(増補版)669E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)

題:(増補版)669E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
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1897年4月17日、房総鉄道大網駅~一ノ宮駅(現:上総一ノ
 宮駅)間が開通した。
  千葉県の動脈の発展は・・
  1893年9月7日、房総鉄道馬車会社に鉄道免許状が下付
   された(千葉郡蘇我町~山辺郡大網町間)
  1896年1月20日房総鉄道会社によって、蘇我駅~大網
   間が開業した。
  1896年2月25日、千葉駅~蘇我駅間が延伸されて開業。
   総武鉄道と接続された。
  1896年11月1日、土気駅が開業。
  1897年4月17日、大網駅~一ノ宮駅が延伸されて開業。
  1898年3月25日、岩沼駅(現:八積駅)が開業。
  1899年12月13日、一ノ宮駅~大原駅間が延伸して開業
   した。
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1897年4月20日、九州鉄道の門司駅小倉駅間が複線で開通
 した。
  1888年、九州鉄道は創立され(1887年説あり)
   北九州を中心に路線を延長し、私鉄併合を進めて(17
   社の私設鉄道)、九州の鉄道網をほぼ独占した。
  1888年6月27日、営業が認可された。
  1889年12月11日、九州で初めての鉄道として博多駅~千
   歳川仮停車場(筑後川北岸)間を開業した。
   博多から南へ向かって開業した・・
  1891年4月1日、門司駅(現:門司港駅)まで東へ向かっ
   た。
  1891年7月1日、熊本駅まで南へ向かう
  1891年8月20日鳥栖駅佐賀駅間を開業(現在の長崎
   本線の一部)
  1896年11月21日、八代駅まで延伸(現在の鹿児島本線
  1897年10月1日、筑豊鉄道を合併した・・この後、この
   他、伊万里鉄道、豊州鉄道、唐津鉄道などを統合する。
  1907年7月1日、鉄道国有法によって国有化され解散した。
   この時の路線の総延長は716.6km。
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1897年4月21日、房総鉄道の一ノ宮駅~勝浦駅間の延長免許
 状が下付された。
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1897年4月22日、八王子で大火。
  データーでは死者42人、負傷者223人、被災者1万人、全
 焼家屋3341戸、午後3時40分に出火し、北西の強風にあお
 られ、わずか4時間で約6割を焼失・・とある。
  大火の年に発行された「風俗画報」第140号には・・
  「全焼三千百〇四戸、半焼三十戸、土蔵二百〇二化して
 烏有と為り」「火元は大横町七十五番地齋藤平吉方より十
 間(18m)ばかり隔たりし北裏、機織業荻島市太郎方の煙突
 の油煙が、右齋藤方の家(屋)根へ飛び来たりて発火したり
 とも云い、又齋藤方の二階より発火したりとも云いて未だ
 判然とせず」。
  「出火は、廿二日午後三時四十分頃なるが、当日は朝の
 程より風激しくて雨雲低く舞下がり(中略)午後よりは晴模
 様となりて風は益々荒れ増される折しも、同町大横町より
 出火して瞬く隙(ひま)に隣家に燃え移り、之と同時に火元
 を距(さ)ること凡そ六町(約650m)余りなる妙薬寺に飛び
 火し、次いで同町第一の劇場関谷座にも飛び火して、一時
 に黒煙を逆巻き上げ、復(また)風に吹き倒されては追々に
 燃え進み、大横町の火は元横山町大通り八日市を、妙薬寺
 の火は元横山町本町を、又関谷座の火は元横山町並びに本
 町の下手を焼き廻り、都合三手に別れて猛烈なる火先を揃
 え、正東の方向即ち新町に向かって突き掛け来たりしは、
 出火より僅かに十五分の後なり」こうして八王子の中心部
 は焼けた。
  その後、炎は浅川沿岸に達したので「流石(さすが)の火
 勢も此に防ぎ止めらるべしと思いきや、何時の程にか二町
 (約220m)余の川幅を飛び越して小宮村大和田に延焼した
 る折こそあれ、西北より吹きたる風は一変して西南となり
 たるにぞ、火は再び川を吹き戻され風下なる横山町、八日
 市、馬乗町三丁目、小門町、上野町、寺町、馬乗町一丁目
 をあれあれという間に焼き払い、火元よりは遙か西方に当
 たれる八幡町を焼き、右側は同町の七十八銀行、左側は小
 林屋方に於いて、又東の方面は八王子停車場(駅)傍らの旅
 人宿角喜に於いて、辛うじて消し止めたるは同七時半頃な
 りし」
  40人死亡、焼失家屋約3500余戸、主な焼失建物は、東京
 地方裁判支所、八王子区裁判所、郵便電信局、郡役所、町
 役所、収税所、警察署など行政機関。
  また小学校3校、銀行2行、劇場2館、寺院1か所、神社2
 社、また繁華街が焼けたので貸座敷(遊女屋)多数が焼失し
 ている。
  なお大火となった原因として、当時の風の勢いが強かっ
 たことのほか、8組480人の消防組員(現・消防団員)は奮闘
 したが、火先が多数だったことで進退の自由を失いやむを
 得ず消防器具を焼き尽くしてしまったこと、消火の指揮に
 あたる警察署員も一時に数か所から燃え上がったため人命
 救助を優先し、消防の指揮までは行き届かなかったと指摘
 している。
 (出典:八王子市郷土資料館編「明治時代の八王子>七 明
 治三〇年の八王子大火>災異門 112頁~120頁:画報子著・
 八王子町の火災」)
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1897年4月23日、東京朝日新聞が、八王子大火の内容原稿を
 伝書鳩を使って輸送した。
  前日の八王子大火に関する報道で、業界で初めて記事伝
 送に伝書鳩を使用。
  状況としては、この当時は、八王子と言っても遠い町だ
 った。
  通信手段も焼かれ、焼け残った鉄道電信でやっと第1報
 が届いたのが翌日の4月23日の午前2時34分だった。
  しかし、電信(電報)では詳しい記事ではなく全体が
 つかめない・・ここで鳩を使う事を思いついた記者が居た。
  3羽の鳩を風呂敷に包んで上野駅から汽車で八王子へ向
 かった記者は、夕方、八王子へ着いた。
  八王子ではローソクを灯して焼死人を番をする人たちが
 居た。 
  状況が分かる明け方を待つ・・半分焼けた憲兵駐屯所に
 警察官も居て取材・・
  概要を管に収めて鳩の足に結び最初の一羽を放す・・鳩
 は社へ向かう様子が無い・・
  二羽目を放す・・ぐるぐると高く回って東京の方面へ矢
 のように飛び去る。
  三羽目は、逆に、西へ行ってしまった。
  あれれと見ていたら、方向転換して、恐ろしく早い速度
 で東京をめざした。
  この頃になって、やっと最初の一羽目の鳩も舞い上がっ
 た。
  そして、取材をして、翌朝、社へ向かい、新宿で新聞を
 買って確かめると鳩に託した記事が書かれていた・・目頭
 が熱くなった・・
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1897年4月27日、生糸直輸出奨励法が公布された。
  この年、はじめて綿糸が輸出超過となった。
  労働運動も高まっていて、4月6日には、高野房太郎らが
 「職工義勇会」を結成していた。
  横浜の居留地に居た外国人たちが行なう居留地貿易は、
 輸出入ともに圧倒的であった。
  日本の貿易を牛耳っていた。
  この様な貿易の状況下、外国人商館は、強い条約上の権
 利と豊かな資本力を背景にして貿易を独占して来ていた。
  日本人の経営する商社が、1877年頃から成長してきたが、
 圧倒的影響力を外国人に行使されていた。
  この様な外国人勢力に対抗したのが、国内生産者から集
 荷し、そして、その商品を納入した邦人の売込問屋だった。
  因みに、この逆に、外国人商館から輸入商品を仕入れて、
 国内の商人に還流させたのは邦人の取引問屋・・
  不平等条約の体制下、日本の貿易の担い手たちは、この
 様な体制で行われていた。
  今・現代では普通のことである「直輸入」「直輸出」な
 どという概念は夢の様な概念だった。
  明治の中頃まで売込問屋→外国人商館→輸出だった。
  そして、生糸は、100パーセントが横浜から輸出されて
 いた。
  日本の生糸は安くされており、取引価格は欧米市場の3
 分の2から2分の1だった。
  零細で小資本の製造者(養蚕農家)、そして、問屋から、
 大資本の外国人商館へ、安値に買い叩かれた・・恒常的に
 この形で来ていた。
  また、卑劣にも、この外国商館が、何が何やらの不明瞭
 な商習慣をちらつかせていて、見本品生糸を出させて没収
 したり、○○料だと意味不明の金を取ったりした。
  この様な状況を把握していた日本政府は、1873年に、居
 留地外商を経由しない輸出を考えていた・・
  直輸出に注目していた・・
  大久保利通の配下の人たちだった・・
  理論的な提唱者は、旧薩摩藩の前田正名(大蔵、内務、
 農商務の各省をの高官を歴任している)だった。
  日本が生糸を貿易の目玉にして大きく貿易上の利益を確
 保し、成長したのは、この人の功績としても良い。
  1880年には、直輸出商社の起業や、直輸出参入者が拡大
 した。
  そして、明治20年代(1887年代)に入って行くと、生糸
 直輸出に関与した製糸業の人たちが多くなって行く。
  そして、全国的に拡大して行く。
  外国人に制せられた商権と商習慣を打破して行く・・
  その行動の中に士族系の製糸業者も居た・・
  豪農も共に行動した・・
  そして、政府の直輸出奨励政策に士族・豪農層が敏感に
 積極的に反応し、協力した。
  しかし、直輸出への道は順調だったとは言えない・・
 不況にあって政策が転換されたりの紆余曲折があった。
  また、直輸出は、すぐに代金が手に入らないという欠点
 もあった。
  アメリカへの直輸出の場合、代金を手にできるのは半年
 後だった。
  横浜の外国人商館に売れば現金決算であった・・
  ここに関係するのが邦人商社の資金的な力の有無だった
 (資金余力は弱体だった)
  政府・横浜正金銀行の保護政策も後退する時もあった。
  1889年、前田正名が高官として復帰した・・そして・・
  1890年、次官として昇任し、大蔵省に対して強い保護継
   続の養成があった。
   大蔵大臣の松方正義も、生糸直輸出業関係者と強い
   つながりも持っていた。
  時の知識人・福沢諭吉も、生糸直輸出が解体されたら、
 横浜居留地外商などが競争相手が消滅したことにより、
 一層低価格で国産生糸を買い叩くであろうとの危惧を提言
 していた。
  1889年の生糸直輸出業の廃絶という愚かな行動を回避
   することが出来た。
  1890年11月、生糸直輸出業者による立法制定運動が始ま
   った。
   しかし、この運動もうまくいかなかった。
  1897年5月、生糸直輸出奨励法の廃止となる。
  1899年7月、第一次条約改正が施行される。
   邦人の貿易活動も活性化をし、日本の産業革命もなさ
   れ、蚕糸業が拡大し、生糸輸出も増加し、そして、邦
   人の資本力も強化された・・
   ここに出て来たのが、横浜生糸合名会社と、財閥系の
   三井物産合名会社の「直貿易」形式による大量に米・
   仏両国市場に輸出する体制が確立された。
  1909年、日本が生糸輸出量の世界一となった。
   外国人商館に牛耳られていた生糸も邦人によって自由
   に取り扱える様になって行った。
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  (今日の言葉)
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  題:共産政権の洗脳の恐ろしさ・・
    民主的ではない政権のため・・
    民意を聞かずにその政権を維持するため、意見を異にするものに敏感になり、その意見を必死に洗脳する・・
    そして、その洗脳は凄まじくなる・・
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1950年7月、共産政権の洗脳の恐ろしさ
  日本も、この共産国家・中国から卑劣で激烈な洗脳工
 作を受けていた。
  共産主義政権の独特の考え方による洗脳教育の事例・・
  共産主義の恐ろしさはここにある。
  日本の敗戦以降、終戦によって武器を置いていた満州
 や朝鮮に駐留していた日本軍を中心に、また兵士以外の
 一般人である官吏を含めた日本人の約60万人が、日ソ中
 立条約を一方的に破って、侵入して来たソ連軍によって
 殺戮・虐殺され、そして、捕らえられた。
  武器を置いていた元兵士や一般人を、そのほとんどの
 人たちをシベリアへ送った・・送られてしまった。
  そして、量も少なく、また、質の悪い最悪の食物しか
 与えられず、酷寒の地で重労働を強いられ、させられ・・
 それによって、その多数の日本人たちが死んだ・・死亡
 した。
  その死亡者数は、捕まって輸送される途中での死者も
 含めて、何と約6万人もの命を失った・・失なわされた。
  この死亡者数は、もっと多数だとする調査数字もある。
  そして、最悪なのは、これらの「捕虜」の中から969人
 が、中国に引き渡された・・何の権利もないのに、この
 様な事が行われた・・
  そして、共産・中国の「撫順戦犯管理所」 と称する
 監獄へ送られた。
  終戦となった後、5年も経ている1950年7月のことだっ
 た・・
  その内訳は・・、
  第59師団 の将兵260余名、
  第39師団 の200余名の順に多く、そのほか63師
 団、117師団、それに満州国高官らが含まれていた。
  一方、中国山西省では、日本の降伏後も・・
  国民党系の閻錫山 (えんしゃくざん)軍と共産八路軍
 (はちろぐん)が戦争状態にあった・・
  閻錫山は、「日本人居留民を帰国させる」などの条件
 を付けて、日本軍(第1軍、司令部・太原=たいげん)
 に残留を希望し、要請した。
  日本軍は、これを受け入れて、閻錫山軍とともに共産
 八路軍と戦った。
  結果は、共産八路軍の勝利に終わった。
  日本軍は投降した。
  第1軍関係者と、それに他の理由で捕まった若干名を
 合わせた140名 が、「太原戦犯管理所」 に送られた。
  撫順(ぶじゅん)、太原(たいげん)の両管理所(監
 獄)に収容された 「1109人」 が 「中国戦犯」とさ
 れた。
  しかし、実際は中国に拘束された人々、「中国抑留者
 (または 抑留者)」である。
  この抑留されてしまった方々(抑留者)が釈放されて、
 帰国するのは・・1956年以降・・
  故に、そのほとんどの人が、6年間、残りの人はそれ
 以上の抑留をさせられてしまった。
  ソ連の分と合わせると、実に、10年以上も捕らえら
 れていたこととなる。
  中国に抑留されていた6年の間・・この時に、非人道
 的な、卑劣な最悪の洗脳行為がなされた。
  共産政権・中国は、美しく「学習」などと称していた。
  これは人権をまったく考慮に入れない激烈・卑劣な洗
 脳教育で、大いに問題があった。
  そして、抑留者の方々は、帰国後、「中帰連」(中国
 帰還者連絡会)を組織し、さまざまな活動を行って来た。
  「何としてでも帰国したい」と彼らが、どう行動した
 か、そして、その様な彼らに、中国はどの様な事をした
 かが明らかとなった・・
  当然、「帰りたい一心」と「殺されたくない」という
 切羽詰まった状況から、その経過は、当然、事実ではな
 い展開となっている・・
  共産中国に都合の良いことが『ねつ造』されていた・・
  しかし、日本の報道機関や、言論人らは、彼らの「証
 言」を確かな事実かのように受けとめて報道した。
  「証言」と称するのがおかしい状況であるのに、あえ
 て見過ごした・・
  助かりたい一心の「妄言」であり、「虚言」であり、
 殺される恐怖から逃れたいの「妄言・虚言」であった・・
  (参考)妄言:もうげん、でまかせで根拠のない言葉。
      虚言:(助かりたいの)あざむく言葉。
  中国は、この様な非人道的な方法で妄言・虚言を多く
 引き出し・・中国以外には無かったことを、何故か?中
 国に限ってある様に、真実の如くに言い張った。
  「脅迫で得た証言」が「真実ではないこと」は誰でも
 が知っている。
  彼らが、抑留中に書いた「手記」「供述書」あるいは
 帰国後証言が、中帰連の主張通りに「すべて事実」なの
 かどうか・・まったく事実ではないことが明らかとなっ
 た。
  「罪を認めれば寛大な処置が受けられる」と誘われる。、
  「罪を認めなければ厳しい処置を受けなければならな
 い」と脅迫される。
  中国語で「坦白従寛」自白するか?「抗拒従厳」抵抗
 するか?・・と迫られる・・
  「抵抗すれば恥辱にまみれた死への道」、「自白すれ
 ば明るい生への道」である。 
  事実でないことであっても、あるいは、まったく身に
 覚えがないことであっても、中国の取調べ側が「事実」
 だという心証を持つなり、あるいは、ある意図をもって
 その様にすれば、「厳しい処置」をちらつかせることだ
 けで、「自白」を自由自在に引き出すことができた・・
 それが可能だった。
  「日本人の戦犯と呼ばれた人々」の洗脳問題について
 考えると、死刑になるかもしれないという恐怖、何とし
 ても故国へ帰りたいという熱望、当然、これを知ってい
 る中国側・・これらを背景に、中国側の取調側もうまく
 立ち回った。
  中国は、自白中心の取調べをした。
  自白と言っても、恐怖が背中にある、死刑をちらつか
 せられた自白である。
  中国の検察側が、具体的な犯罪事実を提示することは
 まずなかったが、誘導という問題は大いにあった。
  当然、黙秘権などあるはずもない・・これでは、死刑
 判決が待っていた。
  「お調べがついているでしょうから、それをお示しく
 ださい」
  「そうすれば私も思い出せることもあるでしょう」 と
 言ったって聞き入れてはくれない・・
  「中国は、お前が自らの記憶に基づいて述べることを
 要求する」。
  「誠実な態度であれば思い出せるはずである」・・
   または、居丈高に「今日は監房に帰れ」と、繰り返
 し繰り返し何度も何度もなんべん言われたことか・・
  同室の佐古さんも検察員に同じようなことを言われて
 いるとみえ、「援助者」に批判されていた。
  佐古さんは、一度、「わしゃ死んだ方が楽じゃ」・・
  「深石さん、お願いだから殺してくれんか」 と言った
 ことがあった・・
  私にも、「あんたはいつか監獄の中で自殺した者の話
 をしたことがありますね。どんな方法かね」 と・・
  泣きそうな顔で真剣になって尋ねるので、私はゾッと
 して恐ろしくなったこともあった。
  佐古さんは、牡丹江鉄道警備旅団長(少将)
  階級の下の者を落としてから上へ・・
  低い階級を先にして、上位者は後に、というのが取調
 べの方法だった・・
  下位者に対して、「上官の命令によってやったのだか
 ら、お前の罪は軽い(お前には罪はない)」などと水を
 向けられれば、「自白」がしやすくなることも見越して
 いた・・
  「グループ認罪」・・
  学習先行組
  何時の間にか2年余の月日が経っていた・・ある日の
 朝、係員が、「所長の話があるから全員外にでる様に」
 と伝えてきた。
  屋上で並んで待つこと約10分・・
  やがて、所長が、中央に用意された一段高い壇上に上
 り、「やあ、諸君待たせてしまって申訳ない・・
  皆元気かね・・
  諸君の両親や兄弟は諸君の帰りを待っていることでし
 ようね・・
  ところで労働しながら、過去中国でどんな事を、つま
 り何人中国人民を殺し、どんな風に被害を与えたか、
  即ち「焼く」「殺す」「犯す」 等々を、何処でどうし
 て行ったかを、良心的にありのままを書いて出しなさい」
 と、通訳が訓示を説明した。
  「認罪運動」
  中国に来て以来3年後の1953年、確か9月の中旬だっ
 たと思うが、全員が、屋外に整列させられて所長の来場
 を待った。
  いやな予感がした。
  皆も何やら心配そうな顔をしていた。
  所長が壇上に立った。
  「諸君は中国人民を何だと思っている。
  中国人民は、君達の様な帝国主義思想の持ち主は絶対
 に許さない。
  中国人民は、日本帝国主義軍隊に一貫して斗ってきた。
  そして、勝利したのだ。
  君達は負けた。
  即ち、日本帝国主義軍隊は破滅したのだ。
  にも拘らず、君達は何等思想的には変化を見せず、帝
 国主義その儘である。
  環境を考えろ、環境を! 」と叫ぶように拳を握って、
 更に言葉を続けた。
  「中国人民は、君達を招待したのではない。
  勝手に日本帝国主義者が、武装して海を渡りわが中国
 に乱入したのだ。
  そして、我々の同胞を殺し極悪非道の犯行を平気でや
 って来た。
  それは誰だ! 
  お前達ではないか!
  その重大な犯罪を中国人民は許すと思うか! 
  絶対に許さない。
  お前達を殺すも生かすも、中国人民の権利であり、自
 由意志である。
  ・・・ 」
  こうして数ヵ月が過ぎた日、再度、「供述書」の提出
 を命ぜられた。
  紙切れ一枚たりとも残さず提出し、全員が屋外に並ぶ。
 「どす黒い日焼けした顔、骨太の体格、血走った目つき、
 これに金棒を持たせたら閻魔大王にそっくり」の所長が
 口を開く・・
  この所長は、孫 明斉 と思われる。
  孫は、撫順監獄の開所当時から所長だった人物・・
  「今日の私が閻魔様に見えるか、それとも仏様に見え
 るか・・どちらに見えるかは、君達自身が決めることで
 ある。
  真面目に学習し、真面目に思想改造に努力している者
 には仏様に見えるだろうし、学習をサボり、まあまあ人
 並みに机に座り、なんとか人にくっついて行けさえすり
 ゃあ思想改造はどうであろうと、皆と一緒に帰れるンだ
 と考えている者には、閻魔様に見えるだろう」。 
  認罪とは、素直な気持で自分の罪行を認め、素直に書
 き出す事であて、決してむづかしい事ではない。
  誤魔化そうとする者に限って、むづかしく考える。
  これは悪質である。
  即ち、『焼く』『殺す』『犯す』の重大犯行を、何時、
 何処で、何を、誰が、何をしたか、を具体的に供述する
 事である。
  最初は野菜を取りましたとか、豚をとりましたとか、
 又ちょっと時間が経つと、戦争で弾丸を射ちましたので、
 若し当っていれば人を殺したことになりますとか、或は
 1人殺しましただの、いや2人位だったと思いますだの・・
  君達は中国人民の生命をどう考えているのだ。
  鉛筆の走り具合で1人が2人になったり、3人が4人
 になったり、
  そうかと思えば忘れましたとか好き勝ってな事を言っ
 ている。
  嘘を言うな嘘を!
  残虐非道の人殺しをしていて、忘れましたで済むと思
 うか?
  大虐殺の実行者が、その虐殺を覆いかくし、「葱」だ
 「豚」だと書き出して、「 私は認罪が終わりました」
 と知らん顔をしている者もいる。
  図々しいのも甚だしい。
  ・・・ 〉
  命との引き換え、帰国との引き換えに「言わざるを得
 なかった」、
  「書かざるを得なかった犯罪行為」である・・がゆえ
 に、特段の信ずべき根拠がないかぎり、信じるのは無理
 と考えるのが常識というものである・・
  朝日新聞や、NHKなどのメディア、学者らは、抑留
 者の証言を正しいものとして、それを根拠に、日本軍叩
 きに力を注いだ。
  ねつ造された事実をどう理解するのだ・・
  その様なもので、日本国民を、メディアは洗脳した。
  罪行は厳重だが、認罪態度の比較的よい元日本軍中隊
 長大尉の宮崎 弘に、全所の戦犯の前で、認罪・告白・摘
 発の模範的発表をさせた。
  この様に身をもって説く典型的な発言は、強烈な影響
 力があり、その他の戦犯の認罪にしっかりした推進作用
 を引き起こした。
  みんなは真似て、ある事ないことで話を作った。
  宮崎中隊長らの演説は、「思想改造」が成功を収め、
 それゆえに、管理所側が計画した演出だった。
  「一体、国に帰れるのか」、「それとも殺されるのか」
 と不安な空気が部屋中に充満していた・・
  そのうち、手洗水の原液を飲んで自殺する者や、便所
 で自殺する者も出はじめた・・
  このため、屋外の便所のドアは取り外され、便器の口
 を木で狭めたりして自殺者の出ないよう措置がこうじら
 れた。
  こうした中で多くが末梢神経症にかかり、重症者は小
 便の出るのもわからない始末であった。
  また、記憶にも錯覚が起こって来た・・
  「俗にいう監獄病だよ」と誰かが言った・・
  2ヵ月余りにわたる徹底した、綿密な工作によって、
 尉官級以下の日本戦犯は、基本的に自己の犯した重大な
 罪行を明白に捏造(ねつぞう)を交えて告白し、
  また4000余件の摘発資料を書き上げ、上司、あるいは、
 他の者の罪行1万4000余項目を摘発した。
  主要でない日本戦争犯罪者、あるいは改悛の情がわり
 に著しい日本戦争犯罪者に対しては寛大に処理し、起訴
 を免除することができるとの放送が終わると、各監房は
 沸き立った。
  拘留者たちは涙ながらに声高く 「中華人民共和国万歳」
 「中国共産党万歳」 と叫んだ。
  こうして、「罪を認めれば寛大な処置が受けられ、罪
 を認めなければ厳しい処置を受けなければならない」 と
 した「二つの態度と二つの道」 が効果を発揮した。
  日本の罪は作られた・・そして、「思想改造工作」は
 成功裏に終了した。
  討論を通した誘導
  散々、吹き込まれて来たのですから、罪を認めないか
 ぎり帰国の望みが絶たれると抑留者は考えざるを得ませ
 んでした。
  大部分の抑留者は、真面目に認罪、反省の道を進んで
 こそ、中国人民の寛大な処遇を勝ち取ることができるの
 だ、ということを認識するようになり、次から次へと多
 くの罪行をねつ造を交えて告白するに至った」(金所長)
 というのも不思議ではない。
  撫順戦犯管理所に拘禁中の700余名の尉官級以下の
 日本人戦犯が、次々に自己の罪を認めて、悔悟(かいご、
 悔いること)し始めた。
  彼らは、自分が進んで犯した重大な罪行だけでなく、
 同僚や上司の罪行についても想像し大胆に暴露し、摘発
 した。
  キリスト教魔女裁判の時もこの事があり、尋問され、
 口を割ることを強いられた子供が、想像して母親を魔女
 だとキリスト教会へ訴える例さえあった。
  2年から3年の学習と認罪教育を経て、80パーセント
 以上の尉官級以下の日本人戦犯は、2980項の罪行を告白
 し、637件の摘発資料を書き出した。 
  こうして、1955年から1956年にかけて、個人差はあれ、
 ほぼ全員が、これではどのような刑罰を受けても止むを
 得ない、むしろ当然である、といった心境になった。
  「グループ認罪」によって導かれた「集団虚偽事件」
 は虚偽であったことが証明された。
  あるひどい者は、吸血鬼のように、中国人を惨殺した
 後、その肝と脳味噌を食べたとさえ嘘の供述をした。
  この様な人間性の一かけらもないような野獣のごとき
 実例は枚挙にいとまがない。
  日本人が肝臓やら心臓を煮てくったのという類の「証
 言」が非常に多いのは、書類上、紛れもない事実・・
  もちろん、日本には、この様な風習はない・・
  逆に、中国にはある・・誘導されたのだ・・このこと
 は『食人宴席』(鄭義、光文社)に記載されている。
  飢餓が襲った毛沢東のした文化大革命中に、広西省全
 域に広がった食人事件が記されている。
  日本人が知らない「人体から肝臓を取り出すさいのそ
 のさばき方」、とても、日本人が、想像で書けるもので
 はない。
  この「証言」は作り話・・その事が「労工狩り」に記
 されている。
  不安でたまらなくなる。
  帝国主義思想だと言われた。
  もう帰れない、いつ絞首刑になるのだろう、いつ銃殺
 されるのだろう。
 「すぐにもやられるような気もしますし、もう夜が眠ら
 れないのです。
  2日、3日と眠られない。
  軍隊のなかでどんなに苦しいときでも、殴られても生
 き抜いたのも、帰りたい一心です。
  ソ連で5年間耐えられたのも、日本へ帰る望みがあっ
 たから。
  よく坦白(中国語で罪行の告白)する者は日本に帰す、
 頑強に抵抗する者は処罰する・・と言っている。
  これはもうなんとか帰させてもらわなくちゃと気を取
 り直して、また書くわけです・・
  報告書を出すとすぐ呼ばれる。
 「お前は帝国主義思想だ」
 呉 浩然指導員の答えはそれだけ・・
  何が帝国主義思想なのか、いかなる説明もなかった。
  小島さんはますます滅入ってしまう・・
  坦白(タンパイ)した「堤防決壊事件」が事実無根で、
 事実は連日の大雨による運河の自然決壊であり、さらに
 加えて小島が731部隊が加わったと虚偽の証言をつけ
 加えた・・
  どのカードを切れば「許される戦犯」になれるか、慮
 (おもんばか)った・・
  この告白の後、例によって呉浩然指導員からすぐ呼び
 出された。
  今度は、「小島 お前は進歩した」といい、彼は嬉し
 そうに握手を求めた。
  小島さんは「しめた、褒められた」。
  「これで俺は日本へ帰れるかもしれない」とほくそ笑
 んだ。
  ひとつ書いて褒められたのだから、もう少し書いてや
 ろう。
  そこで、今度は、拷問や刺殺を四つほど書いて出した。
  期待に反して、呉指導員の評価は変わらず、「帝国主
 義思想にすぎない」と批判される・・
  だが、思い出し切れない。
  それでも100項目を越えた。
  そのなかで、告白に値すると思うものを総て清書し、
 呉浩然指導員に提出した。
  小島中尉だけではなく、抑留者全員がたどった道だっ
 た・・
  「何度も提出しては書き直し、提出しては書き直させ
 られた」と・・
  この延長線上の様に、小島中尉は、NHKのテレビに
 出演し(1989年8月)自らの悪党ぶりを強調した・・
  しかし、小島中尉直属の部下の見方は、これとは大き
 な隔たりがある・・
  機関銃中隊に所属し、小島の在任期間のすべてを直属
 の部下として小島を見てきた内田元軍曹は、「いるのか
 いないのかわからないような中隊長でした。
  率先してなにかやる中隊長ではなかった」と戦友会に
 出席した時に説明していた・・
  内田軍曹は、「どうしてウソをいうのか」と小島に電
 話をかけ、理由を問いただした・・
  その時の小島の答えは、「人にはいろいろあるから」
 といった要領を得ない発言しかもどって来なかった・・
  内田軍曹は「何を言っているのかよくわからなかった」
 とも話した。
  また、内田軍曹と同様、小島中尉の直属部下だった T
 は、「小心な人でした。兵隊に対しては温和に接した人
 です。
  残虐なことはありません。
  何の都合か法螺(ホラ)を吹いているようです」と
 書いた。
  小島の自称する「鬼の典型」とは、およそ縁のうすい
 人柄が浮かび上がる・・小島を知る将兵たちの一致した
 話だった・・
  小島は自らしゃべりはじめ、メディアなどに聞かれる
 たびに、話が量、質ともエスカレートし、饒舌になって
 行った・・
  自然決壊であった運河に「コレラ菌を撒いた」と言い、
 あげくに、「731部隊と協力した」とまで証言を膨ら
 ませて行った・・
  永富博道・元曹長の場合、NHKテレビや朝日新聞
 大きく報じられた・・『レイプ オブ 南京』という本に
 も、残虐行為の証言者として登場する。
  同一人物の「実体験」にしては、「記憶違い」とは性
 質の異なる、言いかえれば間違うはずもないことに間違
 いが出ている・・
  例えば、前者では、榎本は中国人の娘を慰みものとし
 て2日前から連れ歩いていたはず・・
  しかし、後者では副食がないからといって、中隊長が
 1人で部落から連れてきた娘だというのです。
  また、前者では、伊藤中隊長の姿はどこにも見当たら
 ず、榎本曹長1人で強姦のうえ庖丁で殺害、肉を切りと
 って配給している。
  それに油で料理したのは兵隊たち・・
  後者になると、殺害は中隊長と2人、しかも凶器は短
 剣となる・・
  そして肉をスライスし、油でいためるのも2人・・
  記憶違いという次元のものでないことは誰でもが判断
 できる。
  中隊長が兵隊の副食を作る、こんな事はある訳はない、
 この1点を知っただけでもこの「証言」を、誰もが信じ
 ない。
  榎本(新井)と同じ部隊にいた他の将兵とずいぶん連
 絡をとったが、この様な話を真面目に受け取る人は誰一
 人いなかった・・でっち上げの嘘・・
  そのうちの1人は、「娘を食ったなどとんでもない」・・
  「自分たちが一番よく知っていることだ」と青森県
 弘前から電話をして来てくれた・・
  なぜこんな話がまかり通るのか・・
  しかも、書店で堂々と売られているばかりか、学校教
 育の場に持ち込まれてさえしている・・
  ノンフィクション賞をとった精神科医まで信じている。
  そのうち、日本を貶(おとし)めるのが得意なNHK
 や、朝日新聞をはじめとする報道機関が抑留者を取材源
 にして日本の貶め報道が増えた・・
  元をたどれば、中国抑留者の「証言」だけによる「59
 師団史」だということを1人のヨタ話がこの様に広がっ
 た・・
  (評)
  今、中国は、新疆ウイグル自治区ウイグル人の方々
 を80万人~200万人も強制収容所に拘束している。
  そして、上に記した様な、強烈な共産主義の洗脳教育
 がなされている。
  一党独裁であるが故に、民主的でないが故に、他の意
 見や思想に対して敏感となり・・強烈となる・・
  それは国家体制を維持するためで・・体制維持の洗脳
 が強烈に行われる。
  民主的に政治が行なっていないという政治体制の裏返
 しである。
  民意を聞いてないからこそ、その民意を一つの方向(
 共産主義独裁国家是認の方向)に向けておきたいために
 必死に民の洗脳が行われる。
  これをしっかりやらないと自らの存在が危うくなる。
  上記の様に、日本もこの卑劣な洗脳の思想操作をされ
 た。
  この補償も日本は中国に求めなければならない。
     ・
     ・
2019年、韓国は不正輸出の常習犯・・
  文在寅政権で急激に増加した大量破壊兵器関連物質の
 横流しが明白になった。
  韓国の不正輸出は、今まで常に行われていた・・
  文在寅大統領の就任前は18件/年間だったのが・・
  この文在寅大統領が就任した後、60件/年間の急増ペー
 スになった。
  そして、韓国は、不正輸出で年がら年中摘発されてい
 て・・
  2015年~2019年3月まで、156件もの不正輸出の摘発が
 なされている。
  まったく反省の兆(きざ)しの無い韓国となっている・・
 確信犯である。
  ◆ジイソプロピルアミンをパキスタンなどに不正輸出
   していた。これは化学兵器の原料となる。
  ◆フッ化ナトリウムをイランへ不正輸出していた。
   これはサリンの原料である。
  ◆生物安全キャビネットをシリアへ不正輸出していた。
   これは、生物兵器製造の資機材である。
  ◆フッ化水素酸をアラブ首長国連邦(UAE)へ不正
   輸出していた。
   これは核兵器製造に使われ、また、サリンの原料で
   ある・・これらは一端に過ぎない・・
.
2019年11月22日、韓国が、GSOMIA破棄を撤回した・・
 止めた・・
  今まで、北朝鮮が、韓国に「GSOMIAを破棄して
 くれ」と言っていた。
  しかし、韓国は、今回の騒ぎを起こして、逆に「GS
 OMIAは止めません・・切れません」という韓国の状
 況を北朝鮮に「ばらしてしまった」。
  今回、韓国は、非常に下手な、不味(まず)い演技を
 してしまった・・「墓穴を掘ってしまった」。
  北朝鮮と韓国は、拙(まず)い関係に陥(おちい)っ
 た。
  今、韓国は、文在寅政権に反対するデモが盛んに行わ
 れている。
  しかし、ここでおかしいのが・・日本のマスコミがま
 ったくこの事を報道しない。
  規模も最大級となっている。
  (資料ー1)
  2019年10月3日、ソウルで文在寅ムン・ジェイン)大
 統領の退陣要求デモ・・韓国・・AFP(国際ニュース)
  文大統領の支持率は、疑惑の渦中にある曺国(チョ・
 グク、Cho Kuk)新法相の任命を受けて過去最低に落ち込
 んでいる。(c)AFP
  世界の三大通信社の一つであるAFP通信が伝えてい
 る。
  (資料ー2)
  2019年11月2日、韓国・反文在寅デモ、光化門「青瓦台
 包囲作戦」ソウル都心麻痺 !!
  https://www.youtube.com/watch?v=va0IJwYd-H0
  韓国のメディアの偏向報道に、韓国の方々も気づき、
 若い人が中心に騒がれ始めたのがきっかけで、今は連日、
 数10万人のデモが行われている。
  想像できないくらいの規模で行われているのに、日本
 のメディアはまったく報じないのも疑問???
  (資料ー3)
  2019年9月30日、韓国“デモ事情”激変!「反日」から
 「反文」へ 
  韓国でデモの様相が激変している。「タマネギ男」こ
 と、チョ国(チョ・グク)法相周辺のスキャンダルや、
 韓国経済の危機的現状、北朝鮮主導の「赤化統一」への
 警戒感から、「反日」デモがなりを潜め、文在寅(ムン・
 ジェイン)政権への批判が高まっている。
  「1年前に取材で訪韓したときに比べて、街の雰囲気
 が様変わりした。
  韓国は『自由主義陣営に残るか』『北朝鮮、中国圏に
 傾くか』という、大きな意味で分水嶺(ぶんすいれい)
 に来ている」
  「反文」デモが過激化し始めたのは、文大統領が今月・
 9月9日、娘の不正入学疑惑や、息子の兵役逃れ疑惑、
 私募ファンド投資疑惑などが連続炸裂(さくれつ)して
 いたチョ氏を法相に強行任命して以降・・
  「反文」「反チョ」デモについて、「中国の科挙制度
 の流れをくむ超学歴中心社会や、兵役制度に苦しんでい
 る学生や若者たちの神経を逆なでし、激怒させた。
  中には、日本大使館前のデモでは「文在寅政権は日本
 政府に謝れ!」と書かれた横断幕を掲げたデモの一団も
 いた。
  参加者が持つ紙には「韓国のホワイトリスト排除、文
 在寅は責任をとれ!!」「韓米日三角同盟解体するな」
 「亡国的反日扇動はもうやめろ」と言葉も踊っていた。
  「文在寅OUT」という赤い張り紙とともに、文氏の
 飛び出た顔写真を車のフロントガラスに貼り付け、手の
 ひらの写真をつけたワイパーが動くたびに往復ビンタを
 する仕掛けもあった。
.
2019年11月25日、中国が「ウイグル人の弾圧をしていた」
 と、この日、その証拠の公文書が流出した。
  中国政府が、ウイグル人を収容所で「洗脳」していた。
  2019年11月25日、この公文書が流出した。
  国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手
 した公文書には、中国・新疆ウイグル自治区の強制収容
 所で行われている残忍な「思想教育」の実態が記されて
 いた。
  拷問と殺戮も行われていると言われている。
  だが、その様な「中国の人権問題」に沈黙する日本の
 政治家たち・・
  今、日本人が、意味不明で「10人も中国につかまって
 いる」。
  この様な状況の中で、日本は、習近平国家主席国賓
 として日本へ呼ぼうとしている・・
  おかしいのではないか??
  また、このような時、中国政府が主導する組織的なス
 パイ活動が明らかになった。
  香港・台湾・オーストラリアでスパイ活動をしていた
 中国人スパイが、オーストラリアに亡命申請をした。
  そして、言った・・
  「中国政府による、組織的なスパイ活動と政治体制の
 乗っ取り」を警告した。
  国際社会は、中国へ強制収容所を見せろと迫らなけれ
 ばならない。
  また、ルーズベルト大統領の時、共産圏の工作員がう
 ようよ大統領の周辺に居て、国家体制が乗っ取られてい
 たが、この様な事に最大の警戒をしなければならない。
  しかし、今・現代、日本の政治家の多くが親中である
 と言われている。
  そして、また、「ウイグル人を弾圧している中国の証
 拠」を米紙ニューヨーク・タイムズも指摘した。
  以下はその記事・・
  (資料ー1)
  ウイグル族弾圧・・内部文書・・米報道・・習氏演説
 や指示書など・・
  米紙ニューヨーク・タイムズは16日(2019年11月16日)
 中国政府が中国新疆ウイグル自治区で行なっている少数
 民族ウイグル族らへの弾圧を裏付ける内部文書を入手し
 たとし、内容を報じた。
  中国外務省は18日の定例記者会見で、「中国が新疆で
 行っている反テロの努力を貶めるものだ」として報道を
 強く非難した。
  ニューヨーク・タイムズが入手した文書は、習氏や共
 産党幹部の非公開の演説資料のほか、自治区当局者への
 指示書など24種類、計403頁に上るという。
  中国の政府関係者から提供されたとし、「中国共産党
 内部にも、弾圧を疑問視する声がある」と指摘した。
  文書には、習近平国家主席が2014年に行なった内部会
 議での演説内容も含まれており、ウイグル族の取締りを
 「テロや分裂主義との戦い」と表現し、「一切容赦はす
 るな」と指示していたとしている。
  また、文書の中には、米国などがウイグル族らの強制
 収容所だと指摘している施設に関し、収容者の家族から
 の問い合わせに対応する想定問答もあった。
  例えば、「家族はどこに居るか」といった質問に対し、
 「政府が設立した訓練学校で学習している。
  生活環境はとても良い」などと答えるよう書かれてい
 た。
  中国政府は施設について、イスラム過激主義の影響を
 受けた人を教化するための「職業技能教育訓練センター」
 だと主張している。
  習政権は、信仰より党の指導を優先させようとする「
 宗教の中国化」を打ち出し、治安維持を名目にウイグル
 族らへの抑圧を強めているとされる。
  (資料ー2)
  ウイグルに思想教育1年超・・ICIJ、中国の文書入
 手・・
  国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は24日(
 2019年11月24日)、中国当局ウイグル族少数民族
 収容している新疆ウイグル自治区の施設に関する内部文
 書を入手し、内容を公開した。
  このうち新疆ウイグル自治区共産党委員会が2017年
 11月に作成したとされる文書は、「職業技能教育訓練セ
 ンター」の管理や運用について定める内容だった。
  脱走防止策として、見張り台や鍵付きのドアを整備し、
 「死角がないよう」監視カメラを設置するよう求めてい
 た。
  職業訓練の前に、中国語教育や思想教育などを「少な
 くとも1年以上」行なうことを指示する一方、「週1回は
 家族と電話で話すことを保証する」ことも盛り込まれて
 いた。
  センターについて中国政府は、イスラム過激主義の影
 響を受けた人を教化するための施設と主張している。
  また、別の文書には、自治区のある地域で2017年6月の
 1週間に約1万6000人が施設に送られたとの記述があった。
  米国務省は、自治区内の拘束者が80万人~200万人に上
 る可能性を指摘しているが、中国政府は収容人数を明ら
 かにしていない。
.
2019年11月27日、「香港人権・民主主義法」がアメリカで
 成立した。
  この法律は、中国が「一国二制度」を守っているかな
 どを、米国務省が毎年の検証することを義務付けた法律
 だった。
  この日、米国トランプ大統領が署名し、法案が成立し
 た。
  米中対立の新たな火種となる。
  中国は「内政干渉だ」と言ったが、中国が言う内政干
 渉に当らない・・
  それは、中国は、香港が返還された時、アメリカに約
 束をした・・
  「香港は、一国二制度があるから」と中国は、アメリ
 カと約束をして、アメリカ企業の香港への誘致をアメリ
 カに誘いをかける行動をしていた・・だから、アメリ
 はそれをチェックする義務がある。
  台湾の蔡英文総統は、ツイッターで呼びかけて「自由
 と民主主義を信じる皆さん、ともに立ち上がり、混乱す
 る香港の情勢に関心を寄せましょう」と言った。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  元徴用工のこと・・
  日本で儲けたいと給料の良い日本に来て韓国・朝鮮の
 人が、日本で働いて帰った。
  日本の給料が良いから、韓国・朝鮮から密航的に来て、
 捕まった人が、また密航して来るほど日本の給料は良か
 った。
  元徴用工の話は、この様な状況の中に始まる・・
  今ごろになって、韓国が、日本に御礼を言うどころか
 文句を付けている。
  韓国の裁判所は、日本のどこが悪くて判決を出したの
 か? 
  事実認定を間違っている。
  賠償をする様な事を日本がしたと言う。
  これは、慰安婦問題と同じような韓国のでっち上げだ。
  そもそも問題となる様な事は無いのだ。
  また、例え、韓国の裁判所の判決の様な事はないが、
 あるとしたって、日本と韓国の間には、「この類いの問
 題が生じた場合は、韓国政府が責任をもって解決すると
 なっている」。
  「日本には問題が及ばない」と、国と国の約束で、条
 約として取り決められている。
  だから、今、無理を承知で韓国は、色々とその無理を
 押し通して、日本に言っているが、詳しい事を知らない
 世界の人たちを騙(だま)している。
  そして、韓国は、世界の人たちを繰っている。
  世界の人たちへ、「日本がおかしいのではないか」と
 世界に思わせ様としている。
  まったく日本に問題のない話を、何か問題のありそう
 な話にしようとしている。
  日本は、また、変な妥協をすると、その妥協が、例え
 小さな妥協であっても、「やっぱり日本がおかしかった
 のか」となる。
  日本は、この様な筋の通らない話しは「突っぱねよ!!」。
  「正論だけ言っていなさい」。
  慰安婦の時の二の舞はするな!
  また、世界へ理解して貰(もら)う努力をせよ!!
  韓国へ正論を言っても通じない。
  日本に譲歩を求める韓国大統領はおかしい?
  何も悪くない日本に、その説明もしない韓国に、譲歩
 を求める韓国はおかしい?
  韓国は、「得意な引っ掛け」を、日本に対して行って
 いる事になる。
  この様な卑劣なところが、韓国には、昔からある。
  また、「平行線」と表現すること自体もおかしいこと
 なのだ。
  何も問題ない日本に、その問題も説明できない韓国に、
 平行線となる線は無いのだ・・その様な状態の韓国なの
 だ。
  平行線もなにも問題自体が日本に無いのだ。
  また、韓国大統領が「未来志向の話し合いをしたい」
 と言ったって、「日本の問題点の説明もしない韓国に、
 未来を語る資格はない」。
  日本に問題があるというのなら、誠実に日本の問題点
 を説明しなさい。
  「そもそも問題が無いものに、問題があるとした韓国
 の問題を解消しないで、話し合いをしようという論理は
 成立しない」。
  未来志向であろうがなかろうが「その未来の発展の芽
 を摘み取っている韓国の論理を撤回して、その様なデッ
 チアゲを謝罪がなければ、話し合いも何もできる訳はな
 い」。
  この様な韓国の態度を例えるならば・・
  「日本の顔を殴っておいて、日本に謝罪もしないで、
 握手したいと言っている様なもの」。
  「謝罪しないで、未来志向の話し合いをしよう」と言
 っている様なもの。
  韓国は、日本と未来志向の話し合いがしたいならば、
 まず、元徴用工での非礼の謝罪をしなさい。
  韓国に非があるのに、謝罪も、また、反省も示さずに、
 「両国間の懸案が早期に解決するよう、互いに努力しよ
 う」なんて言えるものだ。
  この様な、韓国の世界を誤魔化す態度が、そもそもの
 問題なのだ。
  韓国よ!、誠実になりなさい。
  そして、日本は、あくまで筋を通しなさい。
  変な妥協をしては、世界を誤らせる。
  また、変な誤解を日本は受けてしまう。
  いつもの様にしつこい韓国だが、正論だけをこの件に
 ついては言っていなさい。
  韓国のこの様なおかしさはアメリカには分かって貰っ
 たので、これからは世界に理解してもらう様にしよう。
  この様な不誠実な韓国大統領の「退陣せよの声」が、
 韓国国内に満ちている。
  この様な韓国大統領には、正論だけで応じて下さい。