る標語であった・・が・・
  その後、この言葉は独り歩きをし、アメリカを侵略行
 為へ向かわせた・・太平洋諸国をも蹂躙し・・ハワイな
 ど、フィリピン、中国、日本へと来る。
  「明白なる使命」とか「明白なる運命」「明白なる大
 命」などと訳出し、美しく、キリスト教の神の召命だと
 した。
  1872年に描かれた「アメリカの進歩」という絵画には、
 女神の右手には書物と電信線が抱えられ、アメリカ合衆
 国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする
 様子が描かれている・・背後には、1869年に開通した大
 陸横断鉄道も栄光的に描かれている。
  (参考)召命:しょうめい、キリスト教性悪説の罪の
     世界に生きていた者が、神に召され呼出されて
     救いを与えられるという意味で使われ・・旧約
     聖書ではイスラエルの民の選抜や、預言者の召
     命などがこの例。
      16世紀の宗教改革者たち、ルターをはじめカ
     ルバンも、この語を、すべてのキリスト者につ
     いてのものと理解し、そして、強調するように
     した。
  この言葉に洗脳されたアメリカは、「世界を清め、救
 うために、他国家をアメリカ化すべきだ」として、「文
 明の西漸説」に酔った・・
  西への侵略行為をし続けた。
  また、キリスト教的な感覚で、有色人種をアメリカ白
 人の支配下に置き、自国に有利なルールを勝手に作り、
 都合の悪いことは禁止する・・というやり方をとった。
  この「マニフェスト・デスティニー」の言葉は・・、
  アングロサクソン人種の人種的優越感と、道徳的貴族
 としての特権と思い込み、「信仰的状態で進められた」・・
  故に、非アングロサクソン・非白人(有色人種)に対
 する軽蔑と侮蔑を表わした・・
  アングロサクソンは、「自分たちだけが、キリスト教
 の神から選ばれた優越な民族であって・・、有色人種の
 日本人や支那人や黒人などの劣等民族を下層に置き、ま
 た、置かねばならないのだ」とした。
  日米戦争などの有色人種との戦争を誘因し生む「原因
 となった」。
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1904年2月8日、日露戦争が始まった(~1905年9月5日)
  ロシアの朝鮮半島においての蛮行によって、そのまま
 では、沖縄は割譲され、佐世保や呉は租借されるという
 危機感が生じた。
  日露戦争は、その様な瀬戸際の戦争だった。
  日露戦争は、その様になる可能性に抗した戦争だった。
  ロシアは、昔から領土欲の強い国だった。
  不凍港も欲しかった・・
  アメリカのルーズベルトは、ここを利用して日本への
 参戦をそそのかした。
  「日本の領土を取ってしまったら」と、ソ連(ロシア)
 のスターリンをそそのかし、言った。
  また、占守島(しゅむしゅとう)の戦いに勝った日本
 は、終戦となってため武器を置いた。
  日本とソ連(ロシア)は、その双方が了解してその様
 な行動がとられた。
  それ故に、これ以降、日本軍は、この時点で占守島
 北の千島列島から居なくなった。
  その様な戦う日本軍の居ない占守島より以南の「日本
 領の千島列島」を、ソ連(ロシア)は奪うという不法行
 為を行った。
  この様にして日本領を奪ったロシアは、今・現代、『
 戦って奪い取ったのだ』と嘘を言っている。
  占守島では、戦争が終わって、ソ連(ロシア)と日本
 は了解して武器を置いた。
  その様な占守島の戦いの以後、ソ連(ロシア)は、不
 法な行為で、日本領の千島列島を不法占拠をして行った。
  戦いなどまったく行われていない。
  ロシアは、「戦って取った」と嘘を言わないこと!
.
1928年9月26日、マザーテレサさんは、18歳のこのとき、
  インドの話を聞いて、インドを中心に旅行をしたいと
 思った、
  また、旅行だけではなく現地密着の海外活動をしたい
 と思い立った。
  若い女性らしい思い立ちだった・・、
  今、キリスト教の広告塔にされているマザーテレサ
 んは、あらゆる美化がなされているが・・
  初め・・この時・・
  マザーテレサさんのこの行動は、この様な広告塔の大
 きな話になるという訳では、まったく、なかった。
  18歳のマザーテレサさんは・・、
  インドで・・、
  ヒンズー教徒の方々が・・行っている・・、
  『弱者救済の運動とその行動』の中に入って行って・・、
  ヒンズー教徒の方々と共に弱者救済活動を行なった。
  その行為が、そのことが・・、素晴らしい業績となっ
 ていますが・・、
  (注):
  世間には・・キリスト教プロパガンダ・嘘宣伝だけ
 が・・あまりにも声高に・・叫ばれているため・・、
  真実が・・隠されています。
  初めて、上記の文を・・読まれた方は・・驚かれたと
 思いますが・・「真実は・・上記なのです」。
  キリスト教は・・、
  マザーテレサさんが、アメリカの映画に取り上げられ・・、
  脚光を浴びた頃、その事を知り・・、マザーテレサ
 んに着目し・・キリスト教の・・「広告塔」にしました。
  そして、ヒンズー教の方たちを隠しました。
  ヒンズー教徒の方々は・・まったくと言ってよいほど、
 陰に隠れた状態に・・なってしまいました。
  それでも、インド政府は、マザーテレサさんを・・、
 国葬にして・・マザーテレサさんを讃えました。
  そして・・、
  マザーテレサさんには、「別の業績」がありました・・、
  それは・・、
  「キリスト教の神は居ない」・・と、表明されたこと
 でした。
  マザーテレサさんは・・、キリスト教の「神の存在」
 に悩んでいました。
  キリスト教の神は居ない・・と・・、
  本国の色々な司祭などに・・長い期間、悩みを打ち明
 け続け・・、
  そして、相談をし続けていました。
  その事実は・・隠されていました・・が、
  また、彼女のこの悩みである「キリスト教の神の不存
 在」は、「彼女の死に至るまで」・・続きました。
  彼女は、死ぬまで、キリスト教の神は居ないと悩んで
 いました。
  このキリスト教の神が居ないという事実を、公表する
 事が・・彼女の希望であったのでしょう、このキリスト
 教に『不利な事実』・「真実」が公表されました、キリ
 スト教の神は居ない・・と・・、
  このキリスト教の神は居ない・・神の死は・・
  今、アメリカに・・、
  「神の死の神学」という人々が居ます。
  この方たちは・・キリスト教の『神の不存在を主張』
 し・・、
  成熟した現代社会・世界の人々は・・、それで十分や
 って行けるのだと言っています。
  『古代に発生したキリスト教』・・、
  その様な時代の、古代人とは・・現代人は違う・・と、
 主張する・・方たちです。
  そして、マザーテレサさんは思っていたと思います・・、
  「神が居ない」と言い続けて、公表に至ったことは・・、
  その行為が・・「人類に貢献しうること」・・と、
  そう考えられて居られたから公表がなされました。
  また、『キリスト教の神の実在性を主張するそのもの
 が・・人類にとってよくないこと・・よくないもの』と、
  マザーテレサさんが、そう考えられているから・・、
 この様な、行動が取られたのだと言えます。
  (参考)
  神の死の神学:
  ニーチェの言葉である・・「神は死んだ」は・・、
  1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリ
 の神学者たちも使うようになった。
  アメリカの神学者たちは・・、
  現代社会において神は・・、人間に・・、
  『リアルな存在ではない』・・・
 ・・という意味で、
  「神は死んでしまった」という意味で用いる。
  1957年に、
  アメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアンは・・、
  『神は死んだ』と題した著書を著した。
  ヴァハニアンは・・その中で・・、
  無神論を・・『アメリカの大衆の生き方である』・・
 と、述べている。
  アメリカ人の神学者・トマス・アルタイザーは・・、
  エモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を
 出版する。
  また、アメリカの神学者ウィリアム・ハミルトンが、
 異なった立場から・・、
  1961年に、著書『キリスト教の新しい本質』で・・、
 異なった視点の・・『神の死の神学』を展開した。
  そして、神が居ないと自覚する事で・・、
  人間の主体性が、そして、自律性が・・とりもどされ、
  前の時代の・・神に拘束された非人間性から・・脱却
 でき・・そして、人間らしさが取り戻せる・・と・・
.
1940年10月7日、マッカラム覚書
  第二次世界大戦を引き起こす切っ掛けとなったアメリ
 カのマッカラム覚書。
  1940年10月7日付けのマッカラム覚書には・・
  『日本に最初に手出しをさせよ』・・その日本に先に
 一撃を撃たさせる方策のための引っ掛けの8項目の提案が
 提出された。
  そして、アメリカは、卑劣な経済制裁を日本に行なっ
 た。
  これは、もう、アメリカが始めた戦争だった・・戦争
 の状態だった・・
  『経済制裁は戦争行為』であり、『侵略を始めたのは
 アメリカ』の方だった。
  マッカラムは、この時代の日本と日本人の行動や感情
 や心理を、できる限り引き出して・・日本に、戦争の行
 為へ至らせようとした。
  そして、アメリカの海軍情報部極東部長のマッカラム
 は、「その思惑を、結果的に、成功させた」。
  マッカラムは、ルーズベルト大統領のお気に入りの軍
 人だった。
  そして、ロバート・B.スティネットは・・、
  2万件以上の「反論不能なほどの、また、出所の明確
 なアメリカ政府内資料とインタビュー」で、アメリカの
 日本への引っ掛け工作を明らかにした。
  (参考)ロバート・B.スティネット:1924年、米国
     カリフォルニア州オークランドに生まれ・・
      真珠湾攻撃の時は高校在学中。
      1942年の卒業と同時に海軍に志願入隊した。
      1946年まで、海軍大尉だったジョージ・ブッ
     シュ元大統領のもとで太平洋、および、大西洋
     の戦場に従軍する。
      この軍功により青銅従軍星章10個、及び、大
     統領感状の授与を受けた。
      戦後は、オークランド・トリビューン紙の写
     真部員兼記者を勤め・・1986年退社。
      BBC、NHK、テレビ朝日の太平洋戦争関
     係顧問も務めた。
      その著書に、「Day of Deceit(真珠湾の真実)」
     がある。
  (参考)アメリカは、日本の暗号を完全に解読してい
     た。
      日本は、暗号を変え続けたがアメリカに解読
     された。
      そのアメリカの暗号の解読も、アメリカは卑
     劣な方法を取った。
      日本の外務省の急使の手荷物を盗んで、暗号
     書の入っている箱を開け、暗号書の内容を急い
     で写真に撮っていた。
  そして、日本に勝算の無い戦争を始めさせた直接の原
 因の一つとなったのが『ABCD包囲網』の卑劣な村八
 分攻撃だった・・
  これによって、日本を『挑発』し、あからさまな戦争
 行動を先に起こさせるため・・この計画の一環として提
 示された。
  (参考)ABCD包囲網:A(アメリカ)、B(イギ
     リス)、C(中国、現在の共産圏の中華人民共
     和国ではない)、D(オランダ)による日本に
     戦争を起こさせるための包囲網
  これらのことを傍証するアメリカ政府・軍関係者の証
 言は、多数、存在し・・
  それによって、アメリカが戦争を始めたいという意図
 は・・『明らかに存在していた』・・
  もちろん、日本が、「侵略の意図から始めた」という
 論理は、どの様に見ても成立しない。
  また、ルーズベルトは、すでに、1919年に立案された
 対日戦争計画「オレンジ」に則って行動を起こしていた。
  ルーズベルトは、「宣戦布告せず交戦する技術」や「
 宣戦布告せず経済制裁する技術」を行使していた。
  ルーズベルトは、すでに、1937年10月5日、ルーズベル
 トによる「隔離演説」を行なっている・・
  また着々と、その手順を進めた・・
  1939年7月、日米通商航海条約破棄を通告・・1939年12
 月 モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止)として航空
 機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停
 止するよう通知・・1940年1月、日米通商航海条約失効・・
 1940年6月、特殊工作機械等の対日輸出の許可制・・1940
 年7月、国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)・・
 1940年7月26日、鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立・・
 1940年8月、石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃
 料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出
 許可制・・1940年8月航空機用燃料の西半球以外への全面
 禁輸・・1940年9月、屑鉄の全面禁輸・・1940年12月、航
 空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制・・1941年
 6月、石油の輸出許可制・・1941年7月、日本の在米資産
 凍結令・・1941年8月石油の対日全面禁輸・・
  マッカーサーの議会証言でも分かる通り、これ等のア
 メリカの卑劣な行動で、事実上、戦争が始まっていた・・
 日本の失業者は「日本に満ち溢れた」。
  1951年5月3日、米国上院軍事外交共同委員会における
 マッカーサー証言:
  「明治維新以来、欧米列強に対抗する為の『富国強兵』
 策の地盤固めとして欠かせなかった重工業の継続的発展
 が、これら一連の禁輸措置によって『停滞』するどころ
 か、『日本に1000万人から1200万人の失業者を生じさせ
 た』。
  『日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障
 (Security)によるものだった』と・・また・・
  1928年12月7日、アメリカ議会上院の不戦条約批准の
 是非を巡る討議に於いて、米国国務長官ケロッグは、
 『経済封鎖は戦争行為そのもの』と断言した。
  因みに、不戦条約では、「その戦争が自衛かどうかを
 決定するのは各国の判断に委ねる」としている・・
  つまり、アメリカには、以下の日本の主張に対して反
 論できない・・「アメリカが行なった経済的に死命を制
 する事実上の戦争行為に対して、日本が自衛のために戦
 争を行なった」・・
  日本が「大東亜戦争自衛戦争であった」、あるいは
 「大東亜全域の欧米列強の侵略・植民地化に対する集団
 的自衛権の行使だった」と事実を述べることに対して・・
 反論する権利はない・・侵略的行為は、アメリカからな
 された・・
.
1952年4月28日、この日のサンフランシスコ平和条約発効直
 後の5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の
 解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はす
 べて『公務死』として、戦犯逮捕者は『抑留又は逮捕さ
 れた者』として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々
 のために数度にわたる国会決議もなされた。
  ゆえに、「国内法」という意味であれば、我が国には
 A級戦犯は存在しません。
 1952年6月9日、「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、
 1952年12月9日、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する
  決議」・・そして・・
 1953年8月3日、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回
  復させる「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
  が社会党を含めて圧倒的多数で可決された。
   この議決は、前年(1952年)に、戦犯とされた者を
  即時に釈放すべしという国民運動が発生し、4千万人の
  日本国民の署名が集まった事に起因する。
   そして、「恩給改正法」では、受刑者本人の恩給支
  給期間に拘禁期間を通算すると規定され、
 1955年には、「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
  がされた。
  そうしてサンフランシスコ講和条約第11条の手続きに
 もとづき関係11か国の同意を得たうえで減刑による出所
 が順次、行われることになる。
  なお、日本政府はこの法について、刑の執行からの解
 放を意味すると解し、いわゆるA級戦争犯罪人として極
 東国際軍事裁判所において有罪判決を受けた者のうち「
 赦免」された者はいないが、減刑された者は10名(いず
 れも終身禁錮の判決を受けた者である)であり、いずれ
 も昭和33年4月7日付けで、同日までにそれぞれ服役した
 期間を刑期とする刑に減刑されたものとし、この法律に
 基づく「赦免」及び「刑の軽減」が判決の効力に及ぼす
 影響について定めた法令等は存在しないという見解を示
 している。
  ・・以上、「公式見解」・・
  ただし
  外務省:
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html
  この裁判について、様々な議論があることは承知して
 いますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条
 により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国
 と国との関係において、この裁判について異議を述べる
 立場にはないと考えています。
  ゆえに「国際法」上は「極東国際軍事裁判所の裁判を
 受諾」しているため、「国と国との関係において、この
 裁判について異議」を唱える事ができないわけです。
  例えば、「日本国憲法」第9条により、我が国は陸海
 空軍その他の戦力を保持しないにもかかわらず、仮に自
 衛隊は「戦力ではない」と仮定しても、明らかに「戦力」
 である「在日米軍」が存在しているのは、国際条約(日米
 安保条約など)によります。
  つまり、我が国において現実には「条約」が「国内法」
 より優位にたっており、ゆえに「A級戦犯」の問題が存
 在するわけです。
  一応言っておくと、憲法学上の「通説」は、「憲法
 位説」であり、アメリカも「日米安保条約」を自国の憲
 法より優先させる事はないはずです。
  「A級戦犯」についての評価はおくとしても、現在の
 状態は、我が国が「独立主権国家」であるかどうか?
  という疑問を投げかけているようにも見えます。
.
2005年7月、NHKの編成局経理担当職員がNHK保有のソ
 ルトレークオリンピックの入場券を転売し飲食代約50万
 円を着服した。
.
2005年11月、NHKの大津放送局記者が連続放火で逮捕さ
 れ、懲役7年となった。
.
2018年10月31日、中国が南沙諸島の運用を開始した。
  この時から遡ること3年2ヶ月前の2015年8月20日、アメ
 リカ国防総省は、「アジア太平洋での海洋安全保障戦略
 と題した報告書を公表し・・
  中国が、2013年12月に、南沙諸島での埋め立てを開始
 して、2015年6月までに、2,900エーカー(約12km2)を埋
 め立て、その面積が、周辺諸国による埋め立てを含めた
 全体の約95パーセントに当たることを明らかにした。
  また、埋め立てから滑走路や港湾施設の建設によるイ
 ンフラ整備に重点が移行していることも指摘した。
  中国が、この様にして実効支配して、軍事拠点化して
 いるこの場所を、地球上でやり取りされている原油や液
 化天然ガス(LNG)の約半分が通過している。
  そして、2016年1月、アメリカのCSIS(戦略国際問
 題研究所)は、報告書において、中国の空母打撃群保有
 の可能性と併せて、「2030年までに、南シナ海が事実上
 中国の湖となる」と警鐘を鳴らした。
  2016年7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、
 中国が、南シナ海のほぼ全域で領有権を主張する独自に
 設定した境界線「九段線」には、国際法上「歴史的権利
 を主張する法的根拠はない」と認定する裁定を下した。
  また、中国が、南沙諸島などで人工島の造成などをし
 ている岩礁はすべて「島」ではなく、「岩」または高潮
 時に水没する「低潮高地」であると認定する裁定も下し
 た。
  2018年10月31日、ファイアリー・クロス礁、ミスチー
 フ礁、スビ礁を運用開始したと、中国が公表した。
.
2018年12月8日、中国はもう正せなくなっているのか?
  叩けなくなっているのか?
  一番、のんべんだらりとしているのが日本。
  中国もロシアも、日本接近してきているのは、日本の
 国防力が伸びないで、昔のままになっていて、組みし易
 いから。
  【討論】米中戦争の行方と新世界秩序[桜H30/12/8]
  https://www.youtube.com/watch?v=PMQjywlngxM
  パネリスト:
   鍛治俊樹(軍事ジャーナリスト)
   河添恵子(ノンフィクション作家)
   石平(評論家)
   福島香織(ジャーナリスト)
   矢野一樹(元海上自衛隊潜水艦隊司令海将
   矢野義昭(元陸上自衛隊小平学校副校長 陸将補)
   湯浅博(国家基本問題研究所主任研究員)
  司会:水島総
  10年前のCIAS
  核抑止は万全か?
 1、米中の戦略核バランス
   中国が先制攻撃すれば、アメリカは4千万~5千万人
  の損害、中国は2600万人の損害。
   アメリカが先制攻撃すれば、中国は最大1億人の損害、
  アメリカも数千万人の損害か?
   アメリカおよび中国は、核戦争にエスカレートする
  恐れのある軍事挑発はできない。
 2、米中の通常戦力バランス
   アメリカの海・空の技術的優位は明らか。
   特に、戦闘機と潜水艦、空母が優位。
   中国大陸での本格的地上戦はアメリカでも不可能。
 3、問題は、アメリカが、戦略核戦力の対中劣勢にある。
   (アメリカの空母も容易に接近できず)
   ロシアの核戦力も4分の1程度は極東に向いている。
   そして、中露接近は当面続いて行く。
   北朝鮮弾道ミサイル脅威も数的には中国並み。
  (参考)中国の戦略核は400から600ある。
      北朝鮮も、中国並みになって来ている(400か
     ら600)
      アメリカ1国だけで、中・露・北朝鮮に対抗で
     きない
      中国は、原子力推進の超超長距離を飛べる巡
     航ミサイルを保持したと言ったが、こうなると
     アメリカの防衛が北極海を向いているので、防
     御が大変な事になる。
      アメリカが、それに対抗するためには、韓国
     からも、また、日本からも、アメリカの軍事力
     を引き上げてアメリカ本土を固めなければなら
     ない。
      軍事バランス的に、10年間は、中国が台湾を
     取りに行っても、アメリカはそれに対応できる
     状況にはない。
      日本も、これにどう対応するのか?となって
     いる。
      日本は、アメリカを当てに出来なくなってい
     る。
      アメリカは、本土を守るのに手いっぱい。
      20兆ドルを超える赤字のアメリカ、財政的に
     も非常に厳しい。
      米中の貿易摩擦は、だから、貿易問題ではな
     く、『アメリカの存亡の安全保障上の問題』。
      中国は、技術的にも急速にアメリカに追いつ
     いて来ている。
      中国の技術的追い上げが厳しい。
      中国は、軍事基地を地下化をして耐力が上が
     っている。
  米国の対応
 1、トランプ政権は、核戦力の増強、近代化推進方針を
  明示した。
 2、核戦力の整備に最優先で予算配分する、配分は可能
  と保証
 3、核戦力の3本柱(ICBM、SLBM、戦略爆撃機
  を更新。
 4、核弾頭の新型開発(戦力化は約10年後)、その間、
  寿命延長
 5、ロシアに対抗し低出力核を増強
 6、核インフラの整備
 7、核関連の人材養成、施設の整備更新
 8、アメリカの核抑止力強化と同盟国への核の傘の信頼
  確保。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました。
  2019年4月16日に衆議院参議院で成立した「アイヌ
 人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推
 進に関する法律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的に、
 また、歴史的に正しくありません・・間違った記述があ
 ります。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。