(増補版)701E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年7月~1898年8月)

題:(増補版)701E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年7月~1898年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なものにする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆様の、そして、
  人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切なこと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・だからこそ、
  正しいことを言って正しい関係を作らなければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはならない・・正しい
  ことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解することにつとめなけ
  ればならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならない・・民の選択
  を受けない指導者たち・・民主化が達成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
 ☆声を上げ続けることで社会は変えられる。
 ☆NHKは国を守る大事さを放送しない放送局。
  愛する人たちを守る話を放送しない放送局=NHK。
 ☆1264年、モンゴルの元に襲われてアイヌが日本に逃げて来た・・『北
  の元寇』と言われる元に追われたアイヌの日本への逃亡移住・・当然、
  日本の先住民ではない・・
  しかし、アイヌを先住民と書く法律が日本にある・・
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1898年7月、「閉塞式取扱ノ件」が制定された(鉄運乙第1422号)
  閉塞(へいそく)とは、鉄道、または、軌道における衝突を防ぐため
 の信号保安システムのこと・・
  鉄の車輪を有する鉄道車両は、ゴムタイヤの自動車よりも、はるかに
 制動距離は長い・・制動のための長い区間が必要・・そのため、前方に
 別の車両を発見してからブレーキ操作をしていては衝突を防ぐことはで
 きない。
  線路を一定区間(閉塞区間)で区切って、1つの閉塞区間には同時に2
 つ以上の列車が入らない(入れない)ようにすることで、安全を確保し
 ようとしている。
  閉塞は、システム工学における排他制御の一種で、鉄道における信号
 保安の最も基本的なこと・・
  閉塞の考え方が導入される前は、列車の出発前に駅同士で連絡をした
 後、ダイヤグラムに基いた運転時刻表に従って列車を運行させていた・・
  しかし、遅延が発生したりして、所定通り運行できない時や確認に錯
 誤などがあった際に衝突・追突事故が頻発した。
  そのため、それを防ぐための方法として閉塞が考案された。
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1898年7月、大蔵省が、東京市の卸売相場と小売相場を、毎月、公表し始め
 た(大正12年まで)
  因みに、2016年2月25日の日本農業新聞に、4キロで4000円超のトマト
 があったが・・これは大田市場で取引している佐賀産の「光樹(こうじ
 ゅ)とまと」というブランドのトマトのことで、2月23日取引では、大田
 市場の佐賀産トマトは4㌔・AMで高値4,104円(税込)だった。
  他の産地のトマトが高値2,160円~2,484円なので2倍弱の高額な取引
 のトマトだった・・
  「光樹とまと」は糖度・酸味・食味のバランスがよく、昔ながらのト
 マトらしい味わいが特徴で、JAさが川副支所の光樹とまと部会が、軽
 度のヒビ割果や白玉果など食味が低いものを除くという独自の選果基準
 で出荷している・・今年の出荷量は300㌧、例年通り6月末まで出荷する
 見込み・・出荷先は9割が大田市場・・
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1898年8月1日、豊田佐吉が、動力織機の特許を取得した。
  豊田佐吉は、木製人力織機の発明で特許を取得していたが、もともと
 目指していたのが、動力で作動する動力織機であり、その特許を取得し
 た・・
  この様な輝かしい技術の歴史を持つトヨタは、今、電気自動車の技術
 の根幹となる電池の技術を中国へ教えようとしている・・いや、すでに
 教えている・・また、トヨタの社長は、習近平の言葉を真似して取入れ
 て「ゴマすり講演」を中国で行ったりしている・・
  会社の利益を優先してこの様な事をトヨタはしている・・
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1898年8月1日、東海道線横浜駅大船駅間が複線で開通した。
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1898年8月1日、山陽鉄道で、この日から運転を開始した上下各2本の急行列
 車により、東は神戸において官鉄東海道線急行列車に、西は徳山におい
 て傍系の山陽汽船会社の汽船により門司まで直行連絡された。
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1898年8月1日、アメリカ陸軍牛肉疑獄
  アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)の前線のアメリカ陸軍将兵に供
 給されていた牛肉に、大量の混ぜ物がなされ、品質が大幅に低いものだ
 ということが判明した。
  陸軍長官のラッセル・アレクサンダー・アルジャーは、食肉大手3社
 と契約を結んだ。
  この会社はより大きな利益が欲しいとして目論んだことだった。
  最前線に着いた時には肉は腐敗していたり、混ぜ物が有毒であったり
 した。
  この様な事から前線の将兵は、病気や食中毒になり、その死者数はス
 ペイン軍の銃弾による戦死者の倍になっているとさえ言われた。
  この問題の公聴会で、アメリカ陸軍総司令官のネルソン・マイルズ将
 軍は、「防腐処理牛肉」という表現で冷凍牛肉に関して言及した。
  マイルズは現地購入を提案していたが、アメリカ国内の食肉会社への
 支援という事で決定された。
  調査が行われると、冷凍不足を補おうと化学薬品が使われていた。
  缶詰牛肉も極めて品質が低いという苦情もあった。
  また、ビーフエキスの肉汁を絞り取った後のカスが缶に戻されたとい
 う話も出た。
  缶を開けた時点で、すでに、腐っていたものが多数あったという証言
 も出た。
  この問題に公的な見解は示されなかったが、アメリカ世論は、当然、
 大騒ぎをした。
  8月1日に、アルジャーは、マッキンリー大統領の要請を受け辞任した。
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1898年8月2日、九州鉄道の飯塚駅~長尾駅間の建設免許状が下付された。
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1898年8月7日、伊万里鉄道の伊万里駅有田駅間が開通した。
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1898年8月10日、第6回臨時衆議院議員総選挙
  憲政党が120の議席を確保した。
  憲政本党124、国民協会21、日吉倶楽部9、無所属26、
  内閣:第1次大隈重信内閣 (8代)
  解散日:1898年6月10日 
  公示日:1898年7月7日 
  改選数:300 
  選挙制度小選挙区制 
  有権者:直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性日本国民 
  有権者数:502,292人
  投票率:79.9%
  第一党党首:大隈重信憲政本党
  第二党党首:板垣退助憲政党
  第三党党首:品川弥二郎(国民協会)
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1898年8月10日、隧道建築定規を制式化した(鉄作乙第4375号) 
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1898年8月12日、米西戦争が停戦となる。
  この戦争は、同時に米比戦争も始まったが・・米比戦争時のニューヨ
 ークジャーナルの風刺画に、フィリピン人を銃殺しようとするアメリ
 兵の背後に「10歳以上の者は皆殺し」と書かれている。
  この戦争には、卑劣なアメリカジャーナリズム(イエロー・ジャーナ
 リズム)があった・・「米西戦争が始まる時もジャーナリズムの煽(あ
 お)りという卑劣な行動もあった」が・・米比戦争についても「この戦
 争はフィリピンの国家主義者の独立に対する望みを絶つために行う」な
 どという偽(いつわ)りの正義論の報道があった。
  日本とアメリカとの戦争の時も、アメリカ国民の方々は卑劣なアメリ
 カジャーナリズムの煽(あお)りで戦争に駆り立てられた。
  また、アメリカ大統領のルーベルトが悪計画を立てて日本を奇襲をす
 る悪者に仕立てた・・そして、奇襲でもない戦いを「日本の奇襲だ、奇
 襲だ」とアメリカ国民の方々を煽った。
  日本を戦わざるを得ない窮地(きゅうち)に貶(おとし)め、あげく
 は奇襲をする悪者に仕立てた・・
  日本艦隊が進む海を「真空の海だ」と称してアメリカは何も知らない
 ふりをした・・そして、奇襲に仕立て上げた。
  また、日本艦隊の無線を完全に傍受していて、日本艦隊がハワイに近
 づくのを、逐一、知っていた。
  また、進行の遅い日本の潜水艦は、先に、ハワイに到着していたが、
 アメリカの軍艦がこれを見つけて攻撃した・・このアメリカ軍艦の日本
 艦攻撃で、この時点で日米戦争は始まっていたが、この5隻の日本の潜水
 艦を「クジラだった」と偽りの説明をアメリカはした・・
  アメリア軍は、この日本の潜水艦の1隻から日本の潜水艦乗組員を救助
 している・・クジラから出て来た日本の海軍将兵という笑い話となる。
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1898年8月12日、北海道官設鉄道の天塩線の旭川駅~永山駅間が開通した。
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1898年8月13日、横浜のフランス波止場外国人水泳場で、第1回水府流太田
 派対在留外国人競泳大会が開かれた。
  日本で初の国際競泳大会だった。
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1898年8月13日、マニラ総攻撃が行われ、マニラのスペイン軍がアメリカ軍
 に降伏した・・しかし、この戦いは見せかけの戦いだった。
  さかのぼること約1か月前の1898年7月18日までに、アーサー・マッカ
 ーサー(ジュニア)などが率いるアメリカのフィリピン派遣軍がフィリ
 ピンに到着していた。
  そして、直ぐに、マニラ湾岸からのマニラ市攻撃が計画された。
  このため、フィリピン軍は、バング川以南の湾岸陣地を、アメリカ軍
 へ開け渡さざるを得なかった。
  アギナルド(フィリピン革命・開放の最高指導者)は、この協力要請
 を文書化するようにと要求した。
  アメリカ軍のデューイ(アジア艦隊司令長官)は、ベルギー公使を通
 じて、スペインのバシリョ・アグスチン総督(スペイン領フィリピンの
 総督)と降伏について秘密交渉を行った。
  スペインの名誉を守るため、見せかけの戦闘を行ない、その後に、ス
 ペイン軍は降伏するという事になった。
  そして、1898年8月13日、マニラ総攻撃が行われた。
  密約は誰も知らないので、戦いは、実戦さながらに行われた。
  そして、かねての約束通りスペイン軍の降伏の白旗が上がった。
  フィリピン軍がその降伏を受けようとすると、アメリカ軍は、それを
 押しとどめた。
  そして、アメリカ軍とベルギー公使が、スペイン軍の降伏を受け入れ
 た。
  何も知らないで一生懸命戦ったフィリピン軍は、脇役に押しやられた。
  この1898年8月13日のアメリカ軍のマニラのスペイン軍への攻撃は、
 フィリピンの方々へ暗い予感を与えた・・比米戦争であった・・やむを
 得ないフィリピンとアメリカの戦争であった・・アメリカの卑劣な行動
 から起きる戦争だった・・
  そして、短い、そして、束の間のフィリピンの独立があった・・わず
 かな期間だったがフィリピンは独立国となった。
  しかし、アメリカは、フィリピンを完全に排除して、マニラ解放と称
 して城壁都市マニラへの軍事行動を起こした。
  これは、完全にアギナルドの戦いによる革命による政府とフィリピン
 の方々に対する侮辱だった・・また、同時に挑戦だった・・そして、裏
 切りだった。
  アギナルド軍を完全に排除したアメリカ軍は強大だった。
  このフィリピンの方々が驚いたアメリカの突如の裏切り行動の因に、
 後に明らかになったアメリカの諜報資料「合衆国に対するフィリピン反
 乱」によると・・
  アギナルドの革命政府は、このアメリカの突如の戦いの直前の1898年
 7月30日に、アギナルドは、中央軍の再編命令を下しているから・・
  そして、フィリピン軍の総数は1万560人となり、ルソン島に配備され
 たから・・
  そして、正規兵を補助する村落防衛部隊も作られたから・・などと、
 その理由にもならない理由が記されていた。
  山刀を唯一の武器とするこの部隊は、居住地ごとに編成された白兵戦
 専用のゲリラ部隊であった・・武器は粗末だが、彼らは愛国心に燃え、
 団結力もあったから・・
  この様な理由で、アメリカは行動を起こした。
  当然、この後、フィリピンの方々の反米感情は、一挙に高まった。
  8月14日、アメリカ軍がマニラを占領したが、フィリピン独立軍はマ
 ニラ市街へ入ることさえ拒否された・・そして、スペインとの降伏文書
 は、スペイン陸軍総司令官ジョウデンス(Don Fermin Jaudenes)と、ア
 メリカ軍指揮官メリット(Wesley Merritt)少将との間で調印されていた・・
 フィリピンの方々は排除されていた・・
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1898年8月14日、アメリカが、フィリピンの占領を目的にする部隊を送った。
  11,000人の地上部隊が、フィリピンを占領するために送られた。
  アメリカが、スペインに代わって国の統治を始めた・・同時に、アメ
 リカとフィリピンの戦争は始まった(米比戦争)・・この戦争で、20万
 人から150万人と言われる犠牲者が出てしまった・・卑劣な事だ。
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1898年8月14日、軍政開始・・初代軍政長官に、メリット将軍が就任した。
  アメリカは、この日に、軍政を敷いた。
  何の権利が、アメリカにあると言うのか?
  フィリピンの方々には、何の権利もないと言うのか?
  アメリカは、メリットという名のアメリカ軍将軍を立てた。
  自前のアメリカ人による政治組織が、フィリピンの政治をするとした。
  これが正義なのだとした。
  自分の国をスペインから取り戻そうと戦ってきたアギナルドは、完全
 に無視されていた・・アメリカに利用されっぱなしだった・・
  何も関係ないとされた・・怖い事である。
  アギナルドには、スペインは手ごわい相手だった。
  アギナルドは、スペインから自分の国を取り戻すことが出来なかった。
  そこへ、スペインより強いアメリカが出て来て、スペインをやっつけ
 た・・それだけのことだった・・
  アメリカは、最初は、「フィリピン国旗を作って、独立して、そのこ
 とを世界に示したら」・・と、巧(うま)い話を言っていた。
  アメリカが、スペインをやっつけて、アギナルドは、「1898年6月12日
 に、カビテ州カウイットにおいて、フィリピンの独立を宣言をした」。
  しかし、アメリカは、この日、アギナルドとの約束を無視して、アメ
 リカ人による政治をやり始めた。
  そして、アメリカは、パリでスペインと会談し、アメリカとスペイン
 は、12月10日に合意に達した。
  アメリカは、スペインに2000万ドルを渡す事になった。
  何の金で、何の話し合いなのか?・・「茶番劇」だった。
  この会談を講和会議だと称した。
  当事者のフィリピンの方が居ないのに、「フィリピンに関する講和会
 議だ」と称した。
  そして、当事者のフィリピンの方がいないアメリカとスペインの合意
 文書を「条約だ」と称した。
  そして、その時、アメリカがスペインへ渡した金で、「アメリカは、
 フィリピンを買ったのだ」と称した。
  この茶番劇で、フィリピンは、アメリカのものになりましたという「
 虚言」を世界に発信した・・乗っ取りである・・正義が許すわけがない。
  あなたの家に強い奴が入って来て、そいつを追い出せなかったら、そ
 して、無断侵入した奴を追い出したと思っていたら、後から入ってきた
 奴が、先に入った奴に金を渡して、この俺のものだ・・という構図だ。
  アメリカ合衆国は、こんなことをやって国を広げて来た・・中国が真
 似してやっている・・世界中でこんなことをやっている。
  アメリカは、軍政をフィリピン全土に及ぼそうとした。
  そして、翌年の1899年1月10日に、行動を移した。
  そして、言い訳程度に、フィリピンの民間の人に、「行政委員会」の
 設置を言った。
  しかし、約1ヶ月後の1899年2月4日にフィリピンの方々のアメリカに対
 する戦争が始まった。
  先に、手を出したのはアメリカだった。
  発端となった戦闘において、アメリカに管轄権があると称する場所で、
 アメリカの規制に従わなかったから・・それが理由だった。
  フランスの詩人は、「アメリカの責務」を問い、また、「アメリカの
 成熟」を問うた。
  アメリカは、「フィリピンが仕組んだのだ」と称した。
  フィリピンの最高責任者のアギナルドは、「フィリピン側の防衛のこ
 と」を言い、また、フィリピンの司令官は、「この時、開戦しようなど
 と思ってもいなかった」と言った・・そして、「信じられない」とも言
 った。
  偶発だとしても、アメリカに、「フィリピンは我が領土だ」との傲慢
 さがあった。
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1898年、アメリカが、赤子の手をひねる様な米西戦争で、フィリピンを奪
 い取った。
  勝つと分かっている戦争を始めて、その戦争相手の国(スペイン)が
 持っていると称した国や領土を奪った。
  まさしく、この戦争がそうだった。
  アメリカが宣戦布告して始まったこの戦争は、1898年7月、わずか3ヶ
 月でアメリカは勝った。
  アメリカは、キューバとフィリピンを手に入れた。
  勝てば手に入れられると思っていたアメリカの行為だった。
  パリ条約を、12月に結んで、手に入れたことを確定させた(それで手
 に入れたと思い込んだ)。
  そして、その他のスペイン領だったプエルトリコグアム島を買った。
  (売り人でない者から買う行為・・売る国の持ち物でないものを買っ
 たということ)
  買ったと言ったって、この様な時点で買うという行為が公正さを欠い
 ている・・正義に反している。
  また、この年、アメリカは、ハワイ諸島ジョンストン島までをも、
 自分の新領土と称して植民地として手に入れた。
  地元のフィリピンの方々の意思を無視したアメリカであった・・そし
 て、約束を果たさないアメリカだった。
  当然、このアメリカの行動に対し、フィリピンの方々は独立運動を起
 こした・・アメリカが買ったと称した行為が成立していないと、当然に
 思っていた・・本当の持ち主なのだから・・、
  しかし、アメリカは、これを力で抑え込んだ・・そして、俺のものだ
 と、植民地だとした。
  これらの行為を行うにあたって、アメリカ大統領は、「神意だ(キリ
 スト教の神の意思だ)」と言った。
  この筋立てを作ったのは海軍長官だったルーズヴェルトだった。
  強烈なキリスト教の信徒だった。
  また、この筋書き通りに行くように独立運動者を扇動したりするアン
 フェアな事をアメリカはした。
  その時、独立運動者たちに旨い事を言った約束は、その後、果さない
 という卑怯な事をした。
  そして、アメリカは言った、「イギリスが香港に拠るように、アメリ
 カもマニラに拠る」と。
  マニラを拠点にして、次なる目標は中国だとアメリカは言う、「支那
 (中国)の門戸を開放すべし」と、
  要は、「私(アメリカ)も中国からの益が欲しい」だった。
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1898年、アメリカが、フィリピンを軍事占領した。
  下記は、伊藤貫氏(国際政治・米金融アナリスト、政治思想家、評論
 家)の対談での言葉である。
  下記のURLを御覧ください。
  https://www.youtube.com/watch?v=Kla8vz0fx-U&index=3&list=PLn2kLGRySM2jWCzJaowldZXCZrT7Nlda3
  ・・概略・・
  (中国がアメリカの言う通りのことをしたら、アメリカは)皆、拍手
 したわけです・・だけど、すごく滑稽なのは、その前の年に、その(中
 国の)門戸開放宣言をやった前の年に、アメリカは、米西戦争をやって
 いるわけです・・米西戦争をやって、スペインからキューバとフィリピ
 ンをもぎ取ったわけです・・
  米西戦争をやる時、アメリカは、フィリピン人に独立させると約束し
 ておきながら・・一旦、フィリピンを取ったら、独立させるという約束
 を、あっという間に裏切って・・、
  (フィリピン人の)独立派を、20万人か、30万人を殺している訳です・・
  1898年に、フィリピンを軍事占領して、独立を願うフィリピン人を、
 20万人~30万人殺して・・要するに、1899年も殺している最中な訳です・・
  フィリピンを自分たちの植民地にしようと思って、フィリピン人をい
 っぱい殺している最中に・・、日本人とか、ロシア人とか、ヨーロッパ
 人とかには。(理想的な)ジョン・ヘイの三原則とか、領土保全とか言
 っているわけです・・これって、おかしいでしょう?
  フィリピンで、めちゃめちゃな事をやっておきながら、アメリカ人っ
 て、そういう人たちで・・要するに、フィリピンでめちゃくちゃやって
 ても、他の国に対して、ものすごく立派な事を、『我こそ理想主義者』
 という態度でお説教をするわけです・・中略・・、
  1899年1月21日に、フィリピン共和国がフィリピン人によって建国され
 た。
  5月18日に、フィリピンの南方の地方のサンボアンガ共和国がサンボア
 ンゲーニョによって建国された。
  フィリピン共和国の建国を認めないアメリカによる植民地化にフィリ
 ピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が、アメリ
 カ軍により無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。
  1901年に、アギナルドが、アメリカ軍に逮捕されて第一共和国は崩壊
 し、フィリピンは、旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にア
 メリカの主権の下に置かれ、過酷な植民地支配を受けることとなった。
  1903年に、サンボアンガ共和国も崩壊したが、モロの反乱は1913年ま
 で続いた。
  フィリピン史では、1899年2月~1902年7月までを、フィリピン・アメ
 リカ戦争期として位置づけている。
  1901年9月28日、サマール島でバランギガの虐殺が発生した。
  小さな村でパトロール中のアメリカ軍二個小隊が待ち伏せされ、半数
 の38人が殺された。
  アーサー・マッカーサー将軍は、報復にサマール島とレイテ島の島民
 の『皆殺し』を命じた・・少なくとも10万人は殺されたと推定されてい
 る。
  また、マッカーサーは、アギナルド軍兵士の出身者が多いマニラ南部
 のバタンガスの掃討を命じ、家も畑も家畜も焼き払い、餓死する者が多
 数と報告された。
  白人同士の戦争では、将校へ銃を向けないなどの不文律(ふぶんりつ、
 成文化されていない、公式に書かれていないルール)があった。
  しかし、この不文律は、キリスト教の有色人種蔑視の教義で、有色人
 種に対しては無差別な殺戮がなされた。
  アメリカ上院に報告された数字では、アメリカ軍は、1902年までの4年
 間で20万人を殺害(虐殺)したと報告された・・戦死者数は、20万人~
 150万人と公に記録されている。
  そして、フィリピンは、キリスト教国にさせられた・・征服されて、
 駆逐されて、強烈に宗主国の宗教にさせられた。
  宗教まで征服された・・征服すべきではない卑劣な征服だった。
  精神的征服によって、マインド・コントロールもなされた・・大統領
 もキリスト教の大統領となった。
  そして、国の政策にもキリスト教の口出しがなされた・・キリスト教
 の教義である「産児の制限をしてはならない」が押しつけられた。
  このキリスト教の教義で『エイズ』が流行した。
  また、国は、人口増加して行った・・そして、国は、人口増加に腐心
 した・・人口増加と共に、『貧しい方達も増加する』という状況だった。
  この様なマイナス面の多いキリスト教の教義から脱却したいが本音だ
 った。
  そして、キリスト教の教義に押さえつけられていた『国の基準』を、
 『変えなければならない』という結論に達し・・至った。
  キリスト教会は、『エイズが流行』し、『国民の方々が困っている惨
 状』を目のあたりにしているが・・教義にこだわって、『人々の救済に
 道を閉ざす』ということをしていた・・この様な人々の救済活動に猛反
 対した・・キリスト教の教義を優先に振りかざした。
  教義優先から、目の前の困っている方々を救わず、目を閉じるどころ
 か、救済処置に猛反対する始末だった・・人々が幸せに暮らすという大
 前提をないがしろにして、キリスト教の教義が勝るという行動をしてい
 た。
  困った方々は、結局、困ったままだった。
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  (今日の言葉)
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  題:2020年7月、アメリカは、明確に「全体主義中国の覇権志向を抑える」という姿勢を示し、動き出した。
    2020年11月18日、日本とオーストラリアが、「準同盟」関係深化・・対中危機感で交渉が進展した。
    2020年11月18日、中国が日豪を恫喝した「我が国を標的とした準軍事同盟締結には代償が伴う」と・・
    2020年12月15日、日本の固有の領土・領空・領海を侵犯する中国へ、はっきりモノが言える大臣が、やっと、表われた。
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紀元前711年、神武天皇が生まれた。
  (参考)神武天皇:じんむてんのう、日本書紀によると庚午年(紀元
     前711年)1月1日(庚辰の日)に筑紫の日向で誕生した。
      日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日~神武天皇76年
     3月11日。
      日本書紀での名は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこ)。
      日本書紀古事記によれば天照大御神の五世孫であり、日向
     から大和国への東征を行い畝傍橿原宮(現在の奈良県)に都し
     て、日本国を建国したという。
      神話だとされているが、少なくとも神武天皇に投影されてい
     る人は居たと言える。
  司馬遷は「史記」を書いたが、中国の「夏(か)」や「殷(いん)」とい
 う王朝の前の神話の時代の「皇」や「帝」は、それは神話だとして捨て
 きれないとしていた・・
  それは神話だとしても、何らかの皇や帝が存在したからその様な神話
 があるのだろうとした。
  「中国の歴史」という著を書いた陳舜臣氏も、だから「日本の神武天
 皇を実在しないと仮にしても、大和朝廷の先祖に、神武天皇に投影され
 ている人が居たということまで否定できない」と言う。
  中国の「殷」という時代も、神話だとされ虚構だとされていた・・し
 かし、「今世紀(20世紀)にその実在が証明された」。
  日本に「抹殺博士」と皆から言われた学者が、何から何まで疑ってか
 かりその実在を否定する学者が居た。
  中国にも居た。
  しかし、司馬遷は肯定した。
  司馬遷は、大分(だいぶ)前の時代の人、しかし、彼の時代でも司馬
 遷はその実在を信じられない帝を全部が虚構であるとは言えないと考え
 て「史記」の巻頭にそのことを書いた。
  (追伸)
  因みに、神武天皇は、15歳で立太子(公式に皇太子となる)・・吾平
 津媛を妃とし、手研耳命を得て、45歳のときに兄や子を集め東征を開始
 した。
  日向から宇佐、安芸国吉備国、難波国、河内国紀伊国を経て数々
 の苦難を乗り越えて中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都
 を開いた。
  そして、事代主神大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタラ
 イスズヒメ)を正妃とし、翌年に初代天皇として即位した。
  日本書紀に基づく計算によると、即位日は西暦紀元前660年2月11日と
 なる。
  皇后となった媛蹈鞴五十鈴媛命との間には神八井耳命(かむやいみみ)、
 神渟名川耳尊(かむぬなかわみみ、綏靖天皇)を得た。
  即位76年に、崩御
     ・
     ・
     ・
12世紀、ベニスの建築群が建てられた。
  キリスト教に偏するNHKは「建築は30年、橋は40年」と何の根拠も
 ない妄言を何度も知ったかぶりをして放送した。
  これに影響されて多くの住宅などがまだまだ使用に耐えられるが、「
 耐用年数が来たのか?」と恐怖にかられた人たちがまだまだ使かえる住
 宅などを壊して建て替えた。
  まったく勿体ないことだった。
  NHKのこの犯罪的放送は膨大な資産を壊させた・・
  イタリアのベニスなどの例を上げるまでもなく、12世紀や15世紀に建
 てられた建物が図書館や市庁舎などで、今・現在も、使われている。
  適切な改修やメンテナンスを行っていればこの様に長期にも使用でき
 るのだ。
  ならば、NHKよ!! 30年以上も建設が続いているキリスト教の大
 聖堂のサクラダファミリアは、キリスト教に偏するNHKは、この建物
 の30年以上経過した部分は壊して作り直せとNHKは言うべきだ。
  ベニスのサン・スタエ教会は10世紀に創設された(1678年に改修)。
  もう1000年である。
  この様な事実を見てないNHKに『NHKの馬鹿め』と言いたい。
  カリタ修道院教会は、今でもアカデミア美術館として立派に使われて
 いる。
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13世紀〜14世紀、イタリアのベニス(ベネチア)は東西世界の物資の集積
 地となり栄えた。
  特に、この時期にその役割が再編成され重要な役割を手に入れていた。
  海外からの物資は「海の税関」と称せられる場で管理され関税がかけ
 られ大きな利益を手中にした。
  また、ヨーロッパ中の物資は「陸の税関」が同様に管理した。
  重要品目は塩と穀物で、共和国の管理の下に公的な大きな倉庫に保管
 された。
  人が生きるのに必需な品だった。
  オリエントからの物資の集める政治力によって栄えた。
  この時をさかのぼる12世紀〜13世紀、共和国の実権を持つ貴族たちが
 船団を組んで東方の海に向かった。
  その活動を支える拠点がベニスだった。
  その商館がベニスに建ち並ぶ。
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1496年、スペイン王女のフアナがハプスブルク家のフィリップと結婚し、
 この年、長男を産んだ。
  その後、スペイン王家に然(しか)るべき男性は居なかったため、この
 長男が母から王位を継いだ・・そして、カルロス1世を名乗った。
  スペインはこの様な経過をたどって合法的にハプスブルク家の王を懐
 (いだ)く国となった。
  つまり、ハプスブルク家はスペインのものとなった。
  女系で王位にあった王女が一般の男性と結婚し、男性を産み、然るべ
 き王位継承者が居ない時、この王女の長男が王位を継がざるを得ない状
 況で、スペイン王位が一般の家に移ったという歴史的事例となった。
  日本も、女系天皇を推すこの様な何も知らない論者が居るが注意した
 い。
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1549年、ポルトガルが、ブラジルのサルバドルに総督府を置いた。
  ここをブラジルの最初の首都として、200年以上に渡って、植民地とし
 て人々を虐げた・・そして、植民地利益を享受した。
  この地で砂糖を作らせ、ヨーロッパ諸国へ売った。
  労働力は、アフリカの大西洋岸の諸国から黒人の方々を奴隷として連
 れて来た。
  ポルトガルの征服者と共に来たキリスト教聖職者たちは、まず、この
 奴隷の男性を投入させ、300を超えるキリスト教教会を建設させた。
  黒人奴隷の女性方は白人たちに買われ、身の回りの世話をさせられた。
  このブラジルのサルバドルだけでも、19世紀に、この非人道的行為が
 やっと白人たちに止めるべき行為だと認識する様になって、この様な卑
 劣な行為が止められるまで、この地・サルバドルだけでも約150万人以上
 の黒人奴隷の方々が人身売買の非人道的行為がなされた。
  この地にぺロウリーニョと名付けられた広場がある。
  このぺロウリーニョという言葉は、ポルトガル語で「罪人を縛り付け
 て処刑する処刑台」を意味する。
  ポルトガルは、ここで見せしめに多くの黒人奴隷の方々が処刑した。
  辛(つら)い奴隷としての虐(しいた)げの辛さに堪えられず白人の主人
 から逃亡した方々が殺された。
  白人の聖職者の建てたキリスト教会は黒人の方々が来ることを拒絶し
 た。
  黒人の方々は自分たちの教会を建てた。
  そして、そこに自分たちと同じ黒い肌の聖像を作って置いた。
  また、白人のポルトガル人たちに虐げられていた黒人の方々は、猿ぐ
 つわをされた黒人女性の像も据(す)えた。
  ここは、白人たちに虐げられる黒人の方々を慰(なぐさ)められる場所
 となった。
  また、黒人奴隷の方々は、ここで互いに励(はげ)まし合った。
  カポエイラという黒人奴隷の方々の護身術がある。
  その様なことが必要な白人・ポルトガル人たちの横暴な行為が行われ
 ている社会だった。
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16世紀、このルネッサンスの時代、戦争には盛んに鉄砲や大砲が使われる
 様になった。
  日本でもこの戦い方の変化は現れたが、このベニスでもこのことから
 新たな築城論となった。
  そして、堅固な城壁と城門が築かれ、武装し、その姿を大きく変えた。
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1587年6月7日、豊臣秀吉が、島津を攻略し箱崎(博多)に、この日、凱旋
 したが・・この頃、何が起きていたか? 
  また、キリスト教の布教を許可し、朱印状を出した秀吉が、何故、バ
 テレン追放令を出すに至ったか? 
  キリスト教の布教の許可の朱印状を与えた秀吉が、キリスト教宣教師
 たちへ問うた・・「何故、穏やかにできぬのか?」と、
  また、「何故、寺社を破壊し、危害を加えたりするのか?」と・・
  そしてまた、キリスト教宣教師に問う、「何故、日本の女性たちを買
 い、彼の国へ売り渡したりするのか?」と・・
  この他、キリスト教宣教師たちは「肉は食習慣だから食べているのだ」
 と答えたりしているが、『自分たちだけに都合の良い勝手な論理』を展
 開するだけだった・・何ら、布教地の事情に配慮しないキリスト教宣教
 師たちであった。
  本国の利益のためだけで行っていた日本人女性の売り渡しの人身売買
 や奴隷貿易など、聖職者であるべき立場の宣教師たちはまともに答えら
 れなかった。
  キリスト教宣教師は、マニラのフィリピンの総督へ「兵の出兵」を要請
 したりしていた・・また、「キリシタン大名たちに、武器・弾薬や金を
 提供するから秀吉を倒せ」と言ったりした。
  故に、秀吉からは「日本の法に反する行為を数々行っている、有害で
 ある」と言われている・・
  また、「(善意の)日本人を誤らせている」とも言われている・・(
 今でもそうだが・・)・・そして、「日本から立ち去れ」(死罪ではな
 い)と言われている。
  キリスト教宣教師たちは、反抗し、フィリピン総督へ出兵を要請した。
  そして、キリシタン大名たちへは武器・弾薬の提供と資金の提供をする
 から秀吉と戦えと言った・・まったく聖職者ではあり得ぬ様相だった・・
  そして、秀吉を暴君と呼び、キリシタン大名たちを奮い立たせた。
  また、一方、「秀吉が満足するものを与えよう」との卑劣な懐柔策も
 やろうとした・・
  キリスト教宣教師たちは、本国の軍事的な支援を受けたり、また、人
 身売買などの貿易で暴利の利益もあったりしていた(結構、悪どい行為
 をしていたので資金力ああった)・・この豊富な資金力がさらに悪どい
 考えを浮かばさせた・・経済的にも恵まれていたので、その経済力をも
 使って不公正な行為をした・・長崎の要塞化を進めていた・・
  そこで、秀吉は、とうとう・・
  1587年、豊臣秀吉が宣教師を国外追放とする・・
  島津は、1587年(天正15年)5月8日に降伏していた・・そして、秀吉
 は、6月7日に、箱崎(博多)に凱旋した。
  (1587年6月7日、豊臣秀吉が島津を攻略し、箱崎=博多に凱旋)
  日本の施政者としての豊臣秀吉は、初め、キリスト教の布教活動に対
 し寛大さを示して上げていた・・しかし、キリスト教宣教師たちの不埒
 で不穏な動きを知り、部下に確認させたところ、種々の不埒(ふらち、
 道理にはずれ不届きなこと)な行動が確認され、しっかり認知されるに
 至った。
  また、鹿児島の島津征伐に九州を転戦するうちにも、そのキリシタン
 たちの不埒な、また、不穏な行動の実態をしっかり確認もした。
  日本女性たち、娘たちの人身売買は最悪だった・・キリスト教聖職者
 の身であるまじき行為だった・・
  豊臣秀吉は、キリスト教宣教師たちに確認の質問した・・、「なぜ伴
 天連たちは、地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し、強制して
 宗徒とするのか?」「今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還
 させ、京・大阪・堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」
 と・・、また、更に、秀吉は・・、
  「なぜ伴天連たちは、神杜仏閣を破壊し、神官・僧侶らを迫害し、彼
 らと融和しようとしないのか?」と詰問した。
  神杜仏閣の破壊、焼却は、高山右近や、大友宗瞬などのキリシタン
 名の領地で、大々的に行なわれていた。
  豊臣秀吉の質問に対し、キリスト教宣教師たちは答えることが出来ず、
 また、誠実な対応を見せなかった。
  豊臣秀吉からの詰問に対し、コエリヨの反応は、極めて傲慢で、狡猾
 (こうかつ、悪賢い、ずる賢い)な、高をくくった返答だった。
  高山右近をはじめ、多くのキリシタン大名たちは、コエリヨを牽制(
 けんせい、ある行動によって相手の注意を引きつけるなどして、相手の
 自由な行動をおさえ妨げること)をした・・しかし、そのキリシタン
 名らの制止を聞き入れず、宣教師らは、反って、長崎と茂木(現:茂木
 町)の要塞を強化した(キリスト教宣教師たちは、日本の植民地化の一
 面の使命を持っていて・・軍事基地を保持し、強化した)
  それで、長崎などを要塞化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのス
 ペイン総督に援軍を要請した。
  1587年6月19日、キリスト教禁教令が出される・・
  豊臣秀吉が、九州征伐を完了させ、筑前博多まで凱旋して来た時であ
 った。
  豊臣秀吉は、九州征伐中であったが、1587年6月19日の夜、突然、キ
 リスト教宣教師のガスパル・コエリヨ(イエズス会福管区長)へ、バテ
 レンおよびポルトガル南蛮貿易の行為について詰問状を突き付けた。
  豊臣秀吉の臣下が、キリスト教宣教師がからむ南蛮貿易で、日本人を
 奴隷として売買している所を目撃し、秀吉に報告していた・・その詰問
 状だった。
  そして、翌日の20日朝、諸大名を集めバテレン追放を指示した(バテ
 レン追放令は6月19日付けとなっている)
  まったくキリスト教のやる事は程度が低かった。
  この6月19日のバテレン追放令が出される直前において、豊臣秀吉の臣
 下は、博多の港外に停泊していたフスタ船に乗り込み、キリスト教のコ
 エリョと共に船中を見ていた。
  1587年7月4日、豊臣秀吉が、伴天連追放令を発布した。
  黒田官兵衛は、高山右近の影響を受けて、天正11年(1583年)頃に洗
 礼を受けたキリシタン大名であったが、豊臣秀吉伴天連追放令を発令
 すると、いち早く、キリスト教を捨てた(キリスト教を棄教)
  1587年、バテレン(伴天連)追放令
  フィリピンを拠点にしていたスペインのキリスト教宣教師たちには、
 キリスト教を広める行為と共に、植民地獲得・拡大の尖兵となる隠れた
 要務(ようむ、重要な職務・任務)があった。
  キリスト教宣教師たちが、南アメリカを初めとする、北米・中米・そ
 の離島のすべてのアメリカ大陸で、インディオの先住民を殺戮し、全滅
 させて領土を奪ったと同じように・・中国や日本を武力で奪い取る「征
 服する計画」があった。
  キリスト教アメリカ大陸でのその殺戮・全滅行為は、凄(すさ)ま
 じく、50年間という超長期に渡り、先住民のインディオの方々を、1000
 万人以上を殺すという卑劣極まりない行為だったが・・この様な行為が
 日本で行なわれようとしていた。
  この時、この日本を救ったのが豊臣秀吉だった。
  秀吉は、この様な情報を掴(つか)むと、部下に確かめさせた。
  そして、「その情報が間違いない」と分かると、キリスト教宣教師を
 呼び出し、秀吉・自らが確かめ詰問(きつもん、相手を攻めながら、返
 事を迫って問い立てること)した。
  そして、秀吉・自らが、キリスト教が、その様な悪行をしていると確
 認すると、その行為を叱責し、また、フィリピンのマニラのキリスト教
 本部へ書簡を送り、「卑劣な行為をするな」と言った。
  そして、1587年、バテレン(伴天連)追放令を発した。
  その令の中で、日本の神社や寺院を、キリスト教宣教師たちが打毀す
 行為をしていた事を「止めよ」と言い、叱責し・・そして、「20日以内
 に立ち去れ」と命じた。
  また、キリスト教宣教師たちは、キリシタン大名へ鉄砲などの武器や
 弾薬を渡し、「死の商人」をしていた・・そして、その領地内で、神社・
 仏閣を破壊し、好き勝手をしていた・・また、南蛮貿易では、日本の若
 い女性を連れ去り人身売買も行ったりと、倫理観がまったく無い劣悪な
 行為も行っていた・・「卑劣な輩ども」の形容がぴったりの者どもだっ
 た。
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15世紀末、ベニスの命運が尽きた。
  東方との貿易で潤っていたベニス、この様なベニスに衝撃的な事件が
 起きた。
  ポルトガルの商船がアフリカ南端の希望峰を廻って東方に到達する航
 路を開拓した。
  そして、東方の香料の地に到達して、積み荷に満載してポルトガル
 リスボン港に戻って来た。
  東方貿易で潤っていたベニスには大打撃な事件だった。
  これで、世界経済の中心的地位を占めていたベニスが崩壊する。
  東方貿易に投資していたベニスの貴族たちの立場が大変革して行く。
  危険も大きく、競争相手も多かった東方貿易への投資が成立しなくな
 って行く。
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1626年10月20日満州族の太宗ホンタイジが第2代皇帝(フワンディ)とな
 る・・在位期間(1626年10月20日~1643年9月21日)
  満洲族の太祖(たいそ)ヌルハチの息子の太宗(たいそう)ホンタイジ
 時代になると、漢民族の明朝の衰微がはっきりと見えてきた。
  (参考)ホンタイジ:生年は1592年11月28日。
      幼少の頃から文武に励み、騎射に熟達し、経典を諳んじ、何
     事も兄より優れていた。
      父に従い若い頃から戦場を駆け巡り、ウラ(烏拉)部攻略で
     は6つの城を落とすことに成功している。
      1615年に正白旗の旗主に取り立てられ、1616年には四大ベイ
     レ(貝勒)となり、後金の最高指導者の一人となった。
      ホンタイジは天聡元年(1627年)に従兄のアミン(阿敏)に
     3万の大軍を預けて李氏朝鮮へ遠征させた(丁卯の役)。
      遠征の結果、朝鮮を弟、金を兄とする密約が結ばれた。
  (参考)1644年、李自成軍の包囲の前に崇禎帝は自殺し、明が滅亡し
     た。
  明に対する恐怖感もかなり薄れて来た。
  ヌルハチは明との戦いが独立戦争であった。
  明を倒そうという戦いではなかった。
  太祖ヌルハチの時代はまだ人口が少なく過疎だった。
  息子の代になって、ホンタイジは、遼東(りょうとう)から遼西(りょう
 せい)へ進出した。
  ホンタイジの目的は人口を増やすための拉致(らち)にあった。
  人口は次第に増えた。
  拉致した人間は農耕民だった。
  遼東・遼西は土地が広かった。
  それに対し農耕民は少なかった。
  清の食糧問題の解決の意味があった。
  しかし、人口が増えたのは良いが漢民族が増えてしまった。
  満洲政権はこの様に民族問題に初期の段階から取り組まなければなら
 なかった(今、満州は、漢民族中国共産党政権が我が物としている)
  その原因の根には、漢民族の政権の明朝による満洲族の分散政策から
 発していた。
  建州(けんしゅう)や海西(かいせい)や野人(やじん)と女真族は分割さ
 れていたが、さらに内部でも諸部族に分割されていた。
  満洲族がまとまって国を作る上で最大の民族問題は漢民族に対するも
 のだった。
  この様な漢民族に対抗する上で、非満洲族蒙古族朝鮮族に対し、
 満洲族政策はその処遇に優遇策をとった。
  蒙古族は、特に、優遇され親戚なみの処遇を受けた。
  この様な事情の中、人口対策の移民(拉致)によって漢民族が一番多く
 なった。
  イギリスもインドの植民地政策で多数派のヒンズー教徒よりも少数派
 のイスラム教徒を優遇した。
  語学もヒンズー教徒が用いるヒンディ語ではなく、イスラム教徒のウ
 ルドゥ語を優遇した。
  試験科目もウルドゥ語にした。
  しかし、太宗は、漢族官吏に慰労の言葉をよくかけたということが記
 録されている。配慮した。
  漢族の明が、蒙古族の元を滅ぼした時、各地にいた蒙古族の功臣の婦
 女を娼家(しょうか)に入れたことを太宗は知っていた。
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1638年、コーヒー(カフェ)が、薬草としてベニス(ベネチア)へ高価な値段
 で輸入された。
  狡猾(こうかつ、ずる賢い)ベニス政府はこれで儲けようとした。
  1676年、初め薬草として入ったコーヒーをベニス政府はより収益を得
 ようとベニス共和国のビジネスとした。
  そして、この年、輸入などの交易を管轄する部局に任務を行わせた。
  1683年には、コーヒーの店舗をサン・マルコ広場にある新行政館の下
 に出店させた。
  このコーヒーショップは流行の最先端を行き、街のあちこちにコーヒ
 ーショップが出現した。
  東洋(オリエント)との関係の深いベニス、また、ベニスには旅行者の
 アラビア人やトルコ人が多く、この流行者たちはコーヒーショップに通
 い慣れていた。
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18世紀~19世紀、ベニスの町にコーヒーショップ(カフェ)を中心とするサ
 ロン文化が開花した。
  コーヒーショップに通い慣れた人々・・
  やがて、高価な茶器が店の呼び物にする店が現れた。
  仮面を付けた客が訪れる様な連中も多かった。
  1759年、ベニス共和国政府はあまりにも増え過ぎたコーヒーショップ
 を制限する法律を作り、制限に乗り出した。
  206以上には増やさないとした。
  この18世紀や次の19世紀には、コーヒーショップ(カフェ)を中心とす
 るサロン文化が開花した。
  ベニスの、この次に来るのは「白ワイン」だった。
  ギリシャ系列の白ワインがベニスではよく飲まれた。
  ベニスは酔っ払い天国の都市となった。
  いつの時代もベニスには居酒屋が花を咲かせ居酒屋文化が大いに発展
 して来た。
  ベニス共和国の植民地のギリシャクレタ島の港町・カンディアから
 白ワインの酒が大量に運び込まれていた。
  キリスト教教会のミサでもこの酒が飲まれた。
  町中がアルコール漬けになりそうと表現したい雰囲気をもっていた。
  また、マガゼンというワインを売る店があり、その名のマガゼンの名
 を持つ地名が数多く見出だせるという状況・・
  そして、このマガゼンは肉欲に溺れる男女の隠れ家になった。
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1871年(明治4年)7月9日、暴風雨が吹き荒れたこの日、西郷隆盛や大久保
 利通、木戸孝允井上馨山県有朋ら7人が集まって廃藩を決定した・・
 嵐の日の革命の決断だった・・
  故に、この日は、日本にとって革命的な記念日・・
  廃藩置県をやると決断し決定された日・・
  まず、長州の毛利元徳、薩摩の島津忠義らを呼び、次に名古屋藩知事
 ら、そして、在京の知藩事56人が集められて廃藩置県が告げられた。
  西郷や大久保らが藩の意向に反し、周到な準備と巧妙な戦略で実行し
 た・・変革だった。
  中でも大きかったのは大久保の存在であった。
  大久保は、西郷を引き出すことにすべてを賭け、その結果、実現でき
 たのだった。
  大久保の最も本質的なところは「公議輿論(よろん)」で、多数であろ
 うが少数であろうが、公の利益に適(かな)う議論が公論であって、それ
 を採らなければならないと大久保は断言した。
  そして、これが明治維新の精神だった。
  この様な大革命的な事が理知的に行われたという所が当時の方々を含
 めて日本民族の優秀さを世界に示す所だった。
  日本の殿さまたちが日本国へすべての財産と地位を差し上げ、知事と
 いう名誉職だけになった。
  無血での江戸城開城にしろ、日本民族の優秀さが現れている史実・・
.
1898年9月23日、ロシアが、満州を占領する。
  義和団の騒乱が、南満州にまで波及するのを見たロシアは、鉄道その
 他の在満権益保護を名目として、1900年9月23日に北満を占領した・・
  そして、さらに、10月はじめ、全満州の占領をほぼ完成させた。
  この頃、日本では、日英同盟論の主唱者である加藤高明が外相に入閣
 (10月9日)していた・・が、このような事態に対し、加藤外相は、清国
 の領土保全と門戸開放に関する英独揚子江協定の成立(10月16日)に際
 して加入を通告することで、英独を防波堤としてロシアの清国侵略に対
 する歯止めとし、ロシアの満州占領を抑止しようと企図した。
  当初、ロシアは、この軍事占領は一時的なもので、動乱鎮定とともに
 撤兵すべき旨を列国に通知していた(1900年8月25日)・・が、他方では、
 予想以上の強攻政策、即ち、満州占領を合法化させるための満州保護化
 条約である満州軍事暫定条約を成立(11月26日)させて占領の恒久化を図
 り、英独と日本の外交思惑を早速に裏切った。
  この条約がThe Times紙によって報道掲載され(1900年11月3日)、露
 清密約問題として表面化した直後の1月7日、ロシアは、日本に、韓国
 を列国の共同保障のもとに中立化させることを提案したが、これに対し
 て日本は、韓国を中立化すれば、満州におけるロシアの行動を有効に多
 少抑制しうるところの、韓国における日本の現地位を失わしめることに
 なる上、日本が韓国における政治上、商業上最大の利益を保持しようと
 いう決心、および、能力は一般に認められており、日本の威信に大きな
 影響を及ぼしかねないことを理由として、満州問題に関連させなければ
 韓国の問題は満足ではなく、ロシアが満州中立化に同意するのでなけれ
 ばロシア案を容認すべきではないと指摘し、韓国問題に関しては西・ロ
 ーゼン議定書が有効であると回答した。
   一方で日本は、露清密約問題についてロシアおよび韓国に照会すると
 ともに、現在の満州の事態は明らかに英独揚子江協定の原則に反すると
 して、英独のこの問題に対する措置を問いただしたが、ボーア戦争に疲
 れたイギリスは何らかの行動にうつる策を持ってはおらず、ドイツもま
 た、満州はドイツの勢力範囲外と考えていたため、英独協定を適用して
 英独の力を借り、日英独共同の圧力によってロシアの満州支配を防止し
 ようと考えていた加藤外相の方策は失敗に終ったのだった。
.
1898年11月10日、ウィルミントン暴動
  アメリカのノースカロライナ州ウィルミントンで暴動がおきた・・人
 種暴動だった。
  ウィルミントンの市政府が転覆した。
  白人至上主義者の白人グループがガトリング砲など、多くの武器を使
 って、選挙で選出された市政府から不法に政権を奪取した・・クーデタ
 ーと言える。
  大統領のマッキンリーは、情報を十分に得ていたが何の対応もしなか
 った。
  根に黒人の方々に対する奴隷制の肯定と否定の問題があった。
  黒人の方々を排除する者、選挙に勝ちたいから黒人の方々を排除する
 の様々な圧力をかけた。
  黒人の方々が白人女性を強姦していることを示唆する記事をかいた新
 聞を発行したりした。
  当然、その異議は主張された。
  この異議に白人至上主義ではない白人の多くも抵抗感を持つなどの経
 緯をとった・・これがまた利用された。
  この様な事もあって、11月8日の選挙では黒人の方々の多くが投票を避
 けた・・この為、選挙に敗けた。
  選挙に勝って出来た勢力は、圧力をかける行動を始めた・・例えば、
 有色市民委員会に問題に対する報告書の提出を求めたりした・・報告書
 は提出されなかった・・
  これを理由に、この勢力は白人実業家や南北戦争時代の元兵士の一団
 をウィルミントンの武器庫に集め・・
  午前8時、デイリー・レコード社に誘導し、すべてを破壊した・・建物
 を燃やした・・黒人の方々は町から逃げ出した・・町では一日中、暴動
 や発砲が続いた。
  黒人の方々が居た居住区は襲撃を受けた・・死者は60人から300人と言
 われている・・混乱していた・・
  反乱グループは市長や市政府の役人を辞任させた。
  新しい市政委員会が作られ、反乱グループの長が市長として市政を掌
 握した。
  この事もありノースカロライナ州では初めて、人種差別的内容を含む
 法案のジム・クロウ法が成立した。
  黒人の方々に対して戒厳令を布いた。
  黒人の方々が勝ち得ていた権利の多くが消し去られた。
  公民権も剥奪された。
  黒人の方々の多くが事業も財産も放棄してウィルミントンを去った。
  白人の町となった。
  1900年、第二次「白人至上主義」政治運動が支配を固め、知事が選出
 された。
  卑劣な脅迫の絵が使われた・・黒人の方々が居ると白人社会がおかし
 くなるという強迫に投票先が揺さぶられた・・
  黒人の方々の投票を防ぐ条項も設けられた。
  その選挙演説・・
  「貴方達はアングロ・サクソン人である。
  貴方達は武装し、備えがあり、貴方達の義務を果たすだろう・・明日、
 投票に行こう。
  もし黒人が投票に来ているのを見たら、投票所から立ち去るように言
 い、それを拒むならば殺せ、彼のトラックの中で撃ち殺せ。
  我々が銃を持ってそうすることになるならば、明日は勝利するだろう」
.
1949年、漢民族蒋介石が、中国で漢民族毛沢東軍に敗け、台湾に逃げ
 て来た。
  (参考)中華人民共和国中共が1949年10月1日に成立した。
  蒋介石は、この台湾で、1949年から1987年7月15日までの38年間、台湾
 を戒厳令下に置き、台湾の方々に対し「軍事管理下に置いた」。
  これは、大きな政治的抑圧を台湾の方々へ与えた。
  (参考)1950年3月1日、蒋介石は、総統職に復職し、中国大陸の共産
     党反乱に対し、大陸の領土奪還(大陸反抗)を目指した。
  蒋介石戒厳令の抑圧の一例・・高校や大学に軍人を常駐させ、思想
 を検閲し、思想管理した。
  また、政府や会社組織に、思想を管理する部署を作らせ、職員や教員
 の思想管理をした・・必ず、監視員を配置した。
  気に入らないことがあれば・・一切の手続きぬきで、いきなり、その
 気に入らない者を逮捕し、しょっぴき、留置し、死刑にすることもでき
 た。
  二・二八事件は、台湾での国民政府が樹立されたが、台湾の地元の方々
 の政治への参加を拒否した・・この為、1947年2月28日、抵抗活動が勃発
 した・・長い抵抗活動に対し弾圧と虐殺が続いた。
  この1947年は、中国大陸では国共内戦蒋介石の国民党軍と毛沢東
 共産党軍の戦い)が起きている最中だった・・
     ・
     ・
2019年12月31日、台湾は、何故?、新型コロナウイルスを防げたのか?
  中国の武漢から発した原因不明の肺炎を引き起こす未知のウイルスが
 蔓延し始めたのが『2019年12月』・・
  台湾は、断片的に入ってくる情報をウォッチして、2019年12月31日に、
 確かな証拠をつかむや否や、緊急リポートをまとめ、政府内で共有し、
 さらにその日の午後には閣僚会議を開き、夜には国内住民に注意喚起を
 行った。
  また、同時に検疫体制を強化し、さらに中国に確認し、さらに、WH
 O(世界保健機関)へ通報をし、たった1日でここまで実行してしまった。
  驚くべき手際の良さだった。
  しかし、中国の習金平が「人から人への感染はしない」など嘘を発し
 たため、中国寄りのWHOが台湾と同レベルの対応が取れずに世界への
 新型コロナウイルス(中国・武漢発、習金平ウイルス)の蔓延を引き起こ
 してしまった。
  この台湾からの通報を、WHOが、しっかり受け止めていれば、今・
 現在、全世界に大被害を引き起こしている事態は回避できたであろう。
  この時、台湾は徹底的な対策をした。
  「徹底した検疫と隔離」「強い共同体意識」「公衆衛生の専門家の主
 導」「幅広い見地から判断を下せる専門家の重視」などを行った。
  WHOの態度とはまったく対称的だった。
  結果的に台湾での新型コロナウイルスの流行は起きなかった。
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2020年5月30日、緊張感が高まるインドと中国・・中国がインド領に居座ら
 せている部隊に戦車を配備した。
  インド領ギャルワン渓谷(ジャンムー・カシミール州ラダック)に侵入
 した中国軍に戦車や榴砲を配備して戦力を強化していることが明らかに
 なった。
  (話し合いによる解決を模索するインド、戦車や榴砲などの戦力増強
 を行う中国)
  現地のインドメディアや海外メディアは、この地域の衛星写真を分析
 した結果、ギャルワン渓谷に侵入している中国軍に大量の戦車や榴砲な
 ど機械化された部隊を移動させて同地域に展開するインド軍を射程距離
 に収めていると報じている。
  ある情報源によれば同地域の衛星画像には少なくとも16両の戦車(タ
 イプ不明)が存在が確認されたと指摘・・この他にも大量の重機が持ち
 込まれ、恒久的な拠点構築が行われていることを示していると付け加え
 た。
  さらに中国は、ギャルワン渓谷から約300km後方にあるガリ空港の
 拡張工事を行い、ここに中国空軍の戦闘機J-11もしくはJ-16を展開さ
 せている。
  これに対しインド側も軍を増強して対応していると言われているが、
 現時点では武力排除ではなく外交交渉による問題解決を優先させている
 ため、軍に中国軍を挑発するような行為を控えるよう指示したらしい。
  ただインド政府はトランプ大統領が申し出た米国による国境問題仲裁
 を断っており、あくまでインドと中国の2ヶ国間交渉で問題を解決する
 構え・・
  中国は、軍を撤退させる条件にインドが同地域(インド領)のインフ
 ラ開発を中止することを挙げている。
  インドは、ラダック地域の実効支配を確かなものにするため同地域の
 道路や橋を建設中で、これが完成すれば空輸に頼る同地域への兵力展開
 が容易になる。
  同地域のインド支配を認めていない中国側からしてみれば、インド側
 のラダック地域開発は非常に都合が悪く、このままインドの好き放題に
 はさせられないため道路建設予定地域に中国軍を差し向けて妨害に出た
 のだ。
  インド側は、中国との外交交渉中に状況を明かさせるような軍の行動
 は行わないと言っているが、ラダック地域開発は止めないと言っている
 ため果たして交渉がまとまるのか非常に怪しい。
  中国の習近平主席は、ラダック地域開発阻止のため最悪、両軍による
 武力衝突もやむなしと考えているようなので、インドが提案している両
 軍撤退&現状維持案で中国を納得させるのは恐らく不可能だと思える。
  果たして、インドの忍耐が中国の挑発を上回り交渉による解決を見る
 のか、一方的な兵力増強でインド軍の暴発を誘う中国が武力紛争に持ち
 込むのか注目される。
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2020年7月、アメリカは、明確に「全体主義中国の覇権志向を抑える」とい
 う姿勢を示し、動き出した。
  2020年7月、ポンペオ米国務長官は、「自由世界が共産主義体制の中国
 を変えなければ、共産中国が私たちを変えてしまう」と警告を発し、自
 由主義諸国が連携して中国の脅威に対抗しようと呼び掛けた。
  この様な時、日本の菅首相は、総裁選の公開討論会の時、石破氏のア
 ジア版NATO構想に対して「米中が対立する中で、反中包囲網になら
 ざるを得ないのではないか」と言って「反中包囲網を否定した」。
  アメリカが示す全体主義の共産中国の拡大覇権主義を、日本の菅政権
 は、その様な中国を否定しきれない政権だということを世界に示した。
  中国が変わらず邁進する「共産拡大覇権主義」を否定せずに、その様
 な姿勢で日本の行動をして行こうというアメリカとは違った日本の姿勢
 を明確に示した。
  アメリカと違う日本の菅政権の姿勢を「アメリカはその相違を否定す
 るだろう」。
  日本は、アメリカと対中姿勢が一致していない。
  中国の姿勢の肯定的一面も感じられる日本の菅政権の姿勢は「必ずや
 アメリカに否定されるだろう」。
  アメリカの変えられぬ根本姿勢を、日本の菅政権は否定している。
  この様な菅首相の姿勢になっているお粗末さなのに、菅氏は、ぬけぬ
 けと「日米同盟を基軸とする」と言った。
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2020年8月、アメリカが、8月から中国の5社の製品を使う企業との取引を
 排除すると発表した。
  アメリカは、アメリカの利益を損なう中国企業5社と商業的関係を結
 ぶ日本企業に対して、アメリカとの取引を原則禁止することにした。
  この様なアメリカの行動は当然であって、中国企業と関係を持って利
 益を上げる日本企業が、アメリカともその中国企業製品などの廉価さな
 どの利益を享受しながら、アメリカとの利益の享受にもあずかろうとい
 う行為は、アメリカがとった行為「アメリカの利益を損なう中国企業
 行動」を利用しながら行う日本企業の行為は、間接的にアメリカの利益
 を損なっていることになるからである。
  アメリカの市場も、また、中国の市場もとの日本の企業の行為は、日
 本企業のみに有利であって、アメリカの利益を損なっている。
  アメリカ政府は、8月、ファーウェイなど中国企業5社の製品を使う企
 業が政府と取引することを禁じる法律を施行する。
  対象の日本企業は800社を越え、中国製品への依存を強めていた日本企
 業の調達戦略も修正を迫られることになる。
  (関連)
  ニッポン放送飯田浩司氏:17日の日本経済新聞が一面で報じており
 ましたけれども、センセーショナルな報じ方をしていました。
  ジャーナリストの須田慎一郎氏:私は奥歯にものが挟まったような報
 じ方だなと思いました。
  これについてはスクープというよりも、17日のアメリカの官報で国防
 権限法の細則が掲載され、そのなかで8月13日から施行されることが判明
 したのです。
  スケジュール的なことも含めて、日本企業も大きな影響を受けるとい
 うところで、日経らしい記事に仕上げているのです。
  須田:既にファーウェイなど5社に関しては、2019年に政府調達から除
 外されているのです。
  それが今年(2020年)に何が変わるのかと言うと、8月からはワンクッ
 ション置いて、ファーウェイなど5社の製品を使っている企業との取引を
 禁止するということです。
  アメリカ政府に納入している企業は、日本では800社を上回るくらいあ
 るのです。
  そういうところが影響を受けるということですが、ポイントなのは、
 日本のメーカーにしても企業にしても、自社で完結して製品・サービス
 を使っているところは少ないです。
  具体的に言えば、下請けや孫請け、部品メーカー協力企業などからそ
 ういう製品を買って組み立てて、製品・サービスに仕上げて輸出すると
 いう形を取っているのですけれども、そういう下請けや孫請けにも影響
 が及んで来るのです。
  ICチップ1つとってみても、中国と関係していないかどうかを確認しな
 ければなりません。
  須田:そして5社のなかにある「ハイクビジョン」、「ダーファ・テク
 ノロジー」というのは、監視カメラの会社です。
  ハイクビジョンは世界シェアトップで、ダーファ・テクノロジーは2位
 の監視カメラメーカーです。
  なぜここが入っているのか・・監視カメラだから、カメラ的な映像情
 報で企業秘密を盗み出しているのではないかと思われますが、そうでは
 ありません。
  この監視カメラは、当然、インターネットに接続されています。
  中国製の監視カメラはバックドアという、アクセスする権限を所有権
 限者、そして、システム管理者以外に中国共産党が持っているのです。
  ですから、必要になればバックドアから侵入して、監視カメラを経由
 し、その企業のインターネットシステムのなかに入り込むことができる
 のです。
  サーバーやホストコンピューターに侵入することができる。
  それで機密情報が抜き取られてしまうのです。
  アメリカに輸出されている中国製品に、こういうものが使われている
 と情報がダダ漏れになってしまう。
  実はいままでも、頻繁に行われていることなのです。
  アメリ国務省などの関係者に話を聞くと、アメリカ政府はその証拠
 を持っていると言います。
  ですから直接的な製品を購入して輸出している企業だけを禁じても意
 味がなくて、下請け孫請けも含め、パッケージで防衛を果たさなければ、
 簡単にハッキングされてしまう。
  だからそこを塞ぐのです。
  大企業はこの辺りの認識を持っているのだろうと思いますが、下請け
 孫請けには、まだ気が付いていない企業もいるようです。
  飯田:大手企業からすると、孫請けだとか、さらにひ孫、その先のよ
 うな会社が、どういうチップを調達しているかということまでは把握し
 ていないところが少なくないですよね。
  地震が起きてサプライチェーンが寸断されたときに、どこから部品を
 買っているのかわからないということがありました。
  同じことが起こる可能性があるわけですね。
  須田:これを輸出するに当たり、自己認証と言って、「自分のところ
 は使っていません」と証明しなければいけないのです。
  もし使っていないと言っておいて、使っていたら、罰則やペナルティ
 が課せられる。そういう法律になっています。
  飯田:アメリカでの収益に頼っている企業も多くありますが、そのペ
 ナルティによって、アメリカで取引ができないということになってしま
 う。
  須田:アメリカ政府だけではなく、アメリカのほとんどの企業に対し
 ても販売することができないという状況になります。
  そして、いろいろと検証してみましたが、これには法の抜け穴がない
 のです。
  「ここは禁ずるけれども、この抜け穴を利用すれば大丈夫ですよ」と
 いうところが、普通はあるはずなのです。
  飯田:激変の緩和をしなければならない、ということは考えますよね。
  須田:米中の貿易戦争や貿易摩擦は、政治的要因が強いではないです
 か。
  政治的要因が100%であれば、国民や有権者に対するメッセージですか
 ら、抜け穴を用意しておくものだけれど、これには抜け穴がないのです。
  ファーウェイはかなり厳しくなるのではないかと思います。
  飯田:それに日本の企業も否応なく巻き込まれるのですね。
  「どちらにつくのだ、君たちは?」ということを言われるわけですよ
 ね。
  須田:ソフトバンクなどは中国に対する依存度は高かったのですが、
 2019年に5Gの基地局に関して、ファーウェイからの調達はやめているの
 です。
  ヨーロッパ系の企業に切り替えています。
  調達価格は上がりますが、これを見越して動いている企業もあるのだ
 ということです。
.
2020年、国連は、SDGsという美しい理念を掲(かか)げているが、そし
 て、その理念を実現しようと活動しているが、自分たちの足元はまった
 く見ていない。
  未(いま)だに「敵国条項」という何年も前の昔の秩序理念を掲げてい
 る。
  まったく現状にそぐわない理念を掲げている。
  その古びた差別条項のままでいる。
  その差別を見もしないでSDGsを掲げ、差別条項を直そうともしな
 い。
  その差別観こそがSDGsの理念に反することが解らないのか?
  新しい国連理念を設立する時にある。
  その討議の中で新しい国際平和理念を確立せよ!!
.
2020年、国境が無くなったからと言って争いは無くならない。
  国境が無くても人間のグループ同士の争いは発生する。
  国境を超えたグループの形に変わるだけ。
  強い絆のグループである国の形を崩せば争いが無くなるは幻想、逆に、
 世界は乱れる。
  グローバリズムは、強い絆を持った国家の存在があってこそ達成され
 る。
  国が無くなって国境を無くして個人のアイデンティティーをあやふや
 にしてグローバリズムは存立しない。
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2020年10月9日、「ありがたい」「大変不満」=IR計画延期に誘致自治
  (時事通信
  カジノを含む統合型リゾート(IR)で観光庁自治体から整備計画
 を受け付ける期間を2021年10月以降に延期したことに関し、誘致
 を表明した4地域の自治体首長からは9日、「ありがたい」との声が上
 がる一方、「大変不満」といった意見も聞かれた。
  新型コロナウイルス感染拡大などによる作業の遅れで、大阪府・市は
 目標としていた2025年大阪・関西万博前の開業を断念している。
  今回の延期を松井一郎市長は「ありがたい」、吉村洋文知事は「妥当
 な判断」と歓迎した。
  長崎県の中村法道知事は「申請に向けた準備を着実に進めていく」、
 横浜市の林文子市長も「スケジュールはタイト」としつつ「IRを実現
 できるよう取り組みを進めていく」とのコメントをそれぞれ出した。
  林氏の任期は2021年8月29日までで、延期によって整備計画の
 申請前に市長選が行われる。
  IR誘致の是非が争点となるのは必至だ。
  和歌山県仁坂吉伸知事は「県は当初の国の予定に従って一生懸命に
 やってきたので大変不満で遺憾だ」と口にしながらも、「変更された内
 容と期限に従って仕上げていくしかない」と語った。 
  (世論の声)博打(ばくち)で儲(もうけ)よう、それでIRをしよう
       との発想は不純だとの声に満ちることの行く末だ・・
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2020年10月28日、NHK、新説だと言っても許されない・・根拠も示さず
 天皇陛下を蔑(さげす)む・・
  NHKが番組「英雄たちの選択」で鑑真のことを放送していたが、い
 つもの出演者の決まった話者たちが「勝手な推論」で今までの科学的歴
 史的論理と違う論理を放送していた。
  聖武天皇が欲望に駆られて起こしたことだったなどとも言う内容だっ
 た・・天皇陛下を権力の欲望に取り付かれた者の様に描いた。
  NHKは番組の始まる前に、「新説が生まれた」と言って批判を避け
 ていた。
  (放送日:2020年10月28日、放送時間:am8:00からam9:00、NHKBS
 プレミアム、番組名:英雄たちの選択)
  そのNHK好みの特別な推論をただただ正しいものとする放送だった。
  いつものNHK好みの偏った推論から「まったく間違っている論理だ
 と言える内容」の放送だった。
  NHKは中国が狙う日本の国体を衰退させようとする放送をする(N
 HKは「中国だけ」に特別にNHK放送センター内の一室を提供すると
 いう行為をしている)。
  また、キリスト教に偏するNHKはよく他宗教の仏教の蔑(さげす)み
 の内容の放送もする。
  この番組の論理の裏付けはまったく言わないというNHK推論だけが
 進行するという放送だった。
  天皇陛下の蔑(さげす)みにもなっている・・いつもの決まった話者
 たちによる天皇陛下のひきおろし番組だった。
  天皇陛下を権力の欲望に取り付かれた者の様に描いた。
  番組が始まる当初に「新説が生まれている」と称したが、まさにNH
 Kが勝手に作った説による勝手な想像だけの日本を蔑(さげす)む内容の
 プロパガンダ番組だった。
  日本を蔑(さげす)む内容だけをまったくプロパガンダしている。
  新説だと言ったっていつものNHK好み新説を、科学的検証を受けな
 いで放送をするという行為だった。
  今までの科学的に検証されていたことを無視し、何の科学的検証もな
 いことを「新説だ」とNHK好みの論理を勝手に放送して、新説と言え
 ば許されるものでもなく、世間を変えようという目論見の放送目的その
 ものの放送となっている・・安易な新説の放送は放送法違だ・・その反
 対の今までの説も説明せよ。
  韓国という国は今までの約束をも無視して自分だけに都合の良いこと
 を勝手に言い出すが、このNHKもこの様な韓国と同様に、今までの科
 学的検証を受けた事柄をひっくり返して「新説だ」とNHK好みの勝手
 な推論を「さも事実の様に放送する」。
  まったく反対意見を持っている科学者を登場させないで、あやふやな
 推論だけの筋で押し通すという番組づくりをして放送している。
  番組の作り方も聖武天皇が権力欲のある天皇の様に設定して、その設
 定に基づいて描き、陰謀を持っている天皇の様に描き、まったくその根
 拠も示さずに悪意の中で番組を作り、そして、展開し、日本国民を繰っ
 ている。
  日本の国体を壊そうとしている。
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2020年11月3日、北朝鮮弾道ミサイル発射可能な潜水艦を建造中=韓国
 議員
  [ソウル 3日 ロイター]韓国議会の議員は3日、同国の情報機関、
 国家情報院(NIS)の話として、北朝鮮が潜水艦を新たに2隻建造し
 ていると明らかにした。
  うち1隻は弾道ミサイル発射可能な潜水艦だという。
  議会情報委員会の野党議員は、ロイターに対して「北朝鮮が建造中の
 潜水艦のうち1隻は、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の搭載が可
 能なものだ」と説明した。
  1隻は旧ソ連製をコピーした「ロメオ級」改良型で、もう1隻は中大
 型級の新型だという。
  北朝鮮の国営メディアは2019年7月、金委員長が新たに建造され
 た大型潜水艦を視察している様子を伝えた。
  潜水艦の兵器システムは公表されなかったが、潜水艦の規模を踏まえ
 るとミサイル搭載型の可能性が高い、とアナリストは指摘した。
  その後、北朝鮮海上から新型SLBMの発射に成功したと発表し、
 10月に平壌で行われた軍事パレードでは新型SLBMを公開した。
  北朝鮮が近く、弾道ミサイル潜水艦を進水させる可能性があるとの観
 測が高まっている。
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2020年11月11日、大阪都構想の二回目の住民投票が行われた。
  一回目の住民投票は2015年5月17日である。
  中国にゴマを擦る者たちが、大阪の都構想に賛成する。
  中国に利することばかりをする公明党や、自民党でも中国ゴマ擦りで
 有名な二階幹事長などの派閥・・
  かつて、大々的に大阪の都構想をぶち上げた橋本徹(はしもととおる)
 の言語録を見よ、びっくりするくらいの中国が喜ぶことを言っている。
  都構想に賛成している人たちの賛成意見としても都構想が良いからと
 いう意見よりも、「大阪の閉塞感を脱したい」とか、「二度もチャレン
 ジをするというその意気を感じた」などと、都構想が優れているという
 事ではなく、まったく危うい判断基準で賛成している。
  この度、反対派から賛成側に変わった公明党・・コロコロ方針を変え
 る公明党は危(あや)うい政党だ。
  公明党は、北海道でアイヌの記念館などの箱物を次々に建てることの
 主軸になっている・・利権が大きくからむこの話に大きく関わっている。
  大阪で恫喝(どうかつ)されたという話もある・・どろどろとした話が
 うごめく世界。
  調子よい話っぷりで庶民を煙にまく振る舞いだった橋本徹・元大阪府
 知事がかつてぶち上げたが・・今は一度も大阪入りはしていないという
 「すげない状況」・・
  (参考)すげない:相手に対して思いやりのない、無愛想な態度だ。
     そっけない。
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2020年、中国に利することばかりする公明党は、しつこく国土交通省ばか
 りの大臣の席をとり続ける。
  この国土交通省海上保安庁を管轄している。
  日本の領海である日本海にある大和堆は、スルメイカやサンマなどの
 豊富な漁場である・・だが・・
  今、ここに中国漁船がごまんと出漁して違法操業をしている・・日本
 の魚を盗んでいる・・
  また、この日本の領海に、北朝鮮の公船も北朝鮮漁船と共に自分の領
 海の様な顔をして領海侵犯と違法操業をしている・・
  この公船は武器を搭載している・・
  この様な状況で、日本の漁船は、危険な状況のため自国の領海なのに
 1ヶ月以上の出漁のできない状態が続いている・・
  尖閣諸島で頑張っている海上保安庁の現場の方々・・
  大和堆もこの様な状態・・海上保安庁の組織を拡大し充実させること
 も大切だ・・が・・
  公明党の大臣が続く海上保安庁は、この様な党の大臣で国土交通省
 は無理で駄目だ・・別の省へ移せ!!
.
2020年、対立候補を立候補させない中国の選挙・・これを選挙と言えるか?
  選挙がない中国という批判を避けるためにこんな「子供のやる様な選
 挙をしている中国」。
  民の選択のしようがない「選択もどき」の子供だましのことをする中
 国・・ますます中国には選挙がないという感を強くさせる・・
  民主主義のない独裁国家中国共産党国家。
  一部の者だけが民の財産を吸い取っている。
  民は虐(しいた)げられている。
  中国の労働者が制裁を受けている・・
  万国の労働者よ!立ち上がれ、中国の労働者を救済しよう・・
  中国の人民を救済しよう!!
  世界はこの様に中国人民が虐げられていることを放置していてはいけ
 ない。
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2020年11月18日、日本とオーストラリアが、「準同盟」関係深化・・対中
 危機感で交渉が進展した。
  日豪両首脳が大枠で合意した「円滑化協定」は、両部隊の共同訓練や
 災害協力を容易にするもので、両国の「準同盟国」関係を深化させた形
 だ。
  交渉は長く停滞していたが、覇権主義的な行動を強める中国への危機
 感が交渉進展を促した。
  円滑化協定は、自衛隊と豪軍が互いの国に滞在している間の法的地位
 などを規定する。
  2014年に交渉入りしたが、死刑制度を廃止した豪州が日本の刑事
 司法手続きに懸念を示し、難航していた。
  自国軍の兵士が日本で殺人などの罪を犯した場合、死刑となる可能性
 があるため・・
  合意へ背中を押したのは、「力による現状変更の試み」をやめない中国
 の存在が大きい。
  中国は南シナ海で軍事拠点化を進め、東シナ海でも沖縄県尖閣諸島
 周辺での領海侵入を繰り返している。
  こうした動きを警戒する日本は今年に入り、海上自衛隊航空自衛隊
 が、米豪の海空軍との合同演習をたびたび実施。
  「自由で開かれたインド太平洋」を旗印とした日米豪印の海上合同演
 習「マラバール」も11月に行った。
  日豪間では防衛協力の複雑・高度化も進む。
  両国の防衛相は10月、高い技術が求められる空中給油訓練のほか、
 自衛隊が豪軍の艦艇や航空機を警護する「武器等防護」に向けた調整開
 始でも合意。
  円滑化協定で相手国に入国する際の手続きが簡素化されるなど、共同
 訓練がしやすくなる。
  ただ、両国は今回、司法制度などの詳細部分で折り合わず、署名には至
 らなかった。
  首脳合意をてこに今後、外務、法務当局が細部を詰める方針だ。
  円滑化協定には英国も関心を示しており、日豪の合意が日英協議の弾
 みとなる可能性がある。
  (参考)南シナ海の防空施設、中国、「自衛目的」と正当化
      南シナ海・南沙(英語名スプラトリー)諸島の七つの人工島
     に中国が防空施設を整備したとみられると米シンクタンクが発
     表したことについて、中国国防省は15日(2016年12月15日)、
     談話を発表し、「軍事施設は主に防御と自衛のためで、正当で
     合法的だ」と主張し、事実上、発表内容を認めた。
     戦略国際問題研究所(CSIS)は14日、人工衛星画像の分
     析結果として、中国が巡航ミサイルを迎撃する兵器システムを
     配備したもようだと指摘した。
      これに対し、談話は「中国は南沙諸島とその近海に争う余地
     のない主権を有している」と強調。
      さらに、「他人が玄関先で武力で威嚇しているときに、最低
     限の準備をしてもいけないのか」と述べた。
      一方、中国外務省の耿爽・副報道局長は15日の記者会見で、
     「(CSISの発表について)詳しく承知していない」とした
     上で、「国土防衛に必要な施設の配備は当然で、国際法が認め
     る権利だ」と語った。
  (世界の世論)中国の玄関先だと中国が言っている言葉は逆だ・・中
     国こそがフィリピンやベトナムインドネシアの目の前の玄関
     先に軍事基地を構築している・・中国から遠く離れた位置に構
     築している・・それも埋め立てまでして・・
      よくもぬけぬけと逆のことを中国は言うものだ・・
      こんなことが出来るのなら・・ハワイの沿岸やオーストラリ
     アの沿岸や東シナ海なども中国は埋め立てて同じことをし続け、
     そして、同じことを言い続けるだろう・・
.
2020年11月10日、韓国2隻目の3千トン級潜水艦進水 「安保の中心役果た
 す」
  【巨済聯合ニュース】韓国の防衛事業庁と海軍は10日午後、南部・巨
 済にある大宇造船海洋の造船所で独自技術で開発した韓国軍2隻目の3000
 トン級潜水艦「安武」の進水式を行うと明らかにした。
  2018年に進水した潜水艦「島山安昌浩」に次ぐ「張保皐3」級バッチ1
 の2番艦。
  バッチは同じ種類として建造される艦艇を意味する。
  バッチ1から2、3に進むほど艦艇の性能が改善される。
  初期の設計段階から官民と軍が協力し、潜水艦の頭脳の役割を果たす
 ソナー(水中音波探知機)など多数の国内開発装置を搭載した。
  国産化率は76%。
  全長83.3メートル、幅9.6メートルで、非大気依存推進(AIP)シス
 テムを備えている。
  AIPシステムを搭載した潜水艦は定期的に浮上する必要がなく、最大数
 週間の潜航が可能だ。
  長距離の移動が可能になり、海軍の作戦範囲が広がる。
  水中最大速力は20ノット(時速37キロ)以上で、約50人が乗船できる。
  弾道ミサイルの発射管が6本ある垂直発射台を搭載しているとされる。
  ただ、軍当局は3000トン級潜水艦に垂直発射台が搭載されているかど
 うかや潜水艦発射弾道ミサイルSLBM)を開発しているかについて明ら
 かにしていない。
  艦名は日本による植民地時代、独立運動に貢献した人物や解放後に国
 家発展に寄与した人物の名前を付ける伝統に従い、独立運動家の安武(
 アン・ム)から取ったという。
  進水式には安武の子孫や徐旭(ソ・ウク)国防部長官らが出席する。
  防衛事業庁の関係者は同艦について、「抑止力を持つ戦略兵器体系と
 して全方位的な脅威に効果的に対応する国家安全保障の中心的な役割を
 果たす」と説明した。
  同艦は2022年に海軍に引き渡され、実戦配備される。
.
2020年11月18日、中国が日豪を恫喝した「我が国を標的とした準軍事同盟
 締結には代償が伴う」と・・
  中国が早速、日本と豪州が大枠で合意した自衛隊と豪軍との共同訓練
 などを行う際の法的枠組み「相互アクセス協定:Reciprocal Access
 Agreement RAA」について噛み付いてきた。
  中国の「Global Times(環球時報の英字紙)」は17日、日豪が大枠で
 合意したRAAを足がかりに2ヶ国間の軍事同盟に動き出せば米国が提唱
 する「アジア版NATO」に繋がり、この地域の平和的発展を阻害する
 ことになるため中国は対抗措置を取らざるを得ないと強調、そうならな
 いためにも日豪は準軍事同盟と見なされるRAA締結を自制することを
 提案している。
  中国側の主張を要約すると以下の通りになる。
  米国の言うがままに日本とオーストラリアは最大の貿易相手である中
 国を「安全保障上の脅威」と解釈して、この地域初の準軍事同盟と見な
 されるRAAについて大枠で合意するという悪しき先例を作ってしまっ
 た。
  日本と豪州は地理的に離れているにも関わらずRAA締結を推進する
 のは中国を標的とした米国のインド太平洋戦略の影響で、これはアジア
 太平洋地域に対立構造を持ち込み各国の相互理解に悪影響を及ぼすだろ
 う。
  米国は日本とオーストラリアを利用して「アジア版NATO」の創設
 を目論んでおり、これが実現に向かえばアジア太平洋地域だけでなく全
 世界的に対立構造が激化することになるため、この動きに中国は無関心
 ではいられない、つまり中国は必ず対抗措置を講じることになる。
  日本とオーストラリアは中国を標的とした米国の戦略に「道具」とし
 て利用されており、道具(日豪)がダメージを負うリスクは使用者(米
 国)ががダメージを負うリスクよりも確実に高いので、日本とオースト
 ラリアは中国を標的とした準軍事同盟を結ぶことを自制することを提案
 する。
  米国の扇動に乗って中国と対立したり中国を封じ込めるような米国の
 やり方を真似るのは危険で、仮に中国の国益を侵害して安全保障を脅か
 すような事態になれば必ずそれに見合った「代償」を支払うことになる
 だろう」と・・
  豪メディアは「オーストラリアはアジア版NATOに関連して中国に
 脅された」と大きく報じている。
  日本の菅首相自民党総裁選挙期間中に「反中包囲網にならざるを得
 ない」との理由からアジア版NATO創設には否定的な考えを示してい
 るが結局、どんなに否定しても中国は日豪のRAAについて準軍事同盟
 と見なしており、将来的に2ヶ国間の正式な軍事同盟へと格上げ→アジア
 版NATOの基盤となると危惧している・・
  中国は日豪に対して「最大の貿易相手である中国と直接的な対立を避
 けつつ、アジア版NATO創設に繋がる行為を止めろ」と釘を刺してき
 たと見るべきなのだろうが、恐らく日本も豪州もアジア版NATO創設
 までの下地が整うまで、のらりくらりと中国の批判を交わしながら徐々
 に距離を詰めていく・・
  「反中包囲網ではない」という言い訳が、どこまで中国に通用するの
 かは謎・・
  (参考)中国が空母も停泊可能な巨大基地をジブチに建設中
      中国はアフリカのジブチに空母が受け入れ可能な巨大基地を
     建設中で、この基地は「万里の長城」を連想させるとフォーブ
     スが報じた。
      中国は海軍のために幾つかの海外拠点を建設しているが、そ
     の中でも最も遠方で巨大な基地は「アフリカの角」と呼ばれる
     地域に建設されているジブチ基地(中国人民解放軍ジブチ
     障基地)だ。
      この基地は2016年から建設が始まり滅多に見られない規模の
     巨大要塞だとフォーブスは報じた。
      高い城壁に囲まれた基地内にアクセスするには完全に自動化
     された2ヶ所のゲートを通過しなければならず、その先の正面
     ゲートはポップアップ式の車両侵入バリアとコンクリート製の
     扉が待ち構えており、全てのコースは城壁に設置された銃座か
     ら常に狙われているため不審な動きを見せれば即座に蜂の巣に
     される。
      このルートを迂回して基地内に侵入しようとすれば何層にも
     準備されている防御を突破しなければならず、ここまで高度に
     防御された要塞は戦闘地域でも滅多にお目にかかれないとフォ
     ーブスは指摘した。
      この基地は三方を10m級の壁で囲み基地内には400m程度の
     滑走路まで設けられており、将来的には海に向かって延長すれ
     ば1000m級の滑走路への拡張も不可能ではない。
      2018年から基地沖合に330m以上の桟橋を建設しており、こ
     れが完成すればフォーブスが言うように大型空母も寄港するこ
     とが可能(水深が足りるのかは不明)・・
  (参考)アフリカの角(Horn of Africa):アフリカ大陸東端のソマ
     リア全域とエチオピアの一部などを占める半島のことを指して
     おり、インド洋と紅海を結び、さらにはスエズ運河を通して地
     中海に繋がる海上交通の要衝。
      因みにソマリア沖の海賊問題に対処するため日本も自衛隊
     地を設けており、米軍のキャンプ・レモニエや仏軍の第188空軍
     基地が設営されている。
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2020年12月13日、オホーツク海から発射実験 ロシア原潜、SLBM4発
  【モスクワ共同】ロシア国防省は12日、太平洋艦隊に所属する原子力
 潜水艦「ウラジーミル・モノマフ」がオホーツク海から4発の潜水艦発
 射弾道ミサイル(SLBM)「ブラバ」の発射実験を行い、北部アルハ
 ンゲリスク州の演習場に予定通りに着弾させたと発表した。
  ブラバは射程8千〜9千キロで、米国のミサイル防衛(MD)網の突破
 が可能とされている。
  ロシア国防省によると、最新型ボレイ級原潜であるウラジーミル・モ
 ノマフから4発のSLBMが発射されたのは初めて。
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2020年12月15日、日本の固有の領土・領空・領海を侵犯する中国へ、はっ
 きりモノが言える大臣が、やっと、表われた。
  中国の国防政策まで踏み込んで懸念を表明した。
  2020年12月17日の国防部会・安全保障調査会、合同会議でそのことが
 報告・説明され、明らかにされた。
  腰砕けの日本の政治家・官僚ばかりだったが、特に、外務省の腰砕け
 には呆れ過ぎていたが・・例えばその1例、脱北した北朝鮮の方が、日本
 の領事館の敷地内にしっかり逃げることが出来たのに、日本の外務省の
 者は、その北朝鮮の脱北した方を中国官憲へどうぞと渡してしまった。
  それも、日本の治外法権の領事館敷地内で渡した・・中国官憲が治外
 法権の領事館の敷地内に侵入して来た状況において、その様なことを日
 本の外務省は「しでかした」。
  日本の中国に対する外交は、常に、「ことが起きないように」という
 姿勢で、腰砕け外交の状態が続いている・・核を持たないという国防の
 劣悪さがこの根底にある・・
  しっかりした国防態勢が無い国は衰亡する・・歴史に明らか・・
  また、この脱北者の方が、北朝鮮に送られて後、生きておられるかが
 心配でならない・・多分、殺されているだろう・・
  そして、以下がその会議の内容・・
  (1)冒頭
 ◆魏国務委員から岸大臣に対し、就任の祝意が示され、岸大臣から感謝
  の意を示した。
  (2)日中関係及び地域情勢
 ◆岸信夫防衛大臣から、我が国の領土・領海を断固として守り抜くとの
  防衛大臣の責任を果たすべく、我が国固有の領土である尖閣諸島周辺
  海域を含む東シナ海情勢について、まず、同諸島に関する我が国の立
  場をしっかりと伝えたうえで、中国軍や中国公船の活動といった個別
  の事象について指摘しつつ、力を背景とした一方的な現状変更の試み
  に対する強い懸念を伝達し、事態をエスカレートさせるような行動を
  とらないよう、強く求めた。
  (岸防衛大臣は、今までの防衛大臣と違って、中国へ不都合・不穏・
  不法な行動をする中国へ日本の懸念をはっきりと伝えた。今までの日
  本の防衛大臣は、この様な言うべきことまで言えないという腑抜けの
  大臣・政治家たちだった)
 ◆南シナ海情勢については、岸大臣から、現状への懸念を述べるととも
  に、法の支配や自制の重要性を指摘した。
 ◆さらに、岸大臣から、中国が自国の国防政策や軍事力の透明性を向上
  させ国際社会の懸念を払しょくするよう求めた。
  (この項の岸防衛大臣の発言も重要で、秘密主義の中国が国際社会に
  存在したいのなら、発表すべきことは正々堂々と明らかにせよと言っ
  た)
  (3)日中防衛当局間での意思疎通
 ◆両大臣は、日中の安定した関係は、地域及び国際社会の平和、安定、
  繁栄にとって極めて重要であり、日中防衛当局間においても、引き続
  き、意思疎通を継続して行くことを確認した。
  (国際社会に存在し、繁栄して行きたいならば、自分に都合の良いこ
  とばかりを自分だけの勝手な解釈で行うなということを示した)
  (4)日中防衛当局間における海空連絡メカニズム
 ◆「日中防衛当局間における海空連絡メカニズム」の「日中防衛当局間
  ホットライン」について早期開設に向けた調整が着実に進展している
  ことを改めて歓迎し、その実現に向け、両大臣がリーダーシップを発
  揮」、調整をさらに加速させていくことで一致した。
  (これは事実と違う・・当面できない状況にある・・これは、当面、
  してはいけない事・・開設されたならば、中国の都合の良いように使
  い、尖閣を領有することにまで使うようになる・・また、領海・領空
  を侵犯することに使う・・しかし、現状は開かれる可能性は無い状況
  にある・・ホットラインがあれば問題が解決するとよい方に考えるの
  は甘い・・中国の場合、そのことが言える中国という国・・逆に、安
  心できるシステムにはならない)
  (資料)魏国務委員:魏 鳳和(ぎ・ほうわ、1954年~)、現:中国国
     務委員兼国防部長。
      中華人民共和国の軍人。中国人民解放軍副総参謀長、第二砲
     兵部隊司令員、ロケット軍司令員を歴任。中国共産党中央委員
     会委員、党中央軍事委員会委員、国家中央軍事委員会委員、国
     防部部長を務める。階級は上将。
      2018年3月19日、第13期全国人民代表大会第1回会議において
     国務委員に任命される。
  (参考)
      [ぼくらの国会・第72回]ニュースの尻尾「王毅問題を挽回!
     岸防衛大臣の凄さとは?」
      https://www.youtube.com/watch?v=-LRNSBY3Y9U&t=11s
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
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または
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