(増補版)656E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年9月)

題:(増補版)656E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・あくまでも、正しいことを教えてあげねばな
  らない!
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民主化の達成できない国=中国・・
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1896年8月、日本郵船が、北米航路を開設した。
  明治維新の直後に、日本を導く国として三菱グループ
 の最初の会社として誕生した・・世界の既得権益を堅持
 しようとする海運会社を相手に闘いを挑んだ日本のリー
 ディングカンパニー。
  度重なる困難に打ち勝ちながら、世界有数の総合物流
 企業として成長して来た。
  開国当初の日本海運は、外国船に太刀打ちできず、イ
 ギリスやアメリカの船会社に日本近海はもとより独占さ
 れ尽くしている状況だった。
  岩崎弥太郎は、藩の廻漕業・九十九商会を継承して、
 1874年、本拠を東京に移した。
  数々の業績で、大久保利通大隈重信らの信用を得て、
 政府より海運を一任された。
  1875年、政府の命を受け、日本初の外国航路となる横
 浜~上海定期航路を開設した。
  この時、航路を独占していたアメリカのパシフィック
 メール社は、三菱商会(当時の社名)を潰しにかかり、
 9か月におよぶ運賃切り下げを行ない、競争状態に入る。
  結局、日本沿岸より撤退する。
  また、イギリスのP&O社も航路を開設して、対抗し
 て来た。
  政府の支援も得て、結局、この社も半年後に航路を閉
 じた。
  しかし、熾烈な戦いに勝ち、順風満帆の時ばかりでは
 なかった・・1881年、政界の地図が変わり逆風も吹き始
 める・・官民の風当たりが強くなる。
  1882年、半官半民の共同運輸会社が設立された。
  この会社との熾烈を極める競争が始まる・・会社の体
 力は両社とも極めて消耗する・・世論は理解を示さず、
 味方をしなかった・・
  日本海運の危機が生まれた・・消滅の危機・・この危
 機を救ったのが西郷隆盛の弟・西郷従道農商務卿だった。
  1885年、交渉が実を結び、郵便汽船三菱会社と共同運
 輸は合併する・・日本郵船会社の誕生となる。
  だからと言って、順風満帆の船出ではなかった。
  日本の発展はすさまじく、陸路の運搬も急速に発展し、
 その競争もし烈だった・・また、地方船主も生まれてい
 た。
  ここで、日本郵船は海外に活路を見い出した。
  1893年、日本初の遠洋航路であるボンベイ航路を開設。
  日本の輸出産業の花形である紡績産業の発展とともに、
 日本郵船は、欧米の船会社との競争にも打ち勝ち、日本
 の輸出拡大に貢献して行った。
  1894年の日清戦争後、日本政府は、海外航路拡充の法
 律を次々と制定した・・さらに、日本の海運も大きく進
 展して行った・・そこで・・
  1896年、日本郵船は、アメリカ、ヨーロッパ、オース
 トラリアへの三大遠洋定期航路を開設して行く。
  この決断は功を奏した・・この快挙は、日本の国際的
 な名声も高めた・・日本郵船は、世界の船会社としての
 地位を固めた・・そして、海運国日本が築かれて行く・・
  (参照:日本郵船ホームページ)
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1896年9月1日、東海道線の新橋駅~神戸駅間に、急行列車
 が登場した。
  所要時間は、17時間22分だった。
  尚、急行料金は不要だった。
  この急行列車の開設は、2年前の1894年に、当時、私鉄
 だった山陽鉄道(現在の山陽本線を運営していた)が、
 急行列車を運行し始めたから、その刺激を受けた結果だ
 った。
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1896年9月5日、「鉄道略則第13条列記物品〔貴重品〕及牛
 馬獣類ヲ旅客列車便ニテ運送スル場合ニ仕払フヘキ増賃
 金割合」を改正した(逓信省告示第167号)
  25マイル(40.2㎞)未満の輸送では、価格100円につき
 10銭、
  25マイル以上50マイル未満は同20銭、
  50マイル以上は同30銭、
  価格100円未満は100円に切上げ計算する。
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1896年9月7日、大阪市に汽車製造合資会社(後の、汽車製造
 株式会社)が創業した。
  鉄道車両の製造会社で、1972年、川崎重工業に吸収合
 併された。
  日本の鉄道行政の黎明期を牽引した井上勝が・・、
  1893年3月に設立した・・日本初の民間機関車メーカー。
  1899年7月、井上は鉄道庁長官を務めたが、長官を辞す
 るに際して、その機に、長州藩の先輩である井上馨や、
 黒田長成、前田利嗣、毛利五郎らの旧諸侯や、岩崎久弥、
 住友吉左衛門渋沢栄一安田善次郎らの実業界の有力
 者らが出資し、1899年7月、大阪市西区川北大字島屋(現:
 此花区島屋)に開業した。
  メーカーとしての出発は、外国製の機関車などの模倣
 から始まり、日本の独自の改善を施して行くという発展
 を果たした・・
  日本人の優秀さが、どのジャンルにおいても、この様
 な抜群の吸収力・応用力から発した。
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1896年9月9日、平瀬作五郎がイチョウ精子を発見した。
  「花粉管端より躍然精虫の遊動して活発に転々突進す
 る状況を目撃」・・小石川植物園の平瀬作五郎が、世界
 で初めてイチョウの泳ぐ精子を発見した模様を表現した
 言葉だった(1894年説あり)
  平瀬作五郎(1856年~1925年、植物学者)安政3年1月
 7日、越前国福井市)に生まれる。
  1872年(16歳)福井藩中学校(藩校)に入学、卒業後、
   図画術教授補助に任命される。
  1873年(17歳)東京に出て油絵を学ぶ。
  1875年(19歳)帰郷し、岐阜中学の図画教師となる。
   かたわら「小学用器画法」(1888年)ほか図画教科
   書を著した。
  1888年(32歳)帝国大学理科大学(現:東京大学理学
   部)植物学教室へ画工となる。
  1890年(34歳)技手となる。植物学に興味を抱く。
  1893年(37歳)助手となり、矢田部良吉教授の植物図
   を描く。イチョウの研究を始める。
  1894年(38歳)池野成一郎(この後、東京大学教授と
   なる。ソテツの精子の発見者)の助言で、イチョウ
   の花粉管内に精子を発見した・・
    裸子植物に初めて精子を発見・・受精過程を追跡
   した(イチョウの受胎および胚の発生研究)
  1896年(40歳)イチョウ精子発見を発表した。
   ソテツの発見と共に、これらの発見は、植物分類学
   細胞学・進化学上の一大事件であった・・
    海外の学者にも称賛された。
   平瀬作五郎は、当時、助教授だった池野成一郎に、
   精子を発見した時、寄生虫だと思って見せた・・そ
   れを見るなり池野は「精子だ」と直感したという。
  1896年9月9日、「花粉管端より躍然精虫の遊動して活
   発に転々突進する状況を目撃」・・となる。
  1896年10月、「いてふノ精虫に就テ」という論文を発
   表する(裸子植物の世界初の精子の発見)・・なお・・
   1894年1月、最初の論文「ぎんなんノ受胎期二就テ」
   を「植物学雑誌」に発表という史料もある。
   そして、1896年に、イチョウ精子を世界初でプレ
   パラート上で確認したの史料もある。
  1897年(41歳)東京大学を退職し、彦根中学へ転出、
   一時、研究も断念する不幸の時期があった。
  1912年(56歳)池野と共に学士院恩賜賞を受ける。
   初めは、平瀬作五郎の授与は予定されていなかった
   と言われている・・が、しかし、池野成一郎が、「
   平瀬が貰わないならば、私も断らせて戴く」と言い、
   二人の同時受賞となったという。
   後半生は、平野は、花園中学校で教鞭をとる。
  1918年(62歳)クロマツの受精に関する報告をする。
  1924年(68歳)肝硬変で花園中学校を退職する。
  1925年1月4日、京都市右京区御室の自宅で永眠された。
  尚、平瀬作五郎の精子発見のイチョウの木は、今でも、
 東京都文京区白山東京大学理学部付属植物園に保存さ
 れている。
  1956年、その記念のイチョウの木の下に記念碑が建立
   された。
   「精子発見六十週年」と刻まれた。
  1996年9月9日、「イチョウ精子発見百周年記念市民国
   際フォーラム」が、東京大学安田講堂で開催され、
   広瀬作五郎の功績が讃えられた。
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1896年9月14日、豊州鉄道の伊田駅~添田駅間の建設に際し、
 田川郡大任村、および、同郡伊田村の両地区の500戸の住
 民から、良田の11町余がつぶされて悲境に陥ると、線路
 の迂回要求の請願書が出された。
  (1899年9月16日、川崎駅~添田駅間、および、伊田
 ~伊加利駅間の建設出願と同時に、伊田駅~添田駅間の
 線路敷設権の取消願を提出して、翌年3月13日に認可され
 た)
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1896年9月18日、第2次松方正義内閣が成立した。
  進歩党の大隈重信は、内閣連帯性、言論・集会・出版
 の自由、民間人登用の3条件を提出し、大蔵大臣に就任
 した。
  第6代第2次松方内閣が成立した(~1898年1月12日)
  第1次松方内閣のトキの帝国議会対策での失敗もあり、
 組閣は順調とは言えなかった。
  松方自身が率いる薩摩藩からも反対論が出る状況だった。
  種々の妥協からこの内閣を「松隈内閣(しょうわいな
 いかく)」とも呼ばれる。
  特筆すべきは、政党の本格的な政権参加が実現した。
  また、1897年3月26年に、金本位制の貨幣法が公布され
 た(「大隅財政」「松方財政」は悲願としていた)
 松方内閣第十議会(氷川清話)
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1896年9月21日、奈良鉄道と連絡運輸を開始した。
  京都と奈良の2つの古都を結ぶ鉄道は、鉄道省国鉄
 の運営する奈良線が、1896年に開通していただけで・・、
  そして、蒸気運転でもあって速度は低く、列車本数も、
 1日12往復と少なく、都市間交通としては不便という問題
 点があった。
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1896年9月25日、明治座で歌舞伎役者の初世・市川左団次
 座が興行した。
  (参考)初世:しょせい、初代に同じ。
  25日間の全部を売り切った。
  近所のそば屋の印を押した切手(売り切りそば券)を
 袋に入れて、頭取が配った・・大入袋のはじまり
  これが大評判となり、25日間の興業切符の全部が売り
 切りとなった・・
  明治座は、1893年に新築され・・市川左団次(初代)
 は、座元(劇場所有者兼興行総責任者)として近代的な
 劇場経営を行った。
  新作物中心の興行を推進した。
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  (今日の言葉)
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  題:中国の南太平洋への影響力拡大に警戒が必要・・
   また、中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
   アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
   そして、電磁パルスで、皆が皆、世界中の人々が、公平に死に至ることを、
   習近平金正恩、そして、文在寅プーチンへ教えてやれ!
   地下に隠れたって駄目!
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2世紀末、ローマ帝国内にキリスト教が広まった。
  キリスト教は、2世紀末には、ローマ帝国全土に教線を
 拡大していた。
  ディオクレティアヌス帝の退位(305年)後に起こった
 内戦を収拾して、そして、その後に、単独の皇帝となる
 コンスタンティヌス1世(大帝。在位:副帝:306年~、
 正帝324年~337年)は、当時の東帝リキニウスと共同で、
 313年に、ミラノ勅令を公布し、キリスト教を公認した。
  その後も、キリスト教の影響力は増大を続け、ユリア
 ヌス帝による異教復興などの揺り戻しはあったが・・
  後のテオドシウス1世(在位:379年~395年)の時に、
 国教に定められた・・
  そして、キリスト教の教義どおり、異教が禁止された
 (392年)
  394年には、かつてローマの永続と安定の象徴とされ、
 フォロ・ロマーノにありローマの建国期より火を絶やす
 ことのなかったウェスタ神殿のウェスタの聖なる炎も消
 されるに至った・・異教だから消せ・・と・・
  ローマ時代のキリスト教徒は、特に、「終末」の意識
 が高かった。
  中世は、「イエスが時間を支配し、世界を支配する」
 と考える意識を強く持たされた・・
  そして、キリスト教会は、復活祭表の改定の必要性か
 ら・・「イエス紀元」が、525年に、考案された。
  考案したのは、スキタイ人キリスト教修道士(デオ
 ニシウス・エクシグウス)だった。
  彼は、「復活祭を、ディオクレティアヌス暦でやって
 いるのは、不信心な迫害者の記憶に結びつけることにな
 り、気に入らないから」と、その理由を書いた。
  それまでは、アレクサンドリアの司祭の復活祭を決め
 る表を使っていた。
  また、ディオクレティアヌスは、キリスト教の迫害を
 していた。
  ちなみに、ギリシャ人は、紀元前776年を紀元とする
 「オリンピック紀元」を使っていた。
  また、「ローマ人は、紀元前753年を起源とする、「ロ
 ーマ建国紀元」を使っていた。
  また、紀元前284年のディオクレテゥヌス帝の即位を紀
 元とする年号は、ローマ帝国内で、広く使用されていた
 が、この「ディオクレテヌス暦」は、ローマ帝国を越え
 て使用を強制できなかった。
  今・現在、キリスト教のイエス生誕に関連する西洋暦
 を使っているが、キリスト教が迫害されて、気に入らな
 かったため、キリスト教修道士が計算し作り出したのだ
 った・・しかし、ちなみに、イエスの生誕日は不明なの
 である。
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354年11月13日、キリスト教の教父と言われるアウグスティ
 ヌスが生まれた(~430年8月28日)
  彼が有名になるのは、キリスト教ローマ帝国に公認
 され、国教とされた時期と重なるグッド・タイミングも
 あった。
  彼は、後のキリスト教へ多大な影響を与えた。
  衰退しかけたキリスト教を復興し、中世のキリスト教
 が栄える時代へとつなげた。
  ただ、悲しいかな、また、当然のことであるが、彼は、
 現代の様な科学知識が無いため、色々な間違いをし、ま
 た、発言もしている。
  そして、アウグスティヌスの最大の発明品と言われる
 「死んだ後の救済」をキリスト教の教理とした。
  ここに、救済の「神の国が出現する」とした。
  人々は信じ、現世では夢は叶えられない「終末と最後
 の審判の後に実現する『神の国の実現』に救済される」
 とした。
  人々は、その彼の発明品によって、また、キリスト教
 聖職者が説く『殉教』を美しく感じさせられた。
  結果、自分の命を軽く扱い、捨てるという行為が安易
 になされた。
  この様な若者が多く出る状況となった。
  また、幼い子供の頃の絵本「フランダースの犬」も、
 この様なストーリーで、幼児がマインド・コントロール
 される状況となっている。
  神の前で死んで行く主人公を美しく感じさせられ、マ
 インド・コントロールしている・・その様な幼い頃より
 の洗脳する絵本・・
  それが、「永遠の至福なのだ」と洗脳し・・青年期の
 自殺へとつながる。
     ・
     ・
15世紀、ヨーロッパ中世末の15世紀・・悪魔と契約してキ
 リスト教社会の破壊をたくらむ者という「魔女」の概念
 が、「キリスト教会によって作られた」。
  男尊女卑のキリスト教の如く・・女性が悪者にされた。
  そして、最初の大規模な魔女裁判がおこった。
  そしてまた、16世紀後半~17世紀には「魔女熱狂」と
 言われる多くの女性が焚刑(ふんけい、焼き殺す刑罰)
 となる大迫害時代となった。
  その中心は、キリスト教会内にあるキリスト教裁判所
 で行われた・・
  そして、その裁判長は、キリスト教聖職者がなった。
  魔女でも何でもない女性が裁かれ焼かれた。
  目的は、大きくなりたい、権威が欲しいとするキリス
 ト教の資金集めが目的だった・・また当時、権威のあっ
 た助産婦(家庭医でもあった)がターゲットだった(権
 威者の消滅)・・夜、薬草を煎じる姿を魔女としたりし
 た・・また、資産家の女性が狙われた・・
  社会は、燃え盛る「キリスト教魔女狩り」の社会と
 なった。
  魔女にされた無実の女性は、キリスト教会内にあるキ
 リスト教裁判所で、必死に無実を訴えた。
  それでも、キリスト教聖職者のキリスト教裁判所の裁
 判長は、色々な拷問を続けて無実の女性を痛めつけた。
  助かる者はいないという状態だった・・
  長い陰湿な拷問が続いた。
  キリスト教聖職者の性的ストレス解消もなされるとい
 う軽蔑的行為もなされた。
  最後は、女性方は、皆、魔女とされ焚刑となった。
  燃え盛るキリスト教魔女狩りの嵐の前に、なすすべ
 もなかった。
  そして、見せしめの「市中引き回し」が行われ、キリ
 スト教聖職者がその先頭を歩いた。
  そして、町の広場で、顔見知りの方々の見守る中で焼
 かれた。
  卑劣なキリスト教の考える、そして、その行為だった。
  燃え盛るキリスト教の迷信宗教の中で、女性は、真実
 を訴えながら焼かれた。
  女性の財産は、キリスト教会に奪われた。
  キリスト教は、これが目的だった。
  キリスト教会は、女性を焼いた薪代(まきだい)まで
 請求した。
  この様に、初めから終わりまで、キリスト教が仕組ん
 でいるこのことが明らかな事柄に対し、最近になって、
 「すべては民間の世俗が行なったこと」と、被害者側に
 ある市民の行為だと、キリスト教は「なすりつける行為」
 を言い始めている・・恥の上塗り・・
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1816年、キリスト教聖職者のロバート・フィンリーは、黒
  人の方々をアフリカに送還するための「アメリカ植民
 協会」を結成した。
  この真の意味は、奴隷解放ではなく、黒人は、たとえ
 「自由人」であっても、白人社会の中で白人と一緒に生
 活する事は出来ないという白人優越=黒人蔑視の人種的
 偏見に根ざしていた・・古来から、キリスト教はこの考
 え方をした・・アウグスチヌスもアフリカのエチオピア
 の方々を迫害した・・
  また、その政策は、黒人の方々を「隔離」し「追放」
 することだった。
  そして、その3年後の1819年、アフリカのフランス領の
 象牙海岸の隣接地に4万平方キロメートルの地域が、植民・
 棄民のための場所として用意された。
  そして、まもなく、入植が行なわれ、首都は、ジェー
 ムズ・モンロー大統領の名前にちなんで「モンロビア
 と名付けた。
  現在のリベリア共和国である。
  しかし、入植した人数は、極めて少なかった。
  皮肉なことに、アフリカ最初の独立国となった。
  エイブラハム・リンカーン大統領は、この棄民政策
 推進した。
  自由黒人の進歩派の方々は、この政策の真意を見抜き
 反対した。
  そして、その戦いの先頭に立った。
  やがて、この自由黒人の奴隷制廃止主義者の方々も加
 わった。
  卑劣なキリスト教聖職者から始まったこの行動・行為
 も、この様な経過を辿(たど)った。
  そして、黒人の方々は、1830年に、アメリカ自由黒人
 協会を結成した。
  黒人の方々による最初の政治結社だった。
  集会運動を通して、アフリカ送還の棄民政策に反対し
 た。
  また、当然、黒人奴隷制度に反対し、逃亡奴隷に手を
 差し伸べ、黒人の方々の市民としての権利(選挙権や教
 育や仕事など)を要求し、平等を要求し、肌の色による
 差別行為に抵抗した。
  アメリカには、このような差別が根強く残った・・今、
 国連がSDGsをしているが、男女平等も大切だが、『
 まず第一に、人権の尊重と平等を掲げよ』・・
.
1911年、日本へ軍事技術を教える事に対しての警戒感が明
 確となった。
  日露戦争で、日本海軍が、あまりにも見事に、ロシア
 海軍を殲滅(せんめつ)したことが、世界に大きく衝撃
 を与えた。
  この事により、これ以降、日本は、海外の諸外国の先
 進国から、特に、海軍関係の知識を教える事に対し、警
 戒されるようになった。
  日本の留学生が、イギリスの海軍兵学校へ行くが、日
 英同盟があっても、1911年の時点であっても、英国海軍
 省からの指示で、「砲術の授業に日本人は入れるな」と
 された。
  また、第一次世界大戦の時点でも、日本とイギリスは、
 一緒になって、ドイツに対して戦った同盟国であったが、
 軍事技術の供与は、大きく制限された。
  アメリカもこの時期、この様な警戒を日本に対してし
 始め、イギリスと同様な動きとなった。
  今・現在の現時点において、中国が、「太平洋を半分
 づつにしよう」と、アメリカに言っているが、この言葉
 に代表される様に、また、習近平の言葉の様に、「世界
 覇権を得る」「2049年に、中国は軍事と経済で世界を制
 する」という目標を掲げる中国には「最大限の警戒を要
 する」。
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1942年2月15日、シンガポールが陥落した。
  シンガポールの戦いが、1942年2月7日から、イギリス
 の海峡植民地のシンガポールで、日本とイギリスの間で
 行われた・・そして、イギリスのシンガポールは、2月15
 日に陥落した。
  2倍以上の兵力を誇ったイギリス・・そのイギリスとの
 戦い・・また、難攻不落と言われていたシンガポール
 要塞。
  ここを、10日足らずで攻略した日本・・
  この結果、イギリスは、率いる軍として、歴史上最大
 規模の将兵が降伏し、捕虜となった。
  この時、イギリスのチャーチル首相は言った・・
 「イギリス軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏だ」
 と・・
  日本の緒戦(しょせん)の勝利は、東南アジアやイン
 ドの方々に「独立への夢と勇気」を育(はぐく)んだ。
  東南アジアにおける日本軍の目ざましいの進撃は、現
 地のかた々の協力なしには、なし得なかった・・
  協力があってこそなし得た。
  イギリス軍に居たインド軍兵士の中からインド国民軍
 が結成された。
  日本軍と協力して、インドへ向けて進撃を始めた。
  インドネシアビルマでも、軍隊が作られた・・
  そして、日本軍は指導した。
  マレーシアの独立運動家で、元上院議員のラジャー・
 ダト・ノンチック氏は書いた・・
  「日本軍は、長い間、アジア各国を植民地として支配
 していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てな
 いと諦(あきら)めていたアジアの民族に、驚異の感動
 と自信とを与えてくれた。
  長い間、眠っていた「自分たちの祖国を、自分たちの
 国にしよう」という心を目覚めさせてくれた。
  私たちは、マレー半島を進撃して行く日本軍に、歓呼
 の声を上げました。
  敗れて逃げてゆくイギリス軍を見た時に、今まで感じ
 たことのない興奮を覚えました」・・と・・
  (追伸)アジアの各地から日本軍が撤退した後、これ
     等のアジアの国々は、ほぼ十数年の間に次々と
     自力で独立を達成した。
      日本軍の兵士の中には、現地に残って独立戦
     争に参加する日本兵士も多かった。
      インドネシアでは、その戦士たちは、英雄戦
     士の墓に眠っている。
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1945年12月1日、サイパンで、最後まで戦い抜いた日本軍が
 山を下りた。
  サイパン島に残ったわずかな日本軍地上部隊は、ゲリ
 ラ化して、遊撃戦に移行していた。
  そして、各個で戦闘を継続した。
  日本のポツダム宣言受諾後も、その事実を知らない陸
 海軍の将兵らは、遊撃戦を継続していた・・
  ・・が、ポツダム宣言受諾の事実を知り順次投降した。
  タッポーチョ山を拠点としていた歩兵第18連隊衛生隊
 の大場栄陸軍大尉以下47名の部隊は、1945年11月27日(
 発令は25日)に、独立混成第9連隊長の天羽馬八陸軍少将
 (陸士第23期卒)の正式の命を受け・・
  1945年12月1日、軍歌(彼らの部隊の隊歌と「歩兵の本
 領」)を歌って戦没者の霊に弔意を示しながら山を降り、
  そして、投降した。
  栄光ある軍事行動に従事していた彼らは、大本営のサ
 イパン放棄を知らず、必ず友軍がサイパンを奪還に来る
 と信じていた。
  大規模な投降としては・・最後のものとなった。
  なお、歩兵第18連隊主力は、1944年5月に、グアムに移
 駐したが、衛生隊ほかは移駐が間に合わず、サイパン
 戦いに加わることになった。
.
2019年、題名:キリスト教性悪説では子供は伸びない・・
  また、その性悪説の精神的圧迫は、自殺の危険を招く・・
  テレビの司会者などで、キリスト教の考え方の「性悪
 説が優れている」と、自分のキリスト教信仰を『巧妙に
 伝道している者』が居るが・・
  そして、また、仏教の性善説を貶(おとし)める発言
 を・・自分の立場を利用して行なう者がいる・・
  これは「放送法の違反行為となる」・・公平な報道で
 はない・・
  特に、キリスト教に偏するNHKに、この行為は多い。
  科学的には、「子供は、前向きに性善説的に褒(ほ)
 め、育てる方が良い」と結論されている。
  例えば、子供にキリスト教の様な「性悪説的な精神的
 圧迫」を加えた場合、そこから「トラウマが発生する」。
  その精神的トラウマが、身体的トラウマにもなり・・
  キリスト教の若者に自殺が多いが、常に与えられ続け
 る性悪の圧迫は、蓄積すると爆発する・・怖いのである。
  その内、希望まで無くなってしまう・・
  常に、性悪説的に発想し、思考展開し・・そして、そ
 れらが行動・行為に、反映してくる・・
  そしてまた、その精神的圧迫が身体的に影響してくる。
  性悪説の危機的な状況を察知すると、脳は、ストレス
 ホルモン系と自律神経系とを動員して、それを回避しよ
 うとする・・本能がそうさせる。
  それが、常に、与えられ続けると、逃げ場の無い状態
 となる。
  体や本能が、その対応をとることが出来なくなる。
  その結果、身体は、体内でその警報を、ずっと鳴り続
 けさせる。
  トラウマ状態になって行く。
  危機的状況から本能や体が対応できなく、思うように
 守れなくなると、自分の体の主導権が奪われた状態に陥
 (おちい)る。
  トラウマとなると、自分の体が感じているはずの事を
 正確に感じることが出来なくなる・・想像することが破
 壊される。
  常に、身体は緊張状態となっている。
  自分の感覚から受け取った情報を正確に処理できなく
 なって・・
  自分の内部で起こる感情の変化を自覚することが出来
 なって・・
  緊張しっぱなしの体が悲鳴を上げる・・
  薬物療法で緩和しても、根本的な解決とはならない。
  この様な展開が、恐ろしい結果を生む・・
  マイナスの圧迫、その常時の圧迫の怖さである。
  人間は、性善説的に、前向きに明るく思考展開した方
 が良い・・科学的にも証明されている・・
.
2019年、電磁パルスによる殺傷が起きる。
  広島や長崎の原爆は、地上500メートルで爆発した。
  それによって、超高温で焼かれ蒸発し、殺され、死ん
 だ。
  人間は蒸発して行った。
  石造建物の石に、「ここに人がいたんだな」と思わせ
 る影の黒い痕跡だけを残して、人間は跡形もなく居なく
 なって、蒸発していた。
  母を探しに行ったら、台所に母の指輪だけが落ちてい
 たという話も聞く。
  原爆の超強烈なエネルギーは、その様なエネルギー・・
  広島・長崎は、山に囲まれているから、被害はその山
 に囲まれた地域内だけになった・・
  東京に投下されたら、関東平野は広いから、その広大
 な面積が焼かれ、蒸発させられることになる・・
  それに、今は広島・長崎の時の原爆より、けた違いに
 巨大になっている。
  ここで知っておきたいことは・・爆発高さが広島・長
 崎の時が500メートルだったが、この高さが高くなると
 どうなるか?・・ということである。
  日本は、地上数十キロメートルで爆発されると、日本
 全土が、原爆の熱によっては死なないが、原爆の爆発に
 よって発生する「電磁パルス」によって、結局、死に至
 ることになる。
  (参考)高高度核爆発:
      高高度における核爆発・・
      強力な電磁パルス(EMP)を攻撃手段として利
     用し、広範囲での電力インフラストラクチャー
     や通信、情報機器の機能停止を狙う。
      爆発高度によって分類されるものであり、核
     兵器の種類や爆発規模などは問わない。
      高度数十km以上の高層大気圏における核爆発
     においては、大気が非常に希薄であり、核爆発
     の効果に関して、高度が上がるにつれ爆風は減
     少していく。
      核爆発のエネルギーは電磁放射線が多くを占
     めることとなる。
      核爆発により核分裂後10ps(10~11秒)以内
     に発生したガンマ線X線)が大気層の高度20km
     ~40km付近の希薄な空気分子に衝突し、電子を
     叩き出し(コンプトン効果)、叩き出された電
     子が地球磁場の磁力線に沿って螺旋状に跳び、
     10nsほどの急峻な立ち上がりで強力な電磁パル
     ス (EMP) を発生させる。
      大気が希薄であることからガンマ線は遠方ま
     で届き、発生した電磁パルスの影響範囲は水平
     距離で100km~1,000km程度にまで達する場合が
     ある。
  電気・水道・ガスをはじめ、金融システムはじめ現代
 社会は、コンピューター・システムによって生きている。
  原爆の高高度のこの炸裂で、この電磁パルスによって、
 やられる。
  人間は死なないだろうが・・社会基盤を失う。
  この失われた社会基盤の普及は、数年を要する。
  結局、人類は生きて行けないで・・死に至る・・
  衛生状態も良好に保てない状況の中で・・死滅する・・
  核弾頭ミサイルを撃墜し、大気圏、再突入できないと
 しても、この位置で炸裂したら、この電磁パルスで、遅
 かれ早かれ、死に至る・・
  日本全土がこの憂き目にあう。
  例えば、この逆、北朝鮮の上空で、この状態と同じこ
 とが起きれば、当然、同じことが起きる。
  北朝鮮上空と言ったが、隣国の中国へも被害が及ぶ。
  北京にも被害が及ぶ。
  即死は無いが、結局は、広い範囲が死に至る。
  大気圏の核爆発というのはその様なもの・・
  核爆発による攻撃のボタンを押した者が、自分たちだ
 けが生き残れると思っているのは・・『妄想だ』。
  皆、一緒に死ぬ羽目に陥(おちい)る・・
  人工衛星も、駄目となる・・近代の機器は壊滅する・・
  電磁パルスで、皆が皆、世界中の人々が、公平に死に
 至ることを、習近平金正恩文在寅、そして、プーチ
 ンへ教えてやれ!
  地下に隠れたって駄目!
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2019年、韓国政府は、慰安婦問題の虚偽がはっきりした現
 在・・その様々な虚偽発言で「傷ついた日本国民」へ
 謝罪せよ!
  韓国政府は、今まで、日本政府へ主張して来た「慰安
 婦」について、それが、虚偽であったことがはっきりし
 た・・その様な今、韓国大統領名で、謝罪文を書き、発
 表すべきだ。
  朝日新聞が、虚偽だと明確に認め、謝罪している様に、
 同じ様に行動すべきである。
  また、この件で、長い間の虚偽行動で、日本国民の心
 が非常に傷ついた、この事に対して、韓国政府は基金
 設けて、その修復に努めよ!
.
2019年9月24日、中国の南太平洋への影響力拡大に警戒が
 必要という読売新聞の社説が掲載された・・
  以下、その抜粋・・
  経済援助と引き換えに台湾との断交を迫り、影響力を
 拡大する。
  南太平洋での中国の動向には警戒が欠かせない。
  南太平洋の島嶼国、ソロモン諸島キリバスが相次い
 で台湾と断行し、中国と国交を樹立することを決めた。
  これで、台湾が外交関係を持つ国は、世界で15カ国だ
 けになった。
  中国が、台湾を国際的に孤立させようと、攻勢を強め
 ているのは明らかだ。
  南太平洋はかつて、中国と台湾が熾烈(しれつ)な援
 助外交を展開したが、近年は、中国が経済力を背景に存
 在感を増している。
  オーストラリアの調査機関によると、中国は、2006年
 からの10年間で、南太平洋の国々に17億8000万ドル(約
 1920億円)を援助した。
  今や豪米両国国に次ぐ主要な援助国となった。
  この地域の秩序を主導する米豪に対抗する戦略だろう。
  懸念されるのは、中国の南太平洋への進出によって、
 地域の緊張が高まる事態だ。
  「海洋強国」を国家目標とする中国は、太平洋やイン
 ド洋など遠海へと活動範囲を広げている。
  国際ルールに反した一方的な海洋進出や、相手国の財
 政状況を無視した融資が批判されてきた。
  中国の習近平国家主席南シナ海について「軍事拠点
 化しない」と約束した。
  にもかかわらず、岩礁を埋め立てた人工島にレーダー
 やミサイルを設置し、「航行の自由」を脅かしている。
  インド洋の島国スリランカは、中国への債務返済が出
 来なくなり、南アジア最大級のハンバントタ港の権益を
 事実上、譲渡した。
  南太平洋で同様の問題が起きないとは言いきれない。
  島嶼国の多くが中国への経済的な依存度を高めている。
  バヌアツでは、中国が港湾整備を進め、軍事利用する
 との見方が出ている。
  南太平洋は、アジアと米大陸をつなぐシーレーン(海
 上交通路)にあたる。
  米軍がアジア太平洋の戦略拠点として基地を置くハワ
 イやグアムに近い。
  日米豪などが共有する「自由で開かれたインド太平洋」
 構想でも大切な地域だ。
  中国が島嶼国を拠点に軍事活動を強化し、地域の安定
 を揺るがす事態を防ぐため、米豪や日本が、南太平洋諸
 国への関与を強めることが求められる。
  経済援助に加え、安全保障協力が重要である。
  米豪は、パプアニューギニア・マヌス島の海軍基地を
 拡充し、周辺での軍事演習も強化している。
  島嶼国の防衛力向上に資する支援を積み重ねたい。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
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  (追伸)
  中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
  しかし、実態はただの紙切れの人民元・・
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応な振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールは大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めさせた。
  そして、アジア・・
  アジアで大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させて心身を興奮させないよう
 にという政策がとられた・・これに固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いが、とんでもないことになる
 という事態が発生している・・、
  この様な事態は看過できない、見過ごせないと、何と
 かしなければという行動が・・とられ始めた。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていないことにある。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべきだ・・そ
 れが当然だ・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行した)・・
  この図体ばかりが大きい中国は、変動相場制が恐怖で、
 逃げ回ってばかりいる・・
  アメリカの保護下に居た・・しかし、そのアメリカを、
 身分不相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・
  外貨準備も激減している・・
  資金が中国から逃げ、ますます、余計に、中国・人民
 元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊し・・空室ばかり・・株
 安も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減している・・貿易も、事実上、赤字と
 なっている・・もう中国の時代は終わった・・明らかに
 ASEANへ移行している。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 札の増発で、景気を煽るという嘘が「ばれ始めた」・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用して来た。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
  そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いてお
 けない。
  有頂天でやっている「一帯一路」は、当然、しぼんで
 行く・・
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  中国が生き残る道は、真からの自由経済社会と民主主
 義国家への道・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 はない・・
  (追伸)
  NHKは、CCTVへ映像を何十年も前から映像資料
 を渡している。
  例えば、一例として、国会の委員会の審議状況の映像
 のすべてを渡している
  CCTVは中国中央電視台で、中国(中華人民共和国
 の国営放送のテレビ局。
  国営通信の新華社とともに「メディア」と言うより、
 中国共産党のための宣伝機関とされている。
  これはスパイ行為である。